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勇者じゃなくて運送屋ですが、王国の命綱です  作者: naomikoryo


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第21話:ミレイユはまだ、自分がどうなっているのか気づいていない

 朝食は、妙に落ち着かなかった。


 ソータは客として、クラウゼン家の食堂へ通された。


 長いテーブル。

 磨かれた食器。

 白いクロス。

 村の食卓とはまるで違う。


(場違い感がすごいな。)


(パン一つ取るのにも緊張する。)


 向かいにはミレイユがいる。

 もうすっかり仕事の顔に戻っていて、朝のあの薄いピンクシルクの面影はどこにもない。

 きっちりした服。

 きっちりした髪。

 きっちりした目。


 ただし。

 ソータがパンへ手を伸ばすたびに、なぜかちらっと見てくる。


(何だろう。)


(食べ方が田舎くさいのか?)


(いや、たぶんそうだな。)


 一方のミレイユの頭の中は、朝から静かではなかった。


(寝起きの顔も悪くなかったわね。)


(何を考えているの、私は。)


(今日は仕事。

 王都への輸送確認。

 素材の整理。

 この男の能力の見極め。)


(そう、仕事よ。)


 そこへ、若い女中が湯気の立つスープを運んできた。

 まだ十代後半くらいの、素朴で可愛らしい娘だ。


「お客様。

 パンのおかわりもございます。」


 そう言って、少しだけ頬を赤くしながらソータへ籠を差し出す。


「ありがとうございます。」

 ソータは素直に受け取った。

 「助かります。」


 その一言で、女中の顔がさらに赤くなる。


「い、いえ……。」


 次の瞬間。


 食堂の空気が少し冷えた。


 女中がびくっと肩を震わせる。


 ソータは気づいていない。

 だがミレイユは、じっとその女中を見ていた。

 かなり真顔で。

 かなり静かに。

 かなり怖く。


(何で赤くなるのかしら。)


(パンを渡しただけでしょう。)


(しかも何、その声。)


(少し上ずっているじゃない。)


(仕事中でしょう、あなた。)


「……。」


 女中はすっと顔色をなくした。


「も、申し訳ありません、お嬢様。」


「何が?」

 ミレイユは静かに返す。


「え。」


「何について謝っているのか聞いています。」


「そ、その……。」


 女中は完全に困っていた。

 ソータもようやく空気の変化に気づく。


「ミレイユさん?」


「何でしょう。」


「その子、何かしましたか?」


「別に。」


「別に、の顔じゃない気がしますけど。」


「気のせいです。」


 ミレイユはきっぱり言い切った。


 だが女中はもう、明らかに縮こまっている。


(怖いな。)


(いや、この人たぶん本当に怒ってるわけじゃないんだろうけど。)


(圧がすごい。)


 一方のミレイユは、自分の感情をまだきちんと理解していなかった。


(何なのかしら、今の。)


(別に怒っていないわ。)


(ただ少し、目障りだっただけ。)


(……目障り?)


(何で?)


 そこまで考えて、ミレイユは一度思考を切った。


(考えるのは後。)


(仕事の前に朝食を済ませる。)


 だが、周囲の使用人たちは違った。


 食堂の隅で控えている年配の執事。

 給仕を手伝う女中たち。

 全員が、だいたい同じことを思っていた。


(ああ……。)


(お嬢様、完全にそういう感じだ。)


(もうこれは、そういう仲なのでは。)


(昨夜から同じ部屋だったし。)


(できてるんだな。)


 完全に誤解していた。

 しかもかなり確信を持って。


 朝食のあと、ソータは商会の倉庫を見せてもらうことになった。


 広い。


 とにかく広い。

 木箱。

 樽。

 布。

 香辛料。

 乾燥肉。

 帳簿上の数字だけでなく、物そのものが山のようにある。


「すごいですね。」


「これでも一部です。」

 ミレイユが言う。

 「グランデリアは地方流通の要所ですから。」


「地方流通の要所。」


「ええ。」


「何か、すごそうです。」


「語彙が雑ですね。」


「そのへんは勘弁してください。」


 そんなふうに歩いていると、倉庫番の女性が声をかけてきた。

 三十代くらいの、きびきびした人だ。


「お嬢様。

 こちらが昨日のお客様ですか?」


「ええ。」


 倉庫番はソータを見て、にこっと笑った。


「なるほど、たしかにいい男ですね。」


 その瞬間、空気がまた少し冷えた。


 ソータはようやく学んでいた。


(あ、まずいやつだ。)


 案の定、ミレイユがすっと倉庫番を見る。


「……仕事中です。」


「はい?」

 倉庫番がきょとんとする。


「感想を述べる暇があるなら、荷札の確認を先に。」


「え、いや、今ちょっと挨拶を……。」


「挨拶は済みました。」


「済みましたね。」

 ソータがつい合わせてしまう。


 倉庫番は、ソータとミレイユを交互に見た。

 そして何かを悟ったような顔になる。


「ああ……。」


 その「ああ」は非常に意味深だった。


(そういうことか。)


(お嬢様、完全にそういうことなんだ。)


(なるほどなるほど。)


 ソータはその意味に気づかない。

 ミレイユは気づいてもいない。


「では、荷札を確認してきます。」

 倉庫番の女はにやにやを必死に隠しながら下がっていった。


「何だったんでしょう。」

 ソータが言う。


「さあ。」

 ミレイユは涼しい顔で返す。


 だが内心は少し乱れていた。


(何なのかしら、今の自分。)


(いちいち反応しすぎでは?)


(別に、誰が何を言おうと関係ないでしょう。)


(……関係ない、わよね?)


 その後も似たようなことが何度か続いた。


 帳場の若い女書記が、ソータへ書類を渡す時に少しだけ顔を赤くする。

 するとミレイユの視線が飛ぶ。


 中庭で庭師の娘が「旅の人って感じで素敵ですね」と笑う。

 するとミレイユの返事が妙に冷える。


 屋敷の女中がソータへ「お茶をどうぞ」とにこやかに差し出す。

 するとミレイユが「置いていきなさい。もういいわ」と何となく遮る。


 そのたびに、周囲の人間は確信を深めていった。


(お嬢様、完全にあれだ。)


(あの方に触るな、見つめるな、話しかけるなって顔してる。)


(でもご本人は無自覚そうなんだよなあ。)


(そこがまた本物っぽい。)


 そしてソータだけが、少しずつ不思議に思い始めていた。


(何か、ミレイユさんの屋敷の人たちが俺に妙に親切だな。)


(いや、親切というか。)


(妙ににこにこしてる。)


(何だろう。

 “もう知ってます”みたいな顔をされるんだよな。)


 実際、かなり知っているつもりでいた。

 屋敷の者たちは。

 全部勘違いで。


 昼近く。

 中庭の一角で積み荷の確認をしている時だった。


 ソータが樽の数を見ている横で、若い女中二人がひそひそと囁き合っていた。


「あれよね。」


「ええ、あれね。」


「お嬢様、初めてじゃない?」


「初めてよ。

 あんな顔。」


「昨日の夜、同じ部屋だったって本当?」


「本当らしいわよ。」


 ソータの耳は、思ったより良かった。

 だいたい聞こえてしまう。


(何の話だろう。)


(いや、ちょっと待て。)


(同じ部屋って、あれのことか?)


(まさか、そういう誤解をされてるのか!?)


 そこでソータが慌てて振り向くと、二人の女中は「きゃっ」と小さく声を上げて散っていった。


 逃げ足が速い。


 その様子を見ていたミレイユが、冷ややかに言った。


「何をしているのかしら、あの子たちは。」


「いや、何か変な誤解を。」


「誤解?」


「たぶん。」


「どんな。」


「……その。」


 説明しづらい。

 非常にしづらい。


 だが言わないのも変だ。


「俺たちが、そういう仲だと。」


 ミレイユは数秒、無言になった。

 そのあと、なぜかすっと視線を逸らす。


「……そう。」


「そう、じゃないですよ。」


「違うのですか。」


「違いますよね!?」


 思わず語尾が強くなる。


 ミレイユはそこでようやくソータを見た。

 相変わらず綺麗な顔だ。

 だが耳がほんの少し赤い。


「……違います。」


「ですよね。」


「ですが。」


「はい。」


「周囲がそう思うのも、まあ、無理はないでしょう。」


「無理はなくても困ります。」


「そうですね。」


 そう言いながら、ミレイユはどこか少し機嫌がよさそうだった。


 ソータはそこで、微妙な違和感を覚えた。


(あれ。)


(困る話のはずなのに、何かこの人、少しだけ嬉しそうじゃないか?)


 一方のミレイユは、自分の胸の内にまだ名前をつけられていなかった。


(別に、誤解されたってどうでもいいはず。)


(そう。

 どうでもいい。)


(なのに、少しだけ気分が悪くないのは何故かしら。)


(……考えないでおきましょう。)


 考えない方がいいことは、世の中にある。

 ミレイユは今、そう結論づけていた。


 ただしその結論は、あまり長持ちしそうになかった。


 ソータが他の女と話すたびに。

 女中が赤くなるたびに。

 使用人たちが面白そうにこちらを見るたびに。


 その胸の奥の、名前のつかないものは少しずつ育っていたからだ。


 しかも本人だけが、まだそれに気づいていない。


 たぶん一番わかっていないのは、ミレイユ自身だった。

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