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勇者じゃなくて運送屋ですが、王国の命綱です  作者: naomikoryo


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第34話:理性の先にあったのは、甘くて熱い夜だった

 グランデリアの夜道を、ソータはミレイユを支えながらゆっくり歩いた。


 酒場を出た時よりも、街はずっと静かになっている。

 石畳を踏む音だけが小さく響いて、時々遠くで酔客の笑い声が聞こえた。


 ミレイユはソータの腕にしっかり絡まりながら、少し上機嫌に目を細めていた。


「……ちゃんと歩ける?」


「歩けるわ。」


「ほんとに?」


「たぶん。」


「その返事、やっぱり危ないな。」


 そう言うと、ミレイユはふっと笑って、さらに少しだけ体を寄せてきた。


「でも、ソータがいるから大丈夫。」


 その言い方があまりにも自然で、ソータの胸の奥がまた少し熱くなる。


(駄目だな。)


(今日のミレイユ、ずっと破壊力が高い。)


(いや、今日だけじゃないか。)


(でも、今日は特にだ。)


 屋敷へ戻ると、もう玄関まわりの灯りも落とされていて、使用人たちも静かだった。


 夜更けだ。

 皆、もう休んでいるのだろう。

 ソータはそのままミレイユを部屋まで送った。


 扉の前で立ち止まると、ミレイユが振り返る。

 頬は少し赤い。

 けれど目はちゃんとしている。

 酔っているだけではない顔だった。


「じゃあ、ここで。」

 ソータが言う。


「……うん。」


 だがミレイユは扉を開けても、すぐには入らなかった。

 少しだけもじもじして、それから小さな声で言う。


「着替えさせて。」


「……はい?」


 ソータは完全に固まった。


「いや、それは無理だよ。」


「どうして?」


「どうしてって……。」


 どうしても何もない。

 無理なものは無理だ。

 ソータは正直に白状した。


「女性の服なんか脱がしたことないから。」


 ミレイユは一瞬だけ目を丸くした。

 それから、艶やかに笑った。


 夜のせいか。

 酒の余韻のせいか。

 いつもよりその笑い方が柔らかい。


「そう。」


「そうだよ。」


「なら、部屋の明かりを消して。」


 ソータは数秒考えた。

 その意味を考えて。

 考えたが、深く考えすぎると危ない気もした。


(いや、もう十分危ないだろ。)


(でも、ここで変に取り乱したら格好悪い。)


(落ち着け。)


(落ち着いて、灯りを消して、部屋を出ればいいだけだ。)


(そうだ。

 それで終わりだ。

 たぶん。)


「……わかった。」


 部屋へ入り、ランプの火をひとつずつ落としていく。


 明かりが消えるたび、部屋の中はやわらかな闇に沈んでいった。

 最後の灯りを落とす。


「じゃあ、お休み。」


 そう言ってソータが部屋を出ようとした、その瞬間だった。

 後ろから、ぎゅっと抱きつかれた。


「……っ。」


 息が止まる。

 背中に触れる肌のぬくもり。

 やわらかさ。

 衣擦れの少なさ。

 ソータの思考が一気に白くなる。


(待て。)


(待て待て待て。)


(今のは、たぶん。)


(たぶんって何だ。

 かなりそうだろ。)


(これはまずい。)


(いや、まずいって何が。)


(理性が、まずい。)


 けれど、その“まずい”は嫌な意味ではなかった。

 むしろ、ずっとどこかで押し殺してきたものへ、一気に火がつく感じだった。


 ミレイユの声が、背中越しに甘く届く。


「……仕事なんて関係なしで、ソータが欲しいの……。」


 その言葉は、酒に流された勢いではなかった。

 ちゃんと、選んで、決めて、口にしている声だった。


 ソータはしばらく動けなかった。

 理性が止めようとする。

 でも、その理性の向こうで、胸のずっと深いところが、もう答えを出している。


(仕事とか。)


(商会とか。)


(村とか。)


(そういうの全部抜きにして、今この人は俺を選んでるのか。)


(そんな顔で、そんな声で言われたら。)


(もう、無理だろ。)


 ゆっくりと振り向いた。

 薄闇の中にいるミレイユは、思ったよりもまっすぐな顔をしていた。

 少し恥ずかしそうで。

 でも逃げる気はなくて。

 そのくせ、どこか震えてもいる。


 ソータはその肩を抱いた。

 壊れ物みたいに慎重に。

 けれど、逃がしたくないと思うくらいには強く。


 ミレイユの肩が、ぴくりと震える。

 それでも彼女は目を逸らさなかった。


 青い目が、闇の中でもちゃんとソータを見ていた。

 その目を見た時、ソータはかえって怖くなった。


 こんなにきれいで。

 こんなに強くて。

 こんなに高い場所にいる人が。

 本気で、自分を求めている。

 それが嬉しいのに、どこか信じきれなくて、少しだけ苦しかった。


「……こんな、荷物運びしかできない男でいいの?」


 自分でも情けない問いだと思った。

 だが、それでも聞かずにはいられなかった。


 前世でも。

 こっちの世界でも。

 自分はいつも、誰かにとって“特別な男”なんかじゃなかった。

 運ぶ。

 届ける。

 間に合わせる。


 それが仕事で、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 だからこそ、今こうして求められることが、少しだけ怖い。


(俺でいいのか。)


(ほんとに。)


(明日の朝になって、冷静になったら、違ったって思わないか。)


 ミレイユは少しだけ目を細めた。

 それから、はっきりと答えた。


「うん。」


 短くて、強い返事。


「全然、自分の価値をいまだに理解していないようだけど。」


 そこでミレイユは、ほんの少しだけ笑った。

 あきれと愛しさが混ざったような笑みだった。


「その価値がなくっても、ソータがいい。」


 言いながら、ミレイユの胸もまた苦しくなっていた。


(言ったわね、私。)


(とうとう、ちゃんと言った。)


(能力が欲しいからじゃない。)


(便利だからでもない。)


(もちろん、それもあるけど。)


(でももう、そんな理屈だけでここにいるわけじゃない。)


     ◇


 最初は商会のためだった。

 この男を逃せば損だと思った。

 自分の手元へ置くべきだと思った。


 けれど今は違う。

 この男が笑うと嬉しい。

 他の女と話していると腹が立つ。

 危ない場所へ行くと落ち着かない。

 帰ってくると安心する。


 そんなものは、もう理屈ではなかった。


(欲しいのは、力だけじゃない。)


(この人そのものだわ。)


(それくらい、もうわかってる。)


 その一言で、ソータの中の最後の迷いみたいなものが、静かにほどけていった。


 抱きしめる腕に、少しだけ力が入る。

 ミレイユもそれに応えるように、そっと胸元へ顔を寄せた。

 互いの呼吸が近くなる。

 見つめ合う。


(ああ。)


(もう、好きなんだな。)


(ちゃんと。)


(理屈抜きで。)


 ソータがそっと顔を近づけると、ミレイユも目を閉じた。


 軽い口づけ。

 けれど、それだけで十分なくらい甘くて熱かった。

 唇が触れた瞬間、二人とも少しだけ息を止める。

 ほんの短いはずなのに、やけに長く感じる。


 離れたあとも、額が触れそうな距離のまま、二人はしばらく何も言わなかった。

 言葉より先に、気持ちの方がちゃんと伝わってしまったからだ。


 外では夜の気配が静かに続いている。

 屋敷の中も眠っている。

 その中で、この部屋だけが少しだけ別の時間になったようだった。


 あとはもう、急ぐ必要もなかった。

 手を重ね。

 肩を寄せ。

 何度か確かめるように抱きしめ合う。


 ミレイユの指先が、ためらいながらもソータの服をぎゅっとつかむ。

 ソータも、その震えを落ち着かせるように背を撫でる。

 そのたびに、ミレイユは小さく息をこぼした。


(優しい。)


(こういうところなのよ。)


(だから、だめなの。)


(こんなの、好きになるに決まってるじゃない。)


 一方のソータも、抱きしめた腕の中にいるミレイユの細さと柔らかさに、くらくらするような思いだった。


(きれいだな。)


(強い人なのに、今はちゃんと女の人なんだな。)


(俺の前でだけ、こんな顔するのか。)


 情熱はあった。

 でも乱暴さはなくて。

 むしろ互いを大事にしたい気持ちの方が強かった。


    ◇


 ミレイユが震える手でソータの上着を脱がしていく。


 ソータは最初こそ驚きはしたが、もはや何か言うわけでもなく、月明かりに照らされているミレイユを見つめた。


 窓の外から差し込む淡い光が、彼女の髪をやわらかく透かしている。

 金糸みたいに揺れる髪。

 少し熱を帯びた頬。

 真剣なのに、どこか恥ずかしそうな目。


 その全部が、ソータの心を静かに、けれど容赦なく煽った。


(綺麗だ……。)


(何度も思ったけど、今は駄目なくらい綺麗だ。)


(こんな顔、俺に向けてるのか。)


 上着が肩から落ちる。

 ミレイユの指先が、次にシャツの布へ触れた。


 その手は、商談の時みたいに迷いがないわけじゃない。

 むしろ、ひどく慎重で、ひどくぎこちない。


 たぶん、緊張している。

 たぶん、怖くないわけでもない。


 それでもやめない。


 それがソータにはたまらなく愛しかった。


「……ミレイユ。」


 名前を呼ぶと、ミレイユの肩がぴくりと揺れた。


「な、なに……。」


 声まで少し震えている。

 強気な時の彼女からは想像できないくらい、今は素直だった。


「無理してない?」


 その問いに、ミレイユは一瞬だけ目を伏せた。


 それから、ゆっくり首を横に振る。


「無理じゃないわ。」


 そう言って、またソータを見る。

 さっきより少しだけ強い目で。


「恥ずかしいだけ。」


 その答えがあまりにも正直で、ソータの胸の奥がきゅっと締まる。


(ああ、もう。)


(そんなふうに言われたら、もっと大事にしたくなる。)


(でも同時に、抱きしめたくてたまらなくなる。)


 ミレイユの指が、シャツの前で小さく止まった。

 外したいのに、うまくいかない。


 ソータはその手にそっと自分の手を重ねた。


「っ。」


 ミレイユが息を呑む。


「こういうの、たぶん。」

 ソータが少しだけ苦笑する。

「二人とも慣れてないな。」


 ミレイユは少し唇を噛んで、それから小さく笑った。


「そうね……。」


「でも。」


「でも?」


「それが、今はすごくいい。」


 その一言で、ミレイユの目がやわらかく揺れた。


(ずるい。)


(そういうことを、こんな時に真っ直ぐ言うの、ずるいわ。)


(嬉しくて、余計に止まれなくなるじゃない……。)


 ソータは上着のボタンをはずし少し乱暴に下着を脱ぎ捨てた。

 ミレイユもそっと下着を脱ぎ、額をソータの胸へ寄せた。

 ミレイユの滑らかな肌から伝わる体温と鼓動。

 鼓動は、思っていたより速い。


「……ソータも緊張してるのね。」


「してるよ。」


「少し安心したわ。」


「何で。」


「私だけじゃないってわかるから。」


 その返事に、ソータはふっと笑った。

 そして、そのままミレイユの顎へ指を添えて、ゆっくり顔を上げさせる。


 月明かりの中で、二人の目が合う。


 もう言葉はいらない気もした。

 でも、言葉がほしい気もした。


 そんな曖昧で甘い沈黙のあと、ミレイユが小さく囁いた。


「……見ないで。」


「見たい。」


「どっちなの?」


「恥ずかしがってるミレイユも、すごく好きだから。」


 ミレイユはたまらず目を閉じた。

 耳まで赤くなっているのが、月明かりでもわかる。


(もう、だめ。)


(こんなの、好きにならない方が無理でしょう。)


(優しいくせに、ちゃんと欲しがる。)


(大事にしてくれるくせに、逃がしてくれない。)


(私ばっかり、どんどん深くなっていくと思ってたのに……。)


 ソータはもう一度、そっとミレイユを抱き寄せた。

 今度はさっきよりも自然に、迷いなく。


 ミレイユも抵抗しない。

 むしろ腕を回して、ぴたりと寄り添ってくる。


 互いの呼吸が重なる。

 肌へ触れる空気まで、少し熱い。


 窓の外では風が木々を揺らしているのに、この部屋の中だけは別の季節みたいだった。


「……ソータ。」


「うん。」


「今、すごく恥ずかしいの。」


「うん。」


「でも、嬉しい。」


「……うん。」


「だから、ちゃんと受け止めて。」


 その願いは、ほとんど告白の続きみたいだった。


 ソータは答える代わりに、ミレイユの髪を撫でた。

 やわらかくて、少し熱を持っていて、指の間をすべるたびに現実感が増していく。


(受け止める。)


(ちゃんと。)


(この人の覚悟も、震えも、好きだって気持ちも。)


(全部、大事にしたい。)


 そして二人はまた、ゆっくりと距離を詰めた。


 ソータがミレイユをそっと抱きかかえてベッドに運んだ。


 腕の中のミレイユは、驚くほど軽い。

 けれど、触れているところはどこも熱くて、確かに生きている女のぬくもりだった。


 シーツの上へゆっくりと下ろすと、ミレイユは少しだけ恥ずかしそうに目を伏せた。

 月明かりが薄いカーテンを抜けて、白い寝具と二人の肌を淡く照らしている。


 もう、何も身につけていない。

 隠すものがないということが、こんなにも心を震わせるとは思わなかった。


 ソータは思わず息を止める。


(綺麗だ……。)


(駄目なくらい綺麗だ。)


(触れたい。)


(でも、怖い。)


(壊れそうで、でも壊れるわけないのに、怖いくらい大事だ。)


 ミレイユはそんなソータを見上げながら、小さく唇を開いた。


「……そんなに見ないで。」


「見てしまうよ。」


「恥ずかしいのに……。」


 そう言いながらも、ミレイユは目を逸らしきれない。

 むしろ、逸らしたくない気持ちの方が強いのが自分でもわかっていた。


(恥ずかしい。)


(恥ずかしいのに、見ていてほしい。)


(欲しいと思われたい。)


(きれいだって思ってほしい。)


(私、こんなふうになるのね……。)


 ソータはベッドへ膝をつき、そっとミレイユの頬へ手を添えた。

 その指先に、ミレイユが小さく肩を震わせる。


「……怖い?」

 ソータが聞く。


 ミレイユは少しだけ目を潤ませて、首を横に振った。


「怖くないわ。」


「ほんとに?」


「怖いのは、たぶん……。」


「たぶん?」


「好きすぎること、かもしれない……。」


 その声があまりにも甘くて切なくて、ソータの理性がまた大きく揺れる。


(好きすぎる、か。)


(そんなこと言われたら、もう戻れない。)


(俺だって同じだ。)


 ソータはそっと身を屈めて、ミレイユへ口づけた。

 最初は確かめるみたいにやさしく。

 けれど、触れ合うほどに互いの熱が混ざって、少しずつ深くなる。


 ミレイユの指先が、シーツを掴み、それからソータの肩へ移った。


「……ん……。」


 小さく漏れる声が、夜の静けさの中で妙に甘く響く。


(だめ。)


(こんな声、自分で聞いてるだけで恥ずかしい。)


(でも、止めないで。)


(もっと、ソータに触れてほしい……。)


 ソータの唇が頬へ、喉元へ、肩へと移っていく。

 やわらかな肌へ触れるたび、ミレイユの体が小さく震えた。


 まるで大事なものへ触れるように。

 けれど、もう抑えきれない熱も混じっている。


 ミレイユもまた、ソータの胸元へ顔を寄せ、肌へそっと唇を触れさせた。

 恥ずかしさで耳まで熱い。

 でも、ただ触れられるだけでは足りなかった。


(私も、触れたい。)


(欲しいだけじゃなくて、私からも欲しがりたい。)


(この人を感じたい。)


 やわらかな吐息と、肌へ落ちる口づけ。

 互いの体温を確かめるたびに、言葉よりも深いところで想いが通っていく。


 ソータはたまらずミレイユを抱きしめた。


「……ミレイユ。」


「なに……。」


「好きだ。」


 短い。

 でも、それ以上いらないくらいまっすぐだった。


 ミレイユの目が揺れる。

 泣きそうなくらい、やわらかく。


「……ずるい。」


「何が?」


「そんな時に、そんなふうに言うの。」


「本当のことだから。」


 ミレイユは少しだけ笑って、それからソータの胸へ額を押しつけた。


「私も……好き。」


「うん。」


「好きで、苦しいくらい。」


「うん。」


「だから、もっと……私をあなたでいっぱいにして……。」


 その囁きは、甘く、切なく、どうしようもなく熱を帯びていた。


 窓の外では風が木を揺らしている。

 けれど、この部屋の中だけは、二人の熱に満たされた別の世界みたいだった。


 重ねる口づけ。

 絡む指先。

 肌へ落ちるやわらかな愛撫。


 どちらも不器用で、どちらも慣れていない。

 それなのに、触れ合うたびに相手をもっと知りたくなって、もっと近づきたくなる。


(止められない。)


(もう、止めたくもない。)


(この人のものになりたい。)


(この人を、自分の中へ深く残したい。)


 そんな気持ちが、夜の甘い静けさの中で何度も何度も重なっていく。


 それは激しさだけではなく。

 相手を壊さないように抱きしめながら、でも離せないという切実さの夜でもあった。


 仕事だとか。

 商会だとか。

 村だとか。

 ゴブリンだとか。


 そういうものを一度だけ外へ置いて、

 ソータとミレイユは、ただ一人の男と一人の女として寄り添った。


 甘美で。

 静かで。

 でも確かに情熱的で。

 忘れがたい夜だった。


 翌朝からまた現実が始まる。

 村へ戻り、森へ入り、戦うことになる。

 それでも。


 この夜に交わしたぬくもりと約束は、

 その現実を少しだけ強く、少しだけ優しくしてくれるものになるのだろう。

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