表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者じゃなくて運送屋ですが、王国の命綱です  作者: naomikoryo


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/146

第9話:月明かりのベッドサイド

 宴の熱気がようやく村から引いていった頃。


 ソータは、ようやく自分の寝床へ戻っていた。


 腹はいっぱい。

 体はくたくた。

 けれど頭の中だけは、まだ妙に冴えている。


「……濃い一日だったな。」


 天井を見上げて、ぽつりと呟く。


 朝は魔猪退治に出て。

 昼を過ぎて森の奥で死にかけて。

 気づけばレベルが8まで上がっていて。

 懐かしの白いトラックで魔猪を轢き倒し。

 村へ戻ったら宴会。

 しかもリーナには正面から抱きつかれた。


「情報量が多いんだよ……。」


(いや本当に。)


(普通、魔物退治の一日って、最後に村娘に抱きつかれて終わるものなのか?)


(異世界の基準がまだわからん。)


 木枠の小さな窓から、月明かりが差していた。

 外では虫の声がしている。

 遠くでまだ何人かが笑っている気配もあるが、もう広場の騒ぎはほとんど収まっていた。


 村は静かだった。


 静かで。

 あたたかくて。

 不思議なくらい、落ち着く。


(帰る場所、か。)


 今日、森から戻ってきた時。

 畑に集まっていた村人たちの顔を見て、ソータは少しだけ胸の奥が熱くなった。


 自分が戻るのを待っている人がいる。

 心配してくれる人がいる。

 帰ってきたら喜んでくれる人がいる。


 前世の四十年で、そういうことがまったくなかったわけではない。

 職場で気にかけてくれる人はいたし、配送先で顔を覚えてくれる店員もいた。


 でも。


 帰ってきてほしいと、あんなふうに真っ直ぐ言われたことはなかった。


「……絶対に帰ってきて、か。」


 リーナの声を思い出す。

 あの必死な顔も。

 腕にしがみついてきた時のぬくもりも。


「……。」


(やめろ。)


(そこを思い出すと余計寝られなくなる。)


 ソータは寝返りを打った。


 できれば今日は、このまま何事もなく寝たい。

 さすがに疲れている。

 背中流しのイベントも、今日はたぶん休みだろう。


(いや、むしろ今日こそ休んでくれ。)


(心臓がもたん。)


 そんなことを考えていた、その時だった。


 こん、と小さな音がした。


 窓ではない。

 扉の方だ。


 ソータはぴくりと肩を震わせた。


「……はい?」


 声を潜めて返す。


 しばらく間があってから、扉の向こうで小さな声がした。


「……ソータさん。」


 リーナだった。


 心臓が、どくんと大きく鳴る。


(来た。)


(いや何で来るんだ。)


(何で、夜に、俺の部屋へ。)


(落ち着け。

 まずは落ち着け。)


「どうしました?」


 なるべく普通の声で返したつもりだったが、少し上ずった。


「その……少しだけ、お話ししてもいいですか?」


 扉越しの声は、ひどく控えめだった。

 昼間や宴の時の勢いとは違う。

 迷って、迷って、それでも来たのだとわかる声だった。


 ソータは一瞬だけ息を止め、それから体を起こした。


「どうぞ。」


 扉がそっと開く。


 月明かりの差す部屋へ、リーナが静かに入ってきた。

 寝間着姿だった。

 薄い色のゆったりした服。

 下ろした髪。

 昼間よりずっと幼く見えるのに、同時に妙に大人びても見えた。


「……すみません。

 もう寝てましたか?」


「いえ。

 まだ起きてました。」


(起きてたどころか、さっきまであなたのこと考えてましたとは言えない。)


 リーナは扉を閉めると、部屋の中で少しだけ立ち尽くした。

 来てみたものの、何から話せばいいかわからない、そんな様子だ。


 ソータはベッドの端へ少し寄り、木椅子を手で示した。


「座りますか?」


「……はい。」


 ちょこんと椅子へ腰かける。

 だが背筋は伸びたままで、どうにも緊張している。


 ソータの方も落ち着かなかった。

 若い娘が夜に自分の部屋へ来ている。

 しかも、よりによって月明かりの下だ。


(雰囲気があるなあ、おい。)


(いや、あるなあ、じゃない。)


(変に意識するな。

 話をしに来ただけだ。

 たぶん。

 きっと。)


「何か、ありましたか?」


 できるだけやわらかく尋ねる。


 リーナは膝の上で指を組み、少し俯いた。


「今日……。」


「はい。」


「帰ってきてくれて、嬉しかったんです。」


 その声は静かだった。

 でも、まっすぐだった。


 ソータは言葉を返せず、ただリーナを見た。


「広場で、皆が“まだ戻らない”って言い始めた時。

 私、すごく怖くなってしまって。」


 リーナはそこで一度、唇を噛んだ。


「お父さんの時と、同じになるんじゃないかって思ったんです。」


 月明かりが、伏せられた睫毛に影を落とす。


「お父さんも、“すぐ帰る”って言ってました。」


 ソータは黙って聞いていた。


「笑って出ていって。

 心配するなって言って。

 でも、帰ってこなかった。」


 声は震えていない。

 無理に震えないようにしている声だった。


「だから今日も、ソータさんが戻るまで、ずっと……。」


 そこでリーナは言葉を切った。

 少しだけ呼吸を整える。


「怖かったんです。」


 やっと零れた本音は、思ったより小さかった。


 ソータは胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。


 魔猪に向かう朝。

 腕にしがみついて、絶対に帰ってきてと言ったリーナ。

 あれはただの心配ではなかったのだ。


 帰ると約束した人を、また失うかもしれない怖さ。

 それを、ずっと抱えていた。


「……そうでしたか。」


 絞り出すように、そう言った。


 軽い慰めは違う気がした。

 大丈夫だとか、心配しすぎだとか、そういうことではない。

 怖かったものは、怖かったのだ。


「でも。」


 リーナが顔を上げる。


「帰ってきた時のソータさん、すごくきらきらしてて。」


「きらきら。」


「はい。

 泥だらけだったのに、負けた人の顔じゃなかったです。」


 ソータは少しだけ苦笑した。


「自分ではそんなつもりなかったんですけど。」


「私にはわかりました。」


 その言い方が、妙に嬉しかった。


(わかるのか。)


(俺の顔を見て、そんなことまで。)


 リーナは少しだけ頬を緩めた。


「だから、倒してくれたんだなって思ったんです。」


「はい。

 何とか。」


「……嬉しかったです。」


 またその言葉。

 今度はさっきよりも柔らかく、深く胸に落ちてきた。


 ソータは頭をかいた。

 何だか気恥ずかしい。

 でも、ごまかしたくもなかった。


「俺も、帰れてよかったです。」


「本当に?」


「本当に。」


 少し間を置いてから続ける。


「帰ってきた時、リーナさんがいてくれて、安心しました。」


 リーナの目が丸くなる。

 それから、少しだけ赤くなった。


「……そういうこと、さらっと言いますよね。」


「そうですか?」


「そうです。」


(いや、今のは割と本音だったんだけど。)


 部屋に静かな空気が流れる。

 気まずいわけではない。

 けれど、互いにすぐ次の言葉が出てこない。


 その沈黙を破ったのは、リーナだった。


「ソータさん。」


「はい。」


「もう一つ、約束してもらえますか?」


 真剣な目だった。


 ソータも姿勢を正す。


「何でしょう。」


「無茶しないでください。」


 昼間も似たようなことを言われた。

 けれど今のは、もっと静かで、もっと深い声音だった。


「私は……。」


 リーナはそこで少し迷ってから、言った。


「ソータさんが、いなくなるのは嫌です。」


 ソータは息を呑んだ。


 真っ直ぐすぎる。

 こういう時に、変に取り繕わない。

 それがこの子のすごいところだと思う。


(だめだなあ。)


(そういう言い方されると、弱い。)


(ものすごく弱い。)


 ソータはゆっくり頷いた。


「わかりました。」


「本当ですか?」


「はい。」


 それから、自分でも驚くくらい落ち着いた声で言った。


「俺は無茶しません。

 帰るって言ったら、ちゃんと帰ります。」


 リーナの瞳が揺れた。


 泣くほどではない。

 でも、その一歩手前くらいに見える。


「……はい。」


 小さく返事をする。


 それから二人で、しばらく月の光を見ていた。

 窓から入る白い明かりが、床を細く照らしている。

 外の虫の声が、かえって部屋の静けさを際立たせていた。


 やがて、リーナがふっと息をついた。


「……何だか安心したら、急に眠くなってきました。」


「今日は色々ありましたからね。」


「はい……。」


 その返事が妙にゆっくりだった。


 見れば、椅子に座ったまま、もう半分くらい目が閉じている。


「リーナさん?」


「ん……。」


「大丈夫ですか?」


「だいじょぶ、です……。」


 全然大丈夫そうじゃなかった。


 こくり。

 と、首が前へ落ちる。


(寝るな寝るな寝るな。)


(いや、寝るのはいいけど、ここでか。)


 次の瞬間、本当に椅子からずり落ちそうになったので、ソータは慌てて立ち上がった。


「危なっ。」


 肩を支える。

 リーナはうっすら目を開けたが、もうほとんど意識がない。


「……ソータ、さん……。」


「はい。」


「帰ってきて……くれて……よかった……。」


 それだけ言って、また目を閉じてしまった。


 ソータはしばらく固まった。


(……可愛いな、おい。)


(いや、今それ言ってる場合じゃないか。)


(どうする。

 起こすか。

 部屋まで運ぶか。)


 少し考えてから、そっと抱き上げる。


 軽い。

 驚くほど軽い。


 そして、近い。


(やめろ心臓。

 今はそういう場面じゃない。)


(落ち着け。

 運ぶのは本業だろ。

 荷物じゃないけど。)


 ソータはベッドの脇へ戻り、毛布を引き寄せた。

 起こして部屋へ帰すより、今は少し寝かせた方がいい気がした。

 起こしてまた無理に歩かせるのもかわいそうだ。


 ベッドの端へ、そっと横たえる。

 寝息はすぐに静かに整った。


「……寝るの早いな。」


 苦笑しながら毛布を肩まで掛ける。


 月明かりの下で眠るリーナは、起きている時よりずっと幼く見えた。

 それなのに、さっき言った言葉は妙に大人びていて。

 そのちぐはぐさが、やけに胸に残る。


「いなくなるのは嫌、か。」


 小さく呟く。


 そんなふうに言われたのは、初めてだった。


 ソータはしばらく立ったまま、どうしたものかと悩んだ。

 自分のベッドに寝かせた以上、自分は床で寝るしかないだろう。

 それでいい。

 当たり前だ。


(当たり前なんだが……。)


(この状況で床に寝る俺、だいぶ試されてないか?)


(理性が。)


 結局、ソータは部屋の隅から毛布をもう一枚持ってきて、床へ敷いた。

 寝転がる前に、もう一度だけベッドの方を見る。


 リーナはすやすやと眠っていた。

 安心しきった顔だった。


「……おやすみなさい。」


 小さくそう言って、ソータは床へ横になった。


 天井が近い。

 体は痛い。

 でも、不思議と悪い気はしなかった。


 むしろ。


(こういうの、悪くないな。)


(いや、かなりいいな。)


(誰かが安心して眠れる場所に、自分がいるって。)


 前世では考えたこともなかった感情が、静かに胸へ広がる。


 月の光は細く。

 虫の声は遠く。

 村の夜は、どこまでも穏やかだった。


 ソータはゆっくり目を閉じる。


 明日になれば、またいつもの朝が来るだろう。

 たぶんマルタに見つかって何か言われるし、村の噂にもなるかもしれない。


(それはそれで、ちょっと困るな……。)


 そう思いながらも、口元は少しだけ緩んでいた。


 異世界へ来てまだわずかな日数なのに。

 この村はもう、ただの滞在先ではなくなり始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ