第8話:帰る場所ができた夜
村の手前まで戻った時、ソータは少しだけ足を止めた。
明るい。
もう日が落ちているはずなのに、畑のあたりがやけに明るかった。
よく見ると、村人たちが松明を持って集まっている。
しかも、その手には槍まであった。
それはソータが念のためにと作っておいた、簡易の槍だった。
「……来てるな、これ。」
(心配かけたよなあ。)
(そりゃそうだ。
魔猪退治に行った男が日暮れまで帰ってこなかったんだから。)
ソータが畑へ近づくと、村人の一人がこちらに気づいた。
「おい!
誰か戻ってきたぞ!」
その声で、一斉に視線が向く。
泥だらけ。
服は汚れ、髪にも土がついている。
どう見ても、きれいな勝ち帰りではない。
ざわり、と空気が揺れた。
「ソータ殿か!」
「戻ってきた……!」
「無事だったのか!」
そんな声の中。
誰よりも早く動いたのは、リーナだった。
「ソータさん!!」
名前を叫びながら、まっすぐ駆けてくる。
勢いのまま胸へ飛び込んできそうな速度だったので、ソータは思わず両手を少し広げた。
けれど、直前でリーナは立ち止まった。
その大きな瞳が、ソータの顔をじっと見上げる。
泥だらけの頬。
乱れた髪。
それでもたぶん、自分でもわかるくらい、今の自分は変な顔をしていた。
疲れているはずなのに。
きっと少し笑っていた。
リーナの目が、ふっとやわらかくなる。
「……倒してくれたのね?」
その言葉に、ソータは一瞬だけ驚いた。
他の誰もが、たぶん「逃げ帰ってきた」と思っている。
けれどリーナだけは違った。
まっすぐに、そう言った。
「はい。」
ソータが小さくうなずいた、その瞬間。
リーナが正面からぎゅっと抱きついてきた。
「よかった……!」
細い腕が背中へ回る。
体温が伝わる。
やわらかい。
そして、震えている。
(近い近い近い!)
(いや、でも今はそれどころじゃないな。)
(この子、本気で心配してたんだ。)
ソータは一瞬迷ってから、そっとリーナの肩へ手を置いた。
「……ただいまです。」
その一言に、リーナの肩がぴくりと揺れた。
周囲では、村人たちが驚いていた。
「お、おい。」
「リーナちゃんが、あんなに……。」
「いや、それより倒したって本当か?」
そこでソータは、ようやく皆へ向き直った。
「とりあえず、見てもらった方が早いです。」
そう言って、少し離れた場所へ手をかざす。
《神速積載庫》から、どん、と重たい音を立てて魔猪の死体が現れた。
巨大な体。
黒い剛毛。
折れかけた牙。
それが松明の火に照らされ、畑の脇へ横たわる。
一瞬、誰も声を出せなかった。
「……ま、魔猪だ。」
「本当に……。」
「で、でかい……!」
村長がふらふらと近づき、震える手で牙へ触れた。
「間違いない。
こいつだ……。」
村の空気が、一気に変わる。
恐れ。
疑い。
それが、遅れて湧いてきた歓声へ変わった。
「やったぞ!」
「本当に退治した!」
「助かった!」
「畑が守られたんだ!」
その騒ぎの中で、ソータは少し照れくさくなりながら頭をかいた。
「……これで、宴会でもしませんか?」
一瞬、ぽかんとする村人たち。
次の瞬間。
「おおっ!!」
「宴会だ!」
「肉だぞ、肉!」
マルタが大声で笑った。
「よ~し、じゃああたしたちは腕を振るうかね!」
その声に、村の女たちが一斉に動き出す。
「任せな!」
「解体ならうちも手伝うよ!」
「内臓を傷つけないようにね!」
あっという間に、魔猪の周りへ女性陣が集まった。
包丁。
鉈。
桶。
次々に道具が運ばれてくる。
(手際がいいな……。)
(この村の女性陣、強い。)
食堂の主人らしい丸顔の男が、興奮した様子でソータへ寄ってきた。
「あんた、収納だか運搬だかができるんだろう?」
「はい。」
「店の酒樽を少し広場まで運んでくれないか!?
こんな日は開けないわけにいかん!」
ソータは思わず笑った。
「もちろんです。」
「よし来た!」
店へ向かい、酒樽をいくつも《神速積載庫》へ収納する。
前より容量に余裕がある。
《荷台拡張》の効果はかなり大きい。
「本当にすごいな、それ……。」
「便利ですよ。」
(元はトラックですけどね。)
広場へ樽を出し終える頃には、村は完全に祭りの空気になっていた。
焚き火が焚かれ。
鍋が並び。
解体された魔猪の肉が串へ刺されていく。
香草が振られ、脂の焼ける匂いが夜気へ広がる。
宴が始まると、村人たちは何度もソータへ杯を向けた。
「英雄だ!」
「畑の恩人だぞ!」
「飲め飲め!」
「いや、そんな英雄ってほどじゃ……。」
そう言いながらも、悪い気はしない。
前世では味わったことのない種類の賑やかさだった。
そして何より。
少し酔ったリーナが、片時もソータのそばを離れなかった。
「ソータさん、これ食べます?」
「ありがとうございます。」
「お酒、強いですか?」
「たぶん普通です。」
「じゃあ無理しないでくださいね。」
そう言って、また隣へ座る。
少し離れたかと思えば、また戻ってくる。
杯を渡し、肉を取り分け、視線を向ける。
頬がほんのり赤い。
目元も少しとろんとしていて、普段より距離が近い。
(近いな。)
(今日ずっと近い。)
(いや嬉しいけど。
嬉しいけど心臓には悪いな。)
そんな二人を見て、村の娘たちがひそひそ話していた。
「いいなあ、リーナ。」
「あんなにいい男を連れてくるなんて、すごいよね。」
「背が高くて、顔もよくて、しかも強いし。」
「しかも優しそう。」
「わかる。」
ソータの耳には、そこまで全部聞こえていた。
(聞こえてる聞こえてる!)
(やめてくれ、照れるだろ!)
(でも異世界女性受け、ほんとにいいのかもしれんなこれ……。)
横を見ると、リーナが少しだけ得意そうな顔をしていた。
「……何ですか、その顔。」
「別に?」
「いや、ちょっと嬉しそうですけど。」
「嬉しいです。」
あっさり言われて、ソータは返す言葉を失った。
(真っ直ぐ来るなあ、この子。)
宴は夜更けまで続いた。
腹いっぱい食べて、少しだけ飲んで。
村人たちの笑い声を聞いているうちに、体の疲れもじわじわ出てくる。
部屋へ戻った時には、さすがのソータもかなり眠かった。
「……今日は、さすがに背中流しはないよな。」
ぼそっと呟き、苦笑する。
ベッドへ倒れ込むように横になると、すぐにまぶたが重くなった。
どれくらい経っただろう。
ふ、と気配を感じて、ソータは薄く目を開けた。
月明かりが、窓から静かに差し込んでいる。
その白い光の中に、人影があった。
「……リーナさん?」
小さな声で名前を呼ぶ。
月に照らされたリーナは、少し緊張した顔で立っていた。
寝間着姿のまま、裸足で。
そのまま、そっとソータのベッドへ近づいてくる。
静かな夜だった。
外では虫の声がして、村の宴の名残ももう遠い。
その中で、リーナの姿だけが妙にくっきりと見えた。
(えっ。)
(ちょっと待て。)
(今、何が起きてる?)
(いや、見ればわかる。
忍び込んできてる。)
(何で!?)
ソータの心臓が、またしてもとんでもない勢いで跳ね上がる。
月明かりの下で立つリーナは、昼とも夜宴とも違って見えた。
幼くはない。
けれど、まだどこか危うくて。
それでも、何かを決めてきたような顔をしていた。
ソータは上半身を少し起こし、息を呑む。
その夜が、ただの勝利の夜では終わらないことだけは、もう十分すぎるほど伝わっていた。




