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勇者じゃなくて運送屋ですが、王国の命綱です  作者: naomikoryo


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第147話:薫る余韻、深まる絆、そして新たな誓い

 夜明け前の光が、北の砦の石壁と木の柵をゆっくりと白く染めていく。

 夜の湿り気はまだ床板の隙間に残り、湯屋の奥にある小部屋には、かすかな湯の香りと、柔らかな熱の名残が漂っていた。

 厚く敷かれた布の上で、ソータはゆっくり目を開けた。

 最初に感じたのは、自分の腕の重さだった。

 左腕の中にはオルドアイがいる。

 褐色の薄茶の肌に、長い茶色の髪が乱れてかかり、普段は強気に吊り上がる目元は、今は眠りの中で少しだけ幼く見えた。

 右側にはルシアがいる。

 薄紫の髪がソータの胸元に散り、紫の羽は傷に響かないように小さく畳まれている。

 彼女はソータの服の端を握ったまま眠っていた。

 まるで、目を離した隙にもう一度置いていかれるのを怖がっているようだった。


 ソータはしばらく動かなかった。

 動けば二人を起こしてしまう気がした。

 それに、動きたくなかった。

 昨日の夜は、夢ではない。

 オルドアイとルシアが自分を求め、自分も二人を求め、言葉で確かめながら越えた夜だった。

 荒い熱も、迷いも、恥ずかしさも、全部があった。

 けれど最後には、誰かを所有するのではなく、互いに選び合うという感覚が残った。

 それが胸の奥で、湯の余韻のように静かに温かい。


(落ち着いている。)

(昨日みたいに、変に外へ漏れていく感じがない。)

(《男気》は……消えたわけじゃない。)

(でも、暴れてはいない。)

(ちゃんと向かう場所を見つければ、これはただの厄介な力じゃないのかもしれない。)


 ソータはそっと意識を内側へ向けた。

 ステータスの文字が淡く浮かぶ。

 《男気》はそこにある。

 昨日見た時より、妙なざわつきは薄い。

 説明の中に、新しいような、以前は見落としていたような一文が浮かんでいた。


 信頼する相手との情緒的充足により、過剰な外部発露は抑制される。

 守るべきものを自覚した場合、威圧ではなく包容として発現しやすい。


 ソータは小さく息を吐いた。


(包容。)

(便利な言葉だな。)

(でも、昨日の俺は強引だった。)

(オルドアイもルシアも、嫌じゃないと言ってくれた。)

(だからといって、次も同じでいいわけじゃない。)

(俺が自分で制御しないと駄目だ。)

(これは、荷物と同じだ。)

(積めるからといって、乱雑に積んだら壊れる。)

(重いものほど、置き方を間違えちゃいけない。)


 胸の上で、ルシアが小さく身じろぎした。

 薄紫の睫毛が震え、ゆっくり瞳が開く。

 目を覚ました彼女は、最初ぼんやりとソータを見た。

 次に、自分が彼の腕の中にいることを思い出したらしく、頬がゆっくり赤くなる。


「ソータ。」


「おはよう、ルシア。」


「おはよう。」

「……私、まだここにいるのね。」


「いるよ。」


「夢ではないのね。」


「夢じゃない。」


 ルシアはソータの胸に頬を寄せた。

 その仕草は昨日までよりずっと自然だった。

 甘えるということを、ほんの少し覚えたようにも見えた。


「痛いところはないか。」


 ソータが聞くと、ルシアは少し考えた。


「少しあるわ。」

「でも、嫌な痛みではない。」

「羽の傷とは違うわ。」

「体の奥に、昨日の夜のことが残っている感じ。」


 あまりに素直な言葉に、ソータは少し息を詰まらせた。

 ルシアは不思議そうに見上げる。


「変なことを言った?」


「いや。」

「変じゃない。」

「ただ、ルシアは本当にまっすぐ言うなって思っただけだ。」


「隠した方がいい?」


「いや。」

「今は、そのままでいい。」


 ルシアは少し嬉しそうにした。

 そこへ、左側から低い声がした。


「朝から何を甘やかしている。」


 オルドアイが目を開けていた。

 目元には眠気が残っているが、声はいつもの強さを取り戻しつつある。

 ただ、ソータの腕の中から出ようとはしなかった。


「おはよう、オルドアイ。」


「おはよう。」

「……体はどうだ、ソータ。」


「落ち着いてる。」

「昨日みたいな変な感じはない。」


「そうか。」


 オルドアイは少しだけ安心したように息を吐いた。

 それからルシアを見る。


「お前は。」


「少し痛いわ。」

「でも、幸せ。」


 オルドアイの眉が跳ねる。


「朝から正直すぎる。」


「隠した方がいいとソータに聞いたら、そのままでいいと言われたわ。」


「ソータ。」


「俺のせい?」


「半分は。」


「残り半分は?」


「ルシアのせいだ。」


「私なの?」


 ルシアは目を丸くした。

 オルドアイはため息をつきながらも、手を伸ばしてルシアの額に軽く触れた。

 熱を確かめるような仕草だった。


「熱はないな。」

「羽は動かすな。」

「今日は長く歩くな。」

「湯にも長く入るな。」

「痛みが増えたらすぐ言え。」


 ルシアは驚いたようにオルドアイを見た。


「オルドアイ。」

「怒っているのに、私の体を心配してくれるのね。」


「怒りと心配は別だ。」


「やっぱりお姉さんだわ。」


「違う!」


「でも、今のはお姉さんだった。」


「違うと言っている。」


 ルシアはくすくす笑った。

 その笑い方は昨日までより、少し柔らかい。

 オルドアイは困ったように眉を寄せ、けれど完全には否定しきれない顔をした。

 ソータはその二人を見て、胸の奥が満たされるのを感じた。


「オルドアイ。」


「何だ?」


「ありがとう。」

「昨日、ルシアを支えてくれて。」


「礼を言うな。」

「私は、私の判断でやった。」


「それでも。」


 オルドアイはしばらく黙り、それからソータの胸に額を押しつけた。


「お前も、昨日は少し変だったが……。」

「悪くはなかった。」


 声は小さい。

 ルシアが反応した。


「オルドアイ、昨日も悪くなかったと言っていたわ。」


「繰り返すな。」


「嬉しかったの?」


「黙れ。」


「嬉しかったのね。」


「ルシア。」


 オルドアイが低く名を呼ぶと、ルシアは慌ててソータの胸に隠れた。


「ソータ、庇って。」


「これは庇えない。」


「どうして?」


「今のは君が悪い。」


 ルシアは少し考え、素直に頷いた。


「分かったわ。」

「ごめんなさい、オルドアイ。」


「謝るのが早いな。」


「謝る本をもらう前に少し練習しているの。」


「その調子でミレイユにも謝れ。」


 ミレイユの名前が出た瞬間、部屋の空気が少し変わった。

 ソータも、オルドアイも、ルシアも、それぞれ違う形で黙る。

 紅い髪紐の令嬢。

 ソータが帰る場所。

 オルドアイが認めた相手。

 ルシアがまだ直接会っていない、最も怖い女。

 そして、アルベールが何をどこまで報告したのか分からない相手。


 ルシアはソータの服を握った。


「ミレイユは、今頃怒っている?」


「怒ってると思う。」


 ソータは正直に答えた。


「とても?」


「たぶん、とても。」


「私を嫌う?」


「分からない。」

「でも、話は聞いてくれる。」

「ミレイユは、見ないまま決めつける人じゃない。」


 オルドアイが頷いた。


「あの女は怖いが、公平だ。」

「腹は立つほど頭が回る。」

「だからこそ、逃げずに立てば言葉は届く。」


「腹は立つほど頭が回るのね。」


「そうだ。」


「怖いわ。」


「怖くていい。」

「怖いからといって逃げるな。」


 ルシアは小さく頷いた。


「逃げないわ。」

「私はソータと結ばれた。」

「オルドアイとも、少し近くなった。」

「でも、ミレイユに隠れていたら、また勝手に奪う女になってしまうもの。」


 その言葉に、オルドアイはルシアを見る目を少し柔らかくした。


「分かっているならよい。」


「ええ。」

「それに、ミレイユに会う時、オルドアイも一緒にいてくれる?」


「当然だ。」

「お前だけに任せると、余計なことを言う。」


「私は余計なことを言うの?」


「言う。」


「ソータもそう思う?」


「……時々。」


「二人とも正直ね。」


「君ほどじゃない。」


 ソータが言うと、ルシアは少し得意そうにした。

 なぜそこで得意になるのかは分からなかったが、彼女らしかった。


◆◇◆


 しばらくして、三人は小部屋を出る準備を始めた。

 昨日の夜の余韻はまだ残っていたが、いつまでもここにいるわけにはいかない。

 砦は朝を迎えている。

 訓練も、見張りも、食事も、補給もある。

 そして何より、ガルナがすべてを察したうえで朝食を用意している可能性が高い。


 ルシアは立ち上がろうとして、少しだけよろめいた。

 ソータが支える前に、オルドアイが手を伸ばす。


「無理をするな。」


「大丈夫。」

「少しふわふわするだけ。」


「それを大丈夫とは言わない。」


「昨日も似たようなことを言われたわ。」


「昨日より言われる理由が増えた。」


 オルドアイは羽に布が引っかからないように見てやりながら、ルシアを立たせた。

 その手つきは昨日よりずっと自然だった。

 ルシアもそれを当たり前のように受け入れている。

 ソータはその光景を見て、昨日の夜とは別の意味で胸が熱くなった。


(関係が変わってる。)

(少しずつだけど。)

(オルドアイはルシアを叱る。)

(ルシアはオルドアイを慕う。)

(それは、俺を挟んだだけの関係じゃない。)

(この二人の間にも、道ができ始めている。)


 湯屋の外へ出ると、廊下の空気が冷たかった。

 朝の砦の匂いがする。

 木と石、煙と肉、洗った布と薬草。

 そして、少し離れた場所にガルナが立っていた。

 彼女は三人を見ると、特に驚く様子もなく一礼した。


「おはようございます。」


「おはよう、ガルナ。」


 ソータが少し緊張して答える。

 ガルナは三人の顔を順番に見た。

 オルドアイは堂々としているようで、少しだけ頬が赤い。

 ルシアは幸せそうだが、足元が少し頼りない。

 ソータは覚悟を決めたような顔をしている。


 ガルナは小さく息を吐いた。


「朝食の支度ができています。」

「温かいスープと、柔らかいパンと、少し薄めたハーブティーです。」

「ルシアさんには、刺激の少ないものにしてあります。」


「ありがとう、ガルナ。」

「あなたは本当にお姉さんね。」


「その呼び方が定着しそうで怖いです。」


 ガルナは少し困った顔で笑った。

 それからソータを見る。


「ソータさん。」


「はい。」


「落ち着きましたか。」


「……はい。」


「ならよかったです。」


 その言い方に、ソータは深々と頭を下げたくなった。


「昨日は迷惑をかけました。」


「迷惑と言うより、砦中が少し落ち着きませんでした。」

「今後は早めに自覚してください。」


「本当にそうします。」


 ガルナは頷いた。

 そして、声を少し落とす。


「アルベール様は、もうおられません。」


 ソータの体が固まった。

 オルドアイも眉を寄せる。

 ルシアは首を傾げた。


「また?」


「はい。」

「湯屋の前に伝言を残して、いつの間にかミレイユ様のもとへ戻られたようです。」


「どこから出た。」


 オルドアイが低く聞く。


「誰も見ていません。」

「霧の森にも形跡はありません。」

「見張りも気づきませんでした。」


 オルドアイは一瞬黙り、それから疲れたように言った。


「アルベールなら容易か。」


「はい。」

「皆、そう納得しました。」


 ソータは顔を青くした。


「伝言には何て?」


 ガルナは小さな紙を差し出した。

 ソータは受け取って読む。

 節度と水分補給。

 明朝の体調確認。

 必要最小限の範囲でミレイユへ報告。

 文字は見事に整っていた。

 その整い方が、かえって怖かった。


「必要最小限……。」


 ソータは呟いた。


「どこまでですかね、それ。」


 オルドアイが紙を横から読んだ。

 眉間に皺が寄る。


「必要最小限などと言いながら、あの男は必要だと思ったことを全部言うぞ。」


「やっぱり?」


「そういう顔をしている。」


 ルシアは少し不安そうに紙を覗き込んだ。


「ミレイユに、昨日のことも知られる?」


 ガルナが少しだけ視線を逸らした。

 オルドアイは腕を組む。

 ソータは深く息を吐いた。


「たぶん、ぼかしてはくれる。」

「でも、何かあったことは伝わる。」


「何か。」


 ルシアは復唱した。


「何かとは、私がソータと結ばれたこと?」


「ルシア。」


 ソータとオルドアイが同時に言った。

 ガルナが片手で口元を押さえる。

 笑ってはいない。

 たぶん、笑ってはいない。


「そういうことを、朝の廊下で大きな声で言わない。」


 オルドアイが低く言う。


「ごめんなさい。」

「でも、隠すことなの?」


「隠すというより、言う場所を選べ。」


「分かったわ。」

「言う場所を選ぶ。」


「ミレイユの前でいきなり言うなよ。」


 ソータが真剣に言うと、ルシアはとても真剣に頷いた。


「いきなりは言わないわ。」

「まず謝って、それから聞かれたら言う。」


「聞かれる前提なのか。」


「ミレイユは頭がいいのでしょう?」

「なら、聞くと思うわ。」


 それは確かにそうかもしれない。

 ソータは何も言えなくなった。


◆◇◆


 食堂へ向かうと、すでに何人かのアマゾネスたちが朝食を取っていた。

 三人が入ると、一瞬だけ空気が止まる。

 昨日の夜の詳細を知っている者はいない。

 だが、知らなくても分かることはある。

 オルドアイの少し緩んだ表情。

 ルシアの落ち着いた笑顔。

 ソータの妙に覚悟を決めた顔。

 砦の女たちは察しがいい。

 けれど、誰も不用意には踏み込まなかった。

 それもまた、砦の強さだった。


 バルクだけは例外だった。

 彼は食堂の隅で肉を食べていたが、三人を見た瞬間、少し目を丸くした。

 そして、何か言いかける。

 その前に、隣に座ったガルナが静かに彼の足を踏んだ。


「ぐっ。」


「朝食を食べなさい。」


「まだ何も言ってない。」


「言いそうでした。」


「すまん。」


 ルシアはそのやり取りを見て、嬉しそうに笑った。


「ガルナは今日もバルクを叱っているわ。」


「毎日です。」


 ガルナが淡々と言う。


「バルクは叱られるのが好きなの?」


「いや、そういうわけでは……。」


 バルクが言いかけると、ガルナが見る。

 バルクはすぐに姿勢を正した。


「嫌いではないかもしれない。」


「バルク。」


「すまん。」


 食堂に笑いが広がった。

 ルシアも笑った。

 オルドアイは呆れたようにしながら、席につくよう促す。

 ソータはルシアの羽に椅子が当たらないように位置を直した。

 それを見たオルドアイが、少しだけ目を細める。


「ソータ。」


「何?」


「今日は落ち着いているな。」


「かなり意識してる。」


「ならよい。」


 ルシアが首を傾げる。


「男気…?は落ち着いた?」


「たぶん。」


 ソータが答えると、近くのアマゾネス数人が小さく反応した。

 どうやら「男気」という言葉はすでにある程度広まっているらしい。

 ソータは頭を抱えたくなった。


「その話、どこまで広まってる?」


 ガルナが控えめに答えた。


「砦中が、ソータさんが昨日少し男らしすぎたことは知っています。」


「男らしすぎた……。」


「悪い意味だけではありません。」

「ただ、少し危険でした。」


「はい…」


 ソータは素直に頷いた。

 オルドアイがスープの器を手に取りながら言う。


「今後、妙な気配を感じたら私に言え。」


「分かった。」


「ルシアにも言え。」

「一人で抱え込むと、また砦中を口説く。」


「それは本当に避けたい。」


 ルシアは少し考えた。


「でも、私は昨日の男っぽいソータも好きよ。」


 周囲の空気がまた少し止まる。

 ソータは器を落としかけた。

 オルドアイがルシアを見る。


「だから、言う場所を選べと言っただろう。」


「今は食堂だから駄目?」


「駄目だ。」


「分かったわ。」


 ルシアは素直に頷き、ハーブティーを飲んだ。

 ガルナが用意した薄めのハーブティーは、香りが柔らかい。

 ルシアは一口飲んで、ほっとしたような顔をした。


「これ、昨日より優しい味がする。」


「今日は体を休めるためです。」


 ガルナが言う。


「ありがとう。」

「私、大事にされているのね。」


「怪我人ですから。」


「でも、嬉しいわ。」


 ルシアは本当に嬉しそうだった。

 砦の者たちは、その顔を見て少しずつ表情を緩めていく。

 吸血鬼族の姫。

 恐ろしい夜の種族。

 そう聞けば、警戒するのは当然だった。

 だが目の前にいるルシアは、薄いハーブティー一杯で大事にされたと喜び、オルドアイをお姉さん扱いし、言葉選びを間違えて叱られる女だった。

 怖くないわけではない。

 力は強い。

 夜の能力もある。

 それでも、向き合える相手だと、少しずつ伝わっていた。


 朝食の途中で、ヤンガルドアイが食堂へ入ってきた。

 堂々とした足取りで、周囲の空気が自然と引き締まる。

 彼女は三人を見て、面白そうに目を細めた。


「ほう。」

「顔つきが変わったな。」


 ソータは嫌な予感がした。


「おはようございます。」


「おはよう、ソータ。」

「昨夜は北の砦の湯も役に立ったようじゃな。」


 ソータはスープにむせた。

 オルドアイが目を閉じる。

 ルシアは素直に頷きかけ、オルドアイに肘で止められる。


「母上。」


「何も細かくは聞いておらぬ。」

「聞かずとも分かることはある。」


「分からなくていいこともあります。」


「それを決めるのは若い者の務めじゃ。」

「こちらはただ、砦が平穏ならそれでよい。」


 ヤンガルドアイは楽しそうに笑った。

 それから、ルシアを見る。


「紫の姫。」

「体は持つか。」


「少しふわふわするわ。」

「でも、幸せ。」


「そうか。」

「なら、今日は無理をするな。」

「幸せでも倒れる時は倒れる。」


「分かったわ。」

「ヤンガルドアイもお姉さん?」


 食堂が一瞬静まった。

 ヤンガルドアイは目を丸くし、次に腹の底から笑った。


「お姉さんか。」

「よい、よい。」

「長く生きておると、たまにはそう呼ばれるのも悪くない。」


「母上、受け入れないでください。」


「何を照れておる、オルドアイ。」

「お前もお姉さんなのだろう。」


「違います。」


「違うの?」


 ルシアが聞く。


「違う。」


「でも、昨日も今日も助けてくれたわ。」


「助ける者全員をお姉さんにするな。」


 ソータは笑いを堪えた。

 オルドアイがすぐに睨む。


「笑うな。」


「笑ってない。」


「顔が緩んでいる。」


「ごめん。」


 オルドアイは少し不機嫌そうに肉を口へ運んだ。

 だが、その横顔はどこか満たされていた。


◆◇◆


 朝食の後、ソータは補給倉庫へ向かった。

 体は少し重いが、頭は昨日よりずっと澄んでいる。

 倉庫の中には、北の砦で使う物資と、男たちの村へ回す荷が積まれていた。

 縄、釘、布、干し肉、水袋、薬草、補修材。

 いつもの荷。

 いつもの現場。

 それを前にすると、ソータは少し落ち着いた。


 オルドアイとルシアもついてきた。

 ルシアは無理をしない約束なので、重いものは持たない。

 だが、見て覚えると言って、荷札をじっと見ていた。


「これは何?」


「男たちの村へ送る補修材。」


「こっちは?」


「砦の見張り台用の縄。」


「こっちは?」


「薬草。」

「ガルナたちが使う。」


「荷物は、全部行き先があるのね。」


「そうだ。」

「行き先と、使う人と、使う時がある。」

「それを間違えると、必要な時に届かない。」


 ルシアは真剣に頷いた。


「人も似ている?」


 ソータは手を止めた。


「似ている?」


「ソータはミレイユに戻る。」

「オルドアイにも戻る。」

「私のところにも来ると言った。」

「それぞれ行き先があるのね。」

「でも、荷物と違って、ソータは自分で選んで動く。」


 オルドアイがルシアを見た。

 ソータも少し驚いた。

 ルシアは自分で言いながら、言葉の意味を確かめているようだった。


「私は最初、ソータを城に置いておけばいいと思った。」

「でも、それは荷物を閉じ込めるみたいだったのね。」

「違うわ。」

「ソータは、運ぶ人だもの。」

「道を作る人だもの。」


 ソータは胸の奥が静かに揺れた。

 ルシアは本当に、少しずつ分かってきている。

 奪うことと、待つこと。

 欲しがることと、選んでもらうこと。

 そして、運ぶことの意味。


「ルシア。」


「何?」


「今の言葉、ミレイユにも言うといい。」


「ミレイユに?」


「ああ。」

「たぶん、伝わる。」


 ルシアは少し不安そうにしながらも頷いた。


「覚えておくわ。」

「でも、緊張したら忘れるかもしれない。」


 オルドアイが言う。


「忘れたら素直に言え。」

「緊張して忘れました、と。」


「それでもいいの?」


「下手に飾るよりましだ。」


「分かったわ。」


 ルシアはまた一つ学んだ顔をした。


 ソータは倉庫の荷を見渡した。

 北の砦。

 男たちの村。

 グランデリア。

 王都。

 夜の城。

 道は増えている。

 荷も増えている。

 人の感情まで一緒に積むようになっている。

 それでも、運ばなければならない。

 置いていくことはできない。


(俺は、運送屋だ。)

(勇者じゃない。)

(誰かを全部救えるほど強くない。)

(でも、道を作れる。)

(荷を届けられる。)

(言葉を運べる。)

(逃げずに、戻ることができる。)


 その時、倉庫の外から見張りの声がした。


「ソータ!」

「オルドアイ様!」

「王都方面からの早馬です!」


 三人は顔を上げた。

 ソータの胸に緊張が走る。

 オルドアイの目が鋭くなる。

 ルシアは羽を小さく震わせた。


 中庭へ出ると、北の道から馬が一頭駆け込んできていた。

 乗っているのはクラウゼン商会の印をつけた使者だった。

 馬は息を荒くし、使者もかなり急いできた様子だった。

 彼は地面に降りると、すぐに膝をつく。


「クラウゼン商会より伝令!」

「ミレイユ様は王都を発たれ、グランデリアへ向かわれました!」

「グランデリアにて荷と人員を整えたのち、北の砦へ向かわれるとのことです!」

「到着までは、順調なら三日前後!」


 ソータは息を呑んだ。

 来る。

 ミレイユが来る。

 待つのではなく、自分から北へ来る。


 使者はさらに続けた。


「また、ミレイユ様より言付かっております!」

「ソータ様へ!」


 ソータは背筋を伸ばした。


「はい。」


「逃げないこと。」


 中庭が静まり返った。

 オルドアイが口元を押さえる。

 ルシアは真剣に頷いた。


「やはり怖いわ。」


 使者は次にオルドアイへ向いた。


「オルドアイ様へ。」

「ルシア様を砦へ入れてくださった件、直接礼を申し上げたいとのことです。」


 オルドアイの表情が少し変わる。

 驚きと、少しの照れと、誇らしさ。


「……そうか。」


 使者は最後に、ルシアへ向いた。

 ルシアは緊張で羽を畳み、背筋を伸ばす。


「ルシア様へ。」

「手紙は読みました。」

「話は聞きます。」

「ただし、言い訳と順番違いは減点対象です。」

「謝罪の本は持参します、とのことです。」


 ルシアはしばらく無言だった。

 そして、両手で胸元を押さえた。


「読んでくれたのね。」

「話を聞いてくれるのね。」

「でも、減点されるのね。」


「ミレイユらしいな。」


 オルドアイが言った。


「怖いわ。」


 ルシアは震えながらも、少し嬉しそうだった。

 ソータも同じだった。

 怖い。

 胃が痛い。

 何をどこまで説明すればいいのか、考えるだけで頭が痛い。

 それでも、ミレイユは来る。

 物資を積み、言葉を用意し、直接見るために来る。

 それは怒りだけではない。

 ミレイユなりの責任であり、信頼の形だった。


 オルドアイがソータを見る。


「準備しろ。」

「紅い女が来る。」


「うん。」


 ルシアも小さく頷いた。


「私も準備するわ。」

「謝る練習をする。」

「言い訳を減らす。」

「順番を守る。」

「それから、夜に勝手に見ない。」


「それは必ず守れ。」


 オルドアイが即座に言った。

 ソータも強く頷いた。


「本当に。」


 ルシアは真面目な顔で頷いた。


「守るわ。」


 北の砦の中庭に、朝の光が差していた。

 緑の組み紐が揺れ、紫の羽が小さく震え、ソータはその間で深く息を吸う。

 紅い髪紐が、三日後にはこの砦へ届く。

 それまでにできることは多い。

 荷を整える。

 言葉を整える。

 心を整える。

 逃げずに立つ準備をする。


(ミレイユが来る。)

(ちゃんと話す。)

(怒られる。)

(でも、戻る。)

(戻るために、ここで待つ。)


 ソータは使者から受け取った手紙を握った。

 その紙の重みは、どんな荷よりも今は重かった。

 だが、運べない重さではなかった。

 彼は運送屋だ。

 背負うものが増えるたびに、道を作ってきた。

 今回も同じだ。


 北の砦の朝は、少しずつ騒がしくなっていく。

 ミレイユを迎える準備が、始まった。

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