第2話:困っている女性を見ると、つい引き受けてしまう
「きゃっ……! や、やめてっ!」
悲鳴は、思ったより近かった。
田島壮太は枝を払いながら、声のした方へ駆けた。
若返った体は軽い。
地面を蹴るたびに、前世では考えられないくらい足が出る。
(速いなこれ)
(いや感心してる場合じゃない)
(女性が困ってるんだぞ)
(落ち着け俺。
まずは助ける。
そのあと感じよく名乗る。
怖がらせない。
ここ大事)
木立の向こうが開け、小さな空き地に飛び出した。
そこにいたのは、栗色の髪をひとつに結んだ若い女だった。
年は二十前後だろうか。
麻の上着に革のベスト。
旅慣れた格好だが、腰の短剣を抜く手が震えている。
彼女の前には、さっき見た角ウサギより一回り大きな獣がいた。
灰色の毛並みに、額の角。
牙まで生えている。
「グルル……」
「う、嘘でしょ、なんで二匹も……!」
見ると、もう一匹が横から回り込んでいた。
(角ウサギって可愛い見た目じゃないパターンもあるのかよ)
(いや、ウサギかこれ)
壮太はその場に落ちていた太い枝を反射的に拾った。
「おい!」
二匹の獣が一斉にこちらを見る。
「そっちじゃなくて、こっち来い!」
(何で俺、初異世界の初戦闘で挑発してんだ)
(いやでも二対一はまずいだろ)
手に持った枝をぶん、と振る。
思ったより軽い。
前世の筋肉はないはずなのに、体の動きが妙に素直だった。
獣の一匹が飛びかかってくる。
「うわっ!」
とっさに横へ跳んだ。
自分でも驚くほどきれいに避けられた。
(若い体すげえ!)
(でもこれ、調子に乗ると死ぬ!)
着地ざまに枝を振り下ろす。
鈍い音。
獣が顔をしかめて後退した。
「今のうちに下がって!」
壮太が叫ぶと、女ははっとしたように数歩下がった。
「で、でも……!」
「いいから!」
もう一匹が地面を蹴る。
壮太は無意識に、荷物を積む時のように相手の動きを見た。
(重心が前)
(飛ぶ)
(右から来る)
来た。
横薙ぎに枝を合わせる。
完全には止められなかったが、軌道がずれた。
そのまま獣は地面に転がる。
「す、すご……」
「すごくはないです!」
(全然余裕ない!)
その時だった。
さっき最初に殴った方の獣が、低く唸ってから女の方へ向き直った。
「っ、そっち行くな!」
壮太はとっさに手を伸ばした。
届く距離じゃない。
そう思った瞬間だった。
足元の石が、すっと消えた。
「……は?」
次の瞬間、その石が獣の鼻先に現れてぶつかった。
「ギャウン!」
獣がびくりと怯み、その隙に女が短剣で威嚇する。
壮太は目を見開いた。
(今の、俺がやった?)
(出した? 飛ばした?)
(俺のトラック、そんなこともできるのか?)
だが考えている暇はない。
二匹は急に警戒を強めたのか、しばらく睨んだあと、森の奥へ駆け去っていった。
静けさが戻る。
壮太は枝を握ったまま、どっと息を吐いた。
「はあああ……」
(助かった……)
(生きてる……)
(異世界一発目で食われるかと思った……)
「だ、大丈夫ですか?」
女が恐る恐る近づいてくる。
整った顔立ちだった。
大きめの茶色い目が不安げに揺れている。
頬に土がついていて、それが妙に庇護欲を刺激した。
(可愛いな)
(いや待て今それ言う場面じゃない)
(でも可愛いのは事実だろ)
「はい。
たぶん俺は大丈夫です。」
なるべく穏やかに答えたつもりだったが、自分でも少し声が硬い。
女はぺこりと頭を下げた。
「助かりました。
本当に、ありがとうございます!」
「いえ。
たまたま通りかかっただけなんで…」
(たまたまっていうか、さっき異世界だと気づいたばかりなんだけど)
「私はリーナといいます。
近くの村まで薬草を届ける途中で……道を間違えてしまって」
そう言って、彼女は背負っていた籠を見せた。
中には束ねた薬草がいくつも入っている。
「それで魔物に?」
「はい……。
本当は街道を通るつもりだったんですけど、急いで近道しようとして…」
「近道は危ないですね。」
思わず即答していた。
「え?」
「近道って、だいたい事故るんで…」
「じこ……?」
「あ、いや。
失敗するって意味で…」
(危ねえ。
いきなり前世の職業用語出た)
リーナは少しきょとんとしたあと、ふっと笑った。
「変わった言い方ですね。」
「よく言われます。」
(初対面の女性が笑ってくれた)
(よし。
滑り出しは悪くない)
だが次の瞬間、リーナの表情はまた曇った。
「困ったな……」
「どうしました?」
「薬草を届けないといけないんです。
村に熱を出している子がいて、今日のうちに煎じ薬を作らないと…」
壮太は籠を見た。
量は多くない。
だが彼女一人で森を抜けるには危険そうだ。
(困ってる女性だ)
(しかも子どもの薬)
(断る理由あるか?)
(いやないな)
「じゃあ運びます。」
「……え?」
「村まで。
案内してもらえれば」
言ったあとで、壮太は内心で頭を抱えた。
(早い早い早い)
(また軽く引き受けた)
(でもしょうがないだろこれは)
「そんな、悪いです…」
「悪くないです。
その……俺、運ぶの得意なんで!」
「そうなんですか?」
「かなり…」
(前世の全てをそこに賭けてきたからな)
壮太は籠へ手を伸ばした。
「持ちますよ。」
「お願いします……って、あれ?」
リーナが目を丸くする。
籠は、壮太の手に触れた瞬間、ふっと消えた。
「き、消えた!?」
「ですよね…」
「えっ、盗まれ……いえ、でも目の前で……えっ?」
かなり混乱している。
当然だ。
「ちょっと待ってください」
壮太は頭の中でさっきの籠を思い浮かべた。
すると、すぐ目の前にぽんと現れる。
リーナが息を呑んだ。
「収納魔法……?」
「たぶん似たようなものです。」
(俺も正直わかってない)
「すごい……そんなに大きな籠を一瞬で…」
「まあ、運ぶ専門みたいな感じで…」
壮太は、できるだけドヤらないように言った。
(どうだ今の)
(ちょっと頼れる男っぽかったんじゃないか)
(いや顔に出すな。
落ち着け)
リーナは尊敬の混じった目で壮太を見た。
「あなたは、冒険者の方ですか?」
「違います。」
「では魔術師?」
「それも違います。」
「じゃあ……」
壮太は一瞬考えたあと、真面目な顔で言った。
「運送屋です」
「うんそうや?」
「運ぶ仕事の人です。」
「……森の中で?」
「今はちょっと事情が複雑で」
リーナは首をかしげた。
もっともである。
壮太も説明できる気がしなかった。
「とにかく、薬草は責任持って運びます。」
「……はい。
お願いします。」
少し迷ったあと、彼女はこくりと頷いた。
森の道なき道を、二人で歩き出す。
リーナが前を案内し、壮太がその後ろについた。
「この先に小川があります。
それを越えれば村は近いです。」
「なるほど…」
「その、ソータさんは旅の方なんですか?」
「まあ、そんな感じです。」
(異世界転移者ですなんて言えるか)
「お強いんですね。」
「強くはないです。」
「でもさっき、あの角牙兎を二匹も追い払って…」
「必死だっただけです。」
(むしろこっちが泣きそうだった)
リーナがくすっと笑う。
「正直な人なんですね。」
「よく、愛想がないとは言われます。」
「そんなことないです。
ちょっと不器用そうですけど…」
「……それは、よく言われます。」
(女性に不器用って言われるの、何か刺さるな)
(でも嫌じゃない)
歩くうち、森は少しずつ明るくなっていった。
やがて木々の切れ目の向こうに、煙の上がる小さな集落が見える。
「あれです!」
リーナの声が弾んだ。
「間に合った……」
その安堵の顔を見て、壮太の胸が少し温かくなる。
届ける。
間に合わせる。
それで誰かが安心する。
前世でも何度も見てきた景色なのに、今は妙に違って見えた。
(ああ、これだな)
(俺ができるの、結局こういうことなんだよな)
(剣も魔法もなくても、運べば助かるなら)
(それでいいかもしれない)
村の入り口まで来ると、リーナはぺこりと深く頭を下げた。
「本当に助かりました、ソータさん!」
「いえ…」
「お礼、ちゃんとしたいです。」
「別にいいですよ…」
反射でそう言ってから、壮太ははっとした。
(いや待て)
(ここで全部断るの、前世からの悪い癖では?)
(もう少しこう、縁をつなぐ感じの返しがあるだろ)
「その……」
「はい?」
「もしまた何か運ぶものがあったら、声かけてください!」
リーナは目を瞬かせ、それから嬉しそうに笑った。
「はい。
ぜひお願いします、運送屋さん。」
その呼び方に、壮太は少しだけ照れた。
悪くない。
むしろかなりいい。
(よし)
(異世界初仕事、完了)
(しかも女性から次の依頼の約束つき)
(これは幸先いいのでは?)
そんなふうにひそかに浮かれていた壮太は、まだ知らない。
この小さな薬草運びが、彼にとって最初の「信用」になり。
やがて町も商会も王国も巻き込む、運送屋人生の始まりになることを。




