↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者じゃなくて運送屋ですが、王国の命綱です  作者: naomikoryo


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
166/183

第166話:夜の城では、待っていた者たちがいる

 その日の夕方、夜の城では、いつもより少しだけ重い空気が流れていた。


 紫色の灯りがともる広い食堂には、ミレイユ、オルドアイ、ガルナ、バルク、それにチャールズが集まっている。

 食卓には料理が並んでいたが、誰も食事へ手を伸ばしてはいなかった。


 原因は単純だった。


 アルベールも。

 ルシアも。

 まだ戻っていない。


 ミレイユは椅子へ腰掛けたまま、指先で机を軽く叩いていた。

 規則正しい音ではあるが、長く聞いていると、彼女の機嫌がかなり悪いことが分かる。


 向かいではオルドアイが腕を組み、何度目か分からないため息をついていた。

 ルシアが遠くの炎を見つけ、そのまま飛び出していった時には止める間もなかった。

 アルベールまで後を追うように姿を消し、事情を知らない者たちは夜の城へ取り残された形になっている。


「ルシアのやつ、帰ってきたら一度きちんと言わないとな。」


 オルドアイが低い声で言った。


「言うだけでは足りないわ。」


 ミレイユは机を叩く指を止めた。


「勝手に飛んでいって、何の連絡もなし。しかもアルベールとソータもどうしているのか…」

「何かあったのかどうかも分からない状態で待たされる側のことを、少しは考えてもらわないと困るわ。」


「そこは私も同意だ。」


 オルドアイは素直に頷いた。


「ただ、ルシアは本当に悪気がないからな。」


「悪気がなければ何をしてもいいわけじゃないでしょう。」


「それもそうだ。」


 ミレイユの言い方には棘があったが、怒っている理由は単純な苛立ちだけではなかった。

 ルシアが無事なのか。

 アルベールとソータが無事なのか。

 そして、ルシアが向かった先にソータがいるのか。


 分からないことが多すぎる。


 待つしかない時間というものを、ミレイユはあまり好きではなかった。

 商売なら、情報を集めて次の手を考えられる。

 物流なら、遅れている荷を追える。

 けれど今回は、誰がどこにいるのかすらはっきりしない。


(本当に、面倒な人たちばかりなんだから。)


 そう思いながらも。

 一番気になっている顔は、やはりソータだった。


 バルクは重い空気に耐えきれなくなったのか、目の前の料理へ手を伸ばしかけた。

 その瞬間、隣にいたガルナが何も言わず、その手の甲を軽く叩く。


「まだ?」


「腹減ったんだけど。」


「分かってる。」


「でも料理冷めるぞ。」


「温め直せる。」


「俺の腹は待てない。」


「待てる。」


「なんで俺より分かるんだよ。」


「いつも見てるから。」


 バルクは何か言い返そうとしたが、ガルナの顔を見て諦めた。


 その様子を見ていたチャールズが、静かに頭を下げる。


「皆様。」


 骨の顔に表情はない。

 それでも声だけは、いつも通り落ち着いていた。


「お待ちになる間、少々気分を変えるための余興をご用意しておりますが、いかがいたしましょう。」


 ミレイユがゆっくり顔を向ける。


「余興?」


「はい。」


「今?」


「はい。」


「この空気で?」


「この空気だからこそ、でございます。」


 チャールズは一切動じない。


 オルドアイが少しだけ興味を示した。


「何をするんだ?」


「劇でございます。」


「誰が?」


「我々が。」


「我々?」


 オルドアイが食堂の隅を見る。


 そこには、いつの間にか数体のスケルトンが立っていた。

 ただ立っているだけではない。

 布を巻いた者。

 木剣を持った者。

 妙に派手な兜を被った者。

 さらに一体だけ、荷箱を背負っている。


「……。」


 ミレイユが嫌な予感のする顔をした。


「チャールズ。」


「はい、ミレイユ様。」


「題名を聞いてもいいかしら。」


「『勇者と魔王と運送屋』でございます。」


「やめなさい。」


 即答だった。


「まだ開演前ですが。」


「題名の時点で嫌な予感しかしないわ。」


 バルクはもう笑っている。


「見たい。」


「あなたは黙ってなさい。」


「でも気になるだろ。」


 オルドアイまで口元を緩めた。


「少しくらいならいいんじゃないか。」


「オルドアイ。」


「待っているだけでは仕方ない。」


「それはそうだけど。」


 ミレイユが少し迷った、その瞬間だった。


 食堂の外。

 石造りの廊下から、足音が聞こえてきた。


 全員の表情が一斉に変わる。


 チャールズが最初に扉へ向かった。


「どなたでしょうか?」


 問いかける前に。

 扉がゆっくり開く。


「ただいま戻りました。」


 聞き慣れた老紳士の声だった。


「アルベール!」


 ミレイユが椅子から立ち上がる。


 扉の向こうに立っていたアルベールは、いつも通り黒い執事服を身につけていた。

 ただし、その服はいつものように整ってはいない。

 肩口には裂け目があり、片方の白手袋は血で汚れている。

 歩き方も、ほんの少しだけ不自然だった。


 それを見た瞬間。

 ミレイユの怒りは、別の方向へ切り替わった。


「座って。」


「ミレイユ様。」


「今すぐ。」


「ご報告を先に。」


「座ってからでもできるでしょう。」


 アルベールは少しだけ困ったように目を細めた。

 それでも逆らわず、近くの椅子へ腰を下ろす。


 ガルナがすぐに立ち上がり、薬箱を取りに走った。

 オルドアイはアルベールの傷を見ながら眉を寄せる。


「随分やられたな。」


「少々、手強い相手でございました。」


「少々って顔じゃないだろ。」


 アルベールは穏やかに笑った。


「左肩に打撲。」

「右手に裂傷。」

「肋骨にも少々痛みがございますが、折れてはおりません。」


「それを世間では怪我人と言うのよ。」


 ミレイユの声は低い。


「はい、ミレイユ様。」


「素直なのが余計に腹立つわ。」


 アルベールは静かに頭を下げた。


「申し訳ございません。」


 謝罪を聞いても、ミレイユの表情は緩まなかった。

 むしろ、一番聞きたいことを堪えている顔をしている。


「それで。」


 少し間を置く。


「ソータは?」


 アルベールは、その質問が最初に来ると分かっていたようだった。


「ご無事でございます。」


 ミレイユの肩から、ほんの少しだけ力が抜ける。


「本当に?」


「はい。」


「怪我は?」


「大きな外傷はございません。」


「それなら…」


 そこで。

 アルベールがほんのわずかに間を置いた。


 ミレイユの目が細くなる。


「何。」


「《車体爆裂突進》を使用されまして。」


「……。」


「王城大広間の敵兵を排除した後、しばらく意識を失われました。」


 食堂が静かになった。


 オルドアイが額へ手を当てる。

 バルクは口を閉じる。

 チャールズまで微動だにしない。


 そして。


「…全くあの人は、言ったそばから守れないんだから!」


 ミレイユの声が食堂へ響いた。


「ミレイユ様。」


「王都へ行く前に何て言ったと思ってるの!」

「無茶しないで、危なくなったら逃げて、全部自分で背負わないって、あれだけ言ったのよ!」


 アルベールは静かに聞いている。


「しかも倒れた?」

「本当に?」

「何を考えてるのよ!」


 言葉は強い。

 けれど。

 顔には怒り以上に心配が出ていた。


 オルドアイも、それを分かっている。


「ソータらしいと言えばソータらしいが。」


「褒めないで。」


「褒めてない。」


「助けた相手は?」


 ミレイユがアルベールへ聞く。


「国王陛下、王妃殿下、そして王女殿下方でございます。」

「加えて、王城内部に残されていた避難者も多数。」


 ミレイユは目を閉じた。


 怒りたい。

 でも。

 その状況なら。

 ソータが動いた理由も分かる。


(分かるから余計に腹立つのよ。)


 見捨てられない。

 だから動く。

 そして自分の身体を後回しにする。


 昔から。

 少しも変わっていない。


「私はね。」


 ミレイユは静かに言った。


「助けたことに怒ってるんじゃないの。」


 アルベールが目を上げる。


「危険かどうかを判断する時、あの人はいつも自分を人数に入れないのよ。」

「助ける人は数えるのに、自分が倒れる可能性だけは数えない。」

「そこが腹立つの。」


「おっしゃる通りでございます。」


「アルベールもよ。」


「私も、でございますか?」


「怪我して帰ってきて何言ってるの。」


「返す言葉もございません。」


「本当に?」


「はい。」


「なら今日は寝て。」


「報告が。」


「寝ながらでもできるでしょう。」


「ミレイユ様。」


「何?」


「それは少々難しいかと。」


「じゃあ報告が終わったら寝て。」


 アルベールは、ようやく小さく笑った。


「承知いたしました。」


◆◇◆


 アルベールの傷へ薬が塗られ、包帯が巻かれた後。

 ようやく王都で起きたことが説明された。


 隣国王都で反乱が起きていたこと。

 王城内で国王と王妃が孤立していたこと。

 ソータが双子の王女を救出し、その後も避難民や兵士を助けながら動いていたこと。


 そして。

 屋上でアルベールが、グラードと戦ったこと。


 そこまで聞いた時。

 オルドアイの表情が変わった。


「グラード?」


「ご存じで?」


「名前だけだ。」

「母上や年長者から、昔の話で何度か聞いたことがある。」

「英雄たちと何度もぶつかった男だろ。」


「その通りでございます。」


「強かった?」


「非常に。」


 アルベールが即答する。


「私がもう少し若ければ、と申し上げたいところではございますが。」


「実際は?」


「若い頃でも楽ではなかったでしょう。」


 オルドアイは感心したように息を吐いた。


「それで勝ったのか?」


「いいえ。」


 アルベールは静かに答えた。


「私は負けかけておりました。」


 食堂の空気がまた少し変わった。


 ミレイユも驚いたように見る。


「あなたが?」


「はい。」


「それで、どうやって戻ってきたの?」


「ルシア様に助けていただきました。」


 全員が止まった。


「ルシアに?」


 オルドアイが聞き返す。


「はい。」


「どうやって。」


「姿を現されただけでございます。」


「……。」


「もう一度。」


 ミレイユが少し眉を寄せる。


「姿を現しただけ?」


「はい。」


 アルベールは極めて真面目な顔をしている。


「グラード殿は、どうやら吸血鬼を非常に苦手としておられるようでございまして。」

「ルシア様が屋上へ降り立たれた瞬間、顔色を変え、そのまま退却されました。」


 数秒。

 誰も何も言わなかった。


 最初に吹き出したのはバルクだった。


「そんなことある?」


「実際にございました。」


「アルベールが負けかけた相手が。」


「はい。」


「ルシア見ただけで逃げた?」


「はい。」


 バルクは腹を抱えて笑い始めた。


 オルドアイも最初は我慢していたが、やがて肩を震わせる。


「駄目だ。」

「それは笑う。」


 ミレイユも口元を押さえた。

 状況としては笑うところではない。

 アルベールは怪我をしているし、グラードはまだ逃走中だ。


 それでも。

 あまりにも想像しやすかった。


 ルシアが何も知らずに降りてくる。

 アルベールが死にかけている。

 グラードが吸血鬼だと気づく。

 そして逃げる。


「ルシアは何て?」


 ミレイユが聞く。


「最初は状況を理解しておられませんでした。」

「その後、グラード殿が逃げた理由を説明したところ、大変嬉しそうに『私は強い』と。」


「でしょうね。」


 ミレイユは少しだけ笑った。


 それから。

 表情を柔らかくした。


「じゃあ、ルシアはあなたを助けたのね。」


「はい。」


「勝手に飛び出したのは怒るけど。」


「はい。」


「そこはちゃんと褒めないと駄目ね。」


 オルドアイも頷いた。


「私も同じだ。」

「勝手に行ったことは叱る。」

「だが、アルベールを助けたことは別だ。」


 チャールズが静かに頭を下げる。


「ルシア様がお戻りになりましたら、私からもお礼を申し上げます。」


「あなたが礼を言う側なの?」


 ミレイユが少し不思議そうに聞く。


「ルシア様が大切にされている方々が無事であることは、私にとりましても喜ばしいことでございます。」


「……そう。」


 ミレイユは少しだけ目を細めた。


 夜の城へ初めて来た頃。

 ここは人を拒む場所だった。


 今は違う。


 勝手に飛び出した主人を心配する者がいる。

 怪我をして帰った老執事を囲んで怒る者がいる。

 その老執事を助けた吸血鬼姫を、叱りながらも褒めようとしている。


(変わったわね。)


 城も。

 人も。


 まだ。

 変化の途中なのだろう。


◆◇◆


 少し遅れて。

 食堂では、ようやく料理へ手がつけられた。


 アルベールは食べる量をかなり減らされている。

 ガルナが横で監視しているため、無理をする余地もない。


 ミレイユは一度だけ、食堂の隅に立ったスケルトンたちを見た。


「ところで。」


「はい、ミレイユ様。」


 チャールズが答える。


「さっきの劇。」


「はい。」


「まだやるつもり?」


「もちろんでございます。」


「題名は変えられない?」


「すでに稽古を終えておりますので。」


「……。」


 バルクが嬉しそうに笑う。


「見ようぜ。」


「あなたは本当に元気ね。」


「飯食ったから。」


 ガルナが横から睨む。


「まだ二皿目。」


「もう二皿目。」


「減らす。」


「何で!」


 少しずつ。

 食堂の空気が戻ってくる。


 チャールズが指を鳴らすような仕草をすると、奥からスケルトンたちが整列して現れた。

 そのうち一体は木剣を持った勇者役。

 一体は黒布を被った魔王役。

 そして。

 もう一体。


 大きな木箱を背負っている。


「嫌な予感しかしない。」


 ミレイユが呟く。


 劇が始まった。


 勇者役のスケルトンが魔王へ挑み。

 派手に負ける。

 次に魔術師らしきスケルトンが出てきて。

 これも負ける。


 そして最後に。

 木箱を背負ったスケルトンが、妙に胸を張って舞台中央へ出た。


 チャールズが語り役として説明する。


「勇者が倒れ、魔術師も倒れ、王国に希望が失われたその時。」

「一人の運送屋が現れたのでございます。」


「やめなさい。」


 ミレイユが額を押さえた。


 しかし劇は止まらない。


 運送屋役のスケルトンは、魔王の前へ木箱を置いた。

 次の瞬間。

 舞台袖から大量の箱が運び込まれる。


「何をする気?」


 オルドアイが笑いながら聞く。


 チャールズが続ける。


「運送屋は魔王を倒すのではなく、魔王城へ必要以上の荷物を送り続けました。」


「何で。」


「その結果、魔王城の倉庫が満杯となり。」


 箱がさらに増える。


「魔王は在庫管理に追われ。」


 黒布を被ったスケルトンが慌てて箱を数え始める。


「やがて。」


 さらに箱。


「物流の混乱に耐えきれず降伏いたしました。」


 食堂が静かになった。


 数秒後。


 バルクが机を叩いて笑い始めた。


 オルドアイも声を上げる。


「何だそれ!」


「私は結構好きだ。」


 ミレイユは額を押さえたまま、深いため息をつく。


「絶対ソータには見せないで。」


「なぜでございます?」


「真似しかねないからよ。」


「なるほど。」


「納得しないで。」


 アルベールまで、わずかに笑っている。


 ほんの少し前まで。

 皆、ルシアとアルベールの帰りを心配し、重い空気の中で座っていた。


 今は。

 馬鹿馬鹿しい骨の芝居を見て笑っている。


 それだけでも。

 待っていた時間が少し報われた気がした。


◆◇◆


 その頃。

 夜の城からまだかなり離れた空を。

 一つの紫色の影が飛んでいた。


 ルシアだった。


 いつもより速度が遅い。


 疲れているわけではない。

 帰りたくないわけでもない。


 ただ。

 帰った後に何を言えばいいのか考えている。


(ごめんなさい。)


 言える。


(勝手に行きました。)


 これも言える。


(でもアルベールを助けました。)


 これは。

 言い訳に聞こえるかもしれない。


 ルシアは飛びながら眉を寄せた。


(謝るって難しい。)


 以前、ソータたちと一緒に見た謝罪例の本を思い出す。


(この度は私の軽率な行動により、多大なるご迷惑とご心配をおかけし。)


 そこで。

 首を振る。


(長い。)


 自分の言葉ではない。


 それでは。

 ミレイユに見抜かれる気がする。


 ルシアは夜空を飛びながら、何度も考えた。


 そして。

 ようやく夜の城が見えてきた頃。


(怖かったって言おう。)


 自分が怖かったのではない。


 帰って。

 みんなが怒っているかもしれないこと。


 そして。

 自分が戻らなかった間。

 みんなが心配していたかもしれないこと。


(ソータが死んでるかと思った時も怖かった。)


 あれと似ている。


 大事な人が。

 何をしているか分からない。


 無事かどうか分からない。


 今まで。

 自分が相手へそれをさせているなど。

 ほとんど考えたことがなかった。


(少し分かった。)


 ルシアは翼を大きく動かした。


 夜の城が近づく。


 黒い塔。

 紫の灯り。

 窓から漏れる暖かな光。


 以前なら。

 ただ自分の城だと思っていた。


 今は。

 少し違う。


 誰かが待っている場所に見える。


 そのことが。

 少しだけ嬉しかった。


◆◇◆


「戻った!」


 最初に気づいたのは、城外にいた見張りのスケルトンだった。


 声は出ない。

 だが。

 慌ただしく鐘を鳴らした。


 食堂にいた全員が顔を上げる。


 チャールズがすぐに立ち上がった。


「ルシア様でございます。」


 オルドアイも席を立つ。


 ミレイユは。

 立たなかった。


 ただし。

 視線は完全に扉へ向いている。


 やがて。

 廊下から足音が聞こえた。


 扉が開く。


 紫色の髪。

 大きな翼。

 少しだけ疲れた顔。


「ただいま。」


 ルシアだった。


 食堂が静かになる。


 ルシアは全員を見る。


 アルベールがいる。

 怪我はしているが。

 生きている。


 ミレイユ。

 オルドアイ。

 ガルナ。

 バルク。

 チャールズ。


 全員いる。


 それだけで。

 少し安心した。


「ルシア。」


 ミレイユが呼ぶ。


「はい。」


 妙に素直。


「こっちへ来て。」


「はい。」


 さらに素直。


 オルドアイが少し笑いそうになるが、今は我慢した。


 ルシアはミレイユの前へ立った。


「謝罪例の本は使わないで。」


 先に言われた。


 ルシアが止まる。


「……。」


「自分の言葉で。」


「分かった。」


 少し考える。


 逃げない。


 ソータに言われた。


 ちゃんと帰れ。

 ちゃんと謝れ。


 だから。


「勝手に飛んでいって、ごめんなさい。」


 ミレイユは黙っている。


「遠くに火が見えて、気になって。」

「ソータがいるかもしれないと思って、何も言わずに行った。」


 ルシアは少しだけ視線を下げた。


「私が帰ってこない間、みんなが心配するって、あんまり考えてなかった。」


 オルドアイの表情が少し柔らかくなる。


「ソータが倒れてた時。」

「死んだのかと思って、すごく怖かった。」


 ルシアの声が少し小さくなる。


「だから。」

「私が何も言わずいなくなったら、みんなも少し同じだったのかもしれないって思った。」


 ミレイユは。

 しばらく何も言わなかった。


 怒る言葉なら。

 いくらでもあった。


 でも。

 今のルシアは。

 以前とは違う。


 自分が何をしたのか。

 少なくとも少しは。

 相手の側から見ようとしている。


「次は?」


 ミレイユが聞く。


「次?」


「また何か見つけたら。」


 ルシアは考える。


「言ってから行く。」


「誰に?」


「近くにいる人。」


「それから?」


「戻る時間が分からなくても、どこに行くか言う。」


「それから?」


 ルシアが困った顔になる。


「まだある?」


「あるわ。」


「何?」


「無事に戻ったら、ちゃんとただいまを言う。」


 ルシアが少し驚く。


「それは言った。」


「今回はね。」


「じゃあできてる。」


「そこだけはね。」


 ミレイユは小さく息を吐いた。


「もういいわ。」


「怒らない?」


「怒ってる。」


「……。」


「でも。」


 ミレイユは少しだけ表情を緩めた。


「アルベールを助けたことは、ありがとう。」


 ルシアの目が少し大きくなる。


「私、役に立った?」


「かなり。」


 アルベールが横から答える。


「ルシア様がいらっしゃらなければ、私はここへ戻れなかった可能性がございます。」


 ルシアが少しだけ胸を張った。


「私は強い。」


「そこで威張るな。」


 オルドアイが即座に止めた。


「だが。」


 少し笑う。


「よくやった。」


 ルシアがそちらを見る。


「本当?」


「ああ。」

「勝手に行ったことは怒ってるけどな。」


「両方?」


「両方だ。」


 ルシアはしばらく考えた。


「難しい。」


「人間関係なんてそんなものだ。」


 オルドアイが答える。


 ルシアはまだ完全には納得していないようだったが。

 少しだけ笑った。


 その時。

 チャールズが静かに前へ出る。


「ルシア様。」


「何?」


「お帰りなさいませ。」


「ただいま、チャールズ。」


「ご無事で何よりでございます。」


 ほんの短いやり取りだった。


 それでも。

 ルシアは。

 少し嬉しそうだった。


◆◇◆


 その後。

 食事が再開された。


 ルシアも席へ座り、遅れて料理へ手を伸ばす。


 少しして。

 食堂の隅にいたスケルトンたちが。

 再び整列した。


「何?」


 ルシアが聞く。


「余興でございます。」


 チャールズが答える。


「何の?」


「新作でございます。」


 ミレイユが嫌な予感のする顔をした。


「さっきと違うの?」


「はい。」


「題名は?」


 チャールズが一礼する。


「『謝罪文を覚えた吸血鬼姫』でございます。」


「やらない。」


 ルシアが即答した。


「まだ開演前でございます。」


「やらない。」


「主役もすでに。」


「やらない。」


 黒い布と紫色の羽根をつけたスケルトンが。

 舞台袖から半分だけ顔を出した。


「やらない!」


 食堂に。

 久しぶりに。

 大きな笑い声が響いた。


 ミレイユも笑った。

 オルドアイも。

 バルクも。

 ガルナも。


 アルベールまで。

 包帯を巻いた肩を痛めないよう気をつけながら。

 静かに口元を緩めていた。


 夜の城に。

 ようやく。

 全員が戻った。


 少なくとも今夜だけは。

 それで十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。