第37話:村へ戻ったその夜は、王都の土産で大騒ぎになった
村の入口まで馬車が近づいた時には、もうあちこちから人が集まり始めていた。
畑の脇。
井戸の前。
家の戸口。
先頭の馬車に座るソータの顔が見えた瞬間、ざわめきは一気に大きくなる。
「ソータさんだ!」
「戻ってきたぞ!」
「なんだあの馬車!」
「武装した人までいるぞ!」
そして、そのざわめきの中を真っ先に駆けてきたのは、やはりリーナだった。
「ソータさん!」
まっすぐ走ってきて、馬車の横で立ち止まる。
少し息が上がっている。
けれど、それ以上に目が揺れていた。
ソータは思わず身を乗り出す。
「リーナさん。」
リーナはまずソータの顔を見た。
次に服の様子を見た。
怪我がないかを見た。
それからようやく、小さく息を吐く。
「……よかった。」
その一言に、ソータの胸が少しだけ熱くなった。
(ああ。)
(ほんとに心配してくれてたんだな。)
だがその次の瞬間。
リーナの視線が、ソータの隣に座るミレイユへ向く。
ミレイユもまた、静かにリーナを見る。
どちらも笑顔ではない。
けれど敵意むき出しでもない。
ただ、一瞬で互いを理解したような、妙な静けさがそこにあった。
(あ、この人か。)
(なるほど、この子ね。)
そんな空気を感じて、ソータだけが少し遅れて困った。
(あれ。)
(何だ今の。)
(気のせいじゃないな。)
そこへ村長まで慌ててやってきた。
「ソータ殿!」
「ただいま戻りました。」
「無事で何よりだが……これは。」
村長の視線が、馬車、護衛たち、武器の積まれた荷台、そしてミレイユへと移っていく。
当然の反応だった。
ソータが説明しようとした時、ミレイユが先に馬車を降りた。
背筋を伸ばし、村の小さな広場でも一歩も気後れしない立ち方をしている。
でも威圧的にはならない。
やはりこういうところは上手い。
「はじめまして。」
村人たちが静まる。
「クラウゼン商会の会頭代理、ミレイユ・クラウゼンです。」
商会。
会頭代理。
村の人間からすれば、かなり遠い世界の肩書きだ。
「ソータの協力者として参りました。」
その言い方がきれいで、しかも簡潔だった。
村長は目を見開いたあと、すぐに真面目な顔で頷く。
「ようこそおいでくださいました。」
「事情はソータから聞いています。」
ミレイユが言う。
「ゴブリンの件、こちらでもできる限り協力します。」
その一言で、ざわついていた村人たちの顔つきが少し変わった。
驚きだけではない。
期待と安堵が混ざる。
マルタも家の前から近づいてきた。
腕を組み、じろりと全員を見る。
「へえ。」
短い。
だが圧がある。
(きたな。)
(マルタさんの“へえ”。)
(試される時のやつだ。)
マルタはまずソータの肩をばしんと叩いた。
「帰ってきたね。」
「はい。」
「ちゃんと帰るって約束、守ったじゃないか。」
「守りました。」
その返事に、マルタはにやりと笑う。
それから今度はミレイユを見る。
「で。」
「はい。」
ミレイユが静かに返す。
「この別嬪さんは何だい?」
ど真ん中だった。
逃げ道がない。
ソータが言葉に詰まりかけた、その時。
ミレイユが先に言った。
「ソータの恋人です。」
村の空気が止まった。
「……は?」
ソータの口から、間の抜けた声が漏れる。
言われた。
さらっと。
きっぱりと。
リーナが固まる。
村長が咳き込む。
マルタの目が丸くなる。
護衛たちは一斉に視線を逸らして笑いをこらえる。
(言った!)
(いや、間違ってはいないけど!)
(ここでそう言うのか!?)
一方、ミレイユの内心も完全に平然ではなかった。
(言ったわね、私。)
(でもここで曖昧にしたら、たぶん負ける。)
(何にかは認めたくないけれど、負けるのは嫌。)
マルタは数秒黙ったあと、ふっと笑った。
「なるほど。」
その笑い方は、妙に楽しそうだった。
「ソータ。」
「はい。」
「そういう大事なことは、先に言いな。」
「いや、俺も今初めてはっきり聞いた感じなんですけど!?」
「でも否定はしないんだね。」
「うっ。」
そこを突かれると弱い。
ソータが言葉を失うと、村人たちは一気にざわめき始めた。
「恋人!?」
「ソータさんに!?」
「街ってすごいな!」
感想が雑だった。
リーナはその騒ぎの中で、ほんの少しだけ目を伏せた。
けれどすぐに顔を上げる。
その顔には驚きも寂しさも少しあったが、それだけではなかった。
ちゃんと前を向いていた。
「……そうなんですね。」
小さな声だった。
ソータは胸が少し苦しくなった。
でもここで誤魔化すのはもっと違う。
「うん。」
正直に、そう答えた。
リーナは一瞬だけ目を伏せ、それから小さく笑った。
少し無理をしている笑い方だと、ソータにはわかった。
「じゃあ、歓迎しないとですね。」
その一言に、ミレイユの目が少し揺れた。
この子はただの“村娘”ではないと、そこでまた一つ理解したのだろう。
◇
その後、泊まり場所の話になった。
護衛たちまで含めると人数が多い。
マルタの家だけではとても足りない。
村長が考え込んでいたところで、ソータが口を開く。
「空き家、使えませんか。」
「空き家?」
村長が聞き返す。
「二年ほど前に一家で町へ移った家があったろう。」
マルタが言った。
「あそこならまだ住めるはずだ。」
村長は少し考えてから頷く。
「たしかに。
掃除は必要だが、泊まるだけなら十分だな。」
結局。
ミレイユとソータは、その空き家を借りることになった。
そして護衛四人は、村長の家の納屋を借りることになった。
「納屋で申し訳ないが。」
村長が言う。
「いえ。」
大剣使いの男が短く返す。
「屋根があるだけ十分です。」
「酒があればもっと十分だな。」
盾役の男が笑った。
その言葉に、ソータは荷台の方を見た。
「じゃあ、早速出しますか。」
向かった先は、村の酒場だった。
前に来た時よりも、人が多い。
村長たちも来る。
村の男衆も、様子見がてら顔を出している。
ソータは《神速積載庫》へ意識を向けた。
「亭主さん。」
「お、おう?」
「王都の土産です。」
次の瞬間。
どん。
どん。
どん。
酒樽が、次々に十本並んだ。
酒場の亭主が固まる。
「……は?」
「王都の酒です。」
「十本!?」
「はい。」
「いや、はいじゃなくて!」
村人たちがどよめく。
「王都の酒だ!」
「十本も!?」
「何の祭りだよ!」
さらにソータは続けた。
「頼まれていた塩もあります。」
袋をいくつも出す。
「あと、王都にしかない調味料も。」
小瓶や包みも並べる。
香りが立つ。
酒場の亭主の目の色が変わった。
「う、うおお……!」
「これ、肉に使えますか?」
ソータが聞く。
「使えるどころじゃねえ!
今日の料理が一段も二段も変わるぞ!」
亭主は半分震えながら、塩と調味料を抱えて厨房へ走っていった。
村人たちはもう完全に祭りの空気だ。
「やったぞ!」
「王都の酒だ!」
「ソータさん万歳!」
ミレイユはその様子を見ながら、少しだけ目を丸くしていた。
(酒樽十本を“早速出しますか”で済ませるのね、この男は。)
(しかも、こういうところが本当にうまい。)
(村の空気を一気にほぐしてしまったわ。)
リーナはその騒ぎの中で、黙ってソータを見ていた。
誇らしさもある。
でもやっぱり、少しだけ複雑だ。
マルタはその横で、娘の横顔をちらりと見る。
(まあ、きついだろうね。)
(でも、あの子はちゃんと前を向くだろうさ。)
◇
酒場の食事は、大賑わいになった。
王都の酒。
新しい調味料で味付けした肉。
いつもより香りのいいスープ。
村長も来た。
マルタも来た。
護衛たちも、納屋に荷を置いてからやってきた。
ただし、リーナは酒を飲まない。
まだ未成年だからだ。
「私はご飯だけでいいです。」
そう言って、いつも通りの席に静かに座った。
村の大人たちは当然のように酒をあおる。
護衛たちもかなり機嫌がいい。
ミレイユも控えめにはしているが、今日は完全に仕事の場ではないので、少しだけ肩の力が抜けている。
ソータはそんな中で、あちこちへ声をかけられながら料理を食べていた。
「王都はどうだった!」
「でかかったです。」
「でかいだろうな!」
「ミレイユさんと何があったんだ!」
「そこは今聞きます!?」
護衛たちが笑い、村人たちも笑う。
リーナも一瞬だけ口元をゆるめた。
だが、その笑いも長くは続かなかった。
食事を終えた頃。
リーナはそっと席を立った。
「お母さん、先に帰ろう。」
「もう帰るのかい?」
マルタが聞く。
「うん。」
マルタは娘の顔を見て、少しだけ目を細めた。
それから、何も言わずに頷く。
「そうだね。」
帰り際、リーナはソータの方を見た。
「今日は、ちゃんと戻ってきてくれてありがとうございました。」
「うん。」
「それと……。」
リーナはミレイユの方へも目を向けた。
「ありがとうございます。」
ミレイユも静かに頷いた。
「こちらこそ。」
それ以上は言わない。
言えないこともある。
でも、だからこそ礼だけはちゃんと交わした。
マルタは立ち上がる前に、ソータへひとつ言った。
「後でちゃんと説明しな。」
「……はい。」
「色々ね。」
「はい。」
それだけ言って、マルタはリーナを連れて帰っていった。
酒場の戸が閉まる。
外の夜気が少しだけ入り込んで、すぐに消える。
ソータはしばらくその戸を見ていた。
(ちゃんと説明、か。)
(だよな。)
(逃げるわけにはいかない。)
ミレイユは横で杯を置いた。
その横顔は少しだけ静かだった。
勝った負けたという話ではない。
リーナの気持ちが、鈍いミレイユにも少しは見えてしまったのだろう。
それでも。
ソータの隣にいるのは自分だということも、やはりもう揺るがない。
酒場の喧騒は続く。
王都の酒樽はどんどん空いていく。
村人たちも護衛たちも上機嫌だ。
だが、その賑わいの中で。
ソータとミレイユ、そしてリーナの間に生まれた静かな変化は、もう誰にも見過ごせないものになり始めていた。




