第39話:森の中では、段取りができる男がいちばん厄介だった
森へ入った途端、空気が変わった。
村の畑の匂いも、人の暮らしの音も、すぐに背中の向こうへ遠ざかっていく。
残るのは、湿った土の匂い。
葉の擦れる音。
鳥の鳴き声。
そして、ときどき混じる獣臭さ。
ソータは先頭ではなく、少しだけ前寄りの位置を歩いていた。
斥候役の青年がさらに前。
弓使いの女はその少し後ろ。
盾役と大剣使いが左右を見る。
隊列としては悪くない。
むしろかなりいい。
(さすがに慣れてるな。)
(村の人たちと行くのとは、やっぱり全然違う。)
(……でも、森の中で見る場所はこっちの方が向いてる気がする。)
ソータは時々しゃがみ込み、地面や木の根元を見た。
折れた枝。
踏まれた草。
少しだけ柔らかく沈んだ土。
そういうものが、案外よく喋る。
「何かわかったか?」
盾役の男が小声で聞く。
「こっちは最近通ってますね。」
ソータが地面を指す。
「一人じゃない。
三、四体はいる。」
「足跡でわかるのか。」
斥候役の青年が後ろから戻ってきて目を丸くした。
「完全にはわからないけど。」
「いや、十分すごいだろ。」
弓使いの女が木にもたれながら笑う。
「最初は収納が化け物じみてる人だと思ってたけど。」
「違うんですか。」
ソータが聞く。
「今はそれに加えて、現場がやたらうまい人って認識になってる。」
「褒めてる?」
「かなり。」
ソータは少しだけ照れくさくなって頭をかいた。
だが、そこへ大剣使いの男が短く言う。
「前。」
全員の空気が一瞬で変わる。
斥候役の青年がすぐ木陰へ身を滑らせ、先を窺う。
戻ってきた声は低かった。
「巡回だ。
ゴブリン二。
こっちへは来ない。」
ソータは近くの木の陰へ身を寄せた。
視界の先、少し開けた場所を、粗末な槍を持ったゴブリンが二体歩いていく。
前に見た時と同じ。
だが今日は、もっと落ち着いて見える。
歩く速さ。
間隔。
見回す癖。
どこまでを見張り範囲にしているか。
(なるほど。)
(こいつら、ただうろついてるわけじゃないな。)
(ちゃんと巡回路がある。)
ゴブリンたちが去るのを待ってから、ソータは小さく手招きした。
「ちょっとこっち。」
全員が集まる。
「今の道、あとで使える。」
「使える?」
弓使いの女が眉を上げる。
「巡回の間隔が読めれば、その隙間で入れる。」
大剣使いの男が頷いた。
「なるほど。」
「ただ、その前にもう少し外周を見たい。」
「正面から行かないのか?」
盾役の男が聞く。
「正面はたぶん一番見張りが多い。」
「それも勘か?」
「半分勘で、半分は生活の作り。」
四人が少しだけ不思議そうな顔をしたので、ソータは小声で続けた。
「集落って、だいたい“来てほしくない方”を一番固めるでしょ。」
「……。」
「人間の村でも、納屋の裏とか、見せたくない場所って自然と物を置いたり、柵を増やしたりするし。」
「そういう見方をするのか。」
斥候役の青年が感心したように言った。
「まあ、荷物運びしてると、家とか店とか、けっこう見るから。」
弓使いの女がくすっと笑った。
「勇者じゃなくて運送屋らしい見方ね。」
「そっちの方が性に合ってるんですよ。」
それはたぶん、本当にそうだった。
剣一本で全部を解決するタイプではない。
目立つ必殺技で前へ出るタイプでもない。
でも、どこに何を置けば通りやすいか。
どう運べば無駄がないか。
何を先に片づければ後が楽か。
そういうことなら、たぶん誰よりも考えられる。
森の中をさらに回る。
小さな沢を越え。
岩場を避け。
獣道を辿る。
その途中でソータは、何ヶ所かへ小さな目印を残した。
細く裂いた布。
地面へ浅く刺した木杭。
目立たない位置に置いた石。
「それ、何の印?」
斥候役の青年が聞く。
「帰る時のため。」
「帰る時。」
「暗くなったら、同じ景色に見えるから。」
「……。」
青年が少し黙る。
それから素直に言った。
「俺、そういうのやってなかった。」
「じゃあ今から覚えればいい。」
「簡単に言うなあ。」
「簡単じゃないよ。」
ソータは少し笑う。
「でも、やっとくとあとで楽。」
その“あとで楽”が、いかにもソータらしかった。
昼を少し過ぎた頃。
ようやく高台のような場所へ出た。
木々の隙間から、ゴブリン集落の全体が少し見える。
「……見えた。」
弓使いの女が低く言う。
前にソータが見た時より、ずっと広く見えた。
枝と泥で作られた小屋。
簡単な柵。
見張り台代わりの高い足場。
焚き火の跡。
粗末な畑。
そして、歩き回るゴブリンたち。
「数、思ったより多いな。」
盾役の男が低く呟いた。
「三十は超えるか。」
大剣使いの男が言う。
「もっといるかも。」
ソータは目を細めた。
「小屋の中にまだいる。」
しかも、小型個体がいる。
女らしい体つきの個体もいる。
村だ。
やはり完全に、村。
だが。
「……あれ見て。」
ソータが指した。
集落の端に、木を組んだ囲いのようなものがある。
柵というには狭い。
獣小屋にしては形が妙だ。
弓使いの女が目を細める。
「檻?」
「っぽい。」
その横には、人間のものらしい布切れも見えた。
しかも一つや二つではない。
斥候役の青年が唇を引き結ぶ。
「やっぱり、人間を入れてたのか。」
「可能性は高い。」
ソータが答える。
さらに目を凝らす。
見張りの個体の腰に、見覚えのあるものが見えた。
「短剣。」
「何だ?」
盾役の男が聞く。
「村の男物っぽい。」
よく見ると、別のゴブリンは革ベルトを巻いている。
さらに奥には、人間サイズの古い靴も転がっていた。
生存者がいるのか。
もういないのか。
ここだけではまだ断定できない。
だが、二年前の失踪と何かしら繋がっているのはほぼ間違いなさそうだった。
(やっぱり、ここだ。)
(ここをちゃんと見ないと駄目だ。)
そこで大剣使いの男が低く言う。
「どうする。」
「もう少しだけ外周を見たい。」
ソータが答える。
「突っ込まないのか?」
盾役の男が聞く。
「今ここでやると、数が読めてないまま戦うことになる。」
「……。」
「見張りの交代、裏手の道、逃げ道、集落の奥。
そこまで見てからじゃないと、助けるにしても倒すにしても雑になる。」
その言い方に、弓使いの女が少しだけ笑った。
「雑になる、ね。」
「雑は嫌いなんで。」
「運送屋らしいわ。」
その一言に、護衛たちの空気が少しやわらいだ。
だが同時に、皆わかってもいた。
この男は、本当に現場の組み立てがうまい。
正面突破より、段取りで勝つことに慣れている。
そして今の状況では、それが何より強い。
外周をさらに回る。
裏手の斜面。
沢へ抜ける細い道。
捨て場らしき場所。
見張りが薄くなる時間帯。
ソータは見たものを頭の中で繋いでいった。
(正面はだめ。)
(裏手なら入れる。)
(ただし二人組の巡回が一つ。)
(檻の近くには大きい個体がいるな。)
(奥の小屋が怪しい。)
(退路は沢沿い。
でもそこで追いつかれたら狭い。)
(なら途中に足止め用の罠が要る。)
考えているうちに、少しずつ形が見えてくる。
その時だった。
斥候役の青年が、急に地面へ伏せた。
「静かに。」
全員が止まる。
風の音。
葉の音。
それから、遠くで誰かの呻くような声。
「今の……。」
弓使いの女が眉を寄せる。
ソータも耳を澄ませた。
もう一度。
小さいが、たしかに聞こえた。
人間の声だ。
「……生きてる人がいる。」
ソータが低く言う。
場の空気が一気に引き締まる。
大剣使いの男が、初めて少しだけ強くソータを見た。
「今、行くか。」
ソータは呼吸を整えた。
行きたい。
今すぐ行きたい。
助けられるなら助けたい。
でも。
ぐっとこらえる。
「……まだだ。」
「理由は。」
盾役の男が短く聞く。
「助けるなら、連れて帰る道まで作ってから。」
その答えに、四人とも何も言わなかった。
そして次の瞬間には、もう全員が同じ顔をしていた。
この男の言う通りだ。
焦れば終わる。
今は見る。
全部見て、確実に戻る。
ソータは小さく息を吐いた。
「今日は戻る。」
「了解。」
「戻って、夜襲の段取りを組もう。」
森の中で、その言葉は静かに落ちた。
いよいよ、本番が見えてきた。
ソータは最後にもう一度だけ、木々の隙間からゴブリン集落を見た。
檻。
見張り。
巡回。
人間の声。
(待ってろ。)
(今すぐじゃない。
でも、次は行く。)
そう心の中で呟いてから、ソータは護衛たちへ手で合図した。
村へ戻る。
戻って、仕留める準備をする。
運ぶ男は、ここでもやることを変えない。
必要なものを、必要な場所へ、必要な順番で揃えるだけだ。
ただ今回は、それが人の命に直結しているというだけだった。




