第171話:運送屋は、風呂まで運ぶ
翌朝、ソータたちは王都西区に残っている古い公衆浴場へ向かった。
昨日までは建材や食料の流れを整えることが優先されていたが、復旧作業が長引くにつれて、人々の衛生状態も無視できなくなっていた。
何日も煤や汗にまみれたまま働いている大工や兵士がいる。
避難所では一つの桶を何人も順番に使い、最低限身体を拭くだけで済ませている者も多い。
負傷者については、傷口を洗うだけでも大量の清潔な水が必要だった。
ヨーダによれば、今のままでは傷の悪化だけでなく、避難所で病気が広がる危険まであるという。
単に「風呂に入りたい」という贅沢の話ではなくなっていた。
ソータの横を歩くエルシアは、王都の古い地図を持っていた。
その少し後ろにはリシェラが続き、ヨーダと数人の神官、大工や石工も同行している。
「この先です。」
エルシアが通りの奥を指した。
目的の浴場は、二階建ての石造りだった。
正面にはかつて店名が書かれていたらしい看板が残っているものの、文字の半分ほどは剥がれ落ちている。
入口の扉も片方が傾き、窓には板が打ち付けられていた。
「思ったより大きいですね。」
ソータが建物を見上げる。
「昔は西区で最も大きな浴場の一つだったそうです。」
エルシアが地図を確認する。
「ですが、新しい浴場が中央区にできてから客が減り、数年前からほとんど使われなくなっていました。」
「水はまだ来てる?」
「地下水路自体は残っているはずですが、内部を確認しないと分かりません。」
ソータはすぐ中へ入ろうとせず、建物の周囲を一度確認した。
正面から見た限りでは大きな崩落はない。
ただし裏手の屋根が少し沈んでおり、壁にも細いひびが走っている。
大工の親方が壁を叩き、石工が亀裂を確認した。
「建物そのものはまだ使えるな。」
「屋根は直した方がいい。」
「浴槽の方も見ないと何とも言えねえ。」
親方が扉へ手をかける。
錆びた蝶番が大きな音を立てた。
中へ入ると、湿気と埃が混じった匂いがした。
受付らしい場所には壊れた棚が残り、床には木片や瓦礫が散らばっている。
さらに奥へ進むと、男女それぞれの脱衣所へ繋がる扉があった。
ソータはまず左側から確認した。
脱衣所には古い籠と棚がいくつか残っている。
使えないほど壊れているものもあるが、修理すれば使えそうな棚も多い。
「ここはかなり残ってる。」
「問題は浴室だな。」
親方が奥の扉を開ける。
広い石造りの浴室が現れた。
中央には大きな浴槽があり、その周囲に小さな洗い場が並んでいる。
長く使われていなかったため、浴槽の中には落ち葉や泥が溜まり、壁の一部には苔まで生えていた。
リシェラが思わず顔をしかめる。
「これを使えるようにするのですか?」
「洗えば何とかなるかも。」
ソータは浴槽の中を覗き込んだ。
汚い。
だが、割れてはいない。
水を抜く穴も残っている。
「水路を先に見ましょう。」
ヨーダが言った。
「浴槽が無事でも、水が入らなければ意味がありません。」
「ですね。」
地下水路へ繋がる点検口は、浴場の裏手にあった。
石蓋を外すと、湿った冷たい空気が上がってくる。
神官の一人が灯りの魔法を使い、石段を照らした。
ソータたちは慎重に降りていく。
地下には細い水路が通っていた。
本来ならそこから浴場へ水が引き込まれる仕組みだったらしいが、途中で土砂が詰まり、水の流れがかなり弱くなっている。
「これか。」
ソータは詰まりの前でしゃがんだ。
小石。
泥。
古い木片。
さらに上流から流れてきたらしい枝まで絡んでいる。
「全部一気に消したらまずい?」
親方へ聞く。
「水が急に来るかもしれねえな。」
「じゃあ少しずつやりますか。」
ソータは《神速積載庫》を使い、手前側の小石から順に収納していった。
一つ取り除くたび、残った泥の動きを確認する。
しばらくすると、水音が少し大きくなった。
「流れ始めた。」
リシェラが灯りを近づける。
「まだ詰まっています。」
「うん。でも一気にやると危ないから。」
さらに少しずつ取り除く。
泥の塊を収納した直後、水が一気に前へ流れそうになった。
ソータはすぐ手を止める。
「ここで待ちます。」
「なぜ?」
リシェラが聞く。
「下流側が急に増えた水を受けられるか確認してから。」
リシェラは納得したように頷いた。
以前なら、ソータの能力を見て「全部消してしまえば早い」と思ったかもしれない。
けれど今では、彼が何かを残す時にも理由があると分かってきている。
数分待っても問題が起きないことを確認し、残りの詰まりを取り除く。
やがて水路へ、はっきりとした流れが戻った。
「来ましたな。」
ヨーダが水へ手を触れる。
「思ったより冷たい。」
「温める設備は?」
ソータが聞く。
親方が浴場側を指した。
「昔は裏の釜場で沸かしてたはずだ。」
「じゃあ次はそこですね。」
◆◇◆
釜場は、予想していたより状態が悪かった。
巨大な湯沸かし釜そのものは残っている。
しかし煙突の一部が崩れ、薪置き場にも瓦礫が入り込んでいた。
石工が釜の周囲を確認しながら首を捻る。
「釜はまだ使える。」
「煙道が問題だな。」
「今日中に直る?」
ソータが聞く。
「材料があれば。」
「必要な物は?」
「耐火煉瓦と鉄の留め具。それから薪だ。」
「ある。」
ソータはすぐに答えた。
石工が苦笑する。
「聞く前からあるって言えるのすげえな。」
「たぶん、だけど。」
《神速積載庫》の中身を思い返す。
王都復旧のため、ここ数日でかなり多くの物を出し入れしている。
それでも、北の砦や村々から持ってきた道具や資材の中に、耐火性の高い石材や留め具がまだ残っていたはずだ。
(全部ここで使うわけにはいかないけど、必要な分なら。)
王都だけで物資を使い切る気はない。
他の場所でも何が起こるか分からないからだ。
必要量を聞き、ソータは最低限だけ取り出した。
それを見たエルシアが気づく。
「もっと出せるのではありませんか?」
「出せます。」
「では、なぜ少しだけ?」
「全部使ったら次がないから。」
ソータは当たり前のように答えた。
「ここだけ助かれば終わりじゃないでしょう。」
エルシアは少し黙った。
彼はいつもそうだ。
目の前の人を助けようとする。
その一方で、目の前だけですべてを使い切らない。
必要な分を渡し、次の場所へ残す。
(だから、長く続くのでしょうね。)
単なる優しさだけではない。
続けるために何を残すべきかを考えている。
そこが、エルシアには妙に頼もしく見えた。
「どうしたの?」
「何でもありません。」
「最近それ本当に多いな。」
「あなたの周りでだけです。」
「何で?」
「知りません!」
エルシアは少しだけ笑った。
その横で、リシェラが二人の会話を聞いていた。
(姉様、また普通に笑ってる。)
最近のエルシアは、ソータと話している時だけ表情が柔らかい。
以前なら、もう少し王女らしい距離を保っていた。
今は違う。
しかも本人も、少しずつ距離を縮めようとしているように見える。
(やっぱり姉様も好きなんだ。)
認めた瞬間。
胸の奥が少し焦る。
(まずい。)
自分は何度も近づこうとしているのに、まだ何も進んでいない。
ルシアには当然、先を越されている。
そこへ姉まで加わる。
(のんびりしてたら駄目かも。)
そう考えている間にも、ソータとエルシアは釜場の修復について話している。
「姉様。」
リシェラが割って入る。
「何です?」
「浴室の方も確認した方がいいのでは?」
「先ほど見ましたが。」
「使い方を決めないと。」
ソータが反応した。
「それはそうだ。」
リシェラはすぐにソータを見る。
「行きましょう。」
「うん。」
リシェラが先に歩き出す。
エルシアはその背中を見て、ほんの少し目を細めた。
(分かりやすいですね。)
そして。
(わたくしも、人のことを言えませんが。)
そう思いながら後へ続いた。
◆◇◆
浴室へ戻ると、ソータたちは使い方を改めて考え始めた。
大きな浴槽は二つある。
男女それぞれ一つずつ。
さらに奥には、小さな浅い浴槽が一つ残っていた。
ヨーダがそこを見る。
「これを負傷者用にできそうですな。」
「普通の人と分ける?」
「分けた方がよいでしょう。」
ヨーダは浴槽の深さを確かめる。
「傷がある者を大浴槽へ入れる必要はありません。身体を温め、洗浄できれば十分です。」
「じゃあ浅い方は治療用。」
「できれば神官も常駐させます。」
ソータは周囲を見る。
「洗濯は?」
エルシアが少し考えた。
「中庭が使えます。」
「排水は?」
「古い排水溝が残っています。」
親方が確認する。
「少し掃除すれば使えるぞ。」
「じゃあ、中庭に桶並べて衣服洗う場所を作ろう。」
リシェラも加わる。
「乾かす場所も必要です。」
「縄張れる?」
「壁の間なら。」
「じゃあ洗濯用の縄も。」
話はどんどん広がっていく。
最初は風呂だけ直すつもりだった。
しかし実際に必要なものを考えると、それだけでは足りない。
身体を洗う場所。
衣服を洗う場所。
負傷者を洗浄する場所。
濡れた衣類を干す場所。
さらに、作業員が一度に集まりすぎないよう時間を分ける必要もある。
「男女別はどうします?」
ソータが聞く。
エルシアが答える。
「浴室が二つありますから、基本は分けられます。」
「作業員多いですよね。」
「それでも一度に入れる人数には限界があります。」
ヨーダが頷く。
「時間を区切るしかありませんな。」
「朝は負傷者優先。昼は避難民。夕方から作業員とか?」
「負傷者は時間を分けた方がよいです。治療との兼ね合いがありますから。」
「なるほど。」
ソータは石壁へ簡単な予定を書ける板を置くことを提案した。
誰がいつ使えるのか。
どの時間が治療用なのか。
何人まで入れるのか。
見れば分かる形にしておけば、毎回誰かへ聞く必要がない。
エルシアはその話を聞きながら頷いた。
「なら、入口にも同じ内容を出しましょう。中まで来てから使えないと分かれば混乱します。」
「それいい。」
「受付も必要ですね。」
「王城から一人?」
「最初だけです。慣れれば西区の住民へ任せられるでしょう。」
ソータが笑った。
「姫様、だんだん銭湯の女将っぽくなってきましたね。」
「それは褒めています?」
「かなり。」
「では、喜んでおきます。」
”おかみ”と言う言葉がよくわからなかったが、エルシアは本当に少し嬉しそうだった。
その様子を見たリシェラが、またわずかに頬を膨らませる。
(姉様ばっかり褒められてる。)
すぐに自分でも子供っぽいと思った。
けれど面白くないものは面白くない。
「ソータ様。」
「何?」
「私も思いつきました。」
「何を?」
「脱衣所の棚に番号を付けた方がいいです。」
「番号?」
「混雑したら、どこに自分の物を置いたか分からなくなるかもしれません。」
ソータは脱衣所を見る。
「確かに。」
「それに、貴重品だけ受付で預かる箱を作れば盗難も減ります。」
「いいですね。」
リシェラの表情が明るくなる。
「それ採用。」
「本当?」
「うん。」
「よかった。」
その笑顔を見て。
今度はエルシアの胸が少しだけざわついた。
(わたくしも、人のことは言えませんね。)
二人とも。
ソータに認められることを、思った以上に喜んでいる。
◆◇◆
午後になると、浴場は一気に工事現場へ変わった。
大工が屋根を補修し、石工が煙道を直す。
神官たちは浴槽や床を洗い、排水路へ詰まった泥を掻き出している。
ソータは《神速積載庫》で大きな瓦礫だけを取り除いた後、掃除そのものはできるだけ他の人へ任せた。
全部自分で消してしまえば早い。
けれど、小さな汚れや泥まで一つずつ収納していたら、それだけで時間を使ってしまう。
普通の掃除で済むものは、人の手で十分だった。
その代わり、普通には動かせない重い石や、壊れた棚、大量の瓦礫はソータが片づける。
役割を分けることで、作業はかなり早く進んだ。
夕方前には、浴槽の底が見えるようになっていた。
「水、入れてみるか?」
親方が言う。
水路の栓を少し開く。
最初は濁った水が流れ込んだ。
しばらく流し続けると、次第に透明になっていく。
浴槽へ水が溜まり始めた。
「漏れてない?」
ソータが周囲を見る。
石工たちが壁と床を確認する。
「大丈夫だ。」
「こっちも平気。」
大きな問題はない。
釜場では火も入り始めている。
煙突から薄い煙が上がる。
「今日中に湯までいけそうですね。」
ソータが言う。
「試運転は必要ですな。」
ヨーダが答える。
「実際に湯を張り、温度が上がるか確認しなければなりません。」
「じゃあ誰か入る?」
ソータは何気なく聞いた。
その瞬間。
リシェラの耳が反応した。
(入る。)
頭の中で。
昨日からとは別の考えが浮かぶ。
(お風呂なら。)
浴場の確認。
これは必要な仕事だ。
試運転なら、誰かが入らなければ分からない。
そして。
(もしソータ様も一緒なら。)
そこまで考えたところで。
自分の顔が一気に熱くなった。
(何考えてるの!)
けれど。
一度浮かんだ考えは消えない。
今までキスを狙って何度も失敗した。
転ぶ。
抱き止められる。
顔が近づく。
全部駄目だった。
なら。
(お風呂なら、最初から近い。)
かなり危険な発想だった。
本人も分かっている。
それでも。
少し魅力的に思えてしまう。
「リシェラ?」
エルシアが声をかける。
「何です?」
「顔が赤いですよ。」
「暑いだけです。」
「まだ湯も沸いていませんが。」
「釜場が近いからです。」
かなり苦しい。
エルシアは妹の顔をじっと見た。
そして。
リシェラの視線が、何度もソータへ向いていることに気づく。
(まさか。)
嫌な予感がした。
◆◇◆
一時間ほどして。
大浴槽へ、ついに湯が張られた。
まだ満杯ではないが、人が入れる程度には溜まっている。
湯気が静かに浴室へ広がり、朝まで冷たかった石壁も少しずつ温まり始めていた。
「温度は?」
ヨーダが聞く。
神官が手を入れる。
「少し熱めです。」
「水を足しましょう。」
水路の調整をする。
ソータはそれを見ながら満足そうに頷いた。
「明日から使えそうですね。」
「最初は人数を制限した方がよいでしょう。」
エルシアが言う。
「設備に問題がないか、半日程度は確認が必要です。」
「試運転ですね。」
リシェラがすぐに反応した。
「そうですね。」
エルシアは妹を見る。
警戒している。
リシェラは何でもない顔を作った。
「実際に人が入って確認しないと分からないこともあるでしょう?」
「……その通りですが。」
「なら。」
リシェラはソータを見る。
「ソータ様も一緒に確認した方がいいのでは?」
ソータが瞬きをした。
「俺も?」
「設備を作った側ですし。」
「俺、風呂の専門家じゃないよ。」
「でも水の量や出入りは見たでしょう?」
「まあ。」
「でしたら、入ってみれば使いにくいところも分かるかもしれません。」
理屈だけなら。
完全に間違っているわけではない。
ソータは少し考える。
「じゃあ誰か男の作業員と入ろうかな…」
「私も確認します!」
リシェラが続けた。
ソータが止まる。
「……姫様も?」
「はい。」
「一緒に?」
「……。」
言ってから。
リシェラの方が緊張した。
顔が熱くなる。
「確認ですから。」
何とか言い切る。
ソータは本気で困った。
「いや、それはさすがに。」
「リシェラ。」
エルシアが低い声で呼んだ。
「何です?」
「少しこちらへ。」
「なぜです?」
「いいから。」
「嫌です。」
「リシェラ!」
「姉様。」
二人の間に。
妙な緊張が生まれる。
ソータはさらに困る。
「何の話?」
「何でもありません。」
エルシアが答える。
「あります。」
リシェラが答える。
「どっち?」
「ありません。」
「あります。」
ソータは頭を抱えた。
(姉妹喧嘩?)
理由はまったく分からない。
エルシアは小さく息を吐いた。
「試運転は、男女別に行えば十分です。」
「でも…」
「リシェラ。」
今回は。
少し強い。
リシェラは姉を見る。
そして。
気づく。
(姉様、止めに来てる。)
つまり。
(やっぱり姉様も。)
ほぼ確信した。
自分だけではない。
エルシアも。
ソータを意識している。
リシェラの中に。
妙な対抗心が生まれた。
「分かりました。」
意外にも素直に引いた。
エルシアが少し安心する。
しかし。
「今日は。」
リシェラが付け加えた。
エルシアの表情が止まる。
「……今日は?」
「今日は男女別でいいです。」
「今後もです。」
「それは分かりません。」
「リシェラ。」
「何です?」
ソータだけが、完全に話についていけない。
「何で風呂で揉めてるの?」
二人とも黙った。
◆◇◆
結局、その日の試運転は大工や兵士数名に入ってもらう形になった。
浴槽の温度。
洗い場の水量。
排水の速さ。
床の滑りやすさ。
実際に使ってもらうと、すぐにいくつか問題が見つかった。
洗い場の一ヶ所だけ水が流れにくい。
脱衣所の棚が一つ傾いている。
床の一部が滑りやすい。
ソータは報告を聞きながら、一つずつ翌朝の修正項目へ加えた。
「やっぱり試すって大事だな。」
ヨーダが頷く。
「見ただけでは分からぬこともありますからな。」
「明日の朝直せば、昼から避難民入れられそう。」
「最初は少人数ずつですぞ。」
「分かってる。」
「本当に?」
「ヨーダまで疑うの?」
「あなたは勢いづくと、すべて一度に進めようとしますからな。」
「最近みんな俺の扱い雑じゃない?」
「皆、学習したのでしょう。」
ヨーダは平然としていた。
少し離れた場所では、エルシアとリシェラが並んで浴場の予定表を見ている。
ただし。
空気は少しだけ硬い。
「リシェラ。」
「何です?」
「先ほどの話ですが。」
「お風呂?」
「声が大きいです。」
「誰も聞いてません。」
「そういう問題ではありません。」
エルシアは少し迷ってから続ける。
「ソータ殿を困らせるような誘い方は控えなさい。」
「姉様に関係あります?」
リシェラがまっすぐ見る。
「王女として。」
「王女として?」
「……。」
言葉が止まる。
以前なら。
迷わずそう言えた。
王女として節度を持つべきだと。
けれど今は。
自分自身もソータへ近づきたいと思っている。
その状態で妹だけを止めるのは。
少しずるい。
「姉様。」
リシェラが目を細める。
「ソータ様のこと、好きでしょう?」
エルシアの表情が固まった。
「……。」
否定がすぐに出ない。
それだけで。
リシェラには十分だった。
「やっぱり。」
「あなたこそ。」
「私は。」
今度はリシェラが止まる。
自分もまだ、本人へはっきり言ったわけではない。
ただ…もう誤魔化す気もあまりなかった。
「たぶん、好きです。」
エルシアが少し驚いた。
妹の方が。
思ったより素直だった。
「だから。」
リシェラは続ける。
「姉様が止めても、諦めません。」
「……そう。」
「姉様も?」
エルシアはすぐには答えなかった。
けれど。
否定もしなかった。
「わたくしは。」
言葉を選ぶ。
「まだ、自分の気持ちを整理している途中です。」
「それ、好きって言ってるのと同じですよ。」
「リシェラ。」
「言葉?」
「今は違います。」
「じゃあ何です?」
「少し黙りなさい。」
リシェラは笑った。
久しぶりに。
姉より少しだけ先へ進んだ気がした。
◆◇◆
夕方。
ソータたちは王城へ戻った。
浴場の修復は、想像していたより順調に進んだ。
明日の朝に細かな修理を終えれば、昼頃から避難民や復旧作業員へ開放できる。
さらに、洗濯場所と負傷者用の洗浄設備まで整えば、教会支部の負担も減る。
ソータは東庭の記録板へ、新しい項目を書き加えた。
公衆浴場。
使用開始予定。
必要物資。
薪。
石鹸代用品。
清潔な布。
洗濯縄。
食料でも建材でもない。
それでも確かに必要な物だった。
(運送屋って、何でも運ぶんだな。)
今さらながら少し笑う。
食べ物。
薬。
木材。
水。
そして今日は風呂を使える状態まで運んだようなものだった。
「ソータ様。」
後ろからリシェラが声をかける。
「何?」
「明日の試運転ですが。」
ソータが振り向く。
少し離れた場所でエルシアの顔が警戒する。
「まだ言うの?」
「確認です。」
「何の?」
「……何でもありません。」
リシェラは途中でやめた。
ソータが首を傾げる。
「最近、姫様たち本当にそれ多いな。」
「そのうち分かります。」
「何が?」
「それは。」
リシェラは少しだけ笑った。
「まだ秘密です。」
ソータには、やはり分からない。
エルシアはそんな妹を見ながら、静かに決めていた。
リシェラのように勢いだけで動くつもりはない。
けれど、何もしないまま見ているつもりもなくなっていた。
自分がソータをどう思っているのか。
そして、ソータにどう思われたいのか。
もう少しだけ確かめてみたい。
公衆浴場は、明日から王都の人々へ開かれる。
そして、復旧が一段落し始めたことで二人の王女はようやく、自分たちの気持ちへ向き合う時間を持ち始めていた。




