第180話:運送屋、少し男らしくなる
朝の馬車は、夜の城へ向かって森の街道を進んでいた。
窓の外では朝の光が木々の間を抜け、葉の隙間から差し込んだ光が車内の床をゆっくり流れていく。
昨夜から今朝にかけて散々騒いだ三人だったが、出発してしばらくすると、不思議なほど落ち着いた時間が流れ始めていた。
ソータは窓の外を眺めながら、胸の奥に残っている《男気》の感覚を確かめていた。
昨日までのように、何かに背中を強く押されるような熱は少し和らいでいる。
しかし消えてしまったわけではない。
むしろ熱そのものが身体の内側へ溶け込み、自分の考え方や仕草の一部になっているような感覚があった。
(これ、弱くなってるんじゃないな。)
(俺の方に馴染んできてる。)
以前のソータなら、女性から好意を向けられれば、まずどう答えるべきか考えた。
相手を傷つけないように、期待させすぎないように、誰かを特別扱いしたと思われないようにと考え続けた結果、何も言えずに逃げることも少なくなかった。
今は少し違う。
嬉しいなら嬉しいと言えばいい。
嫌なら嫌だと言えばいい。
そして相手の気持ちを受け止めたからといって、すぐに自分のすべてを明け渡す必要もない。
(それだけの話だったのかもしれないな。)
地球にいた頃の自分は、誰かから好かれることに慣れていなかった。
だから自分へ向けられる好意を真正面から受け取るだけで、何か悪いことをしているような気持ちになることさえあった。
けれどこの世界へ来てから、何度も必要だと言われ、何度も好きだと言われ、それでも彼女たちは自分のそばに残っている。
(俺も、もう少しくらい自信持っていいのか。)
そう思えるようになった時、《男気》は以前ほど暴れなくなった。
能力に無理やり男らしくされているのではなく、自分自身が少しずつ変わってきたのだと、ソータにも分かり始めていた。
「ソータ様。」
右隣からリシェラが顔を覗き込んだ。
「何?」
「先ほどから随分静かですね。」
「ちょっと考え事。」
「今朝のことですか?」
「半分くらい。」
リシェラの頬がわずかに赤くなる。
今朝、自分から散々ソータへ迫ったくせに、いざ話題にされるとまだ恥ずかしいらしい。
「……後悔しています?」
その問いに、ソータはほとんど迷わなかった。
「してないよ。」
「え?」
「姫様が嫌だったなら謝るけど、俺は嫌じゃなかった。」
あまりにもあっさり言われて、今度はリシェラが言葉を失った。
以前のソータなら「その、何というか」と言いながら目を逸らしたところだろう。
だが今は、リシェラの目を見たまま普通に答えている。
「リシェラは?」
「わ、私は……嫌ではありません。」
「ならいいだろ。」
「……はい。」
リシェラは小さく頷いた。
そのまま少しだけソータの肩へ寄りかかってみる。
以前なら、ここでソータの身体が硬くなった。
今日は違う。
ソータはリシェラを見て、眠そうな目に気づくと自然に腕を回した。
「眠い?」
「少しだけ。」
「だったら寝てていいよ。」
「……そのままですか?」
「嫌?」
「嫌ではありません。」
「じゃあ寝な。」
ソータはそれ以上気にする様子もなく、リシェラを軽く自分の肩へ寄せた。
むしろ動揺したのはリシェラの方だった。
(何でしょう、これ。)
昨日までは、自分から距離を詰めればソータが慌てた。
その反応を見るのが楽しかったし、少しずつ自分を意識させている実感もあった。
ところが今は、近づけば普通に受け止められる。
(こっちの方が恥ずかしい。)
リシェラはソータの肩へ頬を寄せたまま、そっと目を閉じた。
反対側では、エルシアが本を開いていた。
ただし、さっきから一向に頁が進んでいない。
ソータはしばらくそれを見てから、口元を少し緩めた。
「エルシア様。」
「何でしょう。」
「さっきから同じ頁読んでない?」
「読んでいます。」
「五分くらい変わってないけど。」
「……。」
「こっち来る?」
エルシアの指が止まった。
「何と?」
「リシェラだけ肩貸してたら気になるかなと思って。」
「気になるとは申し上げていません。」
「じゃあ来ない?」
「……。」
少し迷う。
リシェラが片目だけ開け、姉を見た。
「姉様。」
「何です?」
「無理しなくてもいいですよ。」
「その顔で言われると、非常に腹が立ちますね。」
「私は何も。」
「顔が勝ち誇っています。」
エルシアは本を閉じた。
「では、少しだけ。」
「うん。」
ソータは当たり前のように反対側の肩を空けた。
エルシアが身体を寄せると、その肩も軽く抱く。
「……。」
「何?」
「いえ。」
「嫌なら離すよ。」
「嫌だとは申していません。」
「なら、このままで。」
ソータは再び窓の外へ視線を戻した。
結果として、双子の王女が左右からソータへ寄りかかる形になった。
昨日なら一番落ち着かなかったはずのソータが、今日は誰よりも平然としている。
「姉様。」
「何です?」
「ソータ様、変わりましたね。」
「聞こえてるよ。」
「聞こえるように言いました。」
ソータが笑った。
「そんなに変?」
「以前なら、今頃お顔が真っ赤でした。」
「そうだった?」
「そうです。」
エルシアも小さく頷く。
「わたくしたちより、ソータ殿の方が慌てていました。」
「じゃあ、今は姫様たちの方が赤いね。」
「……。」
二人とも黙った。
「図星?」
「ソータ様。」
「何?」
「少し意地悪になりましたね。」
「それくらいは許して。」
リシェラは頬を膨らませたが、ソータの肩から離れようとはしなかった。
エルシアも本を開き直すことなく、そのまま静かに寄りかかっている。
三人の距離は確実に変わっていた。
けれど以前のような、どちらが先に近づくかという落ち着かない空気は少し薄れている。
ソータが逃げなくなったことで、双子の方も必要以上に追いかけなくてよくなったのだ。
◆◇◆
昼過ぎ、一行は街道沿いの小さな宿場で馬を休ませることになった。
御者が水場へ馬を連れていく間、ソータは木陰へ布を敷き、《神速積載庫》から簡単な食事を取り出した。
焼いたパン、干し肉、果物、それから昨日の夜に用意しておいたスープを鍋ごと取り出す。
「便利ですね、その能力。」
エルシアが感心したように鍋を見る。
「食事まで温かいままなのですか?」
「入れた状態に近いまま出せるみたい。」
「それなら厨房そのものを運んでいるようなものですね。」
「厨房の人に聞かれたら怒られそうだけど。」
ソータは笑いながら器へスープを注いだ。
エルシアとリシェラへ渡した後、自分の分もすぐに取る。
それを見ていたリシェラが首を傾げた。
「ソータ様、今日はちゃんとご自分の分も最初に用意するのですね。」
「何、その言い方。」
「王都では皆に配り終えてから、自分の分を忘れていたことがあったでしょう。」
「見られてた?」
「何度も。」
エルシアも頷く。
「ご自身の食事を忘れているのに、他人へは休めと仰るので、少し不思議でした。」
「それ、ミレイユにも怒られるんだよ。」
「でしたら直すべきですね。」
「直してるところ。」
ソータはパンを一口食べた。
「俺が倒れたら、結局周りに余計な仕事増やすから。」
リシェラが少し笑う。
「それでも『自分のため』とは言わないのですね。」
「……そこはまだ練習中。」
「練習するものなのですか?」
「俺には必要なんだよ。」
その答えに、エルシアの表情が柔らかくなった。
「良い変化だと思います。」
「そう?」
「はい。」
「じゃあ褒めて。」
エルシアが止まった。
「今、何と仰いました?」
「良い変化なら褒めてくれてもいいだろ。」
「ソータ殿は、以前からそのようなことを自分で要求する方でしたか?」
「最近なった。」
ソータは悪びれずに答えた。
リシェラが吹き出した。
「姉様、褒めてあげてください。」
「どうしてわたくしが。」
「姉様が良い変化だと言ったからです。」
「ではリシェラ。あなたが褒めなさい。」
「私は今朝から十分伝えています。」
「何を?」
「ソータ様のことが好きだということを。」
「昼食中にさらりと言わないでください。」
「本当のことです。」
ソータは二人のやり取りを聞きながら果物を切り分け、一切れをリシェラへ渡した。
「はい。」
「ありがとうございます。」
次にエルシアへも渡す。
「エルシア様も。」
「ありがとうございます。」
「で、褒めてくれるのは?」
「まだ覚えていたのですか?」
「こういうのは忘れない。」
エルシアは少し困ったように笑った。
「では……以前より、自分を大切にできるようになったのは立派だと思います。」
「ありがとう。」
「素直ですね。」
「褒めてって言ったの俺だから。」
今度はエルシアの方が笑った。
少し前のソータなら、こうした会話の一つ一つに照れていた。
今は楽しんでいる。
双子に優しくしながらも、必要以上に下手へ出ることもない。
その変化を、エルシアもリシェラも悪いものだとは思っていなかった。
◆◇◆
午後も旅は順調だった。
森が深くなるにつれて街道沿いには古い石像や朽ちた墓標が増え、遠くの山には黒い霧のような雲がかかっている。
夕方が近づいた頃、木々の向こうに巨大な尖塔が見え始めた。
「見えてきた。」
ソータが窓の外を指差す。
エルシアとリシェラが身を乗り出した。
「……あれが?」
「ルシアの城。」
山の斜面に沿うように、巨大な黒い城が建っていた。
幾つもの尖塔が夕暮れの空へ伸び、窓には紫色の灯りがともっている。
城壁の周囲には薄い霧が漂い、遠目には人間の住む場所というより古い伝説の中から現れた城のようだった。
「想像していたより遥かに大きいですね。」
エルシアが感嘆する。
「ルシア様、一体どれほどの領地をお持ちなのです?」
「本人はあんまり把握してないと思う。」
「王女なのに?」
「ルシアだから。」
「その説明、王都でも聞きました。」
「でもだいたいそれで説明つくんだよ。」
城門へ近づくと、槍を持った骸骨兵たちが左右へ並んでいた。
馬車が通ると、一斉に姿勢を正える。
リシェラの手がソータの袖を掴んだ。
「怖い?」
「少しだけ。」
「大丈夫。」
ソータは袖を握るリシェラの手へ、自分の手を重ねた。
「ルシアの兵だから、何もしないよ。」
「……はい。」
それだけ言うと、ソータは何度も言い聞かせたりはしなかった。
相手を安心させるために余計な言葉を重ねるより、一度しっかり伝えて信じてもらう。
そんな態度が、今のソータには自然になっていた。
リシェラも手を離さなかった。
◆◇◆
馬車が大きな城門を抜け、中庭へ入る。
正面の大階段にはすでに迎えの者たちが並んでいた。
先頭に立っていたのはチャールズだった。
黒い執事服を完璧に着こなした骸骨が、階段の下まで進み出ると優雅に一礼する。
「お帰りなさいませ、ソータ様。」
「ただいま、チャールズ。」
「そしてエルシア様、リシェラ様。夜の城へようこそお越しくださいました。」
双子は馬車を降りると、王女らしく姿勢を正えた。
目の前の執事に皮膚がまったくないという事実へ慣れるには少し時間が必要そうだったが、二人とも表情には出さない。
「歓迎に感謝いたします、チャールズ殿。」
「数日、お世話になります。」
「何なりとお申し付けくださいませ。」
チャールズがもう一度頭を下げた。
その直後だった。
「ソータ!」
城の大扉から紫色の影が飛び出してきた。
淡い紫色の髪。
大きな紫色の翼。
黒と紫を基調にしたドレス。
「ルシア。」
ソータが呼ぶより早く、ルシアが勢いよく胸へ飛び込んできた。
「帰ってきた!」
「約束しただろ。」
ソータはよろめくこともなく受け止め、その腰へ自然に腕を回した。
「ただいま。」
「……。」
ルシアがソータの顔をじっと見る。
「何?」
「ソータ、なんか違う。」
「どこが?」
「強くなった。」
「戦ってないけど。」
「そういう強いじゃない。」
ルシアは説明できないらしく、少し首を傾げた。
ソータはそんな彼女を見て笑い、その額へ軽く口づけた。
「え。」
ルシアが固まった。
後ろにいたエルシアとリシェラも固まった。
「約束守ったご褒美。」
ルシアは数秒黙った後、翼を少し広げる。
「もう一回。」
「後で。」
「今。」
「後で。」
「どうして?」
「今やっただろ。」
「一回だった。」
「一回で十分。」
ルシアが頬を膨らませる。
「ソータ、前より強くなった。」
「何回言うんだよ。」
要求されても押し切られない。
それでいて冷たくもしない。
ルシアの頭を軽く撫でると、ソータは彼女の腰から腕を離した。
双子はその一連のやり取りを、少し驚きながら見ていた。
(これが、ルシア様との距離なのですね。)
自分たちは今朝ようやくソータとキスをしたばかりだ。
それなのにルシアは、抱きつくことにも、額へ口づけされることにもほとんど迷いがない。
ただ、それ以上に気になったのはソータだった。
振り回されていない。
ルシアの要求を全部受け入れるわけでもない。
好きだから優しくするが、何でも言う通りになるわけではない。
昨日までのソータとは、やはり少し違っていた。
「随分楽しそうね。」
その声が聞こえた瞬間、ソータが玄関へ顔を向けた。
そこにはミレイユが立っていた。
赤い髪をまとめ、黒と赤、それに金をあしらった商人貴族らしい衣装を着ている。
その隣には、褐色の肌と長い黒髪を持つオルドアイ。
さらに少し後ろには、先に戻っていたアルベールが穏やかな笑顔で控えていた。
「ソータ。」
ミレイユの声が低い。
誰が聞いても、これから説教が始まると分かる声だった。
「ただいま。」
「……それだけ?」
「会いたかったよ。」
「え?」
ミレイユの勢いが止まった。
たぶん、言いたいことを頭の中でかなり用意していたのだろう。
その最初の一撃を、ソータは何の計算もなく潰した。
ルシアから離れたソータは、そのままミレイユの前まで歩いた。
「心配かけて悪かった。」
「そうよ。本当にどれだけ心配したと――」
「うん。」
ソータはミレイユの手を取った。
「アルベールから聞いた。」
「……何を?」
「俺が倒れたって聞いて、かなり怒ってたって。」
「心配してたのよ。」
「分かってる。」
ソータはその手を両手で包んだ。
「ありがとう。」
ミレイユが止まる。
以前なら、ここでソータの方が申し訳なさそうに縮こまっていた。
今は違う。
謝ってはいる。
しかし必要以上に怯えてはいない。
「怒ってる?」
「怒ってるわよ。」
「そっか。」
「何よ、その余裕。」
「怒られるのは仕方ないと思ってるから。」
「だったら――」
「でも一つだけ。」
ソータはミレイユの言葉を柔らかく止めた。
「『二度と危ないことしない』とは言えない。」
ミレイユの眉が上がった。
「ソータ。」
「誰かが死にそうなら、たぶん俺はまた動く。」
「……。」
「そこだけは嘘ついて安心させたくない。」
ミレイユは黙った。
ソータはそのまま続ける。
「でも、自分まで壊れるような無茶は減らす。」
「減らすじゃなくて、やめて。」
「できる範囲で。」
「そこは絶対って言いなさいよ。」
「無理。」
きっぱり言った。
ミレイユが目を見開く。
「できない約束して、後でまた破る方が嫌だろ?」
「……それは。」
「だから、できることだけ約束する。」
ソータは少し笑った。
「自分の身体もちゃんと数に入れる。それなら約束する。」
ミレイユはしばらく何も言えなかった。
説教をするつもりだった。
もっと自分を大事にしろと言うつもりだった。
なのに目の前のソータは、逃げずに話を聞きながらも、言いなりにはならない。
そして何より、言っていることが妙に筋が通っている。
「……ずるくなったわね。」
「何が?」
「そういう言い方されたら、怒り続けにくいじゃない。」
「じゃあ成功。」
「調子に乗らない。」
ミレイユはそう言ったが、頬が少し赤い。
ソータはその変化を見て、少しだけ顔を近づけた。
「何?」
「まだ怒ってる?」
「少し。」
「じゃあ、あとでちゃんと聞く。」
「後で?」
「二人で。」
「……二人で?」
「その方がミレイユも言いたいこと言えるだろ。」
ミレイユの顔がさらに赤くなる。
「あなた、本当に何があったの?」
「何も。」
「何もない男の言い方じゃないわよ!」
後ろでオルドアイが堪えきれず笑った。
「ミレイユが完全に丸め込まれているな。」
「丸め込まれてない!」
「頬が赤いぞ。」
「オルドアイは黙って!」
「だが、実際前より強くなっている。」
オルドアイがソータを見る。
「何があった、ソータ。」
「色々考えただけ。」
「それだけか?」
「たぶん。」
ソータはオルドアイの前へ歩いた。
「ただいま。」
「うむ。」
「心配した?」
「当然だ。」
「ごめん。」
今度も誤魔化さない。
「でも、会えて嬉しい。」
「……。」
オルドアイの褐色の頬が目に見えて赤くなった。
「何だ、急に。」
「思ったから言った。」
「以前のお前は、そんなことを簡単には言わなかったぞ。」
「最近は言う。」
「そういう問題か?」
「嫌?」
「嫌とは言っていない!」
オルドアイの声が少し大きくなる。
ソータは笑って、その肩へ軽く手を置いた。
「じゃあいいだろ。」
「……お前。」
「何?」
「本当に少し腹が立つな。」
「どうして?」
「格好よくなっているからだ!」
言った直後、オルドアイ自身が固まった。
ミレイユが横から見る。
「オルドアイ。」
「何だ。」
「あなたも丸め込まれてるわよ。」
「うるさい!」
今度はオルドアイまで赤くなった。
その横では、ルシアが不満そうに翼を揺らしている。
「ソータ。」
「何?」
「ルシアには?」
「さっき抱きついてきただろ。」
「言葉。」
「何て?」
「会いたかったって。」
ソータは笑った。
「会いたかったよ。」
「もう一回。」
「会いたかった。」
「もう一回。」
「調子に乗るな。」
「……。」
ルシアが止まった。
「ソータがルシアに調子に乗るなって言った。」
「言ったよ。」
「前は言わなかった。」
「今は言う。」
しばらく見つめ合った後、ルシアは急に笑った。
「今のソータ、ちょっと好き。」
「前は?」
「前も好き。」
「なら問題ない。」
ルシアは満足そうにソータへ抱きついた。
ソータも自然に受け止めるが、今度は必要以上に振り回されることはない。
その様子を、エルシアとリシェラは少し離れた場所から見ていた。
「姉様。」
「何です?」
「私たちが王都で見ていたソータ様と、少し違いますね。」
「ええ。」
「怖いという意味ではありません。」
「分かっています。」
エルシアも同じことを感じていた。
優しいところは変わらない。
誰かを大切にしようとする姿勢も変わっていない。
ただ、相手へ合わせすぎなくなった。
好きなら好きだと態度で示す。
しかし嫌なものは断る。
怒られても言いなりにならず、自分の考えをきちんと話す。
(これが、本来のソータ殿なのかもしれませんね。)
《男気》がソータを別人へ変えたのではない。
今まで少し内側へ隠れていたものが、表へ出てきただけなのだろう。
◆◇◆
歓迎の挨拶は、大広間で改めて行われることになった。
チャールズに案内され、エルシアとリシェラは巨大な玄関ホールへ足を踏み入れる。
高い天井から古いシャンデリアが下がり、壁際には骸骨兵たちが整然と並んでいた。
奥では本当に骸骨の楽団が弦楽器を奏でており、静かな旋律が広い空間へ響いている。
「本当に楽団がいますね。」
エルシアが思わず呟いた。
「言っただろ。」
「半分くらい冗談だと思っていました。」
「もっと変なこともするよ。」
「例えば?」
「芝居。」
リシェラが振り向く。
「骸骨が?」
「骸骨が。」
「誰が見るのです?」
「ルシアとか。」
「楽しい。」
すぐ近くを歩いていたルシアが答えた。
「今日は歓迎で劇もやる?」
「今日は普通の食事からでお願いします。」
エルシアが即答する。
「残念。」
ルシアが少し肩を落とした。
その様子にリシェラが笑う。
「思っていたより、普通に楽しそうなお城ですね。」
「慣れるとね。」
「ソータ様はここへよく来るのですか?」
「最近はちょこちょこ。」
「では、私たちも慣れるでしょうか。」
「たぶん。」
「では、慣れるまで案内してください。」
「もちろん。」
ソータが簡単に答える。
その返事にリシェラは少し嬉しそうな顔をした。
その後ろを歩いていたミレイユは、そんなソータの背中をじっと見ていた。
以前なら、女性が増えただけでソータは困り果てた顔をしていた。
今は違う。
エルシアとリシェラへ優しくしながらも、必要以上に振り回されていない。
(何よ。)
ミレイユは少しだけ頬を膨らませる。
(前より格好よくなってるじゃない。)
それが妙に悔しい。
しかも本人は、格好つけているつもりがまったくないらしい。
「ミレイユ。」
気づくと、ソータが横へ来ていた。
「何?」
「また怒ってる?」
「まだ少し。」
「そっか。」
「何よ。」
「夕食終わったら、ちゃんと時間取るよ。」
「忘れてなかったの?」
「忘れるわけないだろ。」
「……。」
「それまでは、姫様たちの歓迎が先。」
ミレイユはソータを見た。
以前なら、ここで「怒らないでくれ」と頼んだ。
今は、自分のやるべきことを決めた上で、後できちんと話すと言っている。
「分かったわ。」
「ありがとう。」
「でも、逃げたら許さない。」
「逃げない。」
「本当に?」
「うん。」
ソータは少し笑った。
その顔を見て、ミレイユは結局それ以上怒れなくなった。
「……あなた、いつからそんなに女の扱いが上手くなったの?」
「扱ってるつもりないけど。」
「それが一番腹立つのよ。」
「何で?」
「自分で考えなさい。」
ミレイユはそう言いながら先へ歩いた。
ただし、その口元には笑みが残っている。
アルベールは少し後ろから、その様子を静かに見ていた。
(なるほど。)
《男気》は弱まっているように見える。
だが実際には違う。
外へ溢れていた力が、ソータ自身へ吸収され始めている。
元から持っていた優しさへ、自信と決断力が加わった。
以前なら押されれば引いた。
怒られればすぐ謝った。
女性から強く迫られれば慌てて逃げた。
今は受け止める。
それでも、自分が違うと思えば退かない。
しかも威圧的ではない。
相手を否定するのではなく、自分の考えを伝えながら自然に場を収めてしまう。
(これは、ミレイユ様方がお困りになるわけでございますな。)
アルベールは口元へわずかな笑みを浮かべた。
◆◇◆
大広間の扉の前で、ソータは一度だけ足を止めた。
右側にはエルシアとリシェラ。
左側にはミレイユ、オルドアイ、ルシア。
後ろにはアルベールとチャールズがいる。
少し前なら、この人数に囲まれただけで頭を抱えていたかもしれない。
今は違う。
(まあ、なるようになるか。)
全員が自分にとって大切な人たちだ。
なら、誰か一人から逃げる必要もないし、誰かの機嫌を取るために別の誰かを遠ざける必要もない。
「ソータ?」
ミレイユが呼ぶ。
「何でもない。」
ソータは前を向いた。
「行こう。」
その声に迷いはなかった。
チャールズが巨大な扉を開く。
その先には夜の城が用意した歓迎の席が広がっていた。
王都から来た双子の王女。
アマゾネスの姫。
吸血鬼の姫。
大商会の娘。
そして、その全員の中心へ立つことを、もう以前ほど怖がらなくなった一人の運送屋。
《男気》は確かに静かになり始めていた。
しかし、それは消えたからではない。
ソータという男そのものへ少しずつ溶け込み、これまで足りなかった自信や覚悟として根を下ろし始めていた。




