第5話:雑すぎる仕様の転移者と、魔猪退治の朝
翌朝。
田島壮太は、村の外れの畑で一人、腕を組んでいた。
昨日のうちに作っておいた杭。
縄。
簡易の槍。
足止め用の板。
石を詰めた袋。
それらは全部《神速積載庫》へ収納済みだ。
ついでに朝一番で、村の水桶や薪運びも手伝ってみた。
村人の荷物も何度か運んでみた。
薬草籠の出し入れも試した。
だが。
「……上がらないな。」
ステータスを開いてみても、《神速積載庫》Lv1のままだった。
「運ぶのが本業っぽいのに、運んでもレベルが上がらないのか。」
(いやまあ、そこまで都合よくないか)
(でも、それなら何で上がるんだ)
(経験値とか、熟練度とか、そういうやつか?)
壮太はふと、青白いステータス画面の一番上を見た。
名前:ソータ・タジマ。
「……名前、押せるのか?」
何となく触れてみる。
すると、ぱっと別の小窓が開いた。
「おお。」
そこには、びっくりするくらいあっさりした説明文が並んでいた。
転移者情報。
転移者は寿命が来なければHPは0にならない。
魔力はないがスキル使用は無制限。
細かい経験値はなく、どんな敵でも倒した数でレベルは1段階上がる。
「ぶっ。」
壮太は思わず吹き出した。
「雑っ。」
(何だこれ)
(説明がゲームのヘルプっていうより、神様のメモ書きみたいだな)
(HPは0にならないって、そんなことある?)
(寿命が来なければ死なないって、それもうかなりのチートでは?)
(しかも魔力なしで無制限?)
(いや、ありがたいけど雑!
とにかく雑!)
しばらく一人で肩を震わせたあと、壮太はもう一度表示を見直した。
「つまり、細かいことは考えなくていいってことか。」
どんな敵でも倒した数で一段階上がる。
なら、今やるべきことは明快だ。
「魔猪を一匹倒せば、レベル2。」
(角牙兎でもいいんだろうけど、どうせやるなら村の困りごとを片づけた方が早い)
(それに、こいつを放っておいたら畑がやられる)
(リーナさんたちも困る)
壮太はステータスを閉じ、ぐっと背筋を伸ばした。
「よし。」
いよいよ、魔猪退治だ。
家へ戻ると、マルタが腰に手を当てて待っていた。
「準備はできたのかい?」
「はい。
武器も罠も、ある程度は。」
「無茶だけはするんじゃないよ。」
「はい。」
短く答えると、マルタはじっと壮太の顔を見た。
それから、ふっと笑う。
「まあ、あんたは無茶しそうでいて、変なところで慎重そうだ。
そこは少し安心してるよ。」
(見抜かれてるなあ)
居間の奥では、リーナが落ち着かない様子で行ったり来たりしていた。
薬草籠を持つでもなく、布をたたむでもなく、ただそわそわしている。
「リーナさん。」
声をかけると、びくっと肩が跳ねた。
「は、はい!」
「そんなに緊張しなくても。」
「しますよ!」
即答だった。
「だって魔猪ですよ!?
お父さんたちが帰ってこなかった相手なんですよ!?」
その言葉に、壮太は少しだけ表情を引き締めた。
昨日の食卓で聞いた話。
魔物退治へ出たまま帰ってこなかった父親たち。
あの時のマルタの落ち着いた声と、リーナの一瞬伏せた目を思い出す。
「……だからこそ、ちゃんと準備して行きます。」
「でも。」
「危ないと思ったら逃げます。」
「本当に?」
「本当に。」
壮太がそう言うと、リーナは少しだけ黙った。
それでも不安そうなのは消えない。
やがて、壮太が玄関へ向かうと、リーナも慌ててついてきた。
外はもう朝の光に満ちていて、村の空気はひんやりしている。
壮太が一歩踏み出そうとした、その瞬間だった。
「ソータさん。」
呼び止められて振り向く。
次の瞬間、リーナがぎゅっと壮太の腕にしがみついた。
「……!」
やわらかい。
とてつもなく、やわらかい。
腕に当たる感触が、朝の冷たい空気とはまるで別の熱を持っていた。
壮太の思考が、一瞬まっ白になる。
(近い近い近い近い!)
(何だこれ。
何だこの距離。
朝から心臓に悪い!)
(腕に!
腕にすごい感触が!)
(落ち着け!
今は魔猪退治前だぞ!
集中しろ!)
だが、リーナはそんな壮太の内心など知るはずもなく、必死な顔で見上げてきた。
「絶対に危ないと思ったら逃げてくださいね?」
「は、はい。」
「そして、絶対に帰ってきて!」
その言葉は震えていた。
冗談でも、軽口でもない。
本気で心配しているのが、まっすぐ伝わってくる。
壮太の中で、妙な浮つきがすっと静まった。
(ああ、そうか)
(この子は、本当に怖いんだ)
(父親をなくしたかもしれない相手に、また誰かが向かうんだからな)
壮太は空いている方の手で、そっとリーナの手に触れた。
「約束します。」
なるべく穏やかに、はっきりと言う。
「危ないと思ったら逃げます。
そして、ちゃんと帰ってきます。」
リーナの目が少しだけ潤んだ。
けれど、こくりとうなずく。
「……はい。」
そのまま離れるかと思ったが、彼女はまだ少しだけ腕にくっついていた。
(いや、ありがたいけど)
(ありがたいけど、やっぱりやわらかい!)
(しかもいい匂いするな!?
朝の薬草っぽい、やさしい匂い!)
(駄目だ。
意識するな俺。
このままだと魔猪より先に俺の理性が倒される)
ようやくリーナがぱっと手を離し、顔を赤くした。
「す、すみません!」
「いえ!」
壮太も変に大きな声になった。
「大丈夫です!」
(全然大丈夫じゃないけどな!
腕の感覚がまだ残ってる!)
後ろで見ていたマルタが、にやりとした。
「若いねえ。」
「茶化さないでください!」
リーナが真っ赤な顔で抗議する。
「茶化してないさ。」
マルタは壮太に向き直り、顎をしゃくった。
「行っといで。
帰ってきたら、腹いっぱい食わせてやるよ。」
「はい。」
「もちろん、無事に帰ってきたら、だけどね。」
「……はい。」
その言葉は、重いようでいて、どこか温かかった。
壮太は一つうなずき、村の外へ向かって歩き出した。
背中には視線を感じる。
たぶん、リーナはまだ見ている。
マルタも腕を組んで見送っているのだろう。
だからこそ、変な格好は見せられない。
(さて。)
(HPは0にならない。
スキルは無制限。
レベルは倒した数で上がる。)
(雑だけど、わかりやすい。)
(だったら、やることは一つだ。)
森へ向かう道を進みながら、壮太はそっと手を握り込んだ。
収納した杭の位置。
縄の数。
槍の長さ。
罠を張れそうな場所。
頭の中で全部を再確認する。
(正面からぶつかるな。)
(足を止めろ。)
(仕留めるのは、その後だ。)
(運送だって現場仕事だ。
段取り八分、力仕事は二分でいい。)
そんなふうに、自分へ言い聞かせる。
だが、その合間にもさっきの腕の感触がふっとよみがえる。
(……やわらかかったな。)
(いや何考えてるんだ!)
(今は魔猪だろ!
集中しろ!)
思わず自分の頬をぺちんと叩いてから、壮太は森の入り口で足を止めた。
空気が変わる。
村の穏やかな匂いではない。
湿った土と草と、獣の気配が混じる森の匂いだ。
ここから先は、本番だった。
「よし。」
誰に聞かせるでもなく呟く。
「レベル上げ、開始だ。」
元配送ドライバーにして、若返った異世界転移者。
田島壮太は、今日初めて、自分から獲物を狩りに行く。
それがこの先、自分の運ぶ力をどこまで育てる一歩になるのかは、まだわからない。
ただ一つ確かなのは。
帰る場所が、もうできているということだった。




