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勇者じゃなくて運送屋ですが、王国の命綱です  作者: naomikoryo


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81/147

第81話:出発前夜、運送屋は赤い髪紐を結ぶ

フルムーンまで、あと十四日。


その朝から、クラウゼン商会はさらに慌ただしくなった。

出発の日が五日後に決まり、準備は一気に現実の重さを持ち始めていた。


倉庫には、行き先ごとに分けられた荷が並んでいる。

村へ届けるもの。

北の森へ入る前に使うもの。

野営で出すもの。

アマゾネス砦へ渡すもの。

フルムーンの移動支援に使うもの。

緊急時にだけ出すもの。


それら一つ一つに木札がつけられ、色の違う布紐で括られていた。

以前のアマゾネス砦の倉庫を思えば、まるで別世界のような整い方だった。


ソータはその前で、何度も収納と取り出しを繰り返していた。

木箱が消える。

次の瞬間、少し離れた場所に現れる。

また消える。

今度は順番を変えて現れる。


使用人たちは最初こそ驚いていたが、今では手順の一部として受け入れ始めていた。

それでも、初めて見る者は必ず足を止める。

そして、目を丸くする。


ミレイユは帳面を片手に、その様子を見ていた。


(やはり、見せる範囲は慎重にしなければならないわ。)

(商会の中でさえ、まだ驚かれる。)

(外で不用意に見せれば、もっと大きな波紋になる。)


ソータは自分の力を便利な道具のように扱う。

それは彼の良いところでもある。

誰かを助けるために、ためらわず使う。

けれど、それは危うさでもあった。


欲しがる者が出る。

囲い込もうとする者が出る。

利用しようとする者が出る。


オルドアイだけではない。

母が言った通り、これからきっと増える。


(なら、私が見ていなければ。)

(私が守るだけではない。)

(私が采配する。)

(ソータ自身にも、自分の価値を分からせる。)


そう考えたところで、ミレイユは小さく息を吐いた。


(まったく。)

(恋人を守るというより、大型商材の管理みたいになっているわ。)

(でも、実際どちらでもあるのよね。)


自分で思って、少しだけ苦笑した。


ソータがこちらに気づく。


「ミレイユ、今の順番でどうかな。」


「もう一度、到着後すぐに出すものだけ確認するわ。」


「分かった。」


ソータはすぐに頷き、手元の紙を見た。


「砦到着後は、まず挨拶用の品。」


「ええ。」


「その後、実用品として分類箱と木札。」


「相手の反応を見てからよ。」


「分かった。」


「赤い布、髪飾り、鏡は私が直接渡す。」


「うん。」


「あなたは私が合図するまで出さない。」


「うん。」


「そして、顔に出さない。」


「……努力する。」


少し間があった。


ミレイユはじっと見る。


「なぜ間があったのかしら。」


「顔に出さないのが一番難しいから。」


「分かっているなら、なおさら努力しなさい。」


「はい。」


ソータは真面目に返事をした。


その姿を見て、近くにいたカレンが淡々と言った。


「荷運びの男は、顔が弱点か。」


ソータが振り返る。


「顔が弱点って何ですか。」


「考えていることが漏れる。」


「会ったばかりでそこまで分かります?」


「分かる。」


レオンが横からうんうんと頷いた。


「分かるっす。」


「レオンまで。」


エルザも静かに言った。


「分かりやすい方ね。」


「エルザさんまで。」


ガルドが短く締めた。


「隠すな。」


「隠す技術を伸ばす話では。」


「無理だ。」


全員が否定しなかった。


ソータは肩を落とした。

ミレイユは少しだけ笑いを堪えた。


(確かに、隠すより先に、隠さずに済む判断を覚えさせる方が早いわね。)


少しだけ空気が和らいだ。

旅の準備には緊張がつきものだが、こうして笑える時間があることは悪くない。


◆◇◆


昼前、カレンの正式契約が結ばれた。


契約書には、報酬、危険手当、秘密保持、途中離脱条件、負傷時の補償、商会情報の漏洩禁止が細かく記されている。

ミレイユは一つずつ読み上げ、カレンは黙って聞いた。


途中でカレンが一箇所だけ指摘した。


「この危険手当は、砦側と戦闘になった場合も含むのか。」


「含みます。」


「霧で閉じ込められた場合は?」


「危険状態と判断します。」


「荷運びの男が攫われた場合は?」


ソータが少し顔を引きつらせた。


ミレイユは即答した。


「最優先回収対象です。」


「最優先か。」


「ええ。」


「生死問わず?」


その言葉に、部屋の空気が少し冷えた。


ミレイユの目が鋭くなる。


「生きて回収します。」


カレンはミレイユを見た。

少しの間、沈黙があった。


「分かった。」


「契約上も、生存を前提とします。」


「いいだろう。」


カレンはそれ以上言わなかった。

ただ、ミレイユを見る目が少し変わった。


軽く扱ってよい雇い主ではない。

そう認めたようだった。


ソータは少し小さな声で言った。


「回収対象。」


レオンが小声で返す。


「重要荷物っすね。」


「俺、荷物扱い?」


「命綱ですから。」


エルザが静かに言う。


「ある意味では、最も失ってはいけない荷ね。」


ガルドが頷いた。


「護る。」


短い言葉だった。

だが、重かった。


ソータは少しだけ目を伏せた。

自分が守られる側であることを、まだ完全には受け入れられていないのだろう。


ミレイユはそれを見て、静かに言った。


「ソータ。」


「うん。」


「あなたは、自分を軽く扱わないこと。」


「……うん。」


「あなたが倒れたら、困る人が多い。」


「うん。」


「私も困るわ。」


ソータは顔を上げた。


「それは分かる。」


「本当に?」


「うん。」


ミレイユは少しだけ目を細めた。


「なら、よろしい。」


カレンは契約書に署名した。

その字は思ったより丁寧だった。


「これで雇われた。」


「よろしくお願いします。」


ミレイユが言うと、カレンは短く頷いた。


「仕事はする。」


その言葉には無駄がなかった。

ミレイユは少し安心した。


こういう人材は、扱いやすい。

感情を読みにくいが、契約を守るなら信頼できる。


少なくとも、ソータを見て余計な感情を持つタイプではなさそうだった。


(今、そんなことを考える時点で、私はかなり過敏になっているわね。)


ミレイユは心の中で苦笑した。


◆◇◆


午後、出発前の訓練を兼ねて、護衛陣とソータの立ち位置確認が行われた。


場所は商会裏の広い訓練場だった。

荷馬車の出入りにも使う場所だが、今は人払いがされている。


ガルドが前に立つ。

カレンがその少し後ろ、ソータの斜め前に盾を構える。

エルザは後方の高い位置を確認し、レオンは周囲を走って死角を見る。

ミレイユとアルベールはソータの後方寄り。


ミレイユが同行する以上、守る対象はソータだけではない。

むしろ、交渉時にはミレイユが前へ出る場面もある。


その時、誰がソータを見て、誰がミレイユを見るか。

そこを決めておかなければならなかった。


ガルドが言った。


「基本はソータ中央。」


「はい。」


「ミレイユは状況により中央または前。」


「ええ。」


「交渉時、ミレイユが前へ出るなら、カレンはミレイユ側。」


「了解。」


カレンが盾を少し動かした。

重そうな盾なのに、動きは滑らかだ。


「ソータ側は俺とエルザが見る。」


ガルドが続ける。


「レオンは周囲。」


「了解っす。」


「アルベール。」


「はい。」


「お前は?」


アルベールは穏やかに微笑んだ。


「必要な場所におります。」


ガルドがじっと見る。


「曖昧だな。」


「執事でございますので。」


「答えになっていない。」


「お嬢様の背後と、ソータ様の死角を主に。」


「戦えるのか。」


「多少は。」


ガルドは少しだけ目を細めた。


「多少ではないな。」


「ご想像にお任せいたします。」


レオンがソータへ小声で言った。


「やっぱりアルベールさん、絶対強いっすよ。」


「俺もそう思う。」


ミレイユも内心では同意していた。

アルベールの過去には、まだ知らないことが多すぎる。

だが、少なくとも父が信頼している男だ。

そして、ミレイユ自身も幼い頃から彼のただならぬ気配を何度も感じている。


(アルベールがいるのは心強い。)

(でも、彼が同行するほど危険な旅でもある。)


そう思うと、胸が引き締まった。


訓練では、オルドアイがソータに近づこうとした場合の想定まで行われた。

レオンがオルドアイ役をやると言い出し、全員に止められた。


「俺、意外と似せられると思うっすよ。」


「やめろ。」


ガルドが即座に言った。


「なんでっすか。」


「不快だ。」


「ひどいっす。」


エルザが少し笑う。


「レオンがやると、姫ではなく軽い盗賊ね。」


「エルザさんまで。」


結局、カレンが無言で前へ出た。


「私がやる。」


「え。」


ソータが少し驚いた。


カレンは盾を置き、ソータへ向かって歩いた。

表情は変わらない。

ただ、距離を詰める速度が速い。


「相手が強引に近づいた場合。」


ガルドが説明する。


「ソータは下がる。」


カレンがソータの腕を掴もうとする。

ソータは慌てて一歩下がった。

しかし動きが遅い。


カレンの手がソータの袖を掴んだ。


「遅い。」


「すみません。」


「謝るな。動け。」


「はい。」


ミレイユはその光景を見て、思わず眉を寄せた。

カレンは訓練としてやっている。

それは分かっている。

だが、女性がソータの腕に触れるだけで反応してしまう自分がいる。


(違う。)

(これは訓練。)

(カレンさんは仕事でやっている。)

(落ち着きなさい。)


自分にそう言い聞かせる。

だが、その直後、カレンがソータの肩を押さえて動きを止めた時、胸がまたざわついた。


ソータは必死に逃げ方を確認している。

まったく嬉しそうではない。

むしろ真剣に困っている。


それでも、嫌なものは嫌だった。


(こんな調子で、オルドアイを前にして大丈夫なの?)


不安が胸に広がる。


その時、エルザがミレイユの横へ来た。


「大丈夫ですか。」


「顔に出ていたかしら。」


「少し。」


「そう。」


ミレイユは小さく息を吐いた。


「訓練だと分かっているのに、嫌になるわ。」


「自然なことだと思います。」


「自然でも、出しすぎれば交渉で負ける。」


「はい。」


「だから、今のうちに慣れておく必要があるのでしょうね。」


エルザは静かに頷いた。


「オルドアイ姫は、もっと遠慮なく来ると思います。」


「でしょうね。」


「こちらが過剰に反応すれば、向こうはそこを突いてくるかもしれません。」


「分かっているわ。」


ミレイユはソータを見た。

今度は、ソータがカレンの手からうまく距離を取った。

ガルドが短く頷く。


「良い。」


ソータは少しほっとしていた。


ミレイユの胸も、少しだけ落ち着いた。


「でも。」


ミレイユは呟いた。


「嬉しそうにしたら、止めるわ。」


エルザが少しだけ笑った。


「それは当然かと。」


◆◇◆


訓練の後、ソータはかなり疲れた様子で水を飲んでいた。


戦闘訓練というより、掴まれた時の逃げ方や、護衛の後ろへ下がる動きの練習だった。

それでも、普段戦わないソータには十分な負荷だったらしい。


ミレイユは布を持って近づいた。


「お疲れさま。」


「ありがとう。」


ソータは汗を拭いた。


「難しいな。」


「何が?」


「自分で下がること。」


「そうね。」


「前世でも、荷物を守ることは考えたけど、自分が守られる前提で動くことはあまりなかったから。」


ミレイユはその言葉を聞いて、少し胸が痛んだ。


「でも、今は必要よ。」


「うん。」


「あなたが捕まれば、全員が動けなくなる。」


「うん。」


「私も困る。」


「それは、さっきも聞いた。」


「何度でも言うわ。」


ミレイユはソータを見た。


「あなたは、守られることに慣れて。」


ソータは少しだけ困った顔をした。


「それ、ちょっと恥ずかしいな。」


「恥ずかしがっている場合ではないわ。」


「分かってる。」


「本当に?」


「うん。」


「なら、次に誰かに腕を掴まれたら、すぐ下がること。」


「はい。」


「相手がオルドアイでも。」


「はい。」


「オルドアイでも。」


「二回言った。」


「大事だからよ。」


「分かった。」


ソータは真面目に頷いた。


ミレイユは彼の汗に濡れた髪を見た。

自分が昨日もらった紅い髪紐のことを思い出す。


まだ使っていない。

出発の日につけようと思っている。

だが、今ふと、試してみたくなった。


「ソータ。」


「うん。」


「昨日の髪紐、今持っている?」


「え?」


「持っていないの?」


「いや、ミレイユに渡したから。」


「ああ、そうね。」


自分で言って、少し恥ずかしくなった。

ソータが不思議そうに見る。


「どうかした?」


「今、結んでみようと思ったの。」


「じゃあ、取りに行く?」


「後でいいわ。」


ミレイユは視線を逸らした。


ソータは少し考え、そして言った。


「俺が結んでもいい?」


ミレイユの心臓が、少し跳ねた。


「あなたが?」


「うん。」


「髪を結えるの?」


「上手くはないかもしれないけど。」


「……。」


「嫌ならいい。」


「嫌ではないわ。」


即答してしまった。

ソータが少し驚く。


ミレイユは咳払いした。


「ただし、下手だったらやり直し。」


「分かった。」


ミレイユは、少しだけ頬が熱くなっているのを感じた。


髪を結んでもらう。

それだけのことなのに、妙に胸が甘くなる。


(こういう小さなことに、私は弱いのね。)

(本妻だの、オルドアイだの、難しいことばかり考えているのに。)

(ソータに髪を結んでもらうと思うだけで、こんなに落ち着かなくなる。)


少し情けない。

けれど、悪くはなかった。


◆◇◆


夕方、ミレイユは自室で紅い髪紐を手にしていた。


ソータは背後に立っている。

鏡の前に座るミレイユの髪は、いつもより少し緩く解かれていた。


部屋には淡い夕暮れの光が入っている。

窓の外では、街の灯りが少しずつ点き始めていた。


ミレイユは鏡越しにソータを見る。

彼はかなり真剣な顔をしていた。


「そんなに緊張すること?」


「する。」


「荷物を収納する時より?」


「ある意味では。」


「どういう意味よ。」


「失敗したら怒られそうだから。」


「下手だったら怒るわ。」


「やっぱり。」


ソータは苦笑した。

ミレイユも少し笑った。


紅い髪紐をソータへ渡す。

彼の指が、ミレイユの髪に触れた。


それだけで、背筋が少し震えた。


「痛くない?」


「大丈夫。」


ソータの手つきは、思ったより丁寧だった。

不慣れではある。

けれど、引っ張りすぎないように、絡めないように、慎重に髪をまとめている。


ミレイユは鏡の中の自分を見る。

頬がほんの少し赤い。

目元がいつもより柔らかい。


(こんな顔をするのね、私。)


少し恥ずかしくなる。


ソータは何度か髪紐を結び直した。

少し斜めになる。

直す。

今度は緩い。

また直す。


ミレイユは黙って待った。

普段なら、もっと手早くしなさいと言うところだ。

だが、今は急がせたくなかった。


この時間が、少し愛おしかった。


「できた。」


ソータが言った。


ミレイユは鏡を見た。

完璧ではない。

少しだけ結び目が不格好だ。

だが、紅い髪紐は思ったよりよく映えていた。


「どう?」


ソータが不安そうに聞く。


ミレイユは少し間を置いた。


「合格。」


ソータがほっとした顔をした。


「よかった。」


「でも、明日もう一度練習ね。」


「え、毎日?」


「フルムーンまでに上手くなってもらうわ。」


「それも訓練?」


「ええ。」


「何の?」


ミレイユは鏡越しにソータを見た。


「私を大切に扱う訓練よ。」


ソータは一瞬、言葉を失った。

それから、真面目な顔で頷いた。


「分かった。」


その返事に、ミレイユは少しだけ胸が満たされた。


ソータの手が、結んだ髪の少し下に触れる。

すぐ離れようとした。


ミレイユはその手を軽く掴んだ。


「離さなくていいわ。」


「うん。」


「今だけ。」


「うん。」


ソータの手が、そっと肩に置かれた。

ミレイユは目を閉じる。


オルドアイに会う日は近づいている。

怖さはある。

嫉妬もある。

未来への不安もある。


でも、今はこの紅い髪紐がある。

ソータが選び、ソータが結んだもの。

アマゾネスの姫に渡す髪飾りとは違う。

高価ではない。

だが、ミレイユにとっては十分に意味があった。


(私はこれをつけて行く。)

(オルドアイの前に。)

(ソータに結んでもらった髪で。)

(私がソータの帰る場所だと、自分に思い出させるために。)


ミレイユは鏡の中の自分を見た。

紅い髪紐を結んだ自分。

少し不安で、少し強く見える自分。


「ソータ。」


「うん。」


「フルムーンの日も、あなたが結んで。」


「うん。」


「上手くなっておいて。」


「頑張る。」


「失敗したら?」


「やり直す。」


「よろしい。」


ミレイユは小さく笑った。


その笑みを見て、ソータも笑った。


部屋の外では、出発に向けた準備がまだ続いている。

荷は増え、予定は詰まり、問題は山積みだった。

それでも、この短い時間だけは、二人のものだった。


◆◇◆


夜遅く、ミレイユは一人になった後も、髪紐をほどかなかった。


鏡の前で、何度も横顔を確認する。

結び目は少し不格好。

だが、それがかえってソータらしかった。


(オルドアイなら、もっと堂々と髪を結うのかしら。)

(戦士の姫として、強く、迷わず。)

(私は、こんな小さな髪紐一つで安心しようとしている。)


そこまで考えて、ミレイユは首を振った。


(違うわ。)

(これは小さなものではない。)

(私が意味を持たせるなら、それは私の旗になる。)


紅い髪紐。

ソータが選んだもの。

ソータが結んだもの。

ミレイユが、自分でつけて行くと決めたもの。


高価な髪飾りより、今はずっと重い。


ミレイユは窓を開けた。

夜風が入り、髪紐が少し揺れる。


二つの月は、また少し満ちていた。

フルムーンまで、あと十四日。

出発までは、あと五日。


もう引き返せない。

それは怖い。

けれど、少しだけ待ち遠しくもあった。


自分がどこまで耐えられるのか。

ソータがどこまで逃げずにいられるのか。

オルドアイがどんな女なのか。

それを確かめる日が近づいている。


(私は、知らないまま泣かない。)

(私は、見る。)

(そして、選ぶ。)


ミレイユは髪紐に触れた。

指先に、少しだけソータの不器用な結び目の感触が残っている。


(でも、今夜だけは。)

(少しだけ、この髪紐に甘えてもいいわよね。)


そう思いながら、ミレイユは窓を閉めた。

部屋の灯りを落とす前に、もう一度だけ鏡を見る。


紅い色が、暗い部屋の中で静かに残っていた。

それはまるで、フルムーンへ向かう彼女自身の小さな決意のようだった。


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