第59話:女戦士の砦で、運送屋は獲物扱いされた
オルドアイと名乗った女は、ソータのすぐ前で楽しそうに笑っていた。
距離が近い。
かなり近い。
普通に話す距離ではない。
村の人たちと話す距離でもない。
ミレイユが嫉妬する時に詰めてくる距離に、少し近い。
いや、あれとは違う。
ミレイユの距離は、恋人として逃がさない距離だ。
オルドアイの距離は、獲物を逃がさない距離だった。
(まずい。)
(近い。)
(美人だけど近い。)
(いや、美人だからこそ余計にまずい。)
(ミレイユ、俺は今かなり頑張っている。)
ソータは自然と半歩だけ下がろうとした。
すると、オルドアイも同じだけ近づいた。
速い。
本当に自然に距離を詰めてくる。
「逃げるなと言っただろう。」
「いや、逃げたわけではなくて、距離感の調整を。」
「距離感?」
オルドアイは首を傾げる。
そして、また一歩近づいた。
「このくらいか?」
「近いです。」
「では、このくらいか?」
さらに半歩近づく。
「もっと近いです。」
砦の上で、女戦士たちが笑った。
レオンが小声で言う。
「ソータさん、初対面から捕まってるっすね。」
「助けてくれ。」
「物理的には助けられますけど、今のは無理っす。」
エルザが弓を下げきらないまま、呆れたように言った。
「オルドアイ殿。私たちは敵対するつもりはありません。ですが、こちらの者をあまり困らせないでいただけますか。」
オルドアイはエルザを見る。
鋭い目だった。
だが、敵意はない。
「弓の女。お前も悪くない目をしている。」
「褒め言葉として受け取っておきます。」
「だが、私が興味を持ったのはこの男だ。」
オルドアイはそう言って、またソータを見る。
「森に宿を生やす男。」
「だから、宿ではなくてテントです。」
「同じだ。」
「違います。」
「では、寝床を生やす男。」
「もっと変になった。」
ソータは頭を抱えたくなった。
砦の上の女戦士たちはさらに笑っている。
完全に見世物である。
ガルドは無言でオルドアイを見ていた。
剣に手は置いているが、抜いてはいない。
敵意がないことを見ているのだろう。
バルクも盾を構えてはいるが、攻撃態勢ではない。
ただ、女戦士たちの人数と位置を確認しているようだった。
レオンは逃げ道を探している。
たぶん見つかっていない。
背後は霧。
前は砦。
左右は森。
そして正面には、距離感のおかしい姫。
(詰んでないか、これ。)
ソータが内心で汗をかいていると、オルドアイが楽しそうに言った。
「来い。母上に会わせる。」
「その前に、いくつか聞いてもいいですか。」
「何だ。」
「ここは何ですか?」
オルドアイは堂々と答えた。
「我らの砦だ。」
「それは見れば分かります。」
「なら聞くな。」
「いや、そういう意味ではなくて。」
エルザが少しだけ助け舟を出す。
「この北の森の中に、これほどの砦があるとは聞いていませんでした。あなたたちは何者ですか。」
オルドアイは少しだけ胸を張った。
「我らは森の女戦士。外の者はアマゾネスなどと呼ぶこともある。」
「アマゾネス……。」
ソータは思わず呟いた。
前世でも聞いたことがある言葉だ。
女だけの戦士集団。
この世界では実在するらしい。
(異世界、何でもありだな。)
(いや、今さらか。)
「魔物がいなかったのは、あなたたちが?」
ガルドが聞いた。
オルドアイはガルドへ視線を向ける。
「鋭い男だ。」
「答えを。」
「砦の近くに魔物は近づけぬ。近づいたものは狩る。ゴブリンも、狼も、蛇も、すべてだ。」
バルクが低く唸る。
「つまり、この辺りの魔物がいないのは、お前たちが狩り尽くしているからか。」
「必要な分は残す。だが、我らの領域へ害をなすものは残さぬ。」
オルドアイは当然のように言った。
ソータは砦の女戦士たちを見る。
弓。
槍。
斧。
鍛えられた体。
こちらへ向けられた視線。
確かに、この集団がいれば魔物も近づきたがらないかもしれない。
「じゃあ、あの霧は?」
ソータが聞く。
オルドアイはにやりと笑った。
「あれは我らの守りだ。」
「守り?」
「砦に招かぬ者を戻す霧。迷わせ、歩かせ、疲れさせ、外へ返す。」
「外へ返すんですか。」
「普通はな。」
「普通は。」
嫌な言葉だった。
ソータが思わず聞き返すと、オルドアイは嬉しそうに笑った。
「お前たちは通した。」
「どうしてですか?」
「面白かったからだ。」
「理由が軽い。」
「十分な理由だ。」
オルドアイはソータの周りをゆっくり歩いた。
まるで品定めするように。
ソータは動けない。
背中側へ回られると、妙に落ち着かない。
(これ、絶対獲物扱いだ。)
(俺、今、値踏みされてる。)
(ミレイユに見られてなくてよかった。)
(いや、見られてなくても駄目だろ。)
オルドアイはソータの肩や腕を見て、少し不思議そうに眉を上げる。
「細いな。」
「最近よく言われます。」
「だが、弱そうではない。」
「そうですか?」
「剣を握る手ではない。槍を投げる肩でもない。だが、群れを飢えさせぬ男の匂いがする。」
「匂い?」
ソータは思わず自分の服の匂いを気にした。
「いや、実際に臭うという意味ではない。」
「よかった。」
「少しは汗の匂いがするがな。」
「言わなくていいです。」
砦の上でまた笑いが起こる。
オルドアイはさらに近づき、ソータの胸元に顔を寄せるような距離まで来た。
「おい。」
ガルドの声が低く響いた。
場の空気が少し鋭くなる。
オルドアイは動きを止めた。
ガルドを見る。
ガルドは剣を抜いていない。
だが、いつでも抜ける。
「それ以上、近づくな。」
オルドアイは目を細めた。
一瞬、空気が張り詰める。
砦の上の女戦士たちも、少しだけ動いた。
弓の弦に指がかかる。
バルクが盾を構える。
エルザも弓を引ける姿勢になる。
レオンは短剣に手を添える。
ソータは慌てて両手を上げた。
「待ってください。待ってください。戦うつもりはありません。」
オルドアイはソータを見る。
「お前が止めるのか?」
「止めます。ここで戦ったら、話ができません。」
「話がしたいのか?」
「したいです。俺たちは、人を探しに来たんです。」
オルドアイの目が、少しだけ変わった。
楽しそうな色が薄れ、興味が別の方向へ向く。
「人を?」
「はい。二年前に北の森へ入ったかもしれない男です。青い石の腕輪をしていた可能性があります。」
青い石。
その言葉を出した瞬間、砦の上の女戦士たちのざわめきが変わった。
笑いではない。
警戒とも違う。
何かを知っている者たちの反応だった。
オルドアイの顔から、冗談の色が少し消える。
「青い石の腕輪だと?」
「知っているんですか?」
ソータが聞くと、オルドアイはすぐには答えなかった。
その代わり、砦の門へ視線を向けた。
「母上に聞かせる。」
「その母上というのは。」
「この砦の長、ヤンガルドアイだ。」
レオンが小声で言う。
「名前が強そうっす。」
「実際、強い。」
オルドアイが当然のように答えた。
聞こえていたらしい。
レオンが小さく肩をすくめる。
「耳もいいっすね。」
「森の女だからな。」
オルドアイはそう言って、門へ向かって手を上げた。
砦の門がゆっくりと開き始める。
重い木が軋む音。
内側から響く掛け声。
丸太の門が開くにつれ、砦の内部が少しずつ見えてきた。
◆◇◆
砦の中は、外から見るよりさらに大きかった。
丸太と石で作られた通路。
弓の練習場。
槍を振る女戦士たち。
干された獣皮。
積まれた木材。
大きな焚き火の跡。
見張り台。
青い石が埋め込まれた柱。
そして、あちこちから向けられる視線。
ほとんどが女だった。
若い者もいる。
年長の者もいる。
子どもらしき者も少し見える。
だが、どの女も姿勢がいい。
歩き方に無駄がない。
まるで砦全体が一つの戦士団のようだった。
ソータは落ち着かない気持ちで歩いていた。
視線が多い。
しかも、遠慮がない。
興味。
警戒。
値踏み。
少しの好奇心。
そして、何人かからは明らかに面白がるような視線が来ている。
「男だ。」
「姫が連れてきた。」
「細いな。」
「でも、姫が笑っている。」
「荷を出す男だそうだ。」
「荷?」
「森に寝床を作ったとか。」
「寝床を?」
「本当か?」
ささやき声が聞こえる。
普通に聞こえる。
隠す気がない。
(細いって、また言われた。)
(最近の俺の評価、細いか荷物係かどっちかだな。)
(いや、運送屋だから荷物係は間違ってないけど。)
オルドアイはソータの隣を歩いている。
近い。
また近い。
最初よりは少しましだが、それでも近い。
彼女は歩きながら、時々ソータを見て笑う。
「緊張しているな。」
「しますよ。女戦士に囲まれているので。」
「悪い気はせぬだろう?」
「そういう問題ではなくて。」
「恋人がいるのか?」
突然の質問だった。
ソータは足を止めかけた。
オルドアイは楽しそうに覗き込んでくる。
「その反応、いるな。」
「います。」
「ほう。」
オルドアイの目が細くなる。
「強い女か?」
「強いです。」
「戦士か?」
「商人です。」
「商人。」
オルドアイは少し意外そうにした。
それから笑う。
「商人の女に捕まっているのか。」
「捕まっているというか。」
「違うのか?」
ソータは考えた。
ミレイユに囲い込まれている自覚は少しある。
商会の重要協力者として。
恋人として。
何なら精神的にもかなり捕まっている。
「……違わないかもしれません。」
「素直だな。」
オルドアイは楽しそうに笑った。
「だが、商人か。面白い。なら、お前は奪う価値のある男ということだ。」
「奪わないでください。」
「まだ奪うとは言っていない。」
「今、かなり言ってました。」
「言ったか?」
「言いました。」
オルドアイは白々しく首を傾げた。
レオンが後ろで小声で言う。
「ソータさん、初日から大変っすね。」
「助けてくれ。」
「ミレイユ様にどう報告するか考えた方がいいっす。」
「それが一番怖い。」
エルザが低く言った。
「今は目の前の砦に集中しなさい。」
「はい。」
確かに、その通りだった。
だが、ミレイユの顔はどうしても浮かぶ。
(私のことを少しでも忘れたら許さないわ。)
(忘れてない。)
(忘れてないけど、今すごく説明が難しい状況です。)
◆◇◆
砦の中央には、大きな広間のような建物があった。
木造だが、太い柱と石の基礎でしっかり作られている。
入口には青い石が埋め込まれた装飾があり、淡く光っているように見えた。
ソータはその石に目を引かれた。
「青い石……。」
リーナの父の腕輪。
ゴブリン村で見つけた欠片。
それと似た色だった。
オルドアイはその視線に気づく。
「気になるか。」
「はい。」
「あれは霧導きの石だ。我らの砦を守る石でもある。」
「霧導き……。」
「詳しい話は母上に聞け。」
そう言って、オルドアイは建物の中へ入った。
ソータたちも続く。
広間の中には、さらに多くの女戦士たちがいた。
壁には弓や槍が掛けられている。
床には獣皮が敷かれ、奥には一段高い場所がある。
その中央に、一人の女が座っていた。
見た瞬間、ソータは背筋が伸びた。
その女は、年齢を重ねていた。
若い娘のような柔らかさではない。
だが、美しさと迫力があった。
褐色の肌。
鍛えられた腕。
鋭い目。
背筋はまっすぐで、座っているだけなのに圧がある。
オルドアイと似ている。
だが、もっと大きい。
存在感が違う。
この砦を束ねる者。
見ただけで、そう分かった。
オルドアイが前へ出る。
「母上。」
女はゆっくり視線を上げた。
まずオルドアイを見る。
次にガルドたち護衛を見る。
そして最後に、ソータを見る。
その目が、じっと止まった。
「ほう。」
たった一言。
それだけで、広間の空気が少し重くなる。
「そやつか。森に宿を作った男というのは。」
「はい、母上。」
「宿ではなくてテントです。」
ソータは反射的に言ってしまった。
広間が静かになる。
隣のレオンが小さく息を呑んだ。
エルザが額に手を当てた。
バルクは笑いをこらえている。
ガルドは無言だが、たぶん少し呆れている。
奥の女は、数秒黙った。
そして。
大きく笑った。
「ははははは!」
広間全体に響く豪快な笑いだった。
オルドアイもにやりと笑う。
「面白いだろう、母上。」
「ああ。細いが、口は死んでおらぬ。」
(また細い。)
(この砦、第一印象が全員それなのか。)
女は立ち上がった。
大きい。
身長だけではない。
気配が大きい。
ソータは思わず一歩も動けなくなる。
女はゆっくり階段を下り、ソータの前に来た。
オルドアイよりさらに強い距離感で見下ろしてくる。
「名は。」
「ソータです。」
「ソータ。」
女はその名を確かめるように口にした。
「私はヤンガルドアイ。この砦の長であり、オルドアイの母だ。」
ソータは頭を下げた。
「ソータです。森に迷い込んだところを、オルドアイさんに案内されました。」
「迷い込んだ?」
ヤンガルドアイは笑う。
「違うな。娘が通したのだろう。」
オルドアイは悪びれずに頷いた。
「面白かったので。」
「だろうな。」
ヤンガルドアイはソータをもう一度見る。
頭から足元まで、値踏みするように。
「細い。」
(四回目くらいだな。)
「だが、荷を生む男か。」
「荷を生むというか、収納から出しているだけです。」
「同じだ。」
「この親子、そこ似てるな。」
思わず呟いた。
ソータはすぐに口を押さえた。
しまった、と思った。
だが、ヤンガルドアイはまた笑った。
「ますます面白い。」
オルドアイが嬉しそうに言う。
「そうだろう?」
「ああ。」
ヤンガルドアイはソータに顔を近づける。
この親子は距離感を知らないのかもしれない。
「ソータ。お前、ここに残れ。」
「え?」
「オルドアイの婿になれ。」
広間が一瞬で静まり返った。
ソータも固まった。
ガルドたちも固まった。
オルドアイだけが、愉快そうに目を細めた。
「母上、早い。」
「良い男は早く囲うものだ。」
「それは分かる。」
「分かるんですか。」
ソータの声は少し裏返った。
ヤンガルドアイは堂々と言う。
「砦に必要なのは、強い戦士だけではない。群れを飢えさせず、休ませ、明日へ進ませる男もまた必要だ。」
「いや、俺には戻る場所が。」
「なら、その場所ごと繋げばよい。」
「え?」
「村があるのだろう。街もあるのだろう。お前が運べば繋がるではないか。」
ソータは言葉に詰まった。
とんでもないことを言っている。
言っているのに。
物流的には、少し筋が通っている気がしてしまった。
(駄目だ。)
(そこで納得したら駄目だ。)
(ミレイユに殺される。)
(いや、殺されはしないかもしれないけど、すごく叱られる。)
オルドアイがソータの横に立つ。
近い。
また近い。
「私では不満か?」
「そういう問題ではなくて。」
「なら、何の問題だ?」
「恋人がいます。」
ソータははっきり言った。
ここは曖昧にしてはいけない。
ミレイユの顔が、はっきり浮かんでいた。
「俺には、ミレイユという恋人がいます。」
広間の空気が少し変わった。
オルドアイは一瞬だけ目を細めた。
ヤンガルドアイも、じっとソータを見る。
「ほう。」
ヤンガルドアイは低く笑った。
「恋人がいる上で、それをはっきり言うか。」
「はい。」
「逃げ口上ではないな。」
「違います。」
「なら、なお良い。」
「え?」
「他の女にすでに選ばれた男は、価値があるということだ。」
「そういう判断なんですか?」
ヤンガルドアイは大きく頷いた。
「そういう判断だ。」
オルドアイが楽しそうに笑った。
「奪いがいがあるな。」
「やめてください。」
「嫌か?」
「嫌というか、駄目です。」
「駄目と言う顔も面白い。」
「この親子、話が通じるようで通じない。」
ソータは心の底からそう思った。
レオンが後ろで小声で言う。
「ソータさん、ミレイユ様案件っすね。」
「分かってる。」
「かなり大きめの案件っす。」
「分かってる。」
エルザが小さくため息を吐いた。
「帰ったら、まず正直に報告しなさい。」
「はい。」
バルクは腕を組んで笑う。
「大変だな。」
「笑いごとじゃないです。」
ガルドは短く言った。
「本題を忘れるな。」
その一言で、ソータは我に返った。
そうだ。
婿だの奪うだの言っている場合ではない。
自分たちは、人を探しに来た。
リーナの父の手掛かりを探しに来たのだ。
ソータは深く息を吸った。
そして、ヤンガルドアイを見た。
「すみません。俺たちは、聞きたいことがあってここに来ました。」
「青い石の男か。」
ヤンガルドアイはすぐに言った。
ソータの心臓が跳ねる。
「知っているんですか?」
ヤンガルドアイは答えず、奥の席へ戻った。
そして、手で示す。
「座れ。話を聞こう。」
オルドアイがソータの隣で笑った。
「良かったな。母上が話を聞く気になった。」
「それはありがたいです。」
「ただし。」
「ただし?」
オルドアイはソータの耳元に顔を寄せるようにして囁いた。
「私はまだ、お前を諦めたわけではないぞ。」
ソータの背筋が跳ねた。
「距離が近いです。」
「わざとだ。」
「でしょうね。」
砦の女戦士たちがまた笑う。
ソータは心の中でミレイユへ謝った。
(ミレイユ。)
(俺は何もしていない。)
(でも、状況が勝手に悪くなっています。)
(帰ったら、最初に会いに行くから。)
(そして、全部正直に話すから。)
その時、胸の中でまたミレイユの声がした。
(私のことを少しでも忘れたら許さないわ。)
忘れるどころか。
今、世界で一番ミレイユのことを考えている気がした。
ソータは深く息を吐き、ヤンガルドアイの前に座った。
北の森の奥。
女戦士たちの砦。
その中心で、リーナの父に繋がるかもしれない話が、ようやく始まろうとしていた。




