第33話:グランデリアの夜に、少しだけ未来を考えてしまった
王都での用事を終えたあと、ソータたちはその日のうちにグランデリアへ戻った。
護衛四人。
ミレイユ。
そしてソータ。
道中は大きな問題もなく、夜の帳が下りる頃にはグランデリアの灯りが見えてきた。
「やっぱり、この街の灯りは落ち着きますね。」
ソータが言う。
「王都より?」
ミレイユが聞く。
「王都はすごすぎます。」
「それはそうね。」
城壁をくぐり、街へ入ったところで、ソータはふと足を止めた。
「じゃあ、俺はここで。」
「……ここで?」
ミレイユの声がぴたりと止まる。
「はい。
夜ですし、このまま村まで先に戻ろうかなと。」
その瞬間、ミレイユの頭の中で警鐘が鳴った。
(だめ。)
(だめだめだめ。)
(このまま先に村へ行かせたら、リーナと再会して、そのまま村の空気に戻ってしまうじゃない。)
(しかも私は明日馬車で行くしかない。)
(そんなの、距離を詰める時間を丸ごと失うみたいなものだわ。)
だが表情には出さない。
あくまで仕事の顔で、静かに言う。
「駄目です。」
「え。」
「全員で一緒に村へ向かいます。」
「でも、俺一人なら夜のうちに……。」
「だからこそです。」
ミレイユはすっと一歩近づいた。
「途中でゴブリンの集落の様子がわかるかもしれない。」
「それは……。」
「その時に、ソータがいないと困るでしょう。」
ソータは少しだけ考え込んだ。
たしかに、道中で何か見つかれば即座に対応できるのは自分だ。
護衛がいても、罠や収納を使った段取りは自分でなければ難しい。
「それに。」
ミレイユがさらに続ける。
「護衛たちも長旅のあとです。
今夜はグランデリアで休み、明日きちんと全員で動いた方が安全です。」
これは完全に正論だった。
(ありがたいな。)
(ここまで本気で協力してくれるなんて。)
(仕事だからってだけじゃなく、ちゃんと村のことまで考えてくれてる気がする。)
ソータは素直に頷いた。
「……わかりました。」
「ええ。」
「ありがとうございます。」
その礼に、ミレイユはほんの少しだけ視線を逸らした。
(よし。)
(止められた。)
(危なかったわ。)
(……何が危なかったのか、ちゃんと認めたくはないけれど。)
その夜は、護衛たちも含めて全員で酒場へ食事に出ることになった。
グランデリアの中心部にある、護衛や商人もよく使う大きな店だった。
前にミレイユと来た店とは違い、こちらはもう少し賑やかで、人数の多い席にも向いている。
「今夜は私の奢りです。」
ミレイユが言った。
「好きなだけ食事でもお酒でも召し上がってくださいね。」
護衛たちが一斉に歓声を上げる。
「さすがお嬢様!」
「太っ腹だ!」
「じゃあ遠慮なく!」
ソータはその横で、今日はあまり酒を飲まないようにしていた。
昨日の王都での失敗が、まだわりと鮮明だからだ。
(今日はちゃんと食う。)
(飲みすぎない。)
(学習したんだ俺は。)
一方、ミレイユは上機嫌だった。
王都支店での手続きも済んだ。
村行きも明日にまとまった。
しかもソータは自分の説得で残った。
機嫌がよくならない理由がなかった。
護衛の一人、大柄な盾役の男が、肉を頬張りながらにやにやして言った。
「いやあ、お二人を見てると、もう立派なご夫婦のようですね。」
がちゃん、と小さな音がした。
ミレイユが持っていたグラスを危うく落としかけたのだ。
「……ごふっ。」
ソータも危うくスープを変なところへ入れかけた。
「何を言ってるんですか。」
ミレイユが言う。
だが声はいつもより少し高い。
「いやあ、だって。」
護衛の男は楽しそうだ。
「ソータ殿が何か言うと、お嬢様すぐ気にするし。」
「そうそう。」
弓使いの女まで笑って頷く。
「お嬢様、さっきからソータ殿の皿ばっかり見てますし。」
「見てないわよ。」
「見てましたよ。」
ソータはそこで、ふと自分の皿を見る。
たしかに、肉がなくなるたびにミレイユが追加を勧めてきていた。
(あれは見られてたのか。)
(いや、見られてたよな。)
ミレイユは赤くなりながらも、杯を掲げた。
「とにかく、今夜は私の奢りです。」
妙に堂々としていた。
しかも少し誇らしげだ。
「好きなだけ召し上がってくださいね。」
「おお!」
護衛たちはまた盛り上がる。
宴はどんどん続いた。
肉が運ばれ。
酒が注がれ。
パンが減り。
笑い声が増える。
ソータは酒を控えめにして、きちんと食べていた。
だが周囲はかなり飲んでいる。
ミレイユも今日はだいぶ機嫌がよく、何杯か飲んでも平然としていた。
ただ、夜が更けるにつれて、少しずつ目元がやわらかくなっていく。
夜中を過ぎた頃には、さすがにソータも少し眠くなってきた。
そしてミレイユの方を見れば、まだ酔い潰れてはいないが、だいぶとろんとしている。
(強いけど、今日はさすがに回ってきてるな。)
(機嫌もいいし、これはそろそろ切り上げた方がいい。)
ソータは少し身を寄せて、小さく耳打ちした。
「ミレイユ。」
「……なに。」
「そろそろ屋敷に戻るよ。」
その言い方は、自然だった。
自分でも少し驚くくらい。
ミレイユはぼんやりした目でソータを見て、それからふっと笑った。
「……そうね。」
立ち上がると、護衛たちへ向き直る。
「皆さんは好きなだけ召し上がってください。」
「え?」
「こちらの二階の部屋も押さえましたので、休むならそこで。」
護衛たちが一斉に沸いた。
「さすがお嬢様!」
「本当に全部奢りなんですか!?」
「ええ。」
ミレイユは上機嫌に頷き、そのままソータの腕へ絡んだ。
かなり自然に。
かなり当たり前みたいに。
「じゃあ帰りましょう、ソータ。」
「はい。」
酒場を出たあとの夜風は、少し涼しかった。
街の灯りはまだ残っているが、昼や夕方よりずっと静かだ。
その静かな道を、ミレイユはソータの腕へしっかり絡まりながら歩く。
「ミレイユ、足元大丈夫?」
「だいじょうぶ。」
「ほんとに?」
「たぶん。」
「それ、危ない返事だな。」
「ソータがいるからへいき。」
だいぶ機嫌がいい。
そして少し甘えた声だ。
ソータはその重みとぬくもりを腕に感じながら、妙に落ち着かない気持ちになっていた。
(近いな。)
(いや、かなり近い。)
(昼も夜も近い人だな、この人。)
けれど、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、腕に絡むミレイユを自然に支えるように歩いている自分に気づく。
ふと、そんな自分が少し変わってきている気がした。
前世の自分なら、たぶんこんな状況でまともに歩けなかった。
緊張して。
変に気を遣って。
何を話していいかわからなくなって。
今は違う。
いや、どきどきはしている。
かなりしている。
でも、それだけじゃない。
この人をちゃんと支えたいと思っている。
「……ソータ。」
「うん?」
「今日、私が止めてよかったでしょう。」
「うん。」
「先に村へ帰らなくて。」
「そうだね。」
ミレイユは少しだけ満足そうに頷いた。
その横顔を見て、ソータは思わず少しだけ考えてしまう。
(もし。)
(もし、ミレイユと結婚したら、どうなるんだろう。)
グランデリアに家を持つ。
商会を手伝う。
村とも繋ぐ。
夜にはこうして帰ってくる。
ミレイユがいて、たぶん毎日忙しくて、でも家の中は妙に賑やかで。
そこまで考えて、ソータは自分で少し驚いた。
(結婚って、今、普通に考えたな。)
(いや、まだ何も決まってないだろ。)
(でも、想像はした。)
その時点で、もうだいぶ意識しているのだと自覚する。
ミレイユはソータの腕へ頬を少し寄せながら、小さく言った。
「……ソータ、あったかい。」
「それはよかった。」
「うん。」
その返事が、妙に素直で。
ソータはまた少しだけ胸の奥が熱くなった。
夜道を歩く二人は、もう昨日までよりずっと自然に近かった。
相変わらず噛み合わないところはある。
でも、気持ちが近づいているのはたぶん確かだ。
少なくともこの夜。
ソータは、ミレイユをただの有能な商会の会頭代理ではなく、一人の女としてきちんと意識し始めていた。
そしてミレイユの方は。
もうとっくに、その段階を通り過ぎていた。




