第151話:骨たちの夜会と、甘すぎる見通し
次の日の北の砦は、朝からどこか浮き足立っていた。
昨日の夜、ルシアがチャールズを横抱きにして空から運んできた光景は、すでに砦中の語り草になっている。
見張り台の上でも、食堂の隅でも、井戸のそばでも、誰かがその話をしては笑っていた。
もちろん、チャールズ本人は極めて真面目に受け止めていた。
移動効率、安全性、品位、着地後の服装保持、今後の改善案。
それらを骨の指で律儀に書き留め、朝食後には本当に「簡易空輸報告書」と題した紙を作り始めた。
ソータはその題名を見ただけで腹筋に力を入れなければならなかった。
ルシアはその横で、誇らしげに言った。
「チャールズはすごいでしょう。」
「横抱きで運ばれても、報告書を作れるのよ。」
ソータは返答に困った。
「すごいところは、そこだけじゃないと思う。」
「ええ。」
「姿勢もよかったわ。」
「そこも確かにすごかった。」
チャールズは机に向かいながら、静かに顔を上げた。
骨なので表情はない。
だが、なぜか少しだけ誇らしそうに見える。
「恐れ入ります、ソータ様。」
「飛行中、執事服の裾が過度に乱れぬよう、骨盤および脊椎の角度を調整しておりました。」
「そんなことまでしてたんですか?」
「はい。」
「ルシア様の飛行の妨げにならず、かつ到着時に最低限の品位を保つためでございます。」
ソータはもう何も言えなかった。
骨盤と脊椎の角度で品位を保つ執事。
文字にすればするほどおかしいのに、チャールズが言うと真面目な職務報告に聞こえる。
それが余計におかしい。
オルドアイは少し離れた場所で腕を組み、チャールズの報告書を眺めていた。
「それをミレイユに見せる気か?」
「必要であれば。」
「やめておけ。」
「あの女は、笑う前に突っ込む。」
「では、口頭で簡潔に。」
「それも危険だ。」
「では、必要時のみ開示いたします。」
「それが一番だ。」
オルドアイは頷いた。
そのやり取りを聞いていたルシアが、少し不思議そうに首を傾げる。
「ミレイユは、骨が空を飛んだことを喜ばないの?」
「喜ぶかどうかの前に、移動計画、危険管理、再発防止策、費用対効果を聞く女だ。」
オルドアイが答える。
「費用対効果…」
ルシアは聞き慣れない言葉を繰り返した。
「骨を運ぶのに、費用がいるの?」
「そこから説明するのか。」
ソータが呟く。
チャールズは静かに一礼した。
「ルシア様。」
「ミレイユ様は商会の方でございます。」
「移動方法一つにも、手間、危険、時間、周囲への影響、代替案があるかを確認されるでしょう。」
「つまり、私がチャールズを抱えて飛んだことも、荷運びとして評価されるのね。」
「おそらく。」
ルシアは少し胸を張った。
「私は、ちゃんと運べたわ。」
「落としてはいないな。」
オルドアイが言う。
「ええ。」
「落としていない。」
「だから、成功。」
「成功ではあるが、見物になった。」
「それも成功?」
「宴の前座としては成功だ。」
ヤンガルドアイが横から楽しそうに言った。
彼女は昨日の光景をかなり気に入っているらしい。
朝から何度も、あれは久々に良いものを見たと笑っていた。
「空から骨の執事が横抱きで来るなど、砦の語り草になるぞ。」
「敵も味方も、あれを見たら一瞬迷う。」
「その一瞬で勝てるかもしれん。」
「母上、戦術に組み込まないでください。」
「使えるものは使うのが戦じゃ。」
チャールズは真顔で一礼した。
「戦術的空中演出については、必要があれば検討いたします。」
「検討しないでください。」
ソータは思わず言った。
チャールズは少し首を傾げる。
「不適切でしょうか?」
「不適切というか、敵も味方も笑ってしまうと思います。」
「笑いによる士気低下。」
「味方にも効きます。」
「なるほど。」
「今後の課題といたします。」
また何か書き留めようとするチャールズを、ルシアが嬉しそうに覗き込んでいる。
北の砦の朝は、昨日よりさらに騒がしく、さらに奇妙になっていた。
◆◇◆
その日の夕方、チャールズは唐突に言った。
「今夜、皆様にお見せしたいものがございます。」
食堂で夕食の支度が始まる少し前だった。
ソータ、オルドアイ、ルシア、ガルナ、バルク、ヤンガルドアイが同じ卓について、ミレイユ到着前の準備について話していた時である。
チャールズは背筋を伸ばし、両手を前に揃え、いつもの丁寧な声で続けた。
「アルベール様より、以前、空間転送術式の基礎についてご教授いただいたことがございます。」
「完全な転移には至りませんが、スケルトンに限定した短距離召喚に近い術式を、初級版として扱うことが可能となりました。」
「私はこれを、便宜上、スケルトン転移と呼称しております。」
ソータは水を飲む手を止めた。
「スケルトン転移。」
「はい、ソータ様。」
「アルベールさん、そんなもの教えてたんですか。」
「はい。」
「ただし、対象は私が管理下に置く低位スケルトンに限られます。」
「また、事前に位置、姿勢、装備、着地点を指定し、転移先に干渉を受けにくい空間を確保する必要がございます。」
「実用上は、非常に限定的な術式でございます。」
「限定的と言いながら、かなりすごいこと言ってませんか。」
「アルベール様は、初歩でございます、と仰っておられました。」
ソータは遠い目をした。
アルベールの初歩は、たぶん普通の人間の奥義に近い。
チャールズが真面目に受け取っているのも危険だった。
オルドアイが腕を組む。
「そのスケルトン転移で、何をする気だ。」
「夜の城に待機している骸骨楽団および骸骨劇団の一部を、こちらへ短時間転移させます。」
「すでに段取りは済ませております。」
「彼らは楽器、衣装、小道具を持った状態で待機しておりますので、到着後ただちに演奏および上演が可能でございます。」
食堂の空気が止まった。
バルクが最初に反応した。
「つまり、骨の楽団と劇団が、ここにいきなり出てくるのか。」
「はい、バルク様。」
「すごいな。」
バルクの顔はもう笑いを待っていた。
ガルナが隣で少し呆れているが、目は興味を隠せていない。
「危険はないのですか。」
ガルナが尋ねる。
「転移されるスケルトンは、すべてルシア様および私の管理下にございます。」
「武装は演劇用の木剣、楽器、小道具のみ。」
「刃物類は持ち込みません。」
「また、転移地点は食堂奥の空き床に限定し、出現後は私の号令なく動かぬよう命じております。」
「準備が細かい。」
ソータが感心すると、チャールズは一礼した。
「舞台は段取りが命でございます。」
「いつから舞台監督になったんですか。」
「骸骨劇団を組織した時からでございます。」
あまりにも自然に返され、ソータは何も言えなかった。
ルシアは目を輝かせていた。
「見たいわ。」
「北の砦のみんなにも見せたい。」
「チャールズの劇団は、とても面白いのよ。」
「ソータも前に大笑いしてくれたもの。」
オルドアイがソータを見る。
「お前が大笑いしたのか。」
「しました。」
「そんなにか。」
「かなり。」
「なら見よう。」
決断は早かった。
ヤンガルドアイも楽しそうに頷く。
「よい。」
「今夜は骨の宴じゃ。」
「ただし、砦の者たちに先に説明せねば、いきなり骨が湧いて混乱するぞ。」
「その点につきましては、私より事前説明を行います。」
チャールズが言った。
「いや、骨の執事が骨の転移説明をすると余計に混乱するかもしれない。」
ソータが言うと、オルドアイが頷いた。
「私から言う。」
「今夜、ルシアの城から芸をするスケルトンが来る。」
「攻撃はしない。」
「笑ってよい。」
「そう伝える。」
「笑ってよいのですか?」
チャールズが確認する。
「笑わせるために来るのだろう?」
「はい。」
「では、笑っていただけますと、団員たちの励みになります。」
「団員…」
ガルナが小さく繰り返した。
食堂にいる者たちの顔が、少しずつ期待に変わっていく。
まだ警戒はある。
スケルトンが突然現れるのだから当然だ。
しかし、昨日横抱きで運ばれてきたチャールズを見ているため、北の砦の者たちの耐性はすでにかなり上がっていた。
◆◇◆
夜になり、大広間には普段より多くの者が集まった。
炉には火が入り、長卓には肉やパン、スープ、干し果物、酒、ハーブティーが並んでいる。
壁際にはアマゾネスたちが集まり、見張りの交代を除けば、ほとんど宴に近い状態だった。
ただし、最初の空気はまだ少し硬い。
スケルトンが来る。
それが分かっていても、本能的な警戒は消えない。
弓を持つ者はいないが、腰の短剣を外していない者もいる。
オルドアイはそれを止めなかった。
警戒するなという方が無理だ。
大事なのは、警戒しながらでも見て、判断することだった。
ルシアは大広間の中央でそわそわしていた。
自分の城の楽団と劇団を、北の砦の人たちに見せられる。
それが嬉しくてたまらないらしい。
オルドアイの横へ行っては戻り、ソータの袖をつまんでは離し、チャールズの方を何度も見る。
「まだ?」
「もう少しでございます、ルシア様。」
「スケルトンたちは緊張しているかしら。」
「彼らに緊張という感覚があるかは不明でございます。」
「ただし、整列状態は良好でございます。」
「よかったわ。」
オルドアイが少し呆れながら言う。
「お前の方が緊張している。」
「ええ。」
「だって、北の砦のみんなに見てもらうのよ。」
「もし笑ってくれなかったら、スケルトンたちが悲しむかもしれないわ。」
「悲しむのか。」
「分からないけれど、私が悲しいわ。」
「なら笑えるといいな。」
オルドアイの声は柔らかかった。
ルシアは嬉しそうに頷いた。
チャールズは大広間の空いた床に立ち、杖を持っていた。
その杖は劇団指導用のものより少し長く、先端に小さな紫の魔石がついている。
彼は一礼し、周囲を見回す。
「皆様。」
「これより、夜の城骸骨楽団および骸骨劇団の一部を、短時間転移にてお招きいたします。」
「彼らは戦闘を目的としておりません。」
「演奏と演劇に特化した者たちでございます。」
「万一、腕や頭部の角度に不備がありましても、危険ではございませんのでご安心くださいませ。」
ざわめきが起きた。
腕や頭部の角度に不備。
説明として正しいのかもしれないが、聞く側としては不安にもなる。
ソータは笑いを堪えた。
チャールズは続ける。
「なお、演目中の脱落、転倒、布踏み、木役の過剰な揺れなどは、演出または改善中の課題でございます。」
「温かく見守っていただけますと幸いでございます。」
「改善中の課題まで先に言うのか。」
バルクが呟いた。
ガルナが小声で言う。
「親切ではあるわ。」
チャールズが杖を軽く床へついた。
紫の魔石が淡く光る。
大広間の床に薄い円が浮かび、そこへ骨のように白い線が幾重にも走った。
空気が少し冷える。
ルシアの羽が小さく震えた。
ソータは思わず身構えたが、すぐにその気配が攻撃的なものではないと分かった。
夜の城の気配だ。
冷たく、古く、けれどルシアの気配に似た柔らかさがある。
「では、参ります。」
チャールズが言った。
「スケルトン転移!」
紫の光がぱっと広がった。
次の瞬間、大広間の中央に、十数体のスケルトンが整然と現れた。
本当に、現れた。
しかも全員が準備済みだった。
前列には楽器を持った骸骨楽団。
小太鼓、笛、弦楽器らしきもの、骨の手で叩く小さな鐘。
後列には劇団。
王冠を被ったスケルトン。
長い布をまとった姫役のスケルトン。
木剣を持った騎士役のスケルトン。
両腕を広げた木の役のスケルトン。
そして、なぜか大きな鍋の蓋を盾のように持った謎の役のスケルトン。
大広間が完全に沈黙した。
アマゾネスたちは目を見開く。
骨がいる。
しかも、楽器を構えている。
しかも、木の役がすでに両腕を広げた状態で静止している。
その姿勢が妙に真剣で、警戒するべきなのか笑うべきなのか、全員が迷っていた。
チャールズが杖を上げた。
「整列。」
スケルトンたちは一斉に姿勢を正した。
骨同士がかすかにかちりと鳴る。
チャールズが続ける。
「一礼。」
全員が一礼した。
王冠スケルトンの王冠が少しずれた。
隣の騎士役が反射的に直そうとして、木剣で姫役の布を引っかけた。
姫役が少しよろける。
木の役が支えようとして両腕を広げたまま横へ一歩動き、隣の鐘持ちスケルトンの鐘に腕が当たる。
ちーん、と場違いな音が鳴った。
その瞬間、誰かが吹き出した。
次に別の誰かが笑う。
そして一気に、大広間へ笑いが広がった。
「まだ始まってないぞ!」
バルクが腹を抱える。
「始まる前から鐘が鳴った!」
アマゾネスの一人が笑いながら言う。
チャールズは杖を床へ軽くついた。
「違います。」
「鐘は開演の合図ではございません。」
「姫役、布の管理を意識なさい。」
「木の役、支える意思は評価しますが、枝を伸ばしすぎです。」
木の役スケルトンが両腕を広げたまま、こくりと頷いた。
その動きでまた鐘に少し当たり、ちん、と鳴った。
笑いがさらに大きくなる。
ルシアは目を輝かせていた。
「ほら、笑ってくれたわ!」
「笑っているな。」
オルドアイも口元を押さえている。
警戒していたアマゾネスたちも、もう短剣どころではない。
腹を抱えている者までいる。
チャールズは咳払いのように顎を少し動かした。
「改めまして。」
「夜の城骸骨楽団による開幕曲。」
「演目、勇敢なる騎士と迷いすぎる木。」
ソータはタイトルだけで危なかった。
「迷いすぎる木。」
ガルナが小さく復唱し、肩を震わせる。
楽団が演奏を始めた。
意外にも音は悪くない。
小太鼓は軽快で、笛は少し震えているが妙に味がある。
弦楽器は時々指が骨なので滑るのか、音が跳ねる。
だが、それすら楽しい。
演奏に合わせて劇団が動き出す。
騎士役が木剣を構え、姫役が長い布を揺らしながら歩く。
王役は王冠を押さえながら威厳あるつもりで立っている。
木の役は舞台中央に立ち、両腕を広げて左右に揺れた。
チャールズの声が飛ぶ。
「木の役。」
「揺れすぎです。」
「穏やかな森です。」
「嵐ではございません。」
木の役は揺れを小さくした。
すると今度は小さすぎて、ただ両腕を広げて立っているだけになる。
「今度は存在感が薄すぎます。」
「森としての品位を保ちなさい。」
大広間が爆笑した。
森としての品位とは何なのか。
誰にも分からない。
だが、チャールズが真面目に言うので余計におかしい。
劇は進んだ。
騎士が姫を助けるため森に入る。
しかし、森の木が道を間違える。
木の役が本来右へ寄る場面で左へ寄り、騎士役の進路を塞ぐ。
騎士役は慌てて反対へ行こうとし、姫役の布を踏む。
姫役はくるりと半回転して、なぜか王役の前に着地する。
王役は急な登場に驚いたように王冠を落とし、鍋蓋の盾役がそれを拾おうとして膝から崩れる。
かん、と王冠が床に転がった。
バルクが完全に腹を抱えた。
「駄目だ、これは駄目だ!」
ガルナも笑いを堪えきれていない。
「鍋蓋の方、王冠を拾うのに真剣すぎます。」
ヤンガルドアイは声を上げて笑っていた。
「よいぞ、骨ども!」
「戦より厄介な動きじゃ!」
オルドアイもついに笑った。
普段の強気な顔が崩れ、肩を震わせている。
ルシアはそれを見て、さらに嬉しそうにする。
「オルドアイも笑っているわ!」
「笑うだろ、これは。」
オルドアイは目元を拭いながら言った。
「この木、強すぎる。」
木の役スケルトンは褒められたと思ったのか、腕を広げたまま大きく揺れた。
すぐにチャールズが叱る。
「調子に乗らない。」
「木は誉め言葉で枝を増やしません。」
また爆笑が起きる。
ソータも腹が痛くなってきた。
前に夜の城で見た時より、さらに段取りが増えている。
失敗もある。
だが、その失敗すら見事に笑いへ変わっている。
チャールズが厳しく指導しながら進めることで、劇と稽古が同時に見えているのだ。
それがたまらなくおかしい。
演目の終盤、騎士役はようやく姫役を助ける。
王役は王冠を戻し、鍋蓋の盾役がなぜか誇らしげに前へ出る。
木の役は感動したのか、腕を広げたままゆっくり傾く。
傾きすぎる。
隣の鐘持ちが慌てて支えようとして、また鐘が鳴る。
ちーん。
それが終演の合図のようになった。
大広間が割れんばかりの笑いと拍手に包まれる。
アマゾネスたちは手を叩き、足を踏み鳴らし、口笛まで吹いた。
最初に警戒していた者たちが、今では涙を流して笑っている。
スケルトンたちは一斉に一礼した。
王冠がまた少しずれたが、今度は誰も直さなかった。
むしろ、そのままの方がいいという空気だった。
ルシアは感動していた。
「すごいわ。」
「みんな、笑っているわ。」
「チャールズ、成功ね。」
「はい、ルシア様。」
「多少の改善点はございますが、概ね成功と判断いたします。」
「改善点なんてあるのか。」
バルクが笑いながら言う。
「多数ございます。」
チャールズは真剣だった。
「木の役の揺れ幅、姫役の布さばき、鍋蓋役の介入タイミング、王冠固定方法、鐘の誤鳴動対策。」
「特に鐘については、意図しない音が結果的に笑いを生む一方、演出上の制御が必要でございます。」
「いや、あの鐘は最高だったぞ。」
バルクが言う。
周囲のアマゾネスたちも賛同する。
「そうだ、あれは残せ!」
「あそこで鳴るからいいんだ!」
「木が動くたびに鳴るのがいい!」
鐘持ちスケルトンが、少し誇らしげに鐘を掲げた。
チャールズはしばらく考え込む。
「では、誤鳴動ではなく、半意図的演出として再分類いたします。」
「再分類。」
ソータは笑いながら呟いた。
骨の劇団は、笑いまで帳簿に入れそうな勢いだった。
◆◇◆
宴はそのまま本格的な賑わいへ変わった。
楽団は軽快な曲を奏で、アマゾネスたちは手拍子を合わせる。
何人かは踊り始めた。
スケルトンの演奏に合わせて、北の砦の戦士たちが踊る。
少し前なら考えられない光景だった。
だが今は、誰も不自然だと思っていない。
骨の足音と、アマゾネスの足踏みが床を鳴らし、炉の火が跳ね、肉の匂いと酒の香りが大広間を満たしている。
ルシアはオルドアイの隣で、幸せそうにその光景を見ていた。
「オルドアイ。」
「見て。」
「みんな笑っているわ。」
「私の城のスケルトンたちで、北の砦のみんなが笑っている。」
「ああ。」
「なかなか見事だ。」
「怖がられない?」
「最初は怖がっていた。」
「だが、今はもう無理だ。」
「あの木を見て怖がり続けるのは難しい。」
「木の役、役に立ったのね。」
「かなりな。」
ルシアは嬉しそうに両手を胸の前で合わせた。
「これをミレイユに見せれば、ミレイユの機嫌も大丈夫かしら。」
オルドアイは少し考えた。
そして、宴の熱に浮かされていたのか、いつもより楽観的に言った。
「大丈夫ではないか。」
「あの女も、これを見れば笑うだろう。」
「笑えば、少しは怒りも弱まる。」
「特に鐘だ。」
「あれは効く。」
「そうね。」
「ミレイユも、鐘で笑う?」
「たぶん笑う。」
「笑わなかったら、相当怒っている。」
「なら、鐘を多めに鳴らす?」
「多すぎると逆に怒るかもしれん。」
「難しいわ。」
「ミレイユは難しい。」
二人は真剣に話していた。
ソータは少し離れたところで、その会話を聞いていた。
楽しそうな二人を見ると、微笑ましい。
オルドアイとルシアが、こんなふうに並んでミレイユ対策を相談する日が来るとは思わなかった。
だが、その内容には不安しかなかった。
(いや、ミレイユはたぶん笑う。)
(笑うかもしれない。)
(でも、笑った後で普通に怒る。)
(機嫌が大丈夫になるかは別問題だ。)
(むしろ、宴でごまかそうとしたと思われたら減点される。)
(ルシア、順番違いは減点って言われてただろ。)
(まず謝罪。)
(次に説明。)
(その後に劇だ。)
(たぶん。)
ソータは二人に近づこうとした。
しかし、その前にバルクがやって来て肩を組んだ。
「ソータ!」
「あの骨劇団、すごいな!」
「すごいよな。」
「ガルナも笑ってた。」
「久しぶりにあんなに笑ってた。」
「俺はそれだけであの骨たちを好きになった。」
「分かりやすいな。」
「分かりやすい男だからな。」
バルクは胸を張った。
ガルナが少し離れたところから見ている。
バルクはそれに気づき、急に姿勢を正した。
ソータは笑った。
「バルクも忙しいな。」
「何がだ。」
「いや、何でも。」
「何でもではない顔をしているぞ。」
「ガルナに聞け。」
「それが一番怖い。」
そんな話をしている間にも、宴は盛り上がっていく。
骸骨楽団は次の曲へ移り、今度は少し速い拍子になる。
アマゾネスの一人が木の役スケルトンを誘って踊ろうとし、木の役は両腕を広げたまま左右に揺れる。
それだけで周囲が笑う。
チャールズが遠くから声を飛ばした。
「木の役。」
「踊る場合でも森としての節度を保ちなさい。」
「節度のある森とは何だ!」
誰かが叫び、また大笑いが起きる。
ルシアはもう嬉しくて仕方ない様子だった。
彼女はソータのところへ駆け寄ってきて、袖をつまむ。
「ソータ。」
「見て。」
「すごいわ。」
「夜の城の子たちが、怖がられていないわ。」
「うん。」
「すごい。」
「私、嬉しい。」
「胸がいっぱいで、少し苦しいわ。」
「いい苦しさだな。」
「ええ。」
「たぶん、いい苦しさ。」
ソータはルシアの頭を軽く撫でた。
ルシアは目を細める。
その姿をオルドアイが見ていたが、今日は怒らなかった。
むしろ、少し柔らかい顔をしている。
きっと彼女も、この宴がただの笑いではないと分かっているのだ。
北の砦の者たちが、夜の城のスケルトンを見て笑っている。
怖いだけではないと知り始めている。
それは、ルシアにとってどれほど大きなことだろう。
チャールズが次の演目を始めた。
今度は短い滑稽劇だった。
題名は「王様の椅子を探す骨たち」。
王役が座る椅子を探すだけの話らしい。
しかし、用意された椅子がなぜか次々と木の役に奪われる。
木の役は椅子を持って立っているだけなのだが、なぜか森が椅子を隠しているように見える。
騎士役は木の役に何度も話しかけるが、木なので答えない。
姫役は布を引きずりながら椅子を探し、鍋蓋役は椅子だと思って鍋蓋を差し出す。
王役は最終的に鍋蓋に座ろうとして、滑って転ぶ。
大広間は再び爆笑に包まれた。
ソータも笑った。
ルシアは笑いながら泣いていた。
オルドアイは腹を押さえている。
ヤンガルドアイは卓を叩いて笑っている。
「これはミレイユにも効く!」
オルドアイが笑いながら言った。
「効くわね!」
ルシアも笑いながら答える。
「椅子を探しているもの!」
「ミレイユの頑丈な椅子にもつながるわ!」
「つなげるな!」
ソータは思わず叫んだ。
だが、二人は楽しそうだった。
その楽しさを壊すのも惜しい。
ただ、ミレイユの前でいきなり「頑丈な椅子に関連する演目」としてこれを出したら、どうなるのか分からない。
いや、分かる。
まずミレイユは笑わない顔をする。
次に、誰がこの順番を決めたのかと聞く。
そして最後に、笑いをこらえながら怒る。
たぶん、そうなる。
(これは、俺が順番を整理しないと駄目だ。)
(謝罪。)
(報告。)
(条件。)
(その後、余興。)
(絶対にその順番だ。)
(最初から骨劇団は危険すぎる。)
ソータは心に強く刻んだ。
◆◇◆
宴が終わる頃には、北の砦の者たちはすっかり骸骨楽団と骸骨劇団に慣れていた。
慣れすぎて、数人のアマゾネスはスケルトンたちと一緒に片づけまでしていた。
木の役スケルトンは両腕を広げたまま木箱を持とうとしてチャールズに叱られている。
鍋蓋役は鍋蓋を食堂へ返す時、なぜか誇らしげだった。
鐘持ちは鐘を大事そうに抱えている。
王役は王冠を何度も直していた。
姫役は布を畳むのに苦戦しており、ガルナが手伝っていた。
「こうやって端を揃えると畳みやすいの。」
ガルナが言う。
姫役スケルトンはこくこく頷く。
骨が布の畳み方を教わっている。
その光景に、ソータはまた笑いそうになった。
チャールズは転移用の円を再び用意していた。
短時間とはいえ、スケルトンたちを夜の城へ戻さねばならない。
転移には順番があるらしく、楽器、小道具、劇団員の配置を確認している。
「楽団、楽器確認。」
「劇団、布、王冠、木剣、鍋蓋、鐘。」
「忘れ物はございませんか。」
スケルトンたちは一斉に自分の持ち物を確認した。
木の役は両腕を見た。
チャールズが言う。
「木の役。」
「腕は持ち物ではなく身体でございます。」
最後まで笑いを取ってくる。
いや、本人は取るつもりはないのだろう。
そこが恐ろしい。
紫の光が広がり、スケルトンたちは一礼して消えた。
大広間に静けさが戻る。
だが、その静けさは寂しいものではなかった。
笑いの余韻が壁や床に残っている。
さっきまで骨たちがいた場所に、まだ楽器の音や鐘の音が聞こえるようだった。
ルシアはその空いた床を見つめていた。
ソータが近づく。
「寂しいか?」
「少し。」
「でも、嬉しい方が大きいわ。」
「私の城の子たちが、ここで笑ってもらえたもの。」
「怖がられるだけではなかったもの。」
オルドアイも近づいた。
「見事だった。」
「最初はどうなるかと思ったが、砦の者たちも楽しんでいた。」
「オルドアイも?」
「……楽しんだ。」
「嬉しい。」
ルシアは本当に嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ると、ソータも胸が温かくなる。
チャールズが三人へ一礼した。
「皆様、ご鑑賞ありがとうございました。」
「ミレイユ様到着時にお見せする場合、演目の順番を調整いたします。」
「その件なんですが。」
ソータはすぐに言った。
「ミレイユには、まず謝罪と報告が先です。」
「劇は、その後。」
「絶対にその後。」
ルシアは目を丸くした。
「最初に見せて、機嫌をよくするのではなく?」
「それは危険だ。」
オルドアイが少し不満そうに言う。
「でも、これなら少しは笑うだろう。」
「笑うと思う。」
「でも、先に笑わせようとしたって思われると怒る。」
「ミレイユは、順番を大事にする。」
「ルシア、減点対象って言われただろ。」
ルシアははっとした顔になった。
「順番違い。」
「そう。」
「危なかったわ。」
「私はまた減点されるところだった。」
「まだされていない。」
「今気づけば大丈夫。」
ルシアは真剣に頷いた。
「ありがとう、ソータ。」
「オルドアイ、劇は謝ってからね。」
「……そうだな。」
「危うく私まで浮かれていた。」
オルドアイは少し恥ずかしそうに言った。
ルシアと楽しそうに話していた分、自分でも気づいたらしい。
「だが、いずれは見せる。」
「あの女にも、これは見せる価値がある。」
「それは俺も思う。」
ソータは頷いた。
「夜の城のスケルトンが、ただ怖いものじゃないって伝わる。」
「ルシアの城が、閉じた場所じゃなくて、笑いを運べる場所になるかもしれないって伝わる。」
「だから、順番を守って見せよう。」
チャールズが深く一礼した。
「承知いたしました、ソータ様。」
「では、ミレイユ様向けには、謝罪、報告、協議の後、必要に応じて短縮版を上演いたします。」
「演目は、鐘の効果が高かったものを中心に。」
「鐘は入れるんですね。」
「はい。」
「砦での反応を踏まえ、鐘は有効な演出要素と判断いたしました。」
オルドアイが頷く。
「鐘は入れろ。」
ルシアも頷く。
「鐘は大事。」
ソータは笑った。
「分かった。」
「鐘は大事。」
大広間にはまだ笑いの熱が残っていた。
北の砦と夜の城の距離は、昨夜よりさらに縮まった。
骨の楽団と劇団が運んできたのは、音と笑いだけではない。
怖さを和らげる余白。
見た目だけで判断しないための時間。
そして、ルシアの城にも誰かを迎える力があるという証だった。
遠く、北へ向かう街道では、紅い馬車列が着実に近づいている。
ミレイユがこの宴をどう見るかは、まだ分からない。
笑うかもしれない。
怒るかもしれない。
両方かもしれない。
だが、少なくとも、見せるものはできた。
ソータは空いた床を見つめながら、静かに息を吐いた。
(荷だけじゃない。)
(笑いも運べる。)
(怖いものだと思われていた骨たちが、砦の人たちを笑わせた。)
(これも、道をつなぐ力なんだ。)
(でも、順番は守る。)
(ミレイユに怒られないためじゃない。)
(ちゃんと届かせるために。)
炉の火がぱちりと鳴った。
ルシアはまだ嬉しそうに笑っている。
オルドアイも、その隣で少し誇らしげに立っている。
チャールズはすでに、次回上演時の改善点を骨の指で書き留めている。
その横に、小さくこう書かれていた。
鐘、重要。
ソータはそれを見て、また少し笑った。
ミレイユ到着まで、あとわずか。
北の砦は、笑いと緊張を同時に抱えながら、紅い髪紐を迎える準備を進めていくのだった。




