第58話:霧の向こうで、姫は道を開いた
森の夜は、思ったより早く落ちた。
いや、本当に夜が早く来たのかは分からない。
空は枝葉と霧に隠れている。
太陽の位置も見えない。
ただ、霧の白さが少しずつ灰色へ変わり、木々の輪郭がさらに曖昧になっていく。
それだけで、森が夜へ沈んでいるのだと分かった。
ソータたちの野営地だけが、かろうじて人のいる場所として形を保っていた。
赤い布を結んだ木。
その周囲に張った鳴子の紐。
防水布の上に整えた寝床。 簡易テント。
携帯炉の小さな火。 温かいスープの匂い。
どれも、霧の中では頼りない。
それでも、あるのとないのとではまるで違った。
バルクは木製の椀を両手で持ち、満足そうに息を吐いた。
「うまい。」
「まだ一口目ですよ。」
ソータが言うと、バルクは真顔で頷いた。
「一口目で分かるうまさだ。」
「それはどうも。」
エルザがスープを口に運びながら、少しだけ表情を緩める。
「温かい食事があるだけで、だいぶ違うわね。」
「本当っす。」
レオンも椀を抱え込むようにして飲んでいた。
「霧で冷えてたんで、助かるっす。」
ガルドは無言でスープを飲んでいたが、椀を置いた後、短く言った。
「良い。」
「ありがとうございます。」
ソータは少し笑った。
ガルドの「良い」は、たぶんかなり高評価だ。 そう受け取ることにした。
(森の中で褒められるのが、戦いじゃなくてスープと寝床っていうのも俺らしいな。)
だが、嫌ではない。
むしろ、しっくりくる。
剣で敵を倒すより、仲間を温めて休ませる方が、自分の仕事としては合っている気がした。
ソータは自分の分のスープを飲みながら、周囲を見た。
霧は相変わらず濃い。
鳴子は鳴っていない。
魔物の気配もない。
けれど、さっき感じた視線のようなものは消えたわけではなかった。
(見られてる気がする。)
(でも、殺気はない。)
(なんだろうな。)
敵なら嫌だ。
魔物ならもっと嫌だ。
しかし、どうにもそれとは違う気がする。
評価されているような。
試されているような。
そんな、落ち着かない視線だった。
エルザが小声で言う。
「まだ気になる?」
「はい。」
「私も少し感じるわ。かなり薄いけれど。」
「どの辺ですか?」
「霧の奥。木の上か、少し高い場所かもしれない。」
レオンが椀を置いて眉を寄せる。
「俺、ほとんど分からないっす。」
「あなたが分からないなら、かなり上手く隠れているわね。」
エルザはそう言って、霧の奥へ視線を向けた。
ガルドも同じ方向を見る。
「敵意は?」
「薄い。少なくとも、今すぐ襲ってくる感じではないわ。」
バルクが盾の近くに腰を下ろした。
「なら、飯は食えるな。」
「基準がぶれないですね。」
ソータが言うと、バルクは笑った。
「食える時に食う。寝られる時に寝る。戦場じゃ大事だぞ。」
ガルドが頷く。
「正しい。」
「ガルドさんも認めた。」
「正しいものは正しい。」
ソータは思わず笑った。
この森は不気味だ。
道は狂う。
霧は濃い。
誰かに見られている。
それでも、こうして笑えるだけで少し救われる。
◇
食事の後、見張りの順番を決めた。
まずはレオンとエルザ。
次にバルク。
その後にガルド。
ソータは基本的には休むように言われたが、物資の確認と翌朝の準備があるため、最初の少しだけ起きていることになった。
ガルドは短く言った。
「寝られる時に寝ろ。」
「はい。」
「お前が倒れると、荷が使えん。」
「そこですか。」
「そこもだ。」
少し間を置いて、ガルドは続けた。
「お前自身も必要だ。」
ソータは返事に詰まった。
ガルドはもう視線を外していた。
だが、その言葉は短い分だけ胸に残る。
「……ありがとうございます。」
「礼はいらん。寝ろ。」
「はい。」
優しいのか厳しいのか分からない。
たぶん両方だ。
ソータは苦笑しながら、収納の中身を頭の中で確認した。
水の残量。
食料の量。
薬の場所。
リーナの薬包。
撤収時にすぐ出すもの。
翌朝、霧が晴れていなかった場合に使う目印布と縄。
怪我人が出た場合の担架。
全部ある。
問題ない。
(ミレイユの茶葉と菓子もある。)
(精神安定用。)
(主にミレイユの。)
思い出すと、少し笑ってしまう。
ミレイユは今頃、商会で仕事をしているのだろうか。
それとも、さすがに休んでいるだろうか。
いや、あの人は休んでいるように見えても頭の中で仕事をしていそうだ。
(忘れてないよ。)
ソータは霧の向こうを見ながら、心の中で呟いた。
(ちゃんと帰る。)
(帰って、最初にミレイユに会う。)
リーナへの約束もある。
村への報告もある。
北の森の手掛かりも探す。
でも、その全部の中にミレイユの言葉は残っている。
荷物の中に大事な品を入れるように。
胸の奥の取り出しやすい場所に。
「ソータさん。」
レオンの声がした。
「はい?」
「顔、ちょっとにやけてます。」
「え?」
「ミレイユ様のこと考えてたっすね。」
「なぜ分かる。」
「分かりやすいんで。」
エルザも霧を見たまま言う。
「森の中で恋人を思い出してにやけられるなら、まだ余裕はあるわね。」
「いや、にやけては……。」
「いたわ。」
「そうですか。」
ソータは諦めた。
隠し事に向いていない顔なのは、もうあちこちで確認済みだ。
◇
霧の奥で、オルドアイは枝の上に腰を下ろしていた。
姿勢は崩している。
だが、体の芯はまったく緩んでいない。
いつでも弓を引ける。
いつでも飛び降りられる。
いつでも霧の中へ消えられる。
それが、北の森の姫である彼女の在り方だった。
オルドアイは霧越しに、ソータたちの野営地を見ている。
普通なら、迷いの霧に捕まった者はもっと慌てる。
道を探そうと走る。
怒鳴る。
仲間を疑う。
魔物もいない森で、自分たちの足音に怯える。
やがて疲れ、焦り、霧に呑まれる。
しかし、あの男は違った。
止まった。
考えた。
基点を作った。
寝床を作った。
火を使い、食事を作り、仲間を休ませた。
そのどれもが、戦士としての強さとは違う。
だが、オルドアイには分かった。
あれは群れを生かす力だ。
(剣士ではない。)
(魔法使いでもない。)
(だが、あの男がいるだけで、群れが落ち着く。)
オルドアイは唇の端を上げる。
(面白い。)
先ほどから何度もそう思っている。
そして、そのたびに興味が強くなっていく。
特に、彼が荷を出す様子。
何も背負っていない。
大きな鞄もない。
魔法陣も見えない。
それなのに、物が出る。
食料。
布。
寝床。
道具。
まるで、森の中に小さな砦の一部を作ってしまうように。
(砦の女たちに見せれば騒ぐだろうな。)
オルドアイは小さく笑う。
砦の戦士たちは強い。
魔物を狩り、森を走り、弓と槍で外敵を退ける。
だが、物資の扱いは大雑把だ。
強い者が取ればいい。
必要なら狩ればいい。
足りなければ奪うか作る。
そういう考えが根にある。
そのせいで、倉庫はいつも混沌としている。
母であるヤンガルドアイはそれを「女戦士の勢い」と言って笑うが、冬前には毎年少し揉める。
(あの男に倉庫を見せたら、どんな顔をするか。)
オルドアイは想像して、さらに笑った。
そして、ソータをもう一度見る。
彼は今、仲間のために物資を確認していた。
自分だけ先に休むこともできるのに。
誰かに任せることもできるのに。
彼は自分の手で確認している。
(己のためではなく、仲間の明日を数える男か。)
オルドアイは枝から立ち上がった。
もう十分だ。
このまま一晩迷わせて、翌朝外へ戻してもいい。
普通ならそうする。
だが、今日は気が変わった。
オルドアイは霧へ指を伸ばす。
霧は、彼女の指先に従うようにわずかに揺れた。
(来させてみるか。)
(母上にも見せてやりたい。)
(そして、私ももう少し近くで見たい。)
その目が、獲物を見る目に近づく。
ただし、殺すためではない。
捕らえ、試し、楽しむための目だ。
(ソータ、と言ったか。)
(面白い男だ。)
霧が静かに流れを変えた。
◇
夜の前半は、大きな異変なく過ぎた。
鳴子は鳴らない。
魔物も来ない。
霧は濃いままだが、野営地の周囲だけは少し落ち着いているようにも見えた。
ソータは途中でガルドに半ば強制的に寝かされた。
「寝ろ。」
「でも。」
「寝ろ。」
「はい。」
逆らえなかった。
ガルドの短い命令は、妙に説得力がある。
ソータは簡易寝具に横になった。
森の中だというのに、思ったより寝心地は悪くない。
防水布のおかげで湿気は少ない。
毛布もある。
携帯炉の火は消してあるが、まだ少し温もりが残っている。
(こんな森の中で、ちゃんと寝床があるってすごいな。)
(いや、自分で出したんだけど。)
目を閉じる。
霧の匂い。
土の湿り気。
遠くの見張りの気配。
誰かに見られている感覚は、完全には消えない。
だが、すぐに襲われる感じはない。
ソータは眠りに落ちる直前、またミレイユの声を思い出した。
(私のことを少しでも忘れたら許さないわ。)
(忘れない。)
(ちゃんと、帰る。)
そう思いながら、意識が沈んでいった。
◇
目を覚ました時、森は少し明るくなっていた。
朝だ。
たぶん。
霧はまだある。
だが、昨日とは違っていた。
ソータは体を起こし、目を瞬かせる。
「……薄い?」
昨日の夜、あれほど濃かった霧が、少しだけ晴れている。
完全に消えたわけではない。
だが、前方に道のようなものが見えた。
白い霧が左右へ分かれ、木々の間に細い通路を作っている。
レオンがすでに起きていて、その道を見つめていた。
「ソータさん。」
「おはよう。あれ、見えてる?」
「はい。」
レオンの声は硬かった。
「昨日はなかったっす。」
エルザも弓を持ったまま近づいてくる。
「霧が、前だけ開いているわ。」
ガルドとバルクも起きていた。
全員が同じ方向を見る。
確かに、前方だけが開いている。
まるで、こちらへ進めと言わんばかりに。
ソータはすぐに後ろを振り返った。
村へ戻る方向。
昨日、自分たちが来たはずの方向。
そこは濃い霧に閉ざされていた。
白い壁のように、道を隠している。
「後ろは見えない。」
ソータが呟く。
バルクが低く言う。
「完全に誘導されてるな。」
エルザも頷く。
「偶然ではないわ。」
レオンは霧の切れ目を見ながら言った。
「昨日、同じ場所へ戻されたのに、今日は前だけ道が見える。誰かが通しているっす。」
ガルドが剣に手を置く。
「罠の可能性。」
「ありますね。」
ソータは頷いた。
前だけ開いている。
後ろは閉じている。
これは、進めということだ。
だが、だからといって何も考えず進むわけにはいかない。
(誘導されてる。)
(でも、誰に?)
(魔物?)
(森?)
(それとも、昨日感じた視線の主?)
ソータは深く息を吸った。
「まず、荷物を撤収しましょう。」
全員が少し意外そうに見る。
ソータは続けた。
「進むにしても、戻るにしても、ここを散らかしたままは駄目だ。すぐ動ける状態にする。あと、昨日の基点は記録しておきます。」
ガルドが頷く。
「正しい。」
レオンが少し笑った。
「誘導されてるのに、まず片づけっすか。」
「大事だろ。」
「大事っすけど。」
エルザが言う。
「でも、そこがソータらしいわ。罠かもしれない道の前で、まず撤収順を考える。」
「撤収できないと帰れないからな。」
「本当に運送屋ね。」
「たぶん褒め言葉として受け取ります。」
バルクが笑う。
「じゃあ片づけるか。飯は?」
「軽く食べてからです。」
「よし。」
「そこは譲らないんですね。」
「腹が減った状態で罠に入るのはよくない。」
ガルドが真顔で頷いた。
「正しい。」
「また認められた。」
◇
朝食は簡単に済ませた。
温かいものを少し。
水。
携帯食。
それだけでも、体が動きやすくなる。
撤収は早かった。
寝具をまとめる。
防水布を畳む。
鳴子の紐を外す。
目印の一部は残し、一部は回収する。
火の跡を処理する。
普通なら時間がかかる作業だが、ソータが収納できるため、驚くほど早い。
レオンが感心したように言った。
「やっぱり撤収が早いっす。」
「入れる場所を決めてるからな。」
「宿場を畳んでるみたいっすね。」
「宿場じゃないって。」
エルザが微笑む。
「昨日より、宿場感は増していたわよ。」
「エルザさんまで。」
バルクが大きく頷く。
「ソータ宿場、また使いたいな。」
「名前が定着しそうで嫌だ。」
ガルドは周囲を見ながら言った。
「移動する。」
その一言で、全員の空気が切り替わる。
撤収完了。
食事も済ませた。
水も補給済み。
装備確認済み。
ソータは収納の中で、リーナの薬包と救助道具の位置を再確認した。
すぐ出せる。
問題ない。
そして、ミレイユの茶葉と菓子もある。
(帰ったら渡す。)
(いや、渡すというか、一緒に飲むのか。)
(精神安定用だしな。)
ほんの少しだけ笑ってしまう。
エルザが見る。
「またミレイユ様?」
「何も言ってないです。」
「顔。」
「はい。」
もう諦めるしかなかった。
◇
霧の開いた道へ入る前、ガルドが全員を止めた。
「確認する。」
短い言葉。
全員が頷く。
レオンが前方の足元を見る。
「足跡は……ないっす。少なくとも、普通の魔物や人が通った跡じゃない。」
「道としては?」
「できたばかりみたいっす。昨日まで霧で見えなかっただけかもしれないですけど。」
エルザが木の上を見る。
「視線はあるわ。」
ソータの背筋が少し冷えた。
「昨日の?」
「たぶん。殺気は薄い。でも、見られている。」
バルクが盾を構える。
「歓迎されてるわけじゃなさそうだな。」
「歓迎かどうかは分からないわ。でも、招かれてはいる。」
エルザの言葉に、ソータは霧の道を見た。
招かれている。
たしかに、その表現が一番近い。
ガルドがソータを見る。
「進むか。」
また聞かれた。
ソータは少しだけ考える。
危険だ。
明らかに誘導されている。
だが、戻る道は霧で閉じている。
無理に戻ろうとしても、昨日のように同じ場所へ戻される可能性が高い。
前方には、何かがある。
少なくとも、この森の秘密に近づいている。
リーナの父の手掛かりも、その先にあるかもしれない。
「進むしかないと思います。」
ソータは言った。
「でも、突っ込むんじゃなくて、いつでも止まれるように。目印を残しながら。もし霧が変わったらすぐ止まる。」
ガルドは頷いた。
「同意だ。」
レオンが先頭へ出る。
「じゃあ、慎重に行くっす。」
エルザが弓を構えやすい位置に立つ。
バルクが後方を見る。
ソータは中央で、必要なものをすぐ出せるよう意識する。
そして、一行は霧の道へ足を踏み入れた。
◇
道は、不自然なほど歩きやすかった。
昨日まで木の根に足を取られ、湿った土に靴を沈めていたのが嘘のようだった。
霧は左右に残っている。
だが、前方だけは薄く開いている。
細い道。
それはまっすぐではない。
木々の間を縫うように曲がっている。
しかし、迷わせるような分岐はない。
進めばいい。
そう言われているような道だった。
「気持ち悪いっすね。」
レオンが小声で言う。
「歩きやすすぎる。」
エルザも頷く。
「完全に通されているわ。」
バルクが盾を持ち直す。
「通された先で歓迎されるといいんだがな。」
「どうでしょうね。」
ソータは周囲を見た。
魔物はいない。
気配もない。
それどころか、鳥も獣もいない。
ただ、視線だけがある。
霧の向こう。
木の上。
岩陰。
見えない場所から、複数の目がこちらを見ているような感覚。
エルザが低く言う。
「増えたわね。」
「視線ですか?」
「ええ。一つじゃない。」
レオンも頷く。
「俺も分かるっす。囲まれてる……までは言わないけど、見張られてる感じ。」
ガルドが短く言う。
「敵ならすでに撃てる位置だ。」
「撃ってこないなら、まだ様子見っすね。」
バルクが言う。
「試されてるのか。」
ソータは喉を鳴らした。
(試されてる。)
(誰に?)
(何のために?)
ソータは、ふと昨日の視線を思い出した。
敵意ではなく、観察。
面白がるような視線。
それが今もどこかから向けられている。
進むほど、森の空気が変わっていった。
湿った匂いが薄れ、代わりに木を削ったような匂いが混じる。
遠くで、かすかに何かの音がした。
木を叩く音。
金属が触れる音。
人の気配。
ソータは足を止めた。
「今、何か聞こえました?」
レオンが頷く。
「聞こえたっす。」
エルザが弓を構えた。
「人の作った音ね。」
ガルドの目が鋭くなる。
「近い。」
霧の道が、ゆっくりと開けていく。
白い壁が左右へ流れ、前方の視界が広がる。
そして。 森が途切れた。
◇
ソータたちは、思わず足を止めた。
目の前にあったのは、巨大な砦だった。
木と石で組み上げられた高い防壁。
丸太を何重にも組んだ門。
鋭く尖らせた杭。
見張り台。
壁に埋め込まれた青い石。
森の中に、突然、人の手で作られた堅牢な拠点が現れたのだ。
しかも、ただの砦ではない。
防壁の上には、武装した女たちが並んでいた。
弓を持つ者。
槍を持つ者。
斧を肩に担ぐ者。
革鎧に身を包み、鍛えられた体を隠そうともしない戦士たち。
全員が女だった。
そして全員が、強そうだった。
レオンが小声で言った。
「……ゴブリンどころじゃないっすね。」
バルクも真顔で頷く。
「強い女だらけだな。」
エルザが半目で見る。
「あなた、少し嬉しそうね。」
「戦士としての評価だ。」
「本当に?」
「本当だ。」
ガルドは無言で砦を見ていた。
警戒を解いていない。
当然だ。
こちらは完全に見られている。
弓の射程内。
門の前。
逃げ場は霧で閉じられている。
ソータは喉を鳴らした。
(北の森の最深部に、砦?)
(しかも女戦士だらけ?)
(何これ。)
(トムさん、こんな話してなかったよな?)
その時、砦の門の上から声がした。
「お前が、森に宿を作った男か。」
低く、よく通る女の声だった。
ソータは顔を上げる。
門の上に、一人の女が立っていた。
褐色の肌。
しなやかで鍛えられた体。
長い髪には、獣の牙と金属飾り。
野性味のある美しい顔。
鋭い目。
弓を背負い、腰には短い刃。
立っているだけで、周囲の女戦士たちとは違う存在感があった。
昨夜、霧の奥でこちらを見ていた女。
もちろんソータは、その時の姿を見ていない。
だが、直感で分かった。
あの視線の主だ。
女は、ソータをまっすぐ見ていた。
「えっと……宿というか、テントです。」
ソータは思わずそう答えた。
場違いな返事だったかもしれない。
だが、そこは訂正しておきたかった。
門の上の女は、一瞬きょとんとした。
それから、笑った。
「同じだ。」
「いや、だいぶ違うと思います。」
「面白い男だ。」
女は門の上から軽やかに飛び降りた。
かなりの高さがある。
だが、彼女は地面へ音もなく着地した。
ガルドがわずかに剣へ手を寄せる。
エルザも弓に指をかけた。
しかし女は、敵意を見せなかった。
ただ、ソータへ近づいてくる。
距離が近い。
普通の会話より、かなり近い。
ソータは思わず一歩下がりかけた。
女はそれを見て、また笑う。
「逃げるな。まだ取って食いはしない。」
「まだ?」
「言葉の綾だ。」
「その綾、怖いです。」
女は楽しそうだった。
そして、自分の胸に手を当てて名乗った。
「私はオルドアイ。この北の森の奥、女たちの砦を守る姫だ。」
ソータたちは息を呑んだ。
北の森。
迷いの霧。
魔物のいない道。
その奥にあったのは、魔物の巣ではなく、女戦士たちの砦だった。
オルドアイは、まっすぐソータを見ている。
獲物を見るように。
面白いものを見つけた子どものように。
そして、少しだけ女の熱を含んだ目で。
「ソータ、と言ったな。」
「はい。」
「お前を、我が母に見せたい。」
「お母さん?」
「ああ。この砦の長、ヤンガルドアイだ。」
ソータは嫌な予感がした。
こういう時の予感は、だいたい当たる。
オルドアイはにやりと笑った。
「喜ぶぞ。森の中に宿を生やす男など、そうそういないからな。」
「だから宿ではなくてテントです。」
「同じだ。」
「違います。」
砦の上で、女戦士たちが小さく笑った。
ソータは頭を抱えたくなった。
(ミレイユ。)
(俺、いきなり知らない女戦士の砦に連れていかれそうです。)
(しかも姫が距離近いです。)
(これは、説明が難しいやつです。)
ソータの胸の中で、ミレイユの声が響いた。
(私のことを少しでも忘れたら許さないわ。)
忘れていない。
むしろ、今ものすごく思い出している。
ソータは心の中でそう答えながら、目の前のオルドアイを見た。
北の森の本当の入口は、どうやらここからだった。




