第131話:大魔法使いの執事
白い結界の光が、城門前の夜を押し潰そうとしていた。
ソータが広げた遮光布は、スケルトンたちの手によって何とか掲げられている。
だが、その布の端は白い光に触れるたびにじりじりと焦げ、黒い繊維が灰のように崩れていった。
ルシアの羽を守るには足りる。
だが、城そのものを守るには足りない。
黒薔薇の庭はさらに白く焼け、紫の灯は弱まり、城壁を走る古い魔力の紋様が、ところどころ途切れている。
大教会の聖歌は止まらない。
同じ旋律。
同じ祈り。
同じ言葉。
それが重なり続けるたびに、結界は厚みを増していく。
美しい歌声のはずなのに、ソータにはそれが巨大な鎖の音のように聞こえた。
ルシアは城門前で羽を広げていた。
遮光布のおかげで少しは楽になったようだが、顔色はまだ悪い。
白い聖気に触れた羽の端は焼け、紫の光がまだらに乱れている。
それでも、彼女は退こうとしなかった。
城門を背にして、ソータとスケルトンたちを守るように立っている。
「ルシア、無理するな!」
ソータが叫ぶと、ルシアはちらりとこちらを見た。
「無理ではないわ。」
「少し痛くて、少し腹が立って、少し眩しいだけ。」
「それを無理って言うんだよ!」
「私は吸血鬼よ。」
「このくらいで倒れないわ。」
そう言った直後、ルシアの膝がわずかに揺れた。
ソータは駆け寄ろうとしたが、白い光が城門前を横切り、足を止めざるを得なかった。
その光は、細い帯のように地面を走り、ルシアの足元へ絡みつく。
チャールズが杖を鳴らした。
「ルシア様。」
「後退を。」
「嫌。」
「ここを下がったら、城門が焼かれるわ。」
「ルシア様が倒れられれば、城門どころではございません。」
「倒れない。」
「そのお言葉は、倒れそうな方ほどおっしゃいます。」
チャールズの声はいつも通り丁寧だった。
しかし、その骨の指には細かなひびが入っている。
白い聖気が彼の関節にまとわりつき、動きを鈍らせていた。
スケルトンたちも必死に盾を構えているが、足元が震えている。
何体かは油布で関節を補強したおかげで立ち直ったものの、長くは保ちそうになかった。
ソータは周囲を見た。
遮光布。
水袋。
油布。
縄。
石灰袋。
予備盾。
できることはしている。
だが、結界そのものが強すぎる。
自分の物資で時間は稼げても、根本的に破れない。
アルベールが外側の術式を見ているが、大教会側も人数が多い。
結界石の周りには祈祷師がつき、兵が守っている。
こちらが一つ崩そうとすれば、別の場所から補われる。
(まずい。)
(物資で支えるだけじゃ限界がある。)
(道を作るにしても、今は結界が厚すぎる。)
その時、アルベールが静かに歩いてきた。
白い光の中でも、彼の服は乱れていない。
だが、表情は先ほどより少しだけ硬かった。
城門前、ルシア、チャールズ、スケルトンたち、結界石、大教会の祈祷師。
それらを一通り見てから、アルベールは小さく息を吐いた。
「なるほど。」
その声は、ひどく静かだった。
ソータは振り返る。
「アルベールさん?」
「当初は、可能な限り皆様のお力で解決していただくつもりでございました。」
「ルシア様が内側から結界を乱し、チャールズ様が防衛線を維持し、ソータ様が物資で道を支える。」
「私は結界の弱点を整える程度に留める予定でございました。」
「予定って……。」
「ですが。」
アルベールは白手袋をゆっくり整えた。
その仕草はいつもと同じだった。
なのに、その場の空気が変わった。
白い聖歌の中に、別の低い音が混ざったような気がした。
霧が一瞬だけ動きを止める。
「このメンバーでは、少々無理がございます。」
ルシアが眉を寄せた。
「何よ、それ。」
「私はまだ戦えるわ。」
「ルシア様。」
「戦えることと、勝てることは同じではございません。」
ルシアは言い返そうとして、言葉を詰まらせた。
アルベールの声は柔らかい。
だが、そこには逆らいがたい重さがあった。
チャールズもアルベールを見ていた。
眼窩の青い火がかすかに揺れている。
先ほどの再会の気配。
「何も言うなよ」と釘を刺された相手。
そのアルベールが、今、何かを決めたのだと察しているようだった。
「ソータ様。」
「はい。」
「全員を城内へ戻してくださいませ。」
「城内へ?」
「はい。」
「城門を閉じ、内側の魔力線を一時的に集約します。」
「外に残ったままでは、巻き込みます。」
「巻き込むって、何をするつもりですか?」
アルベールは微笑んだ。
いつもの執事の微笑みだった。
だが、その奥にあるものを見て、ソータの背筋に冷たいものが走った。
「少し、本気を出します。」
その言葉に、チャールズの姿勢がぴくりと変わった。
ルシアも目を丸くする。
大教会の聖歌はまだ続いている。
兵たちはこちらの会話など聞こえていない。
だが、ソータには分かった。
ここから何かが変わる。
「本気って……。」
「説明は後ほど。」
「今は、戻すことを優先してくださいませ。」
アルベールは城門を指した。
「ルシア様、チャールズ様、スケルトンの皆様を城内へ。」
「遮光布を広げたまま後退。」
「水袋を地面へ撒き、白い聖粉の線を薄めてください。」
「城門前の結界帯は、三呼吸ほど私が緩めます。」
「その間に全員を入れてくださいませ。」
「三呼吸……。」
ソータは城門前を見た。
スケルトンたちは動きが遅い。
チャールズはひびが入っている。
ルシアは立っているのがやっと。
全員を三呼吸で戻すなど普通なら無理だ。
だが、普通に戻す必要はない。
ソータは自分の荷を意識した。
《神速積載庫》。
取り出すだけではない。
必要なものを、必要な場所に。
今は人を運ぶことはできない。
だが、道具なら出せる。
足場も、壁も、目隠しも、滑りも、支えも。
(全員を歩かせる必要はない。)
(動きが遅いなら、滑らせる。)
(光を遮るなら、布を二重にする。)
(城門までの距離を、少しでも短くする。)
ソータは顔を上げた。
「分かりました。」
「俺が道を作ります。」
アルベールは頷いた。
「お任せいたします、ソータ様。」
◆◇◆
ソータは《神速積載庫》から次々と物資を取り出した。
まずは厚手の遮光布を追加で三枚。
それをスケルトンたちの前へ広げる。
次に油布を細長く敷く。
普通なら足元が滑って危ない。
だが、今はそれが必要だった。
重く動きの鈍いスケルトンたちを、歩かせるのではなく、押して滑らせるためだ。
「チャールズさん!」
「盾を持ってるスケルトンを、布ごと後ろへ下げます!」
「転ばせるんじゃなくて、滑らせる!」
チャールズは一瞬で理解した。
「承知いたしました。」
「全員、膝を固定。」
「盾を前へ。」
「姿勢よく滑りなさい。」
命令の内容は奇妙だったが、スケルトンたちは従った。
膝を固め、盾を前に構え、油布の上へ並ぶ。
ソータは縄を取り出し、盾の裏へ素早く通した。
それを城門側の太い柱へ向けて投げる。
「ルシア!」
「あの柱に絡められるか!」
ルシアは白い光に顔を歪めながらも、羽を動かした。
紫の羽先が縄を弾き、城門内側の石柱へ巻きつける。
チャールズが杖で軽く叩くと、縄がきつく締まった。
「よし!」
「引くぞ!」
ソータは縄を引いた。
だが、スケルトンたちの数が多い。
重い。
そこへチャールズが片手を添えた。
さらに、城内側から数体のスケルトンが縄を引く。
油布の上で、盾を構えたスケルトンの列がぎこちなく後ろへ滑り始めた。
白い光が彼らの盾を叩く。
遮光布が焦げる。
だが、列は崩れない。
見た目はあまりにも滑稽だった。
盾を構えた骸骨たちが、姿勢よくずるずると城内へ引きずられている。
普段ならソータは笑っていたかもしれない。
だが、今は笑う余裕はなかった。
大教会の兵たちが気づいた。
「城内へ退くぞ!」
「逃がすな!」
祈祷師たちの詠唱が強まる。
城門前の白い帯が厚くなる。
その瞬間、アルベールが右手を上げた。
「一呼吸。」
白い光が、ふっと薄くなった。
薄くなったというより、横へ流された。
まるで見えない手が結界の布を少しだけ摘まんだようだった。
城門前に細い隙間が生まれる。
「今!」
ソータは叫んだ。
スケルトンの列が一気に城門側へ滑る。
盾が石畳に当たり、骨ががちゃがちゃ鳴った。
チャールズが叫ぶ。
「頭部を落としても拾うのは後で結構です!」
「まずは城内へ!」
数体のスケルトンの頭蓋が揺れたが、何とか落ちずに済んだ。
列の半分が城門内へ入る。
「二呼吸。」
アルベールの声が続く。
彼はまだ手を上げたまま、白い結界の流れを逸らしていた。
大教会の祈祷師たちが驚きの声を上げる。
「結界が乱れている!」
「誰だ、外から術式に触れているのは!」
「詠唱を強めろ!」
白い光が再び戻ろうとする。
ソータは水袋を三つ取り出し、地面に叩きつけた。
水が白い聖粉の線へ流れ込む。
じゅっと音がして、白い煙が上がった。
その一瞬だけ、光の帯が弱まる。
「ルシア!」
「下がれ!」
「嫌!」
「ソータがまだ外にいる!」
「俺は最後に入る!」
「君が先だ!」
「でも!」
ルシアが言い返そうとした瞬間、チャールズが彼女の外套を掴んだ。
「失礼いたします、ルシア様。」
「チャールズ!?」
「ただいまは、姫君らしい優雅な退避より、生存を優先いたします。」
チャールズはルシアを半ば抱えるように城門へ下がらせた。
ルシアは抵抗しようとしたが、羽が傷んでいて力が入りきらない。
ソータはさらに遮光布を投げ、二人の前に広げた。
「三呼吸。」
アルベールの声が低く響いた。
白い光の隙間が、限界まで細くなる。
城門前に残っているのは、ソータと数体のスケルトン、そして遮光布の端を持つルシアだった。
ルシアは城門内に入ったものの、まだ布を手放していない。
「ソータ!」
「行け!」
ソータは残った予備盾を取り出し、自分の前へ並べるように投げた。
盾が地面に落ちる。
その上に、さらに油布を敷く。
即席の滑り台のようなものだ。
普通なら危なすぎる。
だが、走るより早い。
(やるしかない。)
ソータは助走をつけ、油布の上へ飛び乗った。
足を取られる。
体が前へ滑る。
予備盾が白い光を受け止め、火花を散らす。
熱い。
肩に光がかすり、肌が焼けるように痛んだ。
「ソータ!」
ルシアが叫ぶ。
城門内から手が伸びる。
ソータは体勢を崩しながら、その手へ向かって滑った。
あと少し。
白い結界が戻る。
光の壁が閉じようとしている。
その瞬間、チャールズが杖を伸ばした。
骨の手がソータの腕を掴む。
さらにルシアがソータの服を掴んだ。
チャールズとルシアが同時に引く。
ソータの体が城門内へ転がり込んだ。
直後、白い光が城門の外で閉じた。
遮光布の端が焼け、黒い灰となって舞った。
城門の外に残っていた予備盾が、白い炎に包まれて崩れる。
ソータは城内の石床に転がったまま、荒く息を吐いた。
肩が痛い。
腕も擦りむいている。
だが、生きている。
全員、城内に入った。
ルシアがソータに覆いかぶさるようにして覗き込んだ。
「ソータ!」
「怪我は!?」
「大丈夫。」
「ちょっと焼けたけど、大丈夫。」
「大丈夫じゃない顔をしているわ!」
「それは今に始まったことじゃない。」
チャールズがすぐに水を含ませた布を持ってきた。
「ソータ様。」
「肩を。」
「ありがとうございます。」
ソータが起き上がろうとすると、ルシアが支えた。
その手は震えている。
怒っているのか、怖かったのか、どちらもなのか分からない。
「無茶をしたわ。」
「君に言われたくない。」
「私は吸血鬼よ。」
「俺は運送屋だ。」
「運送屋は油布で滑って結界を抜けるの?」
「場合による。」
ルシアは一瞬だけ目を丸くし、それから泣きそうな顔で笑った。
「人間は場合が多いわ。」
「ああ。」
「多いんだよ。」
そのやり取りの間にも、城門の外では白い光が強まっていた。
大教会の声が聞こえる。
「門を閉ざしたぞ!」
「結界を城壁へ集中しろ!」
「逃げ場はない!」
重い音を立てて、城門が閉じられていく。
黒い扉が完全に閉まる直前、アルベールが最後に入ってきた。
彼は一歩も乱れず、何事もなかったように城内へ足を踏み入れた。
そして、スケルトンたちに合図する。
「閉門。」
チャールズが即座に杖を鳴らした。
「城門、閉鎖。」
「内側の支柱を下ろしなさい。」
「頭部を失った者は、後で回収いたします。」
「今は門を押さえることを優先。」
スケルトンたちが動く。
がちゃがちゃと骨の音が鳴りながら、巨大な支柱が城門の内側へ下ろされた。
城全体が震える。
白い結界の圧が外から門を叩いている。
黒い扉が軋み、紫の紋様が弱く光った。
全員が城内に戻った。
だが、追い込まれたことに変わりはない。
むしろ、外へ出る道は完全に塞がれた。
ソータは肩を押さえながら、アルベールを見た。
「戻りました。」
「全員、たぶん中です。」
「お見事でございます、ソータ様。」
アルベールは静かに言った。
「即席の滑走路とは、実に運送屋らしい発想でございました。」
「褒められてる気がしないんですけど。」
「大変褒めております。」
ルシアがソータの肩を見て、眉を寄せる。
「ソータを傷つけた。」
「大丈夫だって。」
「大丈夫じゃない。」
ルシアの瞳が怒りに染まりかける。
だが、チャールズがそっと声をかけた。
「ルシア様。」
「今は怒りを外へ向ける前に、息を整えてくださいませ。」
「アルベール……ミレイユ様の執事殿が、何かをなさいます。」
チャールズは一瞬だけ呼び方に迷った。
それに気づいたアルベールが、ほんの少しだけ視線を向ける。
チャールズはすぐに姿勢を正した。
ルシアはアルベールを見た。
「あなた、何者なの。」
アルベールは一礼した。
「ミレイユ様の執事でございます、ルシア様。」
「それは聞いたわ。」
「でも、ただの執事ではないでしょう。」
「執事にも、色々ございます。」
「人間は場合だけでなく、執事も色々なのね。」
「左様でございます。」
ソータは疲れた顔で呟いた。
「この人を普通の執事だと思わない方がいい。」
「ソータ様。」
「私はあくまでミレイユ様の執事でございます。」
「その説明で納得できたこと、一度もないです。」
アルベールは微笑んだ。
そして、城門へ向き直る。
その瞬間、空気が変わった。
◆◇◆
城門の内側に、重い沈黙が落ちた。
外では聖歌が続いている。
白い結界が城壁を叩き、黒い石が軋む音がする。
だが、城内の空気は別のものに支配され始めていた。
それは、アルベールの魔力だった。
ソータは肌で感じた。
昨日までのアルベールは、力を隠していた。
いや、隠していることすら悟らせないほど自然に抑えていた。
今、その蓋がほんの少しだけ開いたのだ。
霧が城内へ流れ込む。
紫の灯が揺れる。
床に刻まれた古い吸血鬼族の紋様が、アルベールの足元から順に淡く光り始めた。
それはルシアの力とは違う。
チャールズの死霊術とも違う。
もっと広く、深く、古い。
魔力そのものを、手の中の糸のように扱う者の気配だった。
チャールズが静かに膝をつきかける。
しかし、アルベールは見ずに言った。
「チャールズ様。」
「膝は不要です。」
「ルシア様の後ろへ。」
チャールズは止まり、深く一礼するだけにした。
「承知いたしました。」
ルシアはその様子を見て、ますます怪訝な顔になる。
「チャールズが、そんな顔をするなんて。」
「私は骨でございますので、顔はございません。」
「そういう意味ではないわ。」
「失礼いたしました。」
チャールズはルシアのそばへ下がった。
その動きには、明らかな敬意と緊張があった。
ルシアは何かを聞きたそうにしたが、アルベールの魔力がさらに強まったことで言葉を飲み込んだ。
アルベールは白手袋を片方ずつ外した。
その動作はゆっくりだった。
まるで、茶器を扱う前に手を整えるような静けさ。
だが、白手袋が外された瞬間、床の紋様がさらに明るくなる。
ソータは息を呑んだ。
アルベールの指先には、細かな魔法陣の跡のようなものが見えた。
薄い銀色の線が皮膚の上に走り、脈打つように光っている。
「アルベールさん、それ……。」
「少々、古い仕事の名残でございます。」
「古い仕事って。」
「後ほど。」
「また後ほど。」
「はい。」
アルベールは城門へ片手を向けた。
外の聖歌が一瞬だけ揺らぐ。
城壁を叩いていた白い光が、内側から見えない力に押し返されたように震えた。
大教会側の声が外から響く。
「何だ、この魔力は!」
「吸血鬼のものではない!」
「結界を維持しろ!」
アルベールは小さく呟いた。
「粗い。」
その一言は、外の術式全体に対する評価だった。
ソータは思わずアルベールを見る。
粗い。
あれだけ大人数で城を囲み、ルシアを苦しめている結界を、アルベールはそう評したのだ。
「聖句の組み方が古い。」
「封鎖術式の接続も雑でございます。」
「信仰の力と軍用術式を無理に接ぎ木している。」
「これでは、力任せに押し潰すことはできても、繊細な支配はできません。」
ルシアがぽかんとした。
「あなた、外の結界を見ただけでそんなに分かるの?」
「はい、ルシア様。」
「見れば分かります。」
「普通は分からないわ。」
「普通ではないのでしょう。」
ソータは即座に言った。
アルベールは軽く咳払いをした。
「ソータ様。」
「表現に少々問題がございます。」
「事実ですよね。」
「否定はいたしません。」
アルベールは城門へ向き直り、両手を広げた。
床の紋様が広がる。
黒い石の壁に刻まれていた古い吸血鬼族の魔力線へ、アルベールの魔力が流れ込む。
普通なら異質な力がぶつかりそうなものだ。
だが、彼はそれを無理やり支配しない。
むしろ、古い水路に水を流すように、城の魔力線を読み、足りない部分を補い、詰まった部分を開いていく。
チャールズが小さく呟いた。
「相変わらず、お見事な……。」
アルベールがちらりと見る。
チャールズはすぐに口を閉じた。
ソータは聞き逃さなかった。
「相変わらず?」
「ソータ様。」
チャールズは姿勢を正した。
「骨は昔のことを思い出しやすいものでございます。」
「絶対そういう話じゃないですよね。」
「私は骨でございますので。」
「便利に使いすぎです。」
ルシアは二人を見比べた。
「ねえ。」
「チャールズとアルベールは、知り合いなの?」
チャールズは答えに詰まった。
アルベールは城門を見たまま言う。
「ルシア様。」
「その話は、城が壊れていない時にいたしましょう。」
「壊れるの?」
「このままでは。」
ルシアの顔が引き締まった。
今は問い詰める時ではないと分かったのだろう。
「分かったわ。」
「後で聞く。」
「はい。」
「後ほど、許される範囲で。」
「またそれね。」
ルシアは少し不満そうだったが、黙った。
◆◇◆
アルベールは城門前の床へ片膝をついた。
指先で黒い石に触れる。
その瞬間、銀色の魔法陣が広がった。
円ではない。
複数の円と線と文字が重なり、立体的に浮かび上がる。
ソータには意味が分からない。
だが、それが外の結界と城内の魔力線を同時に写し取っているのだと直感した。
「ソータ様。」
「城内に残っている補修材、布、水袋をこちらへ。」
「はい!」
ソータはすぐに《神速積載庫》を開く。
補修材。
厚布。
水袋。
予備盾。
油布。
それらをアルベールの近くへ並べる。
「ルシア様。」
「可能な範囲で、羽を広げずに夜の魔力を城内へ戻してくださいませ。」
「外へ押し返すのではなく、内側へ巡らせるように。」
「やってみるわ。」
「無理に力を出さないでください。」
「流すだけで結構でございます。」
ルシアは目を閉じた。
羽を小さく畳み、胸に手を当てる。
黒い石の床を通じて、紫の光がわずかに広がった。
弱ってはいる。
だが、城はルシアに応える。
黒薔薇の香りが、かすかに城内へ戻ってきた。
「チャールズ様。」
「城の防衛用死霊回路を開けますか。」
チャールズの眼窩の火が揺れた。
「現在の聖結界下では、三割ほどしか。」
「三割で充分。」
「残りは私が補います。」
「承知いたしました。」
チャールズが杖を床へ突いた。
城内のスケルトンたちが一斉に姿勢を正す。
壁の奥で、古い骨が動くような音がした。
この城にはまだ、見えていない防衛機構が眠っているらしい。
アルベールは頷いた。
「では、始めます。」
その声が落ちた瞬間、外の聖歌が大きく乱れた。
アルベールが何かをしたのではない。
まだ触れただけだ。
それなのに、大教会側の結界が彼の存在を異物として認識し、震え始めている。
城門の内側に浮かぶ魔法陣が、ゆっくり回転した。
銀の線が紫の線と絡み、白い光を逆に辿っていく。
まるで、敵の結界が作った道を、アルベールが反対方向へ歩いているようだった。
外から叫び声が聞こえる。
「術式が逆流している!」
「祈祷線を切れ!」
「駄目だ、繋がっている!」
アルベールは淡々と呟く。
「切るには遅い。」
指先が軽く動いた。
それだけで、城門を叩いていた白い光の一部がぱきんと音を立てて割れた。
光が砕け、白い粒となって宙へ散る。
それは雪のように見えた。
だが、触れた床は焼けず、むしろ紫の光を取り戻していく。
ソータは呆然とした。
「すごい……。」
ルシアも同じように見ていた。
「何なの、あの執事。」
チャールズが静かに答えた。
「昔から、あのようなお方でございます。」
言ってから、チャールズはしまったというように口を閉じた。
ソータとルシアが同時に振り向く。
「昔から?」
「チャールズ。」
アルベールの声が静かに飛ぶ。
「何も言うなよ。」
「承知いたしました。」
チャールズは完璧な姿勢で一礼した。
「私は何も申し上げておりません。」
「今、ほぼ言ってたわ。」
ルシアがじっと見る。
チャールズは骨の顔で平然とする。
「私は骨でございますので、表情から真意を読み取られる心配はございません。」
「声で分かるわ。」
「今後、気をつけます。」
ソータは小さく頭を抱えた。
「絶対、後で聞きますからね。」
「ソータ様。」
「後ほど、ミレイユ様のご判断を仰いだ上で。」
「ミレイユを盾にしないでください!」
アルベールは返事をしなかった。
その代わり、右手を軽く上げる。
魔法陣がさらに広がった。
城門だけではない。
壁。
床。
天井。
黒い城全体が、アルベールの魔力に合わせて目を覚ますように震え始めた。
外の聖歌が、今度は明らかに崩れた。
声が乱れる。
祈祷師たちの焦りが伝わってくる。
「主結界、維持できません!」
「馬鹿な!」
「相手は吸血鬼一体ではないのか!」
「内部に別の術者がいます!」
「どれほどの術者だ!」
アルベールは静かに立ち上がった。
白手袋を外した手を、城門へ向ける。
その姿は、執事だった。
背筋を伸ばし、服装を乱さず、声を荒げず、ただ淡々と主の仕事をこなす者の姿。
だが、その背後に広がる魔法陣は、もはや執事のものではなかった。
大魔導士。
いや、かつて勇者一行にいた大魔法使い。
その言葉が、ソータの頭に浮かぶ。
アルベールは穏やかに告げた。
「では、少々お仕置きと参りましょう。」
城門の外で、白い結界が大きく軋んだ。
その音は、巨大な氷が内側から割れる音に似ていた。
ソータは息を呑んだ。
ルシアは言葉を失い、チャールズは深く頭を垂れた。
黒い城の中で、長すぎる夜の魔力が再び脈を打ち始める。
ここから先は、アルベールの本気だった。




