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勇者じゃなくて運送屋ですが、王国の命綱です  作者: naomikoryo


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第69話:青い石の形見

リーナは、青い石の腕輪の欠片を両手で包み込んでいた。

小さな手が震えている。

指先は白くなるほど力が入っていた。

けれど、彼女はその欠片を落とさなかった。

まるで、ようやく帰ってきた父の手を離すまいとしているようだった。

部屋の中には、誰の声もなかった。

マルタはリーナの肩を抱いている。

村長は椅子に座ったまま、杖を握りしめていた。

トムは唇を噛み、顔を伏せている。


ガルドたちは壁際に立っていた。

レオンは何か言いたそうに口を開きかけ、結局何も言えずに目を伏せた。

エルザは静かにリーナを見ている。

ガルドは腕を組み、ただ黙っていた。

ソータも、言葉を失っていた。

届けた。

確かに届けた。

けれど、届けたものは希望ではない。

待ち続けた時間に終わりを告げるものだった。


(何を言えばいい。)

(いや、今は何も言えない。)

(言葉で埋められるものじゃない。)


リーナの口から、小さな声が漏れた。

「これ……本当に、お父さんのです。」

その声は震えていた。

それでも、はっきりしていた。

「この青い石、私が小さい頃に触って……叱られました。」


リーナは腕輪の欠片を見つめたまま、ゆっくり話す。

「お父さんが、大事なものだから勝手に触るなって。」

涙が一粒、腕輪の欠片に落ちた。

「でも、その後で……私の手を取って、これは迷わないためのお守りなんだって、教えてくれたんです。」

マルタが目を閉じた。

その顔にも深い痛みが浮かんでいる。

「あの人、そんなことを言ってたね。」

「うん。」


リーナは小さく頷いた。

「北の森に入る時は、これがあるから大丈夫だって。」

その言葉が、部屋の中に重く落ちた。

迷わないためのお守り。

けれど、その腕輪を持っていた男は帰ってこなかった。

霧導きの石。

アマゾネスの砦を守る石。

その力を持っていても、ゴブリンに追われ、傷を負い、砦の前で倒れた。

ソータは胸が締めつけられた。


「リーナ。」

ようやく声を出す。

自分でも驚くほど、かすれた声だった。

「砦の人たちは、助けようとしてくれたそうです。」

リーナはゆっくり顔を上げた。

涙で濡れた目が、ソータを見る。

「数日、看病してくれたと聞きました。」


ソータは続けた。

「薬も使って、傷も手当てして、熱も下げようとしたって。」

「……そう、ですか。」

「だから。」

ソータは一度言葉を止めた。

何を言っても、足りない。

それでも、伝えなければいけないことがある。

「お父さんは、森の中で一人で倒れたままじゃなかった。」


リーナの目が揺れた。

「最後に、助けようとしてくれた人たちがいました。」

リーナの唇が震える。

彼女は腕輪を抱きしめるように胸へ押し当てた。

「一人じゃ……なかったんですね。」

「うん。」

「お父さん、一人じゃなかったんですね。」

「そう聞いてる。」


リーナは、そこでようやく崩れた。

マルタの胸に顔を押しつける。

声を殺そうとしていた。

けれど、抑えきれなかった。

「お父さん……お父さん……!」


泣き声が部屋に響いた。

誰も止めなかった。

誰も慰めの言葉を無理に重ねなかった。

マルタはただリーナを抱きしめ、背中を撫でていた。

村長は深く頭を下げている。

トムは肩を震わせていた。


◆◇◆


しばらく、泣き声だけが部屋の中にあった。

リーナは泣いた。

ずっと堪えていたものを吐き出すように泣いた。

父が帰ってこないことを、本当はどこかで分かっていたのかもしれない。

それでも、待っていた。

どこかで生きているかもしれない。

怪我をしているだけかもしれない。

記憶を失っているのかもしれない。

いつか帰ってくるかもしれない。


そんな細い希望を、何年も抱えていた。

その希望が、青い石の欠片によって形を変えた。

帰ってきたのは父ではない。

形見だった。

ソータは、それを運んできた。


(これでよかったのか。)

そんな思いが頭をよぎる。

だが、すぐに否定した。

よかったかどうかではない。

届けるべきものだった。

リーナが父を待ち続ける時間を終えるために。

父が確かに生きて、確かに最後まで誰かに助けようとされたことを知るために。

これは必要な荷物だった。

ソータはそう信じるしかなかった。


やがて、トムが震える声を出した。

「すまない……。」

全員の視線が、ゆっくりトムへ向く。

彼は杖を握りしめ、今にも崩れそうな顔をしていた。

「俺だけが……帰ってきた。」

「トムさん。」


リーナが涙で濡れた顔を上げる。

トムは苦しそうに続けた。

「俺がもっと早く思い出していれば。俺がもっと……。」

「違います。」

リーナは泣きながら首を振った。

「違います、トムさん。」

「だが。」

「トムさんが生きて帰ってきてくれたから、分かったんです。」


その言葉に、トムは息を止めた。

「トムさんが話してくれたから、ソータさんたちが北の森へ行けました。」

「……。」

「だから、お父さんが一人じゃなかったことも、分かりました。」

リーナは腕輪の欠片を抱えたまま、震える声で言った。

「トムさんが生きていてくれて、よかったです。」


トムの顔が歪んだ。

彼はその場に膝をつきそうになり、ガルドが静かに支えた。

トムは顔を覆い、声を漏らした。

「すまない……すまない……。」

リーナは首を振った。

何度も。

「謝らないでください。」


マルタが涙を拭いながら、トムへ言った。

「あんたも苦しかったんだろう。」

「……。」

「あの人が帰ってこなかったことは、あんた一人のせいじゃない。」

トムは何も言えなかった。

ただ、肩を震わせていた。


◆◇◆


村長が、深く息を吐いた。

「ソータ殿。」

「はい。」

「その砦の者たちは、亡くなった方々をどうされたのでしょうか。」

ソータは静かに答える。

「砦の外れに、墓を作ったそうです。」


昨日、形見の箱を受け取る時、オルドアイが教えてくれたことだった。

砦の者たちは、名前も知らぬ男たちを森に捨てなかった。

砦の外れ、青い石が埋め込まれた小さな場所に埋葬したという。

「名前が分からなかったので、個別ではなく、まとめて弔ったそうです。」

リーナはそれを聞いて、目を閉じた。

「お墓が……あるんですね。」

「うん。」

「お父さんは、ちゃんと眠っているんですね。」

「そう聞いた。」


リーナは腕輪の欠片を見つめる。

涙はまだ止まっていない。

だが、最初のように崩れる泣き方ではなくなっていた。

「いつか、行けますか。」

リーナが言った。

ソータはすぐには答えられなかった。

北の森の奥。

迷いの霧。

アマゾネスの砦。


誰でも行ける場所ではない。

だが、不可能ではない。

フルムーンの話もある。

砦との関係を作れれば、いつかリーナを連れていけるかもしれない。

「今すぐは難しい。」


ソータは正直に言った。

「でも、砦の人たちとは話せる余地があります。いつか、リーナがお墓へ行けるように頼んでみる。」

リーナは小さく頷いた。

「お願いします。」

「必ず。」


その約束も、また荷物になった。

ソータは胸の中に積み込む。

リーナの父の形見を届ける。

リーナをいつか墓へ連れていく。

ミレイユに全てを報告する。

フルムーンへ向かうかどうか決める。

荷物が増える。

それでも、落とせない。


◆◇◆


形見の箱の中身を、一つずつ確認した。

青い石の腕輪の一部。

古い木札。

錆びた金具。

布の切れ端。

小さな革紐。

すべてがリーナの父のものとは限らない。

他の男たちの持ち物も混じっている。

それでも、リーナは一つ一つ丁寧に見た。


木札を手にした時、彼女は少し首を傾げた。

「これは……お父さんのものじゃないと思います。」

トムが顔を上げる。

「見せてくれ。」

リーナは木札を渡した。

トムはそれを手に取り、かすれた刻みを見た。

何かの印のようなものがある。

彼は目を細めた。

「これは、ハルドのだ。」


「ハルドさん?」

ソータが聞くと、トムは頷いた。

「あの時、一緒にいた男だ。木札に自分で印を彫っていた。魔除けだと言ってな。」

「そうですか。」

トムは木札を両手で持ったまま、目を閉じた。

「こいつも……そこにいたんだな。」


形見は、リーナの父だけのものではなかった。

同じように帰ってこなかった男たちのものでもある。

村には、その家族がいるのかもしれない。

あるいは、もう誰もいないのかもしれない。

村長は静かに言った。

「この箱の品は、村で丁重に扱いましょう。」


マルタが頷く。

「そうだね。リーナの父親のものはリーナが持てばいい。他の人のものは、分かる限り縁の者に渡すか、墓を作って一緒に納めよう。」

リーナは腕輪を胸に抱いたまま頷いた。

「はい。」

ソータはその様子を見て、少しだけ救われた気がした。

形見が、ただ悲しみを運ぶだけではなかったからだ。

帰ってこなかった者たちを、村へ戻すものでもあった。


◆◇◆


しばらくして、リーナは少し落ち着いた。

目は赤く、声もまだ震えている。

それでも、彼女は腕輪の欠片を布で丁寧に包み直した。

その手つきは、薬草を扱う時と同じくらい慎重だった。

「ソータさん。」

「うん。」

「持って帰ってきてくれて、ありがとうございます。」


ソータは胸が詰まった。

「俺は……。」

いつものように、運んだだけ、と言いかけた。

だが、やめた。

ミレイユに言われたことを思い出す。

感謝は受け取りなさい。

マルタにも言われた。

そういう荷を運べる人間は多くない、と。

ソータは少しだけ息を吸った。


「うん。」

そして、頭を下げた。

「届けられて、よかった。」

リーナの目から、また涙がこぼれた。

でも、今度は少し違う涙だった。

「はい。」

「遅くなって、ごめん。」


リーナは首を振った。

「帰ってきてくれたから、いいんです。」

その言葉は、ソータの胸に深く刺さった。

帰ってきてくれたから。

ソータは、ガルドたちを見る。

ガルド、エルザ、レオン。

そして、今はここにいないバルク。

全員で帰るつもりだった。

でも、バルクは自分で残る道を選んだ。


死んだわけではない。

それは救いだ。

帰ってこられなかったリーナの父とは違う。

生きている者は、また会える。

その重みが、今さら胸に広がった。

「リーナ。」


ソータは言った。

「俺たちは、また北の森へ行くかもしれない。」

マルタと村長がこちらを見る。

リーナも涙を拭いながら顔を上げた。

「どういうことですか?」

「砦の人たちと、まだ話さなきゃいけないことがあります。お父さんたちのお墓のこともあるし、フルムーンという特別な時期の話もあります。」


詳しいことは、後で村長に説明する必要がある。

今ここで全部話すのは違う。

けれど、リーナには一つだけ伝えておきたかった。

「いつか、リーナをお父さんのお墓へ連れて行けるように、話をしてみる。」

リーナは唇を震わせた。

「私……行きたいです。」

「うん。」

「でも、今は……まだ、すぐには無理です。」

「それでいい。」


「まずは、これを……お父さんの腕輪を、ちゃんと家に置きたいです。」

「うん。」

リーナは腕輪を抱きしめた。

「お父さんが帰ってきたから。」

その言葉に、マルタが涙をこぼした。

トムも顔を覆った。

村長は静かに頭を下げた。

ソータは、何も言わなかった。

ただ、その言葉を胸の中に置いた。


お父さんが帰ってきた。

人としては帰れなかった。

けれど、形見として。

記憶として。

娘の手の中へ。

ソータは、それを運んできたのだ。


◆◇◆


その日の夕方、村長の家で短い報告が行われた。

詳しい北の森の話は翌日に回すことになった。

リーナのことを考え、今日は形見の確認と、亡くなった者たちへの対応を優先するためだ。

村長は村人たちに向けて、簡単に説明した。

北の森の奥で、数年前に行方不明になった男たちの形見が見つかったこと。

詳しい話は明日、改めて共有すること。

今日は家族や関係者の時間を邪魔しないこと。

村人たちはざわついたが、村長とマルタの顔を見て、それ以上騒がなかった。

リーナの家には、何人かが静かに訪れた。


花を持ってくる者。

食事を持ってくる者。

ただ頭を下げる者。

リーナはその一人一人に、泣き腫らした顔で礼を言った。

ソータは家の外に出て、少し離れた場所でその様子を見ていた。

夕焼けが村を赤く染めている。

畑。

柵。

家々の煙突。


戻ってきた場所。

ここへ、重い荷を届けた。

ガルドが隣に来た。

「よくやった。」

短い言葉だった。

ソータはしばらく黙った。

そして、小さく言った。

「これでよかったんですかね。」

「分からん。」


「そうですよね。」

「だが、届けなければ始まらなかった。」

ソータは村を見た。

リーナの家の灯りがともる。

その中に、青い石の腕輪がある。

父の帰りを待ち続けた娘のもとへ、ようやく届いた形見。

「届けた後のことまでは、運送屋の仕事じゃないと思ってました。」


ソータは言った。

「でも、そうでもないんですね。」

ガルドは少しだけソータを見た。

「何を運ぶかによる。」

「人の気持ちは重いです。」

「そうだな。」


それだけ言って、ガルドは夕焼けを見る。

ソータも同じように空を見た。

二つの月はまだ出ていない。

けれど、夜になればまた見えるだろう。

フルムーンは近い。

その前に、やることが山ほどある。

村長への報告。

リーナのこれから。

グランデリアへの帰還。


ミレイユへの説明。

オルドアイのこと。

バルクのこと。

アマゾネス砦との交渉。

また荷が増える。

だが、今日一つ、大事な荷を下ろせた。

ソータは静かに息を吐いた。


(リーナのお父さん。)

(ちゃんと、届けました。)

誰に向けたものか分からない言葉を、心の中で呟く。

夕焼けの中、村は静かに夜を迎えようとしていた。

悲しみを抱えながら。

それでも、帰ってきたものを受け止めながら。


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