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勇者じゃなくて運送屋ですが、王国の命綱です  作者: naomikoryo


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第67話:霧の道は、帰る者には優しかった

砦の門が、背後でゆっくり閉まっていった。

重い丸太が軋む音が、霧の中へ沈んでいく。

ソータは一度だけ振り返った。

門の内側には、まだたくさんのアマゾネスたちがいた。

手を振る者。

笑う者。

バルクへ何かを叫ぶ者。

そして、その中央付近に、バルクが立っていた。

隣にはガルナ。


大柄な女戦士が、照れくさそうにしながらも、しっかりバルクの横に並んでいる。

バルクはいつものように大きく手を上げた。

「ソータ! ちゃんと怒られてこいよ!」

「最後までそれですか!」

ソータが叫び返すと、砦の中から笑い声が上がった。

レオンが隣で肩を震わせている。

「バルクさん、最後に一番重い荷物をソータさんへ積みましたね。」

「本当に重いんだけど。」


ソータは胸を押さえた。

ミレイユへの報告。

それは今、収納に入っているどの荷物よりも重い。

形見の箱よりも、ある意味では重い。

いや、形見の箱は別の意味で重い。

どちらも落とせない。

どちらも避けられない。


(積載量、大丈夫か。)

(精神の方がかなり危ない。)

門の上では、ヤンガルドアイが腕を組んで立っていた。

その横に、オルドアイがいる。

オルドアイは、門の上からソータを見下ろしていた。

堂々とした姫の姿。

だが、その目には昨日までとは違う柔らかさが少しだけあった。

ソータが見上げると、オルドアイは口元を上げる。

「忘れるなよ、ソータ!」


「何をとは聞きませんけど、忘れません!」

「全部だ!」

「全部は多すぎる!」

アマゾネスたちがまた笑う。

オルドアイは、笑いながらも真っ直ぐこちらを見ていた。

フルムーン。

二つの月が満ちる夜。

その時に来い。

その約束は、冗談ではない。


軽い誘惑でもない。

砦との道を繋ぐための条件であり、オルドアイの願いでもあった。

ソータはそれを、はっきり分かっていた。

だから、軽く返せなかった。

ただ、小さく頷いた。

オルドアイも、それを見て満足したように頷く。

霧が、前方で揺れた。

白い壁のようだった霧が、ゆっくり左右へ開いていく。

砦から森の外へ続く、細い道。


来た時は見えなかった道。

迷い、戻され、野営し、誘われてたどり着いた場所から、今度は帰るための道が開いていた。

ヤンガルドアイの声が響く。

「道は開いてやる。外までは迷わぬ。」

「ありがとうございます!」


ソータは頭を下げた。

ヤンガルドアイはにやりと笑う。

「礼はフルムーンでよい。」

「……検討します!」

「逃げるなよ。」

「逃げるつもりはありません!」


逃げたい気持ちはある。

だが、約束から逃げるつもりはない。

ソータはそう自分に言い聞かせた。

そして、前を向いた。

ガルドが先頭に立つ。

レオンが少し前方を確認する。

エルザが後方と木の上を見ている。

ソータは中央に立ち、収納の中に意識を向けた。

形見の箱。


リーナの薬包。

野営道具。

食料と水。

村へ持ち帰る情報。

そして、バルクが残ったという報告。

全部ある。

全部、持っている。

「行きましょう。」


ソータが言うと、三人が頷いた。

四人は霧の道へ足を踏み入れた。


◆◇◆


帰りの霧は、不気味なほど素直だった。

来る時とはまるで違う。

行きは、同じ赤い布の前へ何度も戻された。

縄を使っても距離がおかしくなった。

音はずれ、沢の音は左右から聞こえ、前へ進んでいるのか戻っているのかすら分からなくなった。

だが今は、道がある。

白い霧が左右に分かれ、足元には木の根の少ない通り道が続いている。

分岐もない。

迷う余地もない。


まるで森そのものが、外へ出るように案内しているようだった。

レオンが小声で言う。

「行きと違いすぎて、逆に怖いっすね。」

「俺も同じこと思ってた。」

ソータは頷いた。

レオンは周囲を見ながら歩いている。

いつもの軽い口調ではあるが、足取りは慎重だ。

「完全に通されてるっす。道というより、向こうが霧をどけてくれてる感じですね。」


エルザも同意する。

「ええ。昨日までとは別物だわ。これなら、普通に歩けば外へ出られる。」

「普通に出られるのが、こんなにありがたいとは思いませんでした。」

ソータが言うと、エルザは少しだけ笑った。

「あなた、迷いの霧の中でも野営地を作っていたじゃない。」

「焦っても道は開かないと思ったので。」

「その判断に救われたわ。」


エルザの声は静かだった。

ソータは少し照れる。

「俺だけじゃないです。みんながいたから。」

「それでも、あの時に寝床と食事を出せる人間は、あなたしかいなかった。」

「そう言われると、少しは役に立てた気がします。」

「少しではないわ。」


エルザは前を向いたまま言った。

「今回、あなたは何度も隊を生かした。霧の中の野営も、砦の倉庫も、昨夜の香のことも。」

「香のことは……たまたま気づいただけです。」

「気づいて言えたことが大事なのよ。」

ソータは答えに困った。

昨夜の甘い煙。

媚薬の香。

あれを放っておけば、どうなっていたか分からない。

オルドアイが止めてくれた可能性もある。


ヤンガルドアイがどこかで止めた可能性もある。

だが、そうではなかったかもしれない。

ソータが声を上げたから、止まった。

その事実は、少し重い。

ガルドが前から短く言った。

「正しい判断だった。」

「ありがとうございます。」

「ただ、帰ってからの判断も誤るな。」

「帰ってから?」


ガルドは振り返らずに言った。

「ミレイユへの報告だ。」

ソータは足をつまずきかけた。

レオンが吹き出す。

「ガルドさん、そこですか。」

「重要だ。」

「俺もそう思います。」


エルザが冷静に言う。

「隠さず、順番に、事実を話すことね。」

「順番に。」

ソータは重く頷いた。

「まず、リーナのお父さんの形見を届けたこと。」

「まだ届けていないわ。」

「そうでした。」

「次に、アマゾネス砦の存在。」

「はい。」


「バルクが残ったこと。」

「はい。」

「オルドアイのこと。」

「……はい。」

「婿入りを迫られたこと。」

「はい。」

「フルムーンの話。」

「はい。」

「口づけのこと。」


ソータは沈黙した。

霧の中の足音だけが続く。

レオンが横目で見る。

「報告案件っすね。」

「無理やりされた分もある。」

「でも、全部が全部ではないっすよね?」

「……。」

「沈黙は肯定っす。」

「レオン、そういうところだけ鋭いな。」


「生き残るためっす。」

エルザがため息を吐いた。

「とにかく、隠さない方がいいわ。」

「分かってます。」

ソータは小さく答えた。

本当に分かっている。

隠せば、もっと悪くなる。

ミレイユは鋭い。

ソータの顔など簡単に読む。


しかも、アルベールもいる。

あの執事は、何も言わなくても何かを察するに違いない。

(逃げ場がない。)

(でも、逃げたくない。)

(ちゃんと話す。)

(怒られるとしても。)


ミレイユのことを忘れていない。

それだけは本当だ。

オルドアイに惹かれた瞬間がなかったとは言えない。

キスもした。

綺麗だとも言った。

でも、ミレイユを忘れたわけではない。

むしろ、何度も思い出した。

だからこそ、苦しい。

ソータは胸の奥を押さえた。


◆◇◆


しばらく歩くと、霧の濃さが少し変わった。

砦の周囲の白く濃い霧が薄れ、木々の輪郭がはっきりしてくる。

足元の道も、だんだん普通の森の地面へ戻っていった。

湿った土。

絡む木の根。

苔。

落ち葉。

見覚えのある黒い岩へ続く道。

レオンが息を吐く。


「抜けた……っぽいっすね。」

エルザは耳を澄ませた。

「鳥の声が戻っているわ。」

確かに、遠くで鳥が鳴いていた。

虫の気配もある。

沢の音も、今は一方向から聞こえる。

音がずれていない。

それだけで安心する。

ガルドが周囲を見た。


「霧の領域は抜けた。」

ソータも周囲を見る。

来る時にはあれほど不気味だった森が、今は少し普通に見える。

もちろん油断はできない。

だが、少なくとも道が歪んでいる感覚は消えていた。

レオンが地図板を出し、位置を確認する。

「黒い岩まで戻れば、あとはトムさんの話と照らせます。」

「迷わず戻れそうか?」

「はい。今のところは。」


ソータは頷いた。

そして、収納の中の形見の箱をもう一度確認する。

ある。

確かにある。

木箱。

青い石の腕輪の一部。

古い木札。

数年前に死んだ男たちの残した品。


(リーナに渡す。)

(どう伝える。)

それを考えた瞬間、胸が重くなる。

アマゾネス砦での出来事は濃すぎた。

オルドアイのことも、バルクのことも、フルムーンのことも大きい。

だが、最初の目的はこれだった。

リーナの父の手掛かりを探す。

その答えは、おそらく死だった。

ソータは足を止めそうになった。


ガルドが前から声をかける。

「ソータ。」

「はい。」

「箱のことか。」

「分かりますか。」

「顔に出ている。」

「俺の顔、本当に隠し事に向いてないですね。」

「隠すな。」


短い言葉だった。

だが、重い。

ガルドは続ける。

「言葉を飾りすぎるな。」

「でも、リーナには少しでも傷つけないように伝えたいんです。」

「傷つかない言葉はない。」


ソータは黙った。

ガルドは歩調を緩め、少しだけ横に並んだ。

「父が死んだかもしれないと伝える。傷つくに決まっている。」

「……はい。」

「だが、嘘はもっと傷つける。」


森の音が静かに響く。

鳥の声。

水の音。

靴が落ち葉を踏む音。

ガルドの声は低く、淡々としている。

だからこそ、胸に入った。

「分かっていることを伝えろ。分からないことは分からないと言え。助けようとした者がいたことも伝えろ。」

「はい。」

「それ以上は、そばにいろ。」


「そばに。」

「言葉でどうにもならん時もある。」

ソータは深く頷いた。

リーナに何を言えばいいのか、ずっと考えていた。

慰める言葉。

傷つけない言葉。

希望を残す言葉。

でも、そんな都合のいい言葉はないのかもしれない。

伝えるべきことを伝える。


そして、逃げずにそばにいる。

それが、自分にできることなのだろう。

「ありがとうございます。」

ソータが言うと、ガルドは短く頷いた。


◆◇◆


黒い岩に着いたのは、昼前だった。

来る時と同じ場所。

大きく黒い岩が、森の中にぽつんと立っている。

だが、今見ると少し違って感じる。

この岩の先に、あの霧があった。

その奥に砦があった。

そして、リーナの父かもしれない男たちが倒れていた場所があった。

レオンが周囲を確認する。

「足跡は……俺たちの分が少し残ってるっすね。新しい魔物の痕跡はなし。」


「やはり、砦の近くには寄らないのね。」

エルザが言う。

「アマゾネスたちが狩っているからか、霧を嫌っているのか、両方かもしれないけれど。」

ソータは昼食の準備をした。

マルタが持たせてくれた弁当の残り。

簡単な携帯食。

水。

バルクがいれば、ここで必ず何か言っただろう。

「肉はまだあるのか。」


とか。

「もう少し食えるぞ。」

とか。

だが、今はその声がない。

ソータは無意識にバルクの分も出しかけて、手を止めた。

レオンがそれに気づく。

「……バルクさんの分っすか?」

「癖で。」

「寂しいっすね。」


「うん。」

ソータは素直に頷いた。

バルクは死んだわけではない。

自分で残ると決めた。

ガルナと一緒になると決めた。

北の部族村へ行く。

フルムーンにはまた会えるかもしれない。

それでも、今ここにいない事実は、少し寂しかった。

エルザが静かに言う。


「本人は満足そうだったわ。」

「そうですね。」

「あれは、流されたというより、自分で選んだ顔だった。」

ガルドも頷く。

「あいつは軽く見えて、決める時は決める。」

「でも急でしたよね。」


レオンが苦笑する。

「昨日の夜まで肉食って笑ってたのに、今朝には残るって。」

ガルドが短く言う。

「バルクらしい。」

「それで納得できるのがすごいっす。」


ソータも少し笑った。

確かに、バルクらしい。

深く考えていないようで、ちゃんと自分の腹で決める。

ガルナと並んでいた姿は、思ったより自然だった。


(ミレイユにどう報告しよう。)

(バルクさんはアマゾネスの女性と恋仲になって、北の部族村へ行くことになりました。)

(やっぱり信じてもらえる気がしない。)


ソータは水を飲みながら、また頭を抱えたくなった。


◆◇◆


昼食後、一行は沢を越え、折れた大杉を目指した。

帰り道は順調だった。

霧も出ない。

音も狂わない。

レオンのつけた目印も、いくつか残っていた。

赤い布を見ると、霧の中で同じ場所へ戻された時の嫌な感覚が蘇る。

だが今は、その布がちゃんと帰り道の印として機能している。

それだけで少し救われた。

沢を渡る時、ソータは縄を出した。


バルクがいないため、足場の支えはガルドが中心になる。

エルザが渡り、レオンが渡り、最後にソータが渡る。

無事に渡り終えると、ソータは縄を回収した。

「バルクさんがいないと、やっぱり盾役の安心感が減りますね。」

ソータが言うと、ガルドは頷いた。

「帰ったら護衛編成を考える必要がある。」

「ミレイユにも相談ですね。」

「そうだ。」


エルザが言う。

「でも、バルクが残ったことは悪いことばかりではないわ。」

「どういう意味ですか?」

「彼はアマゾネス側との繋がりになる。北の部族村へ行くなら、フルムーンの前に情報が届く可能性もある。」

レオンも頷く。

「バルクさん、あっちで普通に馴染みそうっすしね。」

「それは分かる。」


ソータは思わず笑った。

バルクが北の部族村で、現地の男たちと肉を焼いて酒を飲んでいる姿が、なぜか簡単に想像できた。

順応力が高すぎる。

そこは少し羨ましい。

ソータは自分の状況を思った。

ミレイユ。

オルドアイ。

リーナ。

アマゾネス砦。


商会。

村。

北の部族村。

フルムーン。

どんどん繋がっていく。

運送屋として、道を繋ぐのは自分の仕事だ。

だが、こんなに複雑に人の気持ちまで繋がるとは思っていなかった。


(荷物だけ運んでいたい。)

(いや、今さら無理だな。)


◆◇◆


折れた大杉へ着いた頃、森の空気はかなり普通に戻っていた。

鳥の声がする。

小動物が草むらを走る音もした。

少し遠くで、獣の気配もある。

来る時には不気味だった静けさが、今は少しだけ遠のいている。

レオンが木の幹を軽く叩いた。

「ここまで来れば、村の人たちが知ってる森に近いっす。」

「今日中に村へ戻れそうか?」


ガルドが聞く。

「無理すれば。でも、夕方ぎりぎりっすね。」

エルザが空を見る。

「疲労はそこまで大きくないけれど、焦る必要はないわ。形見を届けるなら、夜遅くより明るい時間の方がいい。」

ソータはその言葉に頷いた。

リーナに伝える話は、夜に急いで届けるようなものではない。

ちゃんと時間を取るべきだ。

ソータはガルドを見る。

「今日は村の手前で野営して、明日の朝に戻るのはどうでしょう。」


ガルドは短く答えた。

「妥当だ。」

レオンも頷く。

「その方がいいっすね。リーナさんに伝えるなら、落ち着いた状態の方が。」

エルザも同意した。

「ええ。」


決まれば早い。

ソータは野営道具を出す準備をした。

森の奥ではないため、昨日ほど厳重な拠点は必要ない。

それでも、防水布、寝具、簡単な火の場所、見張り用の鳴子は用意する。

バルクがいない分、作業が少し静かだった。

力仕事はガルドが手伝い、レオンが細かく動き、エルザが周囲を警戒する。

ソータは必要なものを出しながら、ふと口にした。

「ここでバルクさんなら、飯の話をしてましたね。」


レオンが笑う。

「絶対してたっす。」

エルザが少しだけ微笑む。

「もう少し寂しがっていることを隠しなさい。」

「隠せてませんでした?」

「ええ。」


ガルドが薪を置きながら言った。

「あいつは生きている。」

「はい。」

「なら、また会える。」

「そうですね。」


ソータは頷いた。

それはリーナの父のことを思うと、少しだけ痛い言葉でもあった。

生きていれば、また会える。

生きていなければ、形見を届けるしかない。

リーナは明日、それを知る。

ソータは火を見つめた。

揺れる炎。

夜へ向かう森。

収納の中の木箱。


その重さは、見えないのに確かにそこにあった。


◆◇◆


夕食は簡単なものにした。

温かいスープと、残りの携帯食。

バルクがいないため、量は少し余った。

ソータはそれを見て、また少し寂しくなる。

レオンが椀を持ちながら言う。

「ソータさん。」

「何?」

「明日、リーナさんに話す時、俺たちも同席した方がいいっすか?」


ソータは少し考えた。

「村長とマルタさんはいた方がいいと思う。トムさんも、知る権利があるかもしれない。でも……。」

エルザが静かに言う。

「リーナが望む形にするのがいいわ。」

「そうですね。」


ガルドは火を見ながら言った。

「最初に、お前がリーナへ戻ったことを伝えろ。その後、話す場所を決めればいい。」

「はい。」

「箱をいきなり人前で出すな。」

「分かりました。」


その助言はありがたかった。

ソータは、どうしても一気に全部を話そうとしてしまう。

でも、受け取る側には準備が必要だ。

まず帰ったと伝える。

それから、静かな場所で話す。

形見は、リーナが受け取れる状態になってから出す。

ソータは頭の中で手順を作る。


(帰村。)

(リーナに声をかける。)

(村長かマルタさんに、話す場所を頼む。)

(北の森で分かったことを順番に伝える。)

(砦の人たちが看病してくれたこと。)

(全員亡くなったこと。)

(青い石を持つ男がいたこと。)

(形見の箱を渡す。)

(断定は、リーナが確認してから。)


運ぶ前の段取りと同じだ。

ただし、今回は荷物ではなく言葉。

間違えれば、人を深く傷つける。

すでに傷つく話だとしても、渡し方は大事だ。

ソータは火を見つめたまま、小さく息を吐いた。

「怖いですね。」


思わず漏れた言葉だった。

誰も笑わなかった。

エルザが優しく言う。

「怖いと思えるなら、雑には扱わないわ。」

レオンも頷く。

「ソータさんなら、大丈夫っす。」


ガルドは短く言った。

「逃げるな。」

「はい。」

それだけで、少しだけ背中を押された気がした。


◆◇◆


夜の見張りは、いつもより静かだった。

魔物の気配は遠い。

森の音も普通だ。

霧の領域を抜けたことで、あの不気味な圧迫感は消えている。

ソータは寝具に横になりながら、空を見上げた。

木々の隙間から、二つの月が見える。

片方は明るく、もう片方は少し欠けている。

フルムーンはもうすぐ。

オルドアイはそう言っていた。


その夜に、またあの砦へ行くのか。

バルクに会いに。

北の部族村の男たちを支援するために。

アマゾネス砦との関係を作るために。

そして、オルドアイとの約束のために。


(ミレイユが同行するって言いそうだな。)

想像すると、胃が痛くなる。

ミレイユとオルドアイが顔を合わせる。

会頭代理と森の姫。

商人と戦士。

どちらも強い。

どちらも引かない。

ソータを挟んで何が起こるのか、考えたくない。


(でも、隠して行く選択肢はない。)

(絶対ない。)

(正直に話す。)


それしかない。

リーナへも。

ミレイユへも。

村長へも。

自分が運ぶものは、もう物だけではないのだから。

ソータは収納の中の形見の箱をもう一度確かめた。

ある。

大事に、そこにある。

リーナの薬包の近く。


落とさない場所。

間違えない場所。

(明日、届ける。)


そう思うと、胸が少し痛んだ。

それでも、届ける。

運送屋として。

約束した者として。

逃げずに。

森の夜は、静かに更けていった。

バルクのいない野営地は少しだけ静かで、その静けさの中に、帰る者たちの重い荷が確かに積まれていた。


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