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勇者じゃなくて運送屋ですが、王国の命綱です  作者: naomikoryo


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第64話:歓迎の宴は、甘い煙で境界を曇らせた

その夜。

砦の大広間には、昼間とはまるで違う熱が満ちていた。

倉庫整理が終わった後、ヤンガルドアイはソータたちを大広間へ呼んだ。

働いた者には飯を出す。

そう言っていた通り、広間には大量の料理が並んでいた。

焼かれた大きな肉。

香草をまぶした鳥。

森で採れた根菜の煮込み。

甘い果実。


蜂蜜をかけた焼き菓子。

木の杯に注がれる酒。

砦の女たちは、昼間の鋭い戦士の顔を少し緩め、笑い、飲み、食べていた。

ただし、緩んでいても強い。

笑い声は大きく、杯を打ち鳴らす音も豪快で、肉を食べる勢いもすさまじい。

バルクは早々にその空気へ馴染んでいた。

「うまいな、この肉!」

「もっと食え、盾の男!」

「食う!」


バルクの前には、すでに皿がいくつも重なっている。

隣のアマゾネスたちも面白がって、次々と料理を渡していた。

レオンは少し困った顔をしながらも、若い女戦士たちに囲まれていた。

「ほら、若いの。酒は飲めるのか?」

「少しならっす。」

「なら飲め。」

「少しって言ったっすよね?」

「我らの少しだ。」

「基準が怖いっす。」


ガルドは端の席に座り、黙って食事を取っていた。

だが、その無口さが逆に一部の女戦士たちに受けているらしく、何人かが興味深そうに酒を勧めている。

「無口な男だな。」

「必要なことは話す。」

「それがいい。」

「酒は。」

「少しでいい。」

「やはり面白い。」


エルザは女たちの中に混じり、情報を集めながら自然に杯を受けていた。

彼女は強い酒をうまく避け、弱い果実酒だけを口にしている。

その立ち回りは見事だった。

そしてソータは。

オルドアイに完全に捕まっていた。


◆◇◆


オルドアイは、宴の前に着替えてきていた。

昼間の戦士装束ではない。

肩と腕を大胆に出した、薄い布の衣。

深い赤と金の飾りが入ったそれは、昨夜の部屋着ほど透けてはいないが、それでも十分に目に毒だった。

褐色の肌。

引き締まった腕。

戦士らしいしなやかな体。

座っているだけで、周囲の視線を引く。

そのオルドアイが、ソータのすぐ横に陣取っていた。


近い。

昨夜も近かった。

昼間も近かった。

だが、宴の今はさらに近かった。

ソータの腕に自分の腕を絡め、肩を寄せ、時々体を押し当てるようにしてくる。

「ソータ。飲め。」

「いや、酒は少しだけで。」

「少しならよいだろう。」

「この砦の少し、信用できないんですけど。」


「私が注ぐ酒だぞ。」

「だから危ないんです。」

オルドアイは楽しそうに笑い、杯へ酒を注いだ。

透明ではない。

淡い琥珀色の酒だった。

香りは甘く、果実の匂いがする。

ソータは恐る恐る口をつける。

思ったより飲みやすかった。

だが、それが危ない。


(これ、飲みやすい酒だ。)

(前世でもあった。)

(飲みやすいやつほど後から来る。)


ソータが杯を置こうとすると、オルドアイは今度は肉をつまみ、ソータの口元へ差し出した。

「食え。」

「自分で食べられます。」

「私が食べさせたい。」

「なぜ。」

「口説いているからだ。」

「堂々と言わないでください。」

「堂々と口説く方が良いだろう。」

「良いかどうかは分からない。」


それでも、目の前に肉を差し出され続けると断りづらい。

周囲の女戦士たちも面白そうに見ている。

ソータは観念して、肉を食べた。

味はうまい。

悔しいくらいうまい。

オルドアイは満足そうに目を細める。

「どうだ。」

「おいしいです。」

「なら、もっと食え。」


「自分で。」

「私が。」

「……はい。」

ソータは内心でミレイユに謝った。


(ミレイユ。)

(これは文化的接待です。)

(たぶん。)

(いや、口説いてるって本人が言ってるから違うか。)

(でも、俺は流されない。)


そう思っていると、オルドアイが顔を寄せてきた。

酒の香りと、甘い香草の匂いが混じる。

「ソータ。」

「はい。」

「今日の倉庫は見事だった。」

「ありがとうございます。」

「あの混沌を、半日で砦の心臓に変えた。」

「心臓?」

「物が流れる場所だ。お前が道を作った。」


ソータは少しだけ驚いた。

昼間も思ったが、オルドアイは本質を掴むのが早い。

ただの片づけではなく、流れを見ている。

そこは、彼女が砦の姫として全体を見ているからなのだろう。

「私は、ますますお前が欲しくなった。」


オルドアイは囁くように言った。

「砦のためにも。」

「……。」

「私のためにも。」

その声は、酒の熱を帯びていた。

ソータは答えに詰まる。

オルドアイの言葉は誘惑だ。

だが、完全な冗談ではない。

彼女は本気でソータを評価している。


そして、本気で欲しがっている。

だから厄介だった。

「俺には、帰る場所があります。」

ソータは静かに答えた。

オルドアイは少しだけ唇を尖らせる。

「またそれか。」

「大事なので。」

「その女は、お前をここまで欲しがるか?」

「……欲しがってくれていると思います。」


「思う、か。」

「でも、縛り方は違います。」

「ほう。」

「ミレイユは、俺を必要としてくれる。でも、俺が運ぶものや、俺が帰る場所も含めて見てくれる。」

オルドアイはしばらく黙った。

そして、小さく笑った。

「会ってみたいな、その女。」

「できれば穏やかにお願いします。」

「約束はできぬ。」


「ですよね。」


◆◇◆


宴が進むにつれ、広間の熱はさらに濃くなっていった。

酒が回り、笑い声は大きくなる。

女戦士たちは歌い始め、何人かは踊り出した。

足を踏み鳴らし、手を打ち、声を重ねる。

野性的で、力強く、どこか艶のある歌だった。

ソータはそれを見ながら、少しだけぼんやりしていた。

酒のせいかもしれない。

倉庫整理の疲れもある。

朝から働き詰めだった。


頭が少し熱い。

体が軽いような、重いような、不思議な感覚がある。

その時、広間の奥でヤンガルドアイが誰かへ視線を送った。

ほんのわずかな合図だった。

ソータは酔いかけた頭でも、その動きに気づいた。


(今、何か合図した?)

次の瞬間、広間の端に置かれていた香炉のような器から、薄い煙が流れ始めた。

煙は白ではない。

ほんの少しだけ、ピンクがかっている。

甘い香り。

花のようで、果実のようで、どこか熱を誘う匂い。

煙は目立たないほど薄く、広間の空気へ溶けていく。

ソータは眉を寄せた。


(これ……。)

胸の奥に、以前の記憶がよぎる。

アルベールが用意した飲み物。

翌朝の違和感。

自分でも驚くほどミレイユを求めた夜。

あの時の自分の体の熱。

今の甘い香りは、それに少し似ていた。

完全に同じではない。

だが、危ないものだと直感が告げている。


「オルドアイ。」

「何だ。」

「この煙は?」

オルドアイは目を細めた。

彼女も気づいている。

いや、知っていたのかもしれない。

「宴の香だ。」

「普通の香じゃないですよね。」

「男も女も、心と体が熱くなる。」


さらりと言った。

ソータの背筋が冷えた。

「媚薬ですか。」

「そう呼ぶ者もいる。」

「止めてください。」


ソータは低く言った。

オルドアイが、少し驚いたようにこちらを見る。

ソータは続ける。

「酒と一緒にこれは危ないです。判断が鈍る。」

「この砦では珍しいことではない。」

「俺たちはこの砦の人間じゃありません。」


その言葉に、オルドアイの目が細くなる。

からかいではなく、真剣な視線だった。

ソータは自分の頭が熱くなっていくのを感じた。

だが、まだ考えられる。

ここで流されれば終わる。

自分だけではない。

ガルドたちもいる。

レオンやバルクは酒も入っている。

ガルドは強いだろうが、それでも薬の影響は分からない。


エルザもいる。

このままでは、誰かが後悔することになるかもしれない。

「ヤンガルドアイさん。」

ソータは立ち上がった。

少しふらついた。

オルドアイが腕を支える。

広間の視線が集まる。

ヤンガルドアイは奥の席で、静かにこちらを見ていた。

「何だ、ソータ。」


「この香を止めてください。」

広間が少しざわついた。

ヤンガルドアイは眉を上げる。

「なぜだ。」

「俺たちは客人です。薬で判断を鈍らせて関係を迫るなら、それは客人扱いじゃない。」


声は大きくなかった。

だが、広間に届いた。

笑い声が少しずつ収まる。

レオンがこちらを見た。

少しぼんやりしていた目が、驚きで戻る。

ガルドも立ち上がりかけていた。

エルザはすでに異変に気づき、口元を布で押さえている。

バルクも眉を寄せていた。

ソータは続ける。


「この砦の文化を否定するつもりはありません。でも、俺たちはまだ返事をしていない。身内でもない。なら、薬で押すのは違うと思います。」

ヤンガルドアイの目が鋭くなった。

広間の空気が張り詰める。

オルドアイはソータの腕を支えたまま、黙っている。

ソータは足に力を入れた。

怖い。

正直、ものすごく怖い。

けれど、ここで黙れば自分を許せなくなる。

「俺は、ちゃんと話して答えを出したいです。取引でも、約束でも、砦のためにできることでも。でも、こういう形で決めるのは嫌です。」


沈黙。

長く感じる沈黙だった。

やがて、ヤンガルドアイが低く笑った。

「薬の煙の中で、それを言うか。」

「言います。」

「弱い男なら、流される。」

「流されそうなので止めてほしいんです。」


正直に言うと、広間の一部から小さな笑いが漏れた。

ヤンガルドアイも、少しだけ口元を上げた。

「自分の弱さを言う男か。」

「弱いところを隠して失敗するよりましです。」

ヤンガルドアイは、しばらくソータを見ていた。

そして片手を上げた。

「香を止めろ。」


女戦士の一人が香炉へ走り、蓋を閉じる。

ピンクがかった煙の流れが止まった。

すぐに消えるわけではないが、広がりは収まる。

「窓と扉を開けろ。風を通せ。」

ヤンガルドアイの指示で、広間の出入口が開けられた。

夜の冷たい空気が流れ込む。

甘い香りが少しずつ薄れていく。

ソータは深く息を吸い、少し咳き込んだ。

オルドアイが支えてくれる。


「ソータ。」

「はい。」

「お前は本当に面白い。」

「今それですか。」

「いや。」


オルドアイは少しだけ声を落とした。

「少し、見直した。」

その声は、いつものからかいとは違っていた。


◆◇◆


香の影響は、すぐには消えなかった。

広間にはまだ熱が残っている。

酒に酔った者もいる。

甘い煙で頬を赤らめた者もいる。

ただ、ヤンガルドアイの命令で、女戦士たちは動きを抑えた。

客人に無理をするな。

その一言が飛ぶと、広間の空気は少しずつ落ち着いていく。

しかし、完全に何もなかったことにはならなかった。

レオンの近くにいた女戦士が名残惜しそうに腕を掴んでいたし、バルクは酒を持ったまま


「水もくれ。」

と言っていた。

ガルドはすぐにレオンの横へ移動し、低い声で

「離れろ。」

と言った。

エルザは冷静に水を配っていた。

ソータは自分の収納から水袋を出し、周囲へ配る。

「水飲んでください。酒は一旦止めましょう。」

「ソータさん……助かったっす。」


レオンが水を受け取り、ほっとしたように息を吐く。

「頭がぼーっとしてたっす。」

「俺も。」

バルクも水を飲みながら言った。

「酒のせいだけじゃねえな。」


ガルドはソータを見た。

「よく気づいた。」

「前に似たようなことがあった気がして。」

「似たようなこと?」

エルザが鋭く聞いた。

ソータは固まった。

ミレイユとの夜。

アルベール。

飲み物。


そこに話が飛ぶのはまずい。

「い、いや、何となくです。」

「顔が怪しいわね。」

「今は流してください。」

「あとで聞くわ。」

「勘弁してください。」


オルドアイが隣で興味深そうに見る。

「何だ。お前にも薬の経験があるのか。」

「ないです。」

「嘘だな。」

「ないです。」

「分かりやすい。」


ソータは頭を抱えた。

広間の熱は下がり始めているのに、自分の周囲だけ別の意味で危ない。


◆◇◆


ヤンガルドアイは、奥の席でソータを見ていた。

怒っているようにも見える。

だが、それだけではない。

満足しているようにも見えた。

彼女は杯を置き、低く言う。

「ソータ。」

「はい。」

「お前は、薬で流されるより、言葉で戦う男か。」

「戦ったつもりはないです。」


「戦いだ。相手の流れに呑まれず、自分の線を守った。」

ヤンガルドアイは笑う。

「悪くない。」

「では、形見の条件も見直してもらえませんか。」

ソータはすぐに言った。

レオンが小声で

「そこで言うんすか。」


と呟いた。

言う。

今だから言う。

ヤンガルドアイが評価したなら、その場で交渉する。

これはミレイユから学んだことだ。

好機を逃さない。

ただし、押しすぎない。

「俺はこの砦を害するつもりはありません。今日、倉庫を整えたように、できることはします。必要なら、男たちが半年に一度来る道のための物資計画も考えます。移動用の荷も準備できます。」


ヤンガルドアイの目が細くなる。

オルドアイも黙って聞いている。

「でも、婿になることはできません。だから、別の形で信頼を作らせてください。」

広間は再び静かになった。

ヤンガルドアイは肘掛けに指を置き、ゆっくり叩いた。

一度。

二度。

三度。

「考えよう。」


やがて、彼女はそう言った。

ソータは息を止めた。

「本当ですか?」

「すぐに形見を渡すとは言っておらぬ。」

「はい。」

「だが、婿だけが道ではないかもしれぬ。今日のお前は、それを考えさせるだけの働きをした。」


ソータの胸に、少しだけ希望が灯った。

完全な解決ではない。

だが、道が開きかけている。

「ありがとうございます。」

「礼は早い。」


ヤンガルドアイはにやりと笑った。

「ただし、オルドアイが諦めるかは別だ。」

「ですよね。」

ソータは肩を落とした。

オルドアイが腕を絡め直す。

今度は、さっきより少し優しい力だった。

「私は諦めぬ。」

「そこは諦めてほしい。」

「だが、今夜は無理には連れていかぬ。」


「それは助かります。」

「ただし、他の女に触らせる気もない。」

オルドアイは周囲の女戦士たちを鋭く見た。

「これは私が口説いている男だ。手を出すな。」

広間に笑いが起こる。

ソータは頭を抱えた。

「“これは”って言わないでください。」

「では、ソータは私が口説いている男だ。手を出すな。」

「少しだけましになりました。」


「少しか。」

「少しです。」

ヤンガルドアイはその様子を、満足そうに眺めていた。

彼女の目には、まだ

「ものにしろ。」


という意志が残っている。

だが同時に、ソータの別の価値も認め始めているようだった。


◆◇◆


宴は、その後も続いた。

ただし、最初のような危うい熱は少し薄れた。

酒は控えめになり、水と食事が増えた。

女戦士たちも、客人たちをからかいながらも、ヤンガルドアイの命令を守って一定の距離を取った。

バルクは最後までよく食べた。

レオンは水を抱えて安全地帯を探していた。

ガルドは静かに周囲を見張り続けた。

エルザは女たちと話しながら、さらに情報を集めている。

ソータは、オルドアイに隣を占領されたままだった。


彼女はもう無理に酒を勧めなかった。

代わりに料理を選び、ソータの皿へ置いてくる。

「これは食え。力がつく。」

「自分で取れます。」

「私が選んだ方がうまい。」

「確かにうまいですけど。」

「ならよい。」


そして時々、低く囁く。

「お前は面白い。」

「それ、今日何回目ですか。」

「数えるほど少なくない。」

「それはそうですね。」

「私は、お前を欲しい。だが、ただ奪うだけでは逃げるのだろうな。」


ソータは少し驚いた。

オルドアイが、そんなふうに言うとは思わなかった。

「逃げます。」

「正直だ。」

「約束がありますから。」

「なら、約束ごと引き寄せる方法を考えるか。」

「怖いこと言わないでください。」


オルドアイは笑った。

でも、その笑いは少しだけ柔らかかった。

宴の終わり近く。

ソータは大広間の天井を見上げた。

甘い煙の危機は過ぎた。

形見を得る道は、ほんの少しだけ広がった。

だが、オルドアイの執着は弱まっていない。

ヤンガルドアイもまだ諦めていない。

ここから先、さらに慎重に動かなければならない。


(ミレイユ。)

(今日は危なかった。)

(でも、流されなかった。)

(ちゃんと帰るために、少しだけ道を作った。)


ソータは、胸の奥でそう報告した。

遠く離れた商会にいる彼女へ。

届くはずのない言葉だったが、不思議と少しだけ落ち着いた。

その夜の宴は、笑いと熱と、少しの緊張を残して終わった。

そしてソータは、改めて思った。

この砦で一番危険なのは、魔物でも霧でもない。

人の欲と、掟と、距離の近すぎる姫だ。


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