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勇者じゃなくて運送屋ですが、王国の命綱です  作者: naomikoryo


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第38話:たとえ相手がゴブリンでも浮気は浮気らしい

 翌朝。


 村の空気は、昨日の歓迎の賑やかさとはまた違う緊張を帯びていた。


 今日は、いよいよゴブリン集落の調査に出る日だ。


 ソータは空き家の前で、装備を一つずつ確かめていた。


 短槍。

 剣。

 短剣。

 革鎧。

 縄。

 杭。

 布。

 水。


 必要なものは《神速積載庫》へ。

 手元に置くべきものだけを残す。


(よし。)


(今回は討伐じゃない。)


(まずは見る。

 見張りの位置、巡回、退路、捕虜の有無。)


(焦るな。)


(見つけても、すぐ飛び込むな。)


 そこへ、護衛たちも集まってきた。


 大剣使いの男は相変わらず寡黙。

 弓使いの女は弦を張り直している。

 斥候役の青年は少しそわそわしていた。

 盾役の大男は肩を回しながら気合十分だ。


「今日はいきなり叩くんじゃなく、調査中心でいいんだよな?」

 盾役の男が聞く。


「うん。」

 ソータが頷く。

 「集落の形と、見張りの数。

 あとは人間の痕跡。」


「了解。」


「見つけても、こっちから大騒ぎはしない。」

 弓使いの女が念を押す。


「そのつもり。」


「ほんとに?」

 斥候役の青年が聞く。


「ほんとに。」


 そう答えながらも、ソータの胸の奥にはリーナの父のことがある。

 生きている可能性がある。

 だからこそ、余計に慎重でいなければならない。


 その時。


「待ちなさい。」


 背後から、よく通る女の声がした。


 振り向くと、ミレイユが立っていた。


 きっちりした服。

 きっちりした髪。

 でも目だけは、朝から少しだけ不機嫌そうだ。


「……やっぱり来るよね。」

 ソータが言う。


「当然でしょう。」

 ミレイユは腕を組んだ。

 「どうして私だけ村に残る話で進んでいるのかしら。」


「危ないから。」


「護衛がいるわ。」


「いる。

 でも、だからって森の中へ全員で入る必要はない。」


「必要はあるかもしれないでしょう。」


「いや、今回はない。」


 ソータはわりとはっきり言った。

 ここで曖昧にすると、たぶん押し切られる。


 ミレイユは少し目を細める。


「理由は。」


「後ろでやってほしいことがある。」


「……後ろで?」


 その時、ちょうどマルタとリーナもやってきた。

 村長も一緒だ。


 ソータはその三人を見て、すぐに言った。


「ミレイユには、リーナさんとマルタさんから、お父さんの特徴を詳しく聞いてほしい。」


 リーナが少し目を見開く。

 マルタも腕を組んだまま頷いた。


「特徴。」

 ミレイユが聞き返す。


「うん。」

 ソータが頷く。

 「顔つき、背丈、癖、よく持ってた道具、服装、怪我の跡、口癖でも何でも。」


「なるほど。」


「もし捕虜がいたとしても、俺たちは顔を知らない。

 でも、先に詳しく聞いておけば、向こうで手掛かりが拾えるかもしれない。」


 これは完全に正論だった。

 森へついていくより、今この村でしか集められない情報がある。


 さらにソータは続けた。


「それに、村の特産物も見てほしい。」


「特産物。」


「薬草、蜂蜜、燻製、野菜。

 今後の契約の話もあるだろうし。」


 村長が大きく頷く。


「その通りですな。」


「ええ。」

 マルタもすぐに続く。

 「うちの村がどれだけやれるか、ちゃんと見とくれ。」


 リーナも小さく頭を下げた。


「私からもお願いします。」


 ミレイユはしばらく黙っていた。


 理屈としてはわかる。

 かなりわかる。

 しかもこれは、自分にしかできない役目でもある。


 だが、気持ちは別だった。


(行きたい。)


(かなり行きたい。)


(でも、今必要なのは森じゃなくて村か……。)


(しかもリーナさんのお父さんの情報整理は、たしかに大事。)


(うう……。)


 そこでミレイユは、別方向の理屈で自分を納得させにかかった。


(まあ。)


(行き先はゴブリン集落。)


(ゴブリン相手なら、浮気の心配は少ないでしょう。)


 その妙な結論が、そのまま口に出た。


「……まあ、ゴブリン集落へ行くのなら、浮気の心配は少ないでしょうけど。」


 場が、一瞬だけ静かになった。


「そこ心配する必要ある?」

 ソータが真顔で聞く。


「あるわ。」

 ミレイユも真顔で返す。


「相手ゴブリンだよ?」


「たとえ相手がゴブリンでも浮気は浮気だからね!」


 護衛たちが耐えきれず吹き出した。


 斥候役の青年は肩を震わせ、弓使いの女は露骨に顔を背けて笑っている。

 盾役の男は朝から腹を抱えていた。


「お嬢様、それはさすがに!」


「笑い事ではありません!」

 ミレイユがぴしゃりと言う。

 「ソータは妙なところで素直すぎるのだから。」


「妙なところでって。」

 ソータが額を押さえる。

 「俺、そんなに信用ないかな。」


「そういう問題ではないの。」


 マルタが腕を組んだまま豪快に笑った。


「ははっ!

 あんた、ほんとに本気なんだねえ!」


「本気です。」

 ミレイユはきっぱり言った。


 そこは一切ぶれない。

 それがまた少し可笑しくて、村長まで咳払いの陰で笑っていた。


 リーナはそのやり取りを見て、少しだけ目を伏せた。

 でも、そこで逃げなかった。


(この人、本当にソータさんのこと好きなんだな……。)


(ちょっと悔しいけど。)


(でも、今はそれよりお父さんだ。)


 そう思い直して、リーナは一歩前へ出た。


「ミレイユさん。」


「何かしら。」


「お父さんのこと、お願いします。」


 ミレイユは少しだけ目を見開いたあと、静かに頷いた。


「ええ。」


「話せることは全部話します。」


「それが一番助かるわ。」


 短いやり取りだった。

 だがそこには、ちゃんと重みがあった。


 ソータはその様子を見て、少しだけ胸の奥が落ち着いた。


(ありがたいな。)


(ほんとに。)


(村のことも、リーナさんの父親のことも、ここまでちゃんと考えてくれるなんて。)


 そこで大剣使いの男が短く言った。


「時間だ。」


 空気が変わる。

 笑いが引き、出発前の緊張が戻る。


 ソータは全員を見回した。


「今日はあくまで調査。」


「了解。」

 護衛たちが頷く。


「見て、戻って、段取りを組む。」


「そうして。」

 ミレイユが言う。

 「勝手に一人で全部背負おうとしないこと。」


「うん。」


「それと。」


「まだあるの?」


「あるわ。」

 ミレイユはすっと近づいた。

 「変なことはしない。」


「しない。」


「本当に?」


「本当に。」


「ゴブリン相手でも?」


「しないってば!」


 また少し笑いが起きる。

 張り詰めすぎていた空気が、ほんの少しやわらかくなった。


 ソータは最後に、ミレイユを見た。


「じゃあ、任せる。」


「ええ。」


「村も。」


「ええ。」


「俺が戻るまで。」


「……ちゃんと戻ってきなさい。」


「戻るよ。」


 それだけで十分だった。


 ソータは護衛たちとともに、村の外れから森へ続く道へ歩き出した。


 向かう先は、ゴブリン集落。


 背中にいくつもの視線を感じる。

 村人たちの期待。

 リーナの祈るようなまなざし。

 そして、ミレイユの強くてまっすぐな視線。


(さて。)


(いよいよだな。)


(ゴブリン集落。)


(まずは見る。

 見て、戻って、ちゃんと仕留める段取りを組む。)


 そう思いながら、ソータは森の中へ足を踏み入れた。


 そして村の中央では。

 ミレイユがもう、リーナとマルタを前にして、父親の特徴から畑の収穫量まで全部聞き出してやる、という顔で村長へ向き直っていた。


 恋も。

 商売も。

 討伐も。


 どれ一つ、もう中途半端では終わらない。


 そんな気配が、村の朝の空気へ静かに満ち始めていた。

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