第179話:双子の王女、協力する
目を覚ましたソータは、毛布を腰まで引き上げたまま、足元に並んで座っている二人の王女を睨んでいた。
朝日が馬車の窓から差し込み、昨夜まで薄暗かった車内を柔らかな金色に染めている。
本来なら旅の途中とは思えないほど穏やかな朝だったのだが、ソータに限っては目覚めて数十秒でそれどころではなくなっていた。
「見るなって言ってるでしょう!」
「今は見ていません。」
エルシアは妙に真面目な顔で答えた。
隣ではリシェラが笑いを堪えるように口元へ手を当てている。
つい先ほどまで二人揃って毛布の下の異変を眺めていたくせに、エルシアだけはすでに王女らしい澄ました表情へ戻っていた。
「今は、って何だよ。」
「先ほどまでは見えていましたから。」
「正直に答えなくていい!」
ソータは毛布をさらに引き上げた。
王城で反乱兵を相手にした時よりも、今の方が追い詰められているような気さえする。
ところがエルシアは、そんなソータをしばらく眺めた後、ふと思いついたように首を傾げた。
「ところでソータ殿。」
「何?」
「一つ、伺ってもよろしいでしょうか?」
「朝から嫌な予感しかしないけど。」
エルシアは少し考え込み、それから極めて真剣な表情で尋ねた。
「……あれは、なんとお呼びすればよろしいのでしょうか?」
「名前なんかありません!」
ソータの声が馬車の中へ響いた。
アルベールが張った結界が外へ音まで漏らしにくくしていることだけが、今は唯一の救いだった。
「正式な呼び名もないのですか?」
「あるだろうけど、朝から姫様とする話じゃない!」
「医学的な知識として少し気になっただけです。」
「その好奇心を俺で満たそうとするな!」
昨日までのエルシアは、どちらかといえばリシェラを止める側だった。
その彼女まで今朝に限って妙に積極的なのだから、ソータには何が起きているのか分からない。
(アルベールがいなくなってから、この二人、絶対おかしくなってるだろ。)
そんなことを考えていると、毛布の上から何かが軽く当たった。
「……。」
ソータはゆっくり視線を下げた。
リシェラの人差し指だった。
つん。
「姫様。」
「はい?」
もう一度。
つん。
「触らないでください!」
「毛布に触っているだけです。」
「絶対それを言い訳にするつもりだっただろ!」
「直接は触れていません。」
「その説明を続けるな!」
リシェラは悪びれる様子もなく笑っている。
「少し気になっただけです。」
「何が?」
「男性は本当に朝になると、こうなるのかなって。」
「俺を教材にするな!」
「父上には聞けませんし。」
「絶対聞くなよ!」
ソータはとうとう鼻の下まで毛布を引き上げた。
王都では命がけで人を助けていた男が、今は十九歳の双子の王女から毛布一枚で身を守っている。
「二人とも王女だろ。もう少し節度ってものを――」
「ソータ殿。」
「何?」
「その節度についてですが。」
エルシアが何かを思い出したような顔をする。
その瞬間、リシェラも姉を見た。
二人の間だけで何かが通じたらしい。
「何?」
ソータが怪しむ。
「今、絶対二人で何か思い出しただろ。」
二人は答えなかった。
◆◇◆
王都を出発する前夜。
エルシアとリシェラは、王妃の私室へ呼ばれていた。
王妃は窓辺の椅子に座り、向かいに並んだ娘たちを静かに見ていた。
昼間のように面白がってからかう雰囲気ではなく、その夜は珍しく少し真面目な表情だった。
「一つ、二人に聞いておきたいことがあります。」
「何でしょう。」
エルシアが答える。
「もしもソータ殿が、あなたたち二人を平等に愛すると言ったら、どうしますか?」
二人ともすぐには答えられなかった。
リシェラはこれまで、どうにかして姉より先にソータとの距離を縮めようとしてきた。
エルシアも妹ほど露骨ではなかったが、ソータへ抱いている感情をもう否定してはいない。
しかし相手は一人だった。
「普通なら、どちらか一人を選ぶものではないのですか?」
エルシアが慎重に尋ねた。
「普通なら、そう考えるでしょうね。」
王妃は頷いた。
その上で少しだけ微笑んだ。
「でも、あなたがたのどちらか、という選択を、あのソータ殿が簡単にできると思いますか?」
二人は黙った。
想像してみる。
ソータがエルシアを選び、リシェラにもう近づかないでほしいと告げる姿。
あるいはリシェラを選び、エルシアへ背を向ける姿。
どうにも想像しにくかった。
「あなたがたのどちらか、という選択は、あのソータ殿は決してしないと思いますよ。」
「でも母上。」
リシェラが少し身を乗り出す。
「それなら、どうするのです?」
「それはソータ殿自身が決めることです。」
王妃はすぐに答えた。
「ただし、あなたたちが本当にソータ殿を自分たちにも向かせたいのであれば、一つだけ覚えておきなさい。」
エルシアとリシェラが母を見る。
「あなたたちは、協力し合うことを覚えなければいけません。」
「協力?」
「ええ。」
王妃は二人を交互に見た。
「競うのは構いません。でも、お互いを蹴落として自分だけが選ばれようとすれば、おそらくソータ殿は一番嫌がるでしょう。」
それは二人にも理解できた。
ソータは誰かが傷つくことを極端に嫌う。
一人を選ぶことで別の誰かを泣かせるくらいなら、自分が悩みを抱え込んでしまう男だ。
「それに、ソータ殿にはすでに大切にしている女性たちがいます。」
王妃は静かに続けた。
「ミレイユ様、オルドアイ様、ルシア様。あなたたちは今から、その方々とも会うことになります。」
エルシアの表情が少し引き締まる。
「ならなおさら、自分たちだけのことを考えてはいけないということですか。」
「そうですね。」
「難しいです。」
リシェラが率直に言った。
「でも、ソータ様を諦めるつもりはありません。」
「でしょうね。」
王妃は笑った。
「だから二人で考えなさい。」
「二人で。」
「一人で無理なら二人で。二人でも無理なら、ソータ殿が大切にしている方々とも話してみる。それくらいの柔軟さがあった方が、あの方とは上手く付き合えると思いますよ。」
リシェラがゆっくり姉を見る。
エルシアも妹を見る。
これまで何度も張り合ってきた。
どちらが隣へ立つか。
どちらが先に手を取られるか。
どちらが先にソータから特別な言葉をもらうか。
けれど、母の言葉にも一理ある。
しばらく見つめ合った末、リシェラが小さく頷いた。
エルシアも少し考えてから、同じように頷いた。
王妃はその様子を見ながら、扇で口元を隠した。
「仲良くするのですよ。」
「母上。」
エルシアが少し警戒する。
「何です?」
「今の笑い方、少し信用できません。」
「気のせいです。」
「最近そればかりですね。」
◆◇◆
そして現在。
馬車の中で二人はもう一度顔を見合わせた。
昨日までなら、どちらかがソータへ近づけばもう一人が止めていた。
今日は違う。
二人とも小さく頷いた。
「何?」
毛布の向こうからソータの目だけが覗く。
「絶対何か決めたよね?」
「何も。」
エルシアが答える。
「何もありません。」
リシェラも続いた。
「その返事、もう信用しないからな。」
ソータが警戒している間に、リシェラが立ち上がった。
「暑いですね。」
「またそれ!?」
「朝ですから。」
「朝だから涼しいだろ!」
「私は暑いです。」
そう言うと、リシェラは旅装の上着を脱ぎ始めた。
「待て待て。」
「何でしょう。」
「何で脱ぐの?」
「暑いからです。」
「だから絶対暑くないだろ。」
ソータが止めようとした時、反対側から衣擦れの音がした。
「エルシア様?」
「何でしょう。」
「何でそっちも脱いでるの?」
「わたくしも少し暑くなってきました。」
「打ち合わせしただろ!」
二人は厚手の旅装を脱ぎ、下に着ていた薄手の肌着姿になった。
肌を大きく晒すような格好ではないが、普段の王族らしい衣装と比べれば肩や腕の線ははっきり見え、身体の柔らかな輪郭も隠しきれない。
ソータは再び毛布へ顔を埋めた。
「見ないからな。」
「見ても構いません。」
リシェラが言う。
「俺が構う!」
「ソータ殿。」
今度はエルシアの声が近い。
「何!?」
「わたくしたちは嫌ではありません。」
「だからって俺が平気とは限らないだろ!」
その返事を聞いた二人は、また顔を見合わせた。
そして今度は、右と左から同時にソータへ近づいてきた。
「ちょっと。」
右腕へリシェラの身体が触れる。
左側からはエルシアの体温が伝わってくる。
薄い衣服越しだからこそ、普段より熱が近い。
「姫様たち?」
「はい。」
「何です?」
「これは何?」
「協力です!」
「協力って、こういう意味じゃないだろ!」
「母上は具体的には説明しませんでした。」
リシェラが平然と答える。
「あのお妃さま?」
「はい。」
「なんて言われたかは知らないけど、都合よく解釈するな。」
「嫌ですか?」
エルシアが静かに尋ねた。
ソータは答えに詰まった。
嫌ではない。
それが問題だった。
(普通に嬉しいんだよな。)
胸の奥で《男気》が熱を増す。
地球にいた頃には、こんな状況を想像したことすらほとんどなかった。
自分へ好意を向けてくれる女性が一人いるだけでも信じられなかったはずなのに、今は左右に二人の王女がいる。
しかも、夜の城へ着けばミレイユもいる。
オルドアイもいる。
ルシアも待っている。
(そりゃ、自信もつくよな。)
今までのソータは、女性から好かれることそのものに慣れていなかった。
何かの間違いではないか。
自分なんかを本当に好きなのか。
その気持ちを受け入れていいのか。
ずっとそんなことを考えていた。
しかし、何度も好意を向けられ、何度も必要だと言われ、それでも彼女たちが離れないのを見ているうちに、少しずつ考え方が変わってきた。
(俺も、好かれていいのか。)
その実感が自信へ変わり、《男気》をさらに強くしているのかもしれない。
そしてもっと単純なことにも、ソータはもう気づいていた。
(……普通にムラムラしてる。)
認めてしまえば簡単だった。
綺麗な女性が二人、薄着で身体を寄せている。
しかも二人とも自分を好きだと言っている。
何も感じない方がおかしい。
「ソータ殿。」
エルシアの指が、顔を隠していた毛布へ触れる。
「待って。」
「いつまで隠れているのです?」
「今は隠れていたい。」
「嫌です。」
「エルシア様まで強くなったな!」
エルシアは少し笑いながら、毛布をゆっくり下ろした。
ソータの顔が現れる。
すぐ目の前にエルシアがいた。
青い瞳がまっすぐ自分を見ている。
頬は赤い。
平静な顔を作ってはいるが、彼女自身もかなり緊張していることが分かった。
「近いよ。」
「知っています。」
「分かってやってる?」
「はい。」
その答えを聞いて、ソータの胸の奥で何かが切り替わった。
逃げ続ける必要はない。
相手が望んでいる。
自分も望んでいる。
(だったら。)
エルシアが少しだけ顔を近づけた。
唇が触れる。
最初は本当に軽いものだった。
だがエルシアが離れようとした時、今度はソータの腕がその肩へ回った。
「ソータ殿?」
「嫌なら離れて。」
エルシアは一瞬だけ目を見開いた。
その後、ゆっくり首を振った。
「嫌ではありません。」
「じゃあ。」
今度はソータから唇を重ねた。
先ほどより長い。
エルシアの肩から少しずつ力が抜け、その身体がソータへ預けられていく。
普段の冷静な第一王女とは思えないほど緊張していたが、それでも離れようとはしなかった。
「ん……。」
小さな息が漏れる。
ソータは割と強くエルシアの体を抱きしめた。
ぬくもりと柔らかさがソータの脳を刺激する。
(これ以上はダメだぞ!)
何とか理性を保っている。
やがて二人が離れると、エルシアはぼんやりとソータを見つめた。
「大丈夫?」
「……少し待ってください。」
「何で?」
「頭が追いついていません。」
そのまま座席へ身体を預け、天井を見上げる。
頬は真っ赤だった。
それを見たリシェラが、待っていましたとばかりに身を乗り出す。
「さぁ、交代!」
「交代って言うな!」
リシェラはソータの頬へ手を添え、自分の方へ向かせる。
「私も。」
「勢いがすごいな。」
「姉様だけは不公平です。」
「さっき協力するって話だっただろ。」
「順番に協力しています。」
「絶対違う!」
そう言いながらも、ソータはもう逃げなかった。
リシェラもそれに気づいたらしく、急に表情が変わる。
「ソータ様。」
「何?」
「本当に、逃げないのですね。」
「姫様が嫌なら逃げるけど。」
「嫌じゃありません。」
「じゃあ。」
ソータの方から顔を近づけた。
唇が重なった瞬間、リシェラの身体が僅かに震える。
あれほど事故を装ってキスを狙っていた本人なのに、いざソータから本当に求められると動揺するらしい。
「ん……。」
それでもソータの服を掴み、離れようとはしなかった。
事故でも偶然でもない。
今度はソータが自分の意思でしている。
そのことが嬉しくて、リシェラはますます顔を赤くした。
ソータは悪戯気にリシェラの腰のあたりを軽く撫でた。
一瞬目を見開いたリシェラを薄めで確認すると背中にゾクっとした電気が走った。
それでも、
(これ以上はダメだぞ!)
と、言い聞かせている。
しばらくしてソータが離れると、リシェラは大きく息を吐いた。
「はぁ……。」
そしてエルシアと同じように座席へ身体を預け、天井を見る。
二人が並んだ。
姉も妹も頬を真っ赤にし、呼吸を整えようとしている。
ソータはその姿を眺めた。
少し前まで、毛布へ顔を隠していたのは自分だった。
それなのに二人の方がここまで動揺しているのを見ると、不思議と落ち着いてくる。
胸の奥にある《男気》も、先ほどまでのような暴れる熱ではなかった。
むしろ、自分が相手の気持ちを受け止めていいのだという感覚へ変わっている。
「姫様たち。」
二人とも顔を動かさない。
「まだ続きをするかい?」
自分でも驚くほど落ち着いた声が出た。
双子の肩が同時に跳ねる。
しかし、どちらも天井を向いたままだった。
「……今はこれで十分です。」
エルシアが答えた。
「私も……今は。」
リシェラも続く。
「さっきまであんなに強かったのに。」
「ソータ殿が急に変わるからです。」
エルシアがようやく横目でこちらを見る。
「今までずっと逃げていたではありませんか。」
「俺が悪いの?」
「少し。」
「理不尽だな。」
ソータが笑う。
リシェラもまだ赤い顔のまま、小さく笑った。
「でも。」
「何?」
「嫌ではありませんでした。」
「……そっか。」
その一言を聞いた瞬間、今度はソータの方が少し照れた。
「ソータ殿。」
エルシアが静かに呼ぶ。
「何?」
「今のは、わたくしも同じです。」
「二人でそういうこと言うの、ずるくない?」
「協力です。」
「そういう時だけ協力するなよ。」
三人の間に笑いが生まれた。
まだ朝だった。
夜の城へ着くのは夕方を過ぎてからになる。
そこにはミレイユ、オルドアイ、ルシアが待っている。
昨日までのソータなら、その三人へどう説明すればいいのか考えただけで頭を抱えていただろう。
今も不安がないわけではない。
特にミレイユには、一目見ただけですべて見抜かれるような気がする。
(まあ、その時はその時か。)
そんな考えが自然に浮かんだ。
自分が変わっていることを、ソータ自身も理解し始めていた。
《男気》のせいだけではない。
誰かに求められることを受け入れ、自分もその気持ちへ応えていいのだと思えるようになったことで、地球にいた頃の内気な自分から少しずつ離れ始めている。
問題は、その変化をどこまで自由にしていいのかだった。
ソータがふと左右を見ると、エルシアとリシェラはまだ天井を見たまま、時折互いの顔を横目で確認している。
「姫様たち。」
「何でしょう。」
「何です?」
「そろそろ服着て。」
二人が同時にソータを見る。
「今ですか?」
「今だよ!」
結局。
少し余裕を覚え始めたとはいえ、双子の王女を完全に相手取れるほど、ソータの《男気》はまだ完成していないらしかった。




