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勇者じゃなくて運送屋ですが、王国の命綱です  作者: naomikoryo


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73/147

第73話:帰ってきた運送屋は、女の匂いで捕まった

翌日。

ソータたちは、予定よりも少し早くグランデリアへ着いた。

やはり、荷物を背負わない移動は早い。

道中で大きな問題もなく、魔物に襲われることもなかった。

ただし、空気は少し静かだった。

バルクがいない。

その事実は、街道を歩いている間も何度か胸に引っかかった。

いつもなら、街が近づいた頃には

「着いたらまず飯だな。」


とか

「肉の焼ける匂いがする。」

とか言っていたはずだ。

だが、その声はない。

代わりに、レオンが何度か口にした。

「バルクさん、今頃ちゃんとやってるっすかね。」


そのたびに、ガルドが短く答えた。

「やっている。」

エルザも言った。

「あの人なら、どこでも食べて笑っているわ。」

ソータもそう思った。

北の部族村で、知らない男たちと火を囲み、肉を食べているバルクの姿は簡単に想像できる。

ガルナが隣で呆れながらも嬉しそうにしている姿も。

それを思うと、少し寂しく、少し安心した。

グランデリアの城壁が見えてきた時、ソータは胸の奥が別の意味で重くなった。


街に戻ってきた。

つまり、ミレイユに会う。

報告する。

北の森のこと。

リーナの父の形見のこと。

アマゾネス砦のこと。

バルクのこと。

フルムーンのこと。

そして、オルドアイのこと。


(全部話す。)

(いや、全部ってどこまでだ。)

(キスのことまで?)

(……言うべきなんだよな。)


昨夜まではそう思っていた。

ガルドたちにも、正直に話せと言われた。

けれど、街が近づくにつれて、その決意は少しずつ揺れ始めていた。

わざわざ言う必要があるのか。

オルドアイに無理やりされた分もある。

こちらからしたのも、あれは流れというか、彼女の真剣な想いに応えたというか。

いや、それでも言い訳だ。

ソータは自分でも分かっていた。

だが、ミレイユの顔を思い浮かべると、胃が痛くなる。


(いちいち何でもかんでも報告するのも、どうなんだ。)

(全部言ったら、それはそれで尻に敷かれすぎというか。)

(いや、もうだいぶ敷かれてる気もするけど。)

(でも、言わなきゃいけないことと、言わなくていいことはあるはずだ。)


そう考え始めると、少しだけ逃げ道が見えた気がした。

北の森での交渉上のやり取り。

アマゾネス砦の文化。

オルドアイが強引だったこと。

フルムーンの約束。

そこまでは話す。

ただし、具体的な口づけの話までは、わざわざしない。

聞かれたら。

聞かれたら、どうするか。


(聞かれなければ、黙っていても嘘ではない。)

(たぶん。)

(たぶん?)


ソータは自分の心の中で、かなり弱い言い訳を積み上げ始めていた。


◆◇◆


街門を抜けた後、ガルドたちはそのままクラウゼン商会へ向かわず、王都方面へ戻る準備を始めた。

もともと彼らは、商会に雇われた護衛ではあるが、王都の冒険者ギルドにも拠点を置いている。

今回の依頼は、北の森探索と帰還まで。

バルクが残ったことで報告は必要になるが、彼ら自身は一度王都へ戻るという。

街道の分かれ道で、ガルドがソータに向き直った。

「ここで別れる。」

「え、商会までは来ないんですか?」

「依頼の報告は、後日正式に文書で送る。急ぎの内容はお前が伝えろ。」


ソータは少しだけ不安になった。

「えっと、ミレイユへの報告を一緒に……。」

レオンが目を逸らした。

エルザも軽く笑った。

ガルドは無表情で言う。

「自分で話せ。」

「ですよね。」

「逃げるな。」

「はい。」


何度目か分からない言葉だった。

だが、今回ばかりは逃げたい気持ちが強かった。

レオンが近づき、ソータの肩を軽く叩く。

「また何かの時は声をかけてくださいっす。」

「ありがとう。今回、本当に助かった。」

「こっちこそ、すごい経験したっす。霧の森に、アマゾネス砦に、バルクさんの急な恋愛移住まで。」

「恋愛移住って言い方。」

「でも事実っす。」


レオンは笑った。

その笑顔に、少しだけ寂しさも混じっている。

「バルクさんのこと、よろしく伝えておいてくださいっす。まあ、俺たちも王都で報告しますけど。」

「うん。」

エルザが少し近づいてきた。

彼女は周囲に聞こえないように、声を落とす。

「ソータ。」

「はい。」

「ミレイユ様には、砦のこととフルムーンのことはちゃんと話しなさい。」


「はい。」

「でも。」

エルザは一瞬だけ迷ったような顔をした。

そして、さらに声を落とす。

「キスのことは、言わない方がいいわよ。」


ソータは目を見開いた。

「え?」

「正直がいつも最善とは限らないわ。」

「昨日まで、隠すなって。」

「昨日はそう思っていたわ。でも、よく考えたの。」


エルザは真面目な顔だった。

「ミレイユ様は鋭いし、嫉妬深いところもある。あなたが全部を正直に話すことで、必要以上に傷つける可能性があるわ。」

「でも、隠すのは……。」

「嘘をつけとは言っていない。聞かれたら考えなさい。ただ、あなたからわざわざ細かく報告する必要はないかもしれない。」

ソータは黙った。

都合のいい言葉に聞こえた。

でも、同時に、救いのようにも聞こえた。

「あなたはミレイユ様を裏切るつもりでそうしたわけではないのでしょう?」

「はい。」


「なら、まず伝えるべきは、あなたが帰ってきたこと、砦との交渉、フルムーンの問題、バルクのこと。そこに集中しなさい。」

ソータはゆっくり頷いた。

「分かりました。」

ガルドが横から低く言う。

「ただし、嘘はつくな。」

「はい。」

「聞かれたら逃げるな。」

「はい。」


レオンが小声で言う。

「うまくやってくださいっす。」

「それが一番難しい。」

「ソータさん、顔に出るっすからね。」

「そこなんだよな。」


エルザは少しだけ笑った。

「では、また。」

「はい。また。」

ソータは三人に頭を下げた。

ガルド、エルザ、レオンは、王都方面へ歩いていった。

その背中を見送りながら、ソータは胸の中で深く息を吐いた。

護衛たちは余計なことをミレイユに言わない。

キスのことも、自分からは言わない。

それでいい。


そう思おうとした。

(全部を言う必要はない。)

(いちいち何でもかんでも報告するのも、面倒だ。)

(尻に敷かれすぎるのもよくない。)

(そうだ。必要なことだけでいい。)


ソータは自分にそう言い聞かせた。

ただ、その言い訳は、自分でも少し薄いと分かっていた。


◆◇◆


クラウゼン商会へ向かう道は、何度も歩いた道だった。

石畳。

行き交う荷馬車。

商人たちの声。

店先に並ぶ品。

グランデリアの街は、相変わらず活気に満ちている。

北の森の霧も、アマゾネス砦も、リーナの涙も、この街にはまだ届いていない。

ここでは皆、いつものように売り買いをし、荷を運び、値段を交渉している。

その当たり前の光景が、少し不思議だった。


(戻ってきたな。)

(でも、俺の中は全然戻ってない。)

ソータは商会の大きな建物を見上げた。

ここにミレイユがいる。

そう思った瞬間、胸が温かくなった。

同時に胃が痛くなった。

商会の入口にいた使用人が、ソータに気づいて目を丸くする。

「ソータ様!」

「戻りました。」


「すぐにお嬢様へお伝えします!」

止める間もなく、使用人は中へ走っていった。

ソータは玄関口で少し待つ。

ほんの少しの時間なのに、やけに長く感じた。

そして、奥から足音が聞こえた。

早い。

迷いのない足音。

ミレイユだった。

彼女は廊下の奥から姿を現した。


淡い色の商会服。

整えられた髪。

会頭代理としての凛とした表情。

だが、ソータを見た瞬間、その表情が一瞬だけ崩れた。

安堵。

嬉しさ。

それから、少しだけ泣きそうな色。

「ソータ。」

「ただいま、ミレイユ。」


そう言った瞬間、ミレイユは歩み寄ってきた。

人目がある。

商会の使用人たちもいる。

だから、抱きつくようなことはしなかった。

ただ、ソータの前で足を止め、両手を胸の前で軽く握る。

「おかえりなさい。」

「うん。」

「無事でよかった。」


その声を聞いた瞬間、ソータの胸が強く締めつけられた。

帰ってきた。

この人のところへ帰ってきた。

それなのに、隠そうとしていることがある。

その事実が、胸の奥を少し刺した。

だが、ソータは言葉を飲み込んだ。

「色々、報告がある。」

「ええ。聞くわ。」


ミレイユは頷いた。

そして、ふと眉をひそめた。

「……ソータ。」

「何?」

ミレイユが一歩近づいた。

ソータの服の襟元へ顔を寄せる。

近い。

久しぶりの距離に、ソータの心臓が跳ねる。

だが、ミレイユの表情は甘くなかった。


むしろ、鋭い。

「何か、女の匂いがする。」

ソータの心臓が止まりかけた。

「え?」

「女の匂いがするわ。」

「いや、森の匂いとか、砦の匂いとか。」

「違うわ。」


即答だった。

ミレイユは目を細める。

「香草。湯上がりの香油。あと、少し甘い酒の匂い。」

(嗅覚が鋭すぎる。)

(いや、アマゾネス砦の宴と風呂とオルドアイの距離が全部残ってるのか。)

(まずい。)


ソータは喉を鳴らした。

「えっと、北の森の奥で色々あって。」

「でしょうね。」

ミレイユは静かに言った。

「まず、お風呂に入りなさい。」

「今?」

「今。」

「報告は?」

「その前にお風呂。」


ミレイユの声は穏やかだった。

だが、逆らえない圧があった。

「その匂いのまま私の前に座るつもり?」

「……入りません。」

「入るのね。」

「入ります。」

「よろしい。」


ミレイユは使用人へ視線を向けた。

「すぐに湯を用意して。」

「かしこまりました。」

使用人が慌てて動き出す。

ソータは立ち尽くした。

報告会の前に風呂。

しかも理由は女の匂い。

もうすでに危険な流れだった。


(エルザさん。)

(黙っていた方がいいって言われたけど、匂いでバレそうです。)

(これ、どうすればいいんだ。)


◆◇◆


商会の奥にある浴室は、屋敷の客用のものだった。

広く、清潔で、湯も十分に張られている。

北の森の野営やアマゾネス砦の露天風呂とは違う。

整えられた石造りの浴槽。

香りの良い石鹸。

柔らかな布。

ここに戻ってきたのだと、体が実感する。

ソータは服を脱ぎながら、何度も深呼吸した。


(落ち着け。)

(風呂に入れと言われただけだ。)

(匂いを落とせばいい。)

(報告はその後。)

(キスのことは……聞かれなければ言わない。)


自分に言い聞かせる。

しかし、ミレイユの

「女の匂いがする。」

という言葉が頭から離れなかった。

まさか匂いで気づくとは思わなかった。

いや、ミレイユならあり得たのかもしれない。

ソータは湯を浴び、石鹸で念入りに体を洗った。

髪も洗う。

首元も。


腕も。

オルドアイに触れられたところを思い出しそうになり、慌てて思考を止める。

(思い出すな。)

(今は洗う。)

(全部洗い流す。)

(いや、記憶は流れないけど。)


湯に浸かると、思わず息が漏れた。

疲れが体の奥から溶けていく。

北の森の湿気。

砦の熱。

グランデリアまでの道の疲労。

すべてが湯にほどけていくようだった。

ソータは浴槽の縁に頭を預け、目を閉じた。

少しだけ落ち着く。

報告の順番を考える。


まず、リーナの父の形見は届けた。

リーナは受け取った。

村長へ北の森の報告をした。

アマゾネス砦は存在した。

ヤンガルドアイ。

オルドアイ。

バルクは残った。

フルムーンの提案。

護衛体制の見直し。


商会との関係。

そして。

そこで思考が止まる。

「……はあ。」

ため息が出た。

その時だった。

浴室の扉の向こうで、軽い音がした。

誰かが入ってきた。

使用人かと思った。


だが、足音が違う。

静かで、ゆっくりで、迷いがない。

ソータは目を開けた。

「誰か……。」

言いかけて、声が止まった。

湯気の向こうから、ミレイユが入ってきた。

薄い浴衣のような湯浴み着をまとっている。

髪は下ろされ、いつもの会頭代理の雰囲気とは違う。

柔らかい。


けれど、目だけは逃がさない光を帯びている。

ソータは湯の中で固まった。

「ミ、ミレイユ?」

「何?」

「何で入ってきたんだ?」


ミレイユはゆっくり近づいてくる。

声が、いつもより少し甘い。

「あなたがちゃんと洗えているか、確認しに来たのよ。」

「子ども扱い?」

「違うわ。」


ミレイユは浴槽の縁に腰を下ろし、ソータを見下ろした。

「恋人としての確認よ。」

その言い方が甘いのに、怖い。

ソータは喉を鳴らした。

「えっと、もうかなり洗いました。」

「そう。」


ミレイユは身をかがめ、ソータの髪に指を伸ばした。

濡れた髪をそっと撫でる。

指先が首筋に触れる。

ソータの体が小さく跳ねた。

ミレイユはそれを見逃さなかった。

「ずいぶん反応がいいわね。」

「久しぶりだから。」

「本当に?」

「本当に。」


ミレイユは少しだけ目を細めた。

それから、湯気の中で微笑む。

「ねえ、ソータ。」

「はい。」

「北の森で、何があったの?」


声は甘かった。

だが、その奥には刃があった。

ソータは逃げられないと悟った。

湯の中で。

裸に近い状態で。

ミレイユの視線に捕まっている。

これは報告会の前哨戦どころではない。

すでに取り調べが始まっている。

「色々、ありました。」


「でしょうね。」

ミレイユの指が、ソータの肩に触れる。

「女の匂いがするくらいには。」

「それは、その、アマゾネスの砦にいたから。」

「アマゾネス。」

「女戦士たちの砦があったんだ。」

「なるほど。」


ミレイユは表情を大きく変えなかった。

だが、指先に少し力が入った。

「それで?」

「その砦の姫が、オルドアイという人で。」

「姫。」

「はい。」

「綺麗だった?」


エルザの練習と同じ質問だった。

ソータは一瞬固まる。

ミレイユの目が細くなる。

「ソータ?」

「……綺麗な人でした。」

「そう。」


声がさらに甘くなった。

怖い。

とても怖い。

ミレイユは湯浴み着の裾を少し持ち上げ、足先を湯につけた。

そして、ゆっくり浴槽へ入ってくる。

ソータは慌てた。

「ちょ、ミレイユ?」

「何?」

「入るの?」


「ええ。」

「報告は?」

「ここで聞くわ。」

「ここで?」

「逃げられないでしょう?」


微笑んでいる。

完全に微笑んでいる。

でも、逃げ場はない。

ミレイユは湯の中でソータのすぐ近くに腰を下ろした。

湯が揺れる。

距離が近い。

アマゾネス砦でオルドアイに詰められた距離とは違う。

これは、ミレイユの距離だ。

柔らかく、甘く、けれど確実に逃がさない距離。


「さあ。」

ミレイユはソータの腕に指を絡めた。

「聞かせて。」

ソータは喉を鳴らした。

洗い流したはずの汗が、また出てきそうだった。


(これは。)

(黙っておくとか、そういう次元じゃないかもしれない。)

(でも、どこまで言う。)

(いや、落ち着け。)


ミレイユが、甘い声で囁く。

「私のこと、少しでも忘れた?」

その問いだけは、即答できた。

「忘れてない。」

「本当に?」

「本当に。」

「なら、ちゃんと話して。」


ミレイユの目が、まっすぐソータを捉えていた。

甘く、怖く、少しだけ不安そうな目だった。

ソータはその目を見て、胸が痛んだ。

隠す。

黙っている。

それは本当に、彼女を守るためなのか。

それとも、自分が怒られたくないだけなのか。

答えは、もう分かっていた。

ソータは湯の中で、ゆっくり息を吐いた。


「分かった。」

ミレイユの指が、ソータの腕を軽く握る。

「全部話す。」

そう言うと、ミレイユの目が少しだけ揺れた。

ソータは続けた。

「ただ、順番に話させてくれ。まず、リーナのお父さんのことから。」


ミレイユは静かに頷いた。

「ええ。」

甘い湯気の中で、ソータは北の森で起きたことを話し始めた。

まだ、オルドアイとのことまでは届いていない。

けれど、もう逃げるのはやめた。

ミレイユの前で嘘をつくより、怒られても本当を話す方がいい。

そう思ったからだった。


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