第176話:王妃、娘たちに悪知恵を授ける
王妃の私室へ向かう廊下を、エルシアとリシェラは並んで歩いていた。
外はすでに日が傾き始めており、王城の高い窓から差し込む橙色の光が、修復途中の壁や床へ長い影を落としている。
反乱の跡は王城の内部にもまだ残っていたが、倒れていた家具は片づけられ、割れた窓には仮の板が打ちつけられ、最低限の生活は戻りつつあった。
「姉様。」
「何です?」
「母上に、どう説明します?」
「まずは事実だけを伝えます。」
「ソータ様がルシア様の城へ行ってしまう、と?」
「その言い方では、まるでわたくしたちが引き止めたいだけのように聞こえるでしょう。」
「引き止めたいです。」
「わたくしも否定はしませんが、それを最初に言ってどうするのです。」
リシェラは少し考えた後、不満そうに唇を尖らせた。
「では、ルシア様へ正式なお礼をする必要がある、と言えばいいでしょう?」
「それは理由として間違っていません。」
「オルドアイ様も王女ですし、ミレイユ様も隣国の大商会の娘です。」
「そこまで分かっているなら、最初からそう言ってください。」
「でも、本当の目的はソータ様です。」
「リシェラ。」
「分かっています。父上には言いません。」
エルシアは深く息を吐いた。
妹は単純に見えて、こういう時だけ妙に勘がいい。
ソータが夜の城へ向かうと聞いた瞬間、政治的な理由まで組み立て始めているのだから、行動力だけなら姉より上かもしれない。
問題は、その行動力が恋愛へ向いた時だった。
(母上まで加われば、話が必要以上に大きくなる気がします。)
嫌な予感はあった。
それでも、今さら引き返す気にはなれなかった。
◆◇◆
王妃の私室では、侍女たちが夕食前の茶を用意していた。
王妃は窓際の長椅子に座り、王都各区から集まった報告書へ目を通している。
双子が揃って入ってくると、顔を上げるより先に小さく笑った。
「二人揃って来るなんて珍しいですね。」
エルシアとリシェラが互いを見る。
「まだ何も言っていませんが。」
「ええ。でも、だいたい分かります。」
王妃は書類を閉じ、侍女へ目配せした。
茶の準備を終えた侍女たちは静かに部屋を出ていく。
「ソータ様のことですね?」
リシェラが思わず口を開いた。
「どうして分かったのです?」
「最近、あなたたちが二人揃って私のところへ来る時は、大抵その話ですから。」
エルシアは少し顔を伏せた。
「そんなに分かりやすいでしょうか。」
「ええ。」
「即答ですか。」
「特にリシェラは。」
「私だけですか?」
「エルシアは隠そうとします。あなたは隠したつもりで全部顔に出ます。」
リシェラは不満そうな顔をしたが、その表情自体が母の言葉を証明していた。
王妃は二人へ座るよう促した。
「それで、今度は何があったのです?」
エルシアが先に説明を始めた。
ソータが明日、アルベールと共に夜の城へ向かうこと。
王都の物流はすでに一定程度自立しており、ソータが一時的に離れても大きな混乱は起きない見込みであること。
そしてルシアとの約束だけでなく、ミレイユやオルドアイへ無事を知らせる意味もあるらしいこと。
王妃は最後まで口を挟まずに聞いていた。
「なるほど。」
説明が終わると、王妃は茶器を持ち上げた。
「それで?」
「それで、とは?」
「あなたたちはどうしたいのです?」
エルシアが言葉に詰まる。
代わりにリシェラが答えた。
「一緒に行きたいです。」
「リシェラ。」
「だって、それが一番分かりやすいでしょう?」
王妃は笑った。
「私は嫌いではありませんよ、その素直さ。」
「母上。」
「エルシアは?」
今度は王妃が姉を見る。
エルシアはすぐには答えなかった。
本音を言えば、自分も行きたい。
ソータが離れるのが嫌だから。
夜の城にいる三人の女性が気になるから。
そして何より、自分がこれからソータへどう向き合うべきなのか、その三人を知らないままではいられないと思っているからだった。
「わたくしも、同行には意味があると思っています。」
「随分慎重な言い方ですね。」
「わたくしは王女ですから。」
「その王女が、外国出身者を王家へ迎える前例まで調べていたのですけれど。」
「母上、それは今関係ありません。」
「私はあると思いますよ。」
エルシアは反論を諦めた。
王妃は茶を一口飲んでから、少し真面目な表情になる。
「二人とも、ソータ様が夜の城へ行くのを止めたいのですか?」
リシェラは少し迷いながら頷いた。
「できるなら。」
「それはお勧めしません。」
意外な答えだった。
リシェラが目を瞬く。
「どうしてです?」
「ルシア様との約束があるのでしょう?」
「はい。」
「ミレイユ様も、オルドアイ様も待っている。そこへ行くことを、あなたたちの都合だけで邪魔したらどう思われるでしょう。」
リシェラは黙った。
王妃はさらに続ける。
「それに、ソータ様を本当に大切に思っているのなら、ソータ様が大切にしている方々を無視するべきではありません。」
エルシアは母の言葉を静かに聞いていた。
そこは自分も同じことを考えている。
ミレイユ、オルドアイ、ルシア。
三人とも、ソータにとって特別な女性なのだろう。
その存在を邪魔者として見るだけでは、結局ソータ本人を理解したことにはならない。
「母上は、わたくしたちが三人と親しくなるべきだと?」
「ええ。」
王妃は即答した。
「政治的にも、その方がはるかに得です。」
そこで王妃の声が少し変わった。
「ルシア様は吸血鬼の姫君。今回、実際に王都を助けてくださった方です。アルベール殿を救い、グラードを退かせた功績もある。王家として正式な礼を尽くす必要があります。」
「はい。」
「オルドアイ様もアマゾネスの姫君。今後、国同士の交流が深まる可能性もあるでしょう。」
「ミレイユ様は?」
リシェラが聞く。
「隣国でも大きな商会の娘でしょう? 王都復旧のような時期に、大商会との繋がりを持つ価値を説明する必要がありますか?」
「ありません。」
そこまで聞けば、エルシアにも王妃が何を考えているのか分かった。
単に娘たちをソータについて行かせるためだけではない。
夜の城に集まっている人物たちは、それぞれが異なる勢力と繋がっている。
今の王国にとっては、どの相手とも親交を深めておく価値があった。
「つまり、わたくしたちが同行しても不自然ではない理由はある、と。」
「十分にあります。」
王妃は微笑んだ。
「むしろ、この機会に顔を合わせておくべきでしょう。」
リシェラの表情が明るくなった。
「では、一緒に行けるのですね?」
「まだ父上が認めていません。」
「母上が説得してください。」
「随分簡単に言いますね。」
「母上ならできます。」
「そういうところだけ信頼が厚いですね。」
王妃は少し楽しそうだった。
エルシアがその表情を見て、嫌な予感を強める。
「母上。」
「何でしょう。」
「他にも何か考えていますね?」
「ええ。」
あっさり認めた。
王妃は二人へ少し身を寄せる。
「これは父上には言いませんが。」
リシェラがすぐに姿勢を正した。
「はい。」
「あなたたちがソータ様をどうにかしたいのなら。」
「母上。」
エルシアが止めようとしたが、王妃は構わず続けた。
「まず、ソータ様が大切にしている方々と一生懸命仲良くなりなさい。」
リシェラが目を瞬く。
「一生懸命?」
「ええ。」
「どうしてです?」
「考えてみなさい。ミレイユ様たちから嫌われたまま、ソータ様だけをこちらへ引っ張ろうとして上手くいくと思いますか?」
リシェラは少し考えた。
「……思いません。」
「でしょう?」
王妃は満足そうに頷く。
「特にミレイユ様です。」
「ミレイユ様?」
「お話を聞く限り、ソータ様が一番長く信頼している方なのでしょう?」
エルシアも頷いた。
「おそらく。」
「なら、その方に認めてもらう方が話は早いと思いませんか?」
リシェラの目が少し輝いた。
「つまり、ミレイユ様と仲良くなれば。」
「少なくとも敵対するよりは、ずっと可能性があります。」
王妃の言い方は絶妙だった。
絶対に上手くいくとは言っていない。
ただ、二人が期待したくなる程度には道を見せている。
「オルドアイ様とも?」
「もちろん。」
「ルシア様とも?」
「当然です。」
リシェラは真剣な顔で考え始めた。
「三人とも、好みが違いそうですね。」
「何を考えているのです。」
「仲良くなる方法です。」
「その前に普通に挨拶してください。」
エルシアは額へ手を当てた。
「母上、妹を煽らないでください。」
「煽ってなどいませんよ。」
「先ほどから十分煽っています。」
「エルシアも気になるでしょう?」
「それは……。」
エルシアは言葉を止めた。
確かに気になる。
ミレイユがどんな女性なのか。
オルドアイとソータがどんな関係なのか。
ルシアがなぜソータへあれほど懐いているのか。
政治とは関係なく知りたい。
王妃は娘の沈黙を見て、楽しそうに笑った。
「あなたも同じですね。」
「わたくしは、リシェラより慎重なだけです。」
「結果は同じです。」
リシェラが横から頷く。
「姉様も行きたいんですよね?」
「……行きたいです。」
とうとう認めた。
王妃は満足そうに茶器を置いた。
「では、あとは父上です。」
◆◇◆
その日の夕食後、国王は執務室で復旧状況の報告を受けていた。
机の上には王都各区の被害状況、反乱参加者の取り調べ記録、地方領主から届いた書簡が積まれている。
グラードの動機について調べを進めるほど、国王は自分たち王家が把握できていなかった問題の多さを思い知らされていた。
飢饉の報告が途中で握り潰されていた地域。
救援要請を放置した役人。
領民から過剰に税を取っていた地方貴族。
教会の名を使いながら私腹を肥やしていた者。
反乱そのものを許すつもりはない。
だが、知らなかったでは済まされないことも増えている。
そんな国王のもとへ、王妃がやってきた。
「少しよろしいですか?」
「ああ。」
国王は書類から顔を上げた。
「どうした?」
「エルシアとリシェラのことで、お話があります。」
国王の表情が僅かに警戒する。
「……ソータ殿の話か?」
王妃が少し驚いた。
「察しがよくなりましたね。」
「最近、娘たちの話になると大抵あの男が出てくる。」
「成長しましたね。」
「喜んでいいのか分からん。」
国王は椅子へ背を預けた。
「それで?」
「ソータ様が明日、一度王都を離れるそうです。」
「ああ。アルベール殿から聞いた。吸血鬼の姫君の城へ向かうのだろう?」
「ええ。」
王妃はそこで、昼間に娘たちへ説明した内容を順番に話し始めた。
ルシアへ王家として正式な礼を伝える必要があること。
オルドアイとも、今後の交流を考えるなら顔を合わせておくべきこと。
ミレイユが隣国の大商会に連なる人物であり、王都復旧や今後の交易を考えれば親交を持つ価値があること。
国王は黙って聞いていた。
「確かに、筋は通っているな。」
「でしょう?」
「だが、それなら使者を送ればよい。」
「普通ならそうでしょう。」
王妃はすぐには引かなかった。
「ですが今回は、王女二人が直接赴く意味があります。」
「なぜだ?」
「一つは、王家からの礼として十分な格を示せること。」
「うむ。」
「もう一つは、王都がまだ完全には安全ではないことです。」
国王の表情が少し変わった。
「残党か。」
「可能性はあります。」
王妃は落ち着いた声で続けた。
「グラード自身がどこへ行ったかも分かっていません。反乱勢力の全員が拘束されたわけでもない。王女二人が王都に残っていると知られれば、再び狙われる可能性は否定できません。」
「しかし王城の警備は増やした。」
「ええ。それでも、一時的に王都を離れることは悪い選択ではないでしょう。」
国王は考え込んだ。
「護衛を大勢つければ、それだけ目立つ。」
「その通りです。」
「少人数で動くなら、腕の立つ護衛が必要になる。」
王妃は何も言わず、夫を見る。
国王が嫌そうな顔をした。
「まさか。」
「はい。」
「ソータ殿か。」
「他に誰がいます?」
国王は深く息を吐いた。
「運送屋なのだろう、あの男は。」
「この王都では、下手な騎士より信用されているようですが。」
「それは否定できん。」
王城を救った。
王女二人を守った。
王と王妃まで救出した。
しかも本人は戦功や褒美を求めず、目を覚ました後は王都の復旧へ戻っている。
国王として信用できない理由の方が少ない。
「だが。」
国王は眉を寄せた。
「娘二人を、あの男と一緒に?」
「アルベール殿もいます。」
「そういう問題ではない。」
「では、どういう問題です?」
王妃が少し笑った。
「あなた、先日の浴場で何を見ていたのです?」
「見ていたから心配なのだ。」
「エルシアもリシェラも十九ですよ。」
「だから何だ。」
「子供ではありません。」
「娘は何歳になっても娘だ。」
国王は真剣だった。
王妃はその顔を見て、笑いを堪えた。
「では、王都へ残して危険に晒す方がよいですか?」
「それを言われると困る。」
「でしょう?」
国王は再び黙り込んだ。
王妃は最後の一押しをする。
「それに、きっと三人の女性たちとは今後も関わりが続くはずです。」
「ミレイユ殿、オルドアイ殿、ルシア殿か。」
「ええ。ならば、娘たちが今のうちに顔を合わせておくことにも意味があります。」
「外交としては分かる。」
「それで十分です。」
「何か隠しておらんか?」
一瞬だけ。
王妃の笑顔が深くなった。
「何も。」
国王が目を細める。
「今の間は何だ。」
「気のせいでしょう。」
もちろん気のせいではない。
娘たちへ「ソータ様をどうにかしたいなら、まず大切な方々と仲良くなりなさい」と吹き込んだことなど、今ここで話すつもりはなかった。
もし話せば、王は余計に反対するに決まっている。
国王はしばらく考えた後、ようやく息を吐いた。
「分かった。」
「では。」
「条件付きだ。」
「聞きましょう。」
「ソータ殿本人が引き受けること。アルベール殿も同行すること。そして王女として節度を守ること。」
「最後の条件は、私からも伝えておきます。」
「特にリシェラへ。」
「エルシアにも必要かもしれませんよ。」
「エルシアまでか?」
国王の顔が険しくなる。
王妃は楽しそうに笑った。
「あなたは本当に、娘たちのことになると鈍くなりますね。」
「どういう意味だ。」
「そのうち分かります。」
「今教えろ。」
「嫌です。」
国王は不満そうだったが、もう決定そのものを覆すつもりはないようだった。
◆◇◆
王妃の私室へ戻ると、エルシアとリシェラはまだ待っていた。
二人とも本を開いてはいたが、ほとんど内容が頭に入っていないことは一目で分かった。
王妃が入室すると、リシェラが真っ先に立ち上がる。
「母上。」
「何です?」
「どうでした?」
「父上は認めました。」
リシェラの顔が一気に明るくなった。
「本当ですか?」
「ええ。ただし、ソータ様本人が引き受けることが条件です。」
「そこは大丈夫です。」
リシェラが即答する。
「なぜあなたが分かるのです?」
「ソータ様は頼まれたら断れません。」
エルシアが横から言った。
「それを利用するような言い方はやめなさい。」
「姉様も嬉しいでしょう?」
「それは……嬉しいです。」
今日は随分素直になった。
王妃はそんな娘たちを見ながら、満足そうに微笑んだ。
「では、明日はきちんと王女として挨拶するのですよ。」
「分かっています。」
「夜の城へ着いたら、ミレイユ様たちにも礼儀を忘れないこと。」
「はい。」
「特に、いきなりソータ様を取り合わないこと。」
「母上!」
エルシアが赤くなる。
リシェラは少し考えていた。
「いきなりでなければいいのですか?」
「リシェラ!」
「冗談です。」
「今の顔は本気でした。」
王妃は扇で口元を隠した。
「私は、あなたたちが仲良くできればそれでいいのですよ。」
エルシアが母をじっと見る。
「本当にそれだけですか?」
「もちろん。」
「信用できません。」
「酷いですね。」
王妃は笑っている。
リシェラはすでに明日のことを考えているらしい。
「ルシア様には、何を持っていけば喜ばれるでしょう。」
「まずは正式な礼状でしょう。」
「それは王女としてです。私個人として。」
「まだ会ってもいないでしょう。」
「だから考えるのです。」
エルシアは呆れながらも、自分も同じことを考え始めていた。
ミレイユには何を話すべきか。
オルドアイとは、どんな距離で接するべきか。
ルシアには、王都を救ってくれた礼をどう伝えるべきか。
そしてその三人が、ソータとどんな関係なのか。
(……わたくしは、かなり気にしているのですね。)
もう否定する理由もなかった。
王妃はそんな二人を眺めながら、内心で少しだけ笑う。
王国にとっては外交。
国王にとっては王女たちの安全確保。
双子にとっては、ソータの大切な女性たちへ近づく機会。
一つの旅に、それぞれ違う理由が乗せられた。
ただ一人、その旅の中心にいるソータだけは、まだ何も知らない。
明日は一度王都を離れ、夜の城で少し落ち着ける。
そんなふうに考えているはずだった。
しかし王妃の手によって、その静かな予定はすでに大きく変わり始めていた。




