第135話:骨の執事と大魔導士
ルシアの城に、静かな夜が戻っていた。
大教会の白い結界に焼かれた黒薔薇の庭は、まだ一部が白く枯れたままだった。
城門の外には砕けた聖具の残骸が集められ、スケルトンたちがそれを木箱へ丁寧に詰めている。
チャールズの指示により、それらは小道具ではなく証拠品として扱われることになった。
もっとも、劇団担当らしい一体だけは、割れた聖印を王冠の飾りにできないか未練があるようで、何度も箱の方を振り返っていた。
城内の紫の灯は戻っている。
床の魔力線も、壁に刻まれた古い紋様も、アルベールの手で整えられた後は以前よりも穏やかに脈打っていた。
黒い石の城はまだ傷ついている。
だが、息はしている。
長すぎる夜の城は、白い光に押し潰されることなく、再び自分の夜を取り戻していた。
ルシアはまだ完全には動けなかった。
羽の傷は浅くない。
大教会の聖結界は、吸血鬼族にとって毒に近いものだった。
アルベールが城の魔力を巡らせ直したことで回復は早まったが、それでも無理をすれば傷が開く。
そのため、ルシアはソータとチャールズとアルベールにほぼ強制される形で、食堂の大きな椅子に座らされていた。
「私はもう歩けるわ。」
ルシアは不満そうに言った。
「歩けることと、動いてよいことは違います、ルシア様。」
チャールズが即座に返した。
「チャールズ、最近そればかり言うわ。」
「ルシア様が最近、動こうとなさるからでございます。」
「じっとしていると退屈なの。」
「退屈で命を削る必要はございません。」
「命はそんなに簡単に削れないわ。」
「先日、かなり削れかけました。」
チャールズの声は丁寧だったが、そこには珍しく強い感情があった。
ルシアは言い返そうとして、少しだけ視線を逸らした。
自分でも分かっているのだろう。
あの聖結界の痛みは、強がりで消せるものではなかった。
ソータは食堂の卓の端に座り、温かい茶を飲んでいた。
目の前には、チャールズがアルベールから教わって作った柔らかな炒り卵と薄い粥が置かれている。
試作らしい。
卵は少し形が崩れていたが、味は悪くなかった。
人間用の食事に真剣に取り組んだ結果だと思うと、どこか微笑ましい。
「これ、美味しいですよ。」
ソータが言うと、チャールズの眼窩の青い火が少しだけ明るくなった。
「恐れ入ります、ソータ様。」
「火加減については、アルベール様よりご指導いただきました。」
アルベールは少し離れたところで紅茶を淹れていた。
白髪の老紳士は、黒い執事服を隙なく着こなし、あの大教会を一人で屈辱的に追い払った後とは思えないほど静かに立っている。
ただ、チャールズが「アルベール様」と呼ぶたびに、ソータは少しだけ違和感を覚えた。
アルベールは誰に対しても「様」をつける。
それは分かっている。
だが、チャールズの方にも、アルベールへ向ける時だけ、どこか古い敬意が混ざっている。
ルシアもそれに気づいていた。
だからこそ、彼女は食堂へ来てからずっと、二人をじっと見ていた。
ついに、ルシアが口を開いた。
「チャールズ。」
「はい、ルシア様。」
「あなた、アルベールを知っているのね。」
食堂の空気がわずかに止まった。
スケルトンたちが皿を運ぶ音まで、小さくなった気がした。
チャールズは卓の横で姿勢を正したまま、すぐには答えなかった。
アルベールは紅茶を注ぐ手を止めない。
ただ、湯気の向こうで、ほんの少しだけ目を伏せた。
「ルシア様。」
チャールズの声はいつも通り丁寧だった。
だが、その奥に迷いがあった。
「その件につきましては……。」
「後ほど?」
ルシアが先に言った。
「いえ。」
チャールズは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「できれば、アルベール様より。」
ルシアは今度はアルベールを見た。
「アルベール。」
「はい、ルシア様。」
「私はチャールズの主よね。」
「はい。」
「では、チャールズのことを知る権利はある?」
アルベールは紅茶のポットを置いた。
そして、深く一礼した。
「ございます、ルシア様。」
「ただし、その話は少々重いものになります。」
「重い荷?」
ルシアはソータの方を少し見た。
ソータは静かに頷いた。
「たぶん、そういう話なんだと思う。」
「なら、なおさら知りたいわ。」
「重い荷なら、一人で隠される方が嫌。」
その言葉に、チャールズの眼窩の火が揺れた。
アルベールはしばらくルシアを見ていた。
そして、静かに口を開いた。
「では、お話しいたしましょう。」
「チャールズ様は、現在はルシア様の執事であり、高位のアンデッドでございます。」
「ですが、その始まりは、ただの骨ではございませんでした。」
ルシアは息を呑んだ。
ソータも茶の杯を置いた。
食堂の紫の灯が、少しだけ静かに揺れた。
◆◇◆
「彼は、かつてある小さな故郷を守る兵士でございました。」
アルベールの声は低く、穏やかだった。
だが、その穏やかさがかえって、語られる出来事の重さを際立たせていた。
「国境から少し離れた、山間の町でございます。」
「城壁は低く、兵も多くはなく、豊かでもございませんでした。」
「それでも、人が暮らし、畑があり、鍛冶屋があり、小さな教会があり、孤児院がありました。」
ルシアは身を乗り出しかけ、羽の傷に顔をしかめた。
ソータが軽く手を添えると、彼女は素直に座り直した。
視線だけはアルベールから離さない。
「孤児院……。」
「はい。」
「戦や疫病で親を失った子供たちを集めた、小さな家でございました。」
「彼はその孤児院の見回りを、よく引き受けておりました。」
「正式な任務ではございません。」
「ただ、子供たちによく懐かれていたのでしょう。」
チャールズは黙っている。
自分の話を聞いているはずなのに、まるで他人の物語を聞いているような静けさだった。
アルベールは続けた。
「その町が、魔人との戦いに巻き込まれました。」
「本来ならば、勇者一行が追っていた敵の一部でございます。」
「狙いは町ではなかった。」
「しかし、魔人は逃走の途中で町を盾にし、混乱の中で魔力を暴走させました。」
ソータは拳を握った。
アルベールの言葉は抑えられている。
だが、目の前に光景が浮かぶようだった。
低い城壁。
逃げ惑う人々。
魔人の黒い力。
孤児院。
子供たち。
「彼は孤児院へ走りました。」
「そこで、子供たちを逃がそうとした。」
「ですが、間に合いませんでした。」
アルベールの声が、ほんの少しだけ低くなる。
「魔人の一撃は、孤児院ごと吹き飛ばすほどのものでした。」
「彼は子供たちの前に立ち、盾を構えた。」
「自分の体で、子供たちを守ろうとしたのです。」
ルシアの指が、膝の上で強く握られた。
ソータは思わずチャールズを見た。
チャールズは微動だにしない。
ただ、眼窩の奥の青い火が、いつもよりも静かだった。
「結果として、孤児院は壊滅しました。」
「彼も、子供たちも、その場で命を落としました。」
食堂の中で、誰も声を出さなかった。
遠くで、スケルトンが皿を置く音がした。
それすら、ひどく遠く聞こえた。
ルシアは小さく呟いた。
「チャールズは……子供たちを守ろうとしたのね。」
「そうでございます。」
アルベールは頷いた。
「彼は最後まで盾を構えておりました。」
「すでに肉体は砕かれ、意識も消えかけていたはずです。」
「それでも、骨になってもなお、腕は盾を抱く形で残っていた。」
ソータの胸に重いものが落ちた。
今、目の前にいるチャールズは老執事のような口調で、湿気が苦手で、ルシアに人間社会を教え、骸骨劇団の指導までしている。
その彼が、かつて子供たちを守るために盾となった兵士だった。
まるで別人のようで、しかしどこか納得できる。
チャールズの根底にある守る姿勢は、きっとそこから来ているのだろう。
「アルベールさんは、その場にいたんですか。」
ソータが聞くと、アルベールは静かに頷いた。
「はい。」
「遅れて、到着しました。」
「魔人はすでに討伐寸前でしたが、町は深く傷ついておりました。」
「私は孤児院跡で、彼と子供たちを見つけました。」
アルベールはそこで一度言葉を切った。
紅茶の湯気がゆっくり上がる。
その白い湯気の向こうで、老執事の目は遠い過去を見ていた。
「本来なら、死者をこの世にとどめることは禁忌でございます。」
「特に、魂の残滓を無理に縫い止め、骨に意志を宿す術は、命の流れを歪めるもの。」
「軽々しく使ってよいものではありません。」
ルシアが小さく言った。
「でも、使ったのね。」
「はい。」
アルベールは否定しなかった。
「ただし、普通には使えません。」
「いくら私でも、当時その魔法を知っていたわけではございませんでした。」
「古い死霊術の断片は学んでおりましたが、魂を縫い止め、高位の守護者として再構成するほどの魔法など、書物にも残っていなかった。」
「じゃあ、どうして……。」
ソータが聞くと、アルベールの声が少しだけ変わった。
「子供たちの霊が、私に力をくれたのです。」
ルシアの瞳が大きく開いた。
「子供たちが?」
「はい。」
「彼らは、自分たちを守ろうとしてくれた兵士を、朽ちたままそこに置いていきたくなかったのでしょう。」
「泣いておりました。」
「怖がっておりました。」
「けれど、彼だけは助けてほしいと願っていた。」
アルベールは自分の手を見下ろした。
白手袋に包まれた指。
その下に、古い魔法陣の跡があることをソータは知っている。
「その時、初めて脳裏に閃きました。」
「術式が、形を持って浮かんだのです。」
「死者の骨を器とし、守ろうとした意志を核とし、子供たちの霊の願いを燃料にして、現世へ留める。」
「私はそれを、ほとんど考えるより先に組み上げていました。」
ソータは息を呑んだ。
「その場で、魔法を作ったってことですか。」
「結果としては。」
「結果としてって……。」
「若い頃の私は、少々無謀でございました。」
チャールズが静かに言った。
「少々、でございますか。」
ソータとルシアが一斉にチャールズを見る。
チャールズは、今の話の中で初めて自分から口を挟んだ。
しかし、その声に悲しみはない。
淡々としている。
まるで、自分とは別の誰かのことを聞いているようだった。
アルベールは小さく目を細めた。
「チャールズ様。」
「覚えておいでですか。」
「いえ。」
「今のハイ・スケルトンとして目覚める以前の記憶は、私にはほとんどございません。」
「ただ、アルベール様の魔力に覚えがあった理由は、今のお話で納得いたしました。」
ルシアは驚いたようにチャールズを見た。
「覚えていないの?」
「はい、ルシア様。」
「私は、兵士であった頃の記憶を持っておりません。」
「孤児院も、子供たちも、魔人も、盾を構えたことも。」
「今、初めて物語として知ったに近い状態でございます。」
「でも……。」
「あなたの話よ。」
「そのようでございます。」
チャールズは穏やかだった。
あまりにも穏やかで、ルシアの方が泣きそうになっていた。
「悲しくないの?」
「不思議ではございます。」
「ですが、悲しいと申し上げるには、私の中にその方々の顔がございません。」
「それでも……。」
チャールズは少しだけ杖を握り直した。
「子供たちを守ろうとした者が、今の私の前にいたとするならば、敬意を表したいと思います。」
その言葉に、ソータは胸が詰まった。
ルシアは唇を噛む。
チャールズは自分の過去を覚えていない。
それでも、その過去に敬意を払う。
自分が何者だったか分からなくても、今の自分がどうあるべきかを選んでいる。
◆◇◆
アルベールは静かに続けた。
「禁忌魔法は成功しました。」
「もっとも、完全な復活ではございません。」
「魂そのものを戻したわけではない。」
「彼の守ろうとした意志、子供たちの霊の願い、骨に残った戦士としての型。」
「それらを核として、高位アンデッドを組み上げたに過ぎません。」
「に過ぎないって言い方がすごいですね。」
ソータは思わず言った。
アルベールは少しだけ苦笑した。
「当時の私は、己の行いの重さを十分には理解しておりませんでした。」
「後に、多くの問題点を自覚しました。」
「死者を留めるということは、命の流れを止めることにもなり得ます。」
「ゆえに、その術式は封じました。」
「二度と同じ形では使っておりません。」
ルシアは静かに聞いていた。
そして、少し震える声で言った。
「子供たちは、どうなったの?」
アルベールは目を伏せた。
「術式が完成した後、彼らの霊は穏やかに離れていきました。」
「少なくとも、私にはそう見えました。」
「彼らは、彼をこの世に残した。」
「そして、自分たちは行くべき場所へ向かったのでしょう。」
ルシアの頬に涙が落ちた。
今回は夢の中ではない。
彼女は起きている。
自分の意思で、その話を聞いて涙を流していた。
「チャールズは、子供たちに置いていかれたの?」
「いいえ、ルシア様。」
チャールズが答えた。
声はとても静かだった。
「おそらく、託されたのでございます。」
「託された……。」
「はい。」
「誰かを守る役目を。」
ルシアはその言葉に胸を押さえた。
チャールズは一歩下がり、ルシアへ深く一礼した。
「そして現在、私の主はルシア様です。」
「私の記憶にその子供たちはおりません。」
「しかし、守るという形だけは残っております。」
「ならば、私はそれをルシア様のために使いましょう。」
「チャールズ……。」
「私はルシア様の執事でございます。」
チャールズははっきりと言った。
「創造主がどなたであれ、今の私の主はルシア様です。」
「アルベール様が私を作り、子供たちの願いが私をこの世に留めたとしても、今、私が仕える相手はルシア様でございます。」
ルシアは泣きながら笑った。
「よかった。」
「あなたまで、アルベールと行ってしまうのかと思った。」
「私は湿気からは逃げますが、ルシア様からは逃げません。」
食堂の空気が少しだけ緩んだ。
ソータは笑いそうになり、同時に泣きそうにもなった。
ルシアは涙を拭きながら、少しだけむっとする。
「湿気からも逃げないでほしいわ。」
「努力いたします。」
「その言い方は逃げる時の言い方よ。」
「ルシア様は大変ご成長なさいました。」
「誤魔化さないで。」
チャールズは丁寧に一礼した。
そのやり取りが、今の二人の関係をそのまま表しているようだった。
重い過去を聞いても、チャールズはルシアの執事であり続ける。
ルシアはそれを確かめて、安心している。
アルベールはその様子を静かに見ていた。
その目に、ほんの少しだけ安堵があった。
◆◇◆
ルシアは涙を拭いた後、アルベールを見た。
「アルベール。」
「はい、ルシア様。」
「チャールズは、あなたが作ったのね。」
「はい。」
「でも、あなたのものではないのね。」
「はい。」
「作った者と、所有する者は同じではございません。」
「そもそも、意思ある者を所有物として扱うべきではございません。」
その言葉は、静かに食堂へ落ちた。
ルシアは黙っていた。
ソータは、彼女が何を考えているのか分かった気がした。
かつてのルシアは、ソータを連れてきたから自分のものだと思っていた。
助けたから、約束したから、城に来たから。
そんな理由で相手を手元に置こうとした。
だが、チャールズの話は、それとは別の角度から彼女へ同じことを教えている。
作ったから、自分のものではない。
助けたから、自分のものではない。
連れてきたから、自分のものでもない。
ルシアはぽつりと言った。
「なら、私は間違えていたわ。」
チャールズが何か言いかけたが、アルベールが目で制した。
ルシア自身の言葉を待つためだった。
「私は、ソータを助けた。」
「そして、城に連れてきた。」
「だから私のものみたいに思っていた。」
「でも、違うのね。」
「ソータはソータのもの。」
「チャールズも、チャールズのもの。」
「誰かのそばにいるのは、選ぶことなのね。」
ソータは胸の奥が熱くなるのを感じた。
「ルシア……。」
ルシアはソータを見た。
涙の残った目で、少しだけ笑う。
「私は、かなり進んだルシアだから。」
「本当に進んだな。」
「でも、少し寂しいわ。」
「選ぶということは、選ばれないかもしれないということでしょう?」
「そうだな。」
「怖いわ。」
「俺も怖い。」
「ソータも?」
「ああ。」
「俺だって、選んだ結果が全部うまくいくかなんて分からない。」
「ミレイユに怒られるのも怖い。」
「オルドアイに詰められるのも怖い。」
「君に寂しい顔をされるのも怖い。」
「でも、逃げるわけにはいかない。」
ルシアは静かに頷いた。
「逃げない。」
「ああ。」
アルベールが穏やかに言った。
「選ぶ者は、必ず責任を背負います。」
「しかし、背負うことを恐れて何も選ばなければ、関係は始まりません。」
「ルシア様は、すでに学び始めておられます。」
「アルベールに言われると、先生みたいね。」
「昔は、そのような役を務めたこともございます。」
ソータは思わず突っ込んだ。
「ヨーダさんをしごいたみたいにですか。」
アルベールは紅茶を注ぎながら、何食わぬ顔で答えた。
「教育でございます、ソータ様。」
「大神官が部屋に閉じこもるほどの教育って何なんですか。」
「少々、熱心でございました。」
チャールズが静かに言った。
「アルベール様の少々は、しばしば世界規模でございます。」
「チャールズ様。」
「失礼いたしました。」
ルシアは少しだけ笑った。
涙の後の笑顔だった。
その顔を見て、ソータも少し安心した。
◆◇◆
話が一段落すると、チャールズは改めてアルベールの前へ立った。
そして、深く一礼する。
「アルベール様。」
アルベールは静かに見た。
「何でしょう、チャールズ様。」
「私には、兵士であった頃の記憶はございません。」
「子供たちの顔も、故郷の名も、盾を構えた感覚も覚えておりません。」
「しかし、私をこの世に留めたことについて、礼を申し上げるべきなのでしょう。」
アルベールは少しだけ目を細めた。
「礼は不要でございます。」
「私は禁忌を犯した。」
「それが正しかったかどうか、今でも断言はできません。」
「それでも、私はここにおります。」
「ルシア様に仕えております。」
「ソータ様を迎え、人間用の粥を学び、骸骨劇団を指導しております。」
「最後の項目は、当時の私にも予想外でございます。」
「私にも予想外でございました。」
二人の声が静かに重なり、食堂に小さな笑いが生まれた。
ルシアは涙を拭きながら笑い、ソータも肩の力を抜く。
チャールズは続けた。
「私の過去が、そのようなものであったなら。」
「今の私は、その願いに恥じぬようありたいと思います。」
「子供たちを守ろうとした兵士の名を覚えていなくとも。」
「私は、ルシア様を守ります。」
「この城を守ります。」
「そして、ソータ様が運ぶ道を、可能な限り支えましょう。」
ソータは自然と頭を下げていた。
「お願いします、チャールズさん。」
「お任せくださいませ、ソータ様。」
アルベールはその様子を見て、静かに頷いた。
「立派になりましたね、チャールズ様。」
チャールズの眼窩の火が、ほんの少しだけ揺れた。
「その評価は、少々くすぐったいものでございます。」
「骨にもくすぐったい感覚があるの?」
ルシアが聞く。
「比喩でございます、ルシア様。」
「また比喩。」
「人間社会にも、アンデッド社会にも、比喩は多うございます。」
「難しいわ。」
「学びましょう。」
「チャールズが教えてくれる?」
「もちろんでございます。」
ルシアは少しだけ安心したように頷いた。
ソータはその二人を見ていた。
主と執事。
吸血鬼と高位スケルトン。
作られた者と、選んで仕える者。
その関係は、言葉で簡単に片づけられるものではない。
だが、確かにそこにある。
アルベールは紅茶を一口飲み、ゆっくりと杯を置いた。
「さて。」
「重い話は、ここまでにいたしましょう。」
「ルシア様の回復、城の修復、そしてソータ様の帰還準備が残っております。」
ルシアは少しだけ表情を曇らせた。
「帰還準備……。」
ソータは彼女を見る。
「戻らないといけない。」
「でも、手紙は運ぶ。」
「君の言葉も、ちゃんと。」
「私も書くわ。」
「ミレイユとオルドアイに。」
「うん。」
「それから、チャールズのことも話す?」
チャールズが少し首を傾げた。
「私の過去を、でございますか。」
アルベールが静かに答えた。
「必要以上に広める話ではございません。」
「ただし、ミレイユ様にはご報告が必要でしょう。」
「オルドアイ様には、必要に応じて。」
「ミレイユは、またあなたを問い詰めるの?」
ルシアが聞くと、アルベールは微笑んだ。
「おそらく。」
「怖くないの?」
「ミレイユ様のお叱りは、受けるべき時に受けるものでございます。」
「やっぱり強いのね、ミレイユ。」
ソータは苦笑した。
「だから言っただろ。」
「別の意味で強いって。」
ルシアは真剣に頷いた。
「謝る手紙、もっと丁寧に書くわ。」
チャールズがすぐに姿勢を正した。
「では、後ほど添削いたしましょう。」
「チャールズ、厳しくしすぎないで。」
「謝罪文において甘さは禁物でございます。」
「黒薔薇の蜜は?」
「入れてはなりません。」
「比喩?」
「現実でも比喩でも、入れてはなりません。」
ソータは思わず笑った。
重い話の後に、こうしていつもの調子が戻る。
それが救いだった。
食堂の紫の灯が柔らかく揺れる。
黒薔薇の香りがかすかに流れ、外ではスケルトンたちが城門を直す音が続いている。
チャールズの過去は悲しいものだった。
けれど、今の彼はここにいる。
ルシアのそばに。
城の中に。
そして、これから外へつながる道の一部として。
(作ったから、自分のものじゃない。)
(助けたから、自分のものでもない。)
(そばにいるのは、選ぶこと。)
(ルシアは、それをちゃんと受け取った。)
ソータは静かに息を吐いた。
また運ぶものが増えた。
チャールズの過去。
ルシアの成長。
アルベールの禁忌。
それらは、ただ荷物のように軽く扱えるものではない。
でも、伝えるべき相手には伝えなければならない。
ルシアがソータを見た。
「ソータ。」
「何だ?」
「私の手紙、落とさないでね。」
「落とさない。」
「ちゃんと届ける。」
「私の言葉も?」
「言葉も。」
「チャールズのことも?」
「必要な分だけ。」
「アルベールが怖いことも?」
「それはもう、みんな薄々分かってると思う。」
アルベールが穏やかに咳払いした。
「ソータ様。」
「すみません。」
チャールズが小さく付け加える。
「しかし、事実でございます。」
「チャールズ様。」
「失礼いたしました。」
ルシアは笑った。
まだ少し涙の残る笑顔だった。
それでも、その笑顔は前より強かった。
長すぎる夜の城で、骨の執事の過去が語られた。
死んだ兵士。
守れなかった孤児院。
子供たちの霊が託した願い。
禁忌を閃いてしまった大魔導士。
そして、記憶を持たないまま今の主を選んだチャールズ。
そのすべてを抱えながら、夜の城はまた一つ、外へつながる準備を始めた。




