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勇者じゃなくて運送屋ですが、王国の命綱です  作者: naomikoryo


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115/147

第115話:紫の羽

 矢の音が変わった。


 最初は散発的だった。

 柵を狙う矢。

 火を運ぶ矢。

 村の男たちを牽制する矢。

 それぞれが別々の場所へ飛んでいた。


 だが、夕闇が深まるにつれ、その狙いはひとつに絞られていった。


 ソータだった。


 どくろ旗の奥で、弓を持った盗賊たちが並び始める。

 十人。

 二十人。

 さらに後ろからも弓持ちが集まってくる。

 狙いは門でも、柵でも、倉庫でもない。

 補給を出し、負傷者を運び、南柵を《車体爆裂突進》で吹き飛ばした運び屋。


 ソータは盾持ちの男たちの後ろにいた。


 バルクが前に立っている。

 メバドスも指示を飛ばしていた。

 だが、敵の視線がこちらへ集中していることは、嫌でも分かった。


「ソータ、下がれ!」


 バルクが叫んだ。


「下がる場所がない!」


 ソータは《神速積載庫》を開く意識を保ったまま答えた。


 矢なら、ある程度は収納できる。

 飛んできたものをすべてではないが、目で追える範囲なら空間に飲み込ませることができる。

 それで何度か、火矢を消した。

 何本かは防いだ。

 味方の盾と合わせれば、まだ耐えられると思っていた。


 だが、目の前で弓が一斉に引かれるのを見た瞬間、ソータはその考えが甘かったと悟った。


 数が違う。


 一本や二本ではない。

 十本でもない。

 空そのものが黒くなるほどの矢が、こちらへ向けられていた。


 メバドスが怒鳴る。


「盾を上げろ!」


 村の男たちが盾を掲げる。

 だが、全員が疲れ切っている。

 朝から戦い続け、腕は震え、足は泥に沈み、息は荒い。

 盾の隙間はいくつもある。


 ソータは必死に《神速積載庫》へ意識を集中した。


(来る。)

(飲み込めるだけ飲み込む。)

(火矢を優先。)

(盾の隙間。)

(バルクの左。)

(広場側。)

(俺に来るやつを。)


 弦の音が重なった。


 次の瞬間、矢の雨が降った。


 ソータは空間を開いた。


 数本が消える。

 さらに数本。

 火矢を一本、収納する。

 バルクの肩へ向かっていた矢を飲み込む。

 盾の隙間を抜けそうな矢を消す。


 だが、追いつかない。


 多すぎる。


 視界の端から矢が来る。

 上から落ちる。

 横から滑り込む。

 収納しようとした瞬間、別の矢が目の前に来ている。

 体が動かない。

 《車体爆裂突進》の消耗が、ここで足を引っ張る。


(駄目だ。)

(全部は無理だ。)

(これは、間に合わない。)


 ソータの背筋が冷えた。


 バルクがこちらへ振り返る。

 盾を動かそうとしている。

 だが遅い。

 メバドスが何か叫んでいる。

 村の男たちが歯を食いしばっている。


 空から黒い雨が落ちる。


 万事休す。


 そう思った瞬間だった。


 紫の雷が落ちた。


 いや、雷ではなかった。


 轟音はない。

 焼ける匂いもない。

 だが、空気が裂けた。

 夜の内側から、何か巨大なものが降ってきたような衝撃があった。

 ソータの周囲が、紫色の光に包まれる。


 矢が止まった。


 止まったのではない。


 何かに刺さっていた。


 ソータは目を見開いた。


 自分を包んでいるものがある。


 大きな羽だった。


 ただの鳥の羽ではない。

 竜の翼にも似た、厚くしなやかな紫の羽。

 月明かりを受けて、薄紫の膜が淡く光っている。

 羽の骨は細く美しいのに、そこには鋼の盾よりも強い圧があった。

 その羽が、ソータを背後から覆うように広がり、矢の雨をすべて受け止めていた。


 数十本の矢が刺さっている。


 羽は揺れない。

 破れもしない。

 矢の先だけが、紫の光の中で震えている。


 敵も味方も動きを止めた。


 村の男たちは、口を開けたまま固まっている。

 盗賊たちも弓を構えた姿勢のまま、目を見開いている。

 バルクでさえ、一瞬声を失っていた。


 村の騒音が遠のいた。


 火の音も。

 叫び声も。

 矢の音も。

 すべてが水の底へ沈んだように薄くなる。


 ソータの周囲だけが、ぼんやりと紫色の明かりに満たされていた。


 その光の中に、女が立っていた。


 ソータの目の前に。


 薄紫色の髪。

 月光を溶かしたような、柔らかく淡い色。

 同じ薄紫色の瞳。

 あどけないほど大きな瞳が、好奇心を隠しもせず見開かれている。

 白い肌。

 楽しそうに上がった口元。

 背中から広がる、巨大な紫の羽。


 その姿は美しかった。


 だが、人間ではなかった。


 ソータは声を絞り出した。


「君は?」


 女はぱちりと瞬きをした。


 それから、花が咲くように笑った。


「あいつらを全滅させたら、私の城に来てくれる?」


 あまりにも場違いな声だった。


 戦場の真ん中で。

 矢の雨を羽で受け止めながら。

 村が燃えかけ、男たちが膝をつき、盗賊たちが周囲を囲んでいるその場所で。

 彼女はまるで、珍しい菓子を見つけた子供のように尋ねてきた。


 ソータは言葉を失った。


「えっと……。」


 女は少し首を傾げる。


 薄紫の髪が肩から滑り落ちる。

 大きな瞳は、ますます楽しそうに細められた。


「このままだと死んじゃうよ?」


 笑顔だった。


 脅しているようには見えない。

 ただ事実を言っているだけ。

 雨が降っている。

 火が熱い。

 このままだと死ぬ。

 それくらいの軽さで言っている。


 だからこそ、怖かった。


「全滅って?」


 ソータはかろうじて聞いた。


 女はぱっと顔を明るくした。


「あんな野蛮な輩は、私の手下にするのがいいかも。」


「手下?」


「そう。」


 彼女はにこにこと頷いた。


「あなたもおいしそうだけど、まずは対等に話したいと思ったから!」


 ソータの背中に冷たい汗が流れた。


 おいしそう。


 その言葉は、冗談のように軽かった。

 だが、彼女の目は本気だった。

 食べ物を見る目ではない。

 宝物を見る目でもない。

 もっと不思議なもの。

 珍しく、興味深く、どう扱えば壊れるのか試してみたいものを見る目だった。


「どうする?」

「ね、ね、どうする?」


 女は身を乗り出すように聞いてくる。


 この状況で、彼女だけが楽しそうだった。


 ソータは周囲を見た。


 紫の羽の外側で、村の男たちが膝をついている。

 盾を持つ腕は震え、弓を引く者の指も限界に近い。

 バルクでさえ肩で息をしている。

 メバドスの顔には疲労が深く刻まれていた。

 柵は壊れかけ、物資は減り、夜はもうすぐそこまで来ている。


 このままでは持たない。


 分かっていた。


 だが、この女に頼ることが何を意味するのかも分からない。


 その迷いの間に、盗賊たちがしびれを切らした。


「撃て!」


 どくろ旗の奥から怒号が飛ぶ。


 再び大量の矢が放たれた。


 紫の羽に刺さった矢。

 新たに飛んでくる矢。

 それらが、ソータと女へ向かって殺到する。


 女の眉がぴくりと動いた。


「あぁもう、うるさい!」


 彼女は大きな紫の羽を羽ばたかせた。


 風が爆ぜた。


 刺さっていた矢が一斉に抜ける。

 飛んできた矢も空中で向きを変える。

 まるで時間が裏返ったように、矢の群れは盗賊たちの方へ飛んでいった。


 悲鳴が上がる。


 矢を放った者たちが倒れる。

 盾を構える暇もなく、後列の盗賊たちが次々と崩れる。

 火矢は逆に盗賊たちの足元へ落ち、草を焦がした。

 土煙と混乱がどくろ旗の下に広がる。


 村の男たちは動けなかった。


 あまりに一方的だった。

 あまりに異質だった。

 助かったのだと理解するより先に、目の前で起きたことを脳が拒んでいる。


 ソータも動けなかった。


 ただ、女を見ていた。


 月の光を浴びる彼女は、本当に美しかった。

 薄紫の髪が夜風に揺れ、羽の膜が淡く輝いている。

 無邪気な瞳。

 楽しそうな笑み。

 そして、周囲の生死をまるで小石でも転がすように動かす力。


 美しさと危険が、同じ形をして立っていた。


 ソータは喉を鳴らした。


 もう一度、周囲を見る。


 村の男たちは限界だった。

 膝をついている者が多い。

 立っている者も、武器に体重を預けている。

 負傷者は増えている。

 物資はまだあるが、人の体力が尽きかけている。

 ソータ自身も、立っているだけで精一杯に近い。


 選ばなければならない。


 この女に頼るか。

 頼らずに、この村が潰れるのを見るか。


 ソータは目の前の女を見た。


「どうして助けてくれるんだ?」


 覚悟を決めて尋ねた。


 女は少しだけ嬉しそうに笑った。


「少し前から興味があったから。」


 その答えで、ソータは理解した。


 第108話の夜道。

 霧の奥の紫の光。

 聞こえた気がした女の声。

 ヤンガルドアイが言った、古い夜の匂い。

 あれは全部、この女だったのだ。


「君が……見ていたのか。」


「うん。」


 彼女は隠す気もなく頷いた。


「あなた、変だもの。」

「荷物だけじゃなくて、いろんなものを運んでいる。」

「人の匂いがたくさんする。」

「約束の匂いもする。」

「だから、見ていたの。」


 ソータは背筋が冷えるのを感じた。


 彼女は物理的な匂いの話をしていない。

 もっと深いものを読んでいる。

 人と人の関係。

 約束。

 未練。

 欲。

 不安。

 そういうものを嗅ぎ分ける存在なのだ。


 逃げられない。


 そう思った。


 だが、今は逃げる場面ではない。


 ソータは唇を噛んだ。


 ミレイユの顔が浮かぶ。

 オルドアイの顔が浮かぶ。

 バルク。

 ガルナ。

 メバドス。

 村の男たち。

 北の砦。

 そこに残るアマゾネスたち。

 この村が落ちれば、その先に被害が広がる。


 ソータは目を閉じ、すぐに開いた。


「分かった。」

「助けてくれ。」


 女の顔が輝いた。


「了解!」


 あまりにも軽い返事だった。


 だが、次の瞬間、その軽さとは正反対の力が夜を支配した。


 彼女は大きく手を広げた。


 紫の羽が月明かりを裂くように広がる。

 足元の影が濃くなる。

 地面が低く鳴る。


 そして、彼女は楽しそうに告げた。


「起きなさい。」


 土が盛り上がった。


 村の外。

 畑の端。

 荒れ地。

 古い木の根元。

 盗賊たちが踏み荒らした道。

 そこかしこで地面が割れた。


 まず手が出た。


 土に汚れた腕。

 骨ばった指。

 腐りかけた肌。

 次に頭。

 肩。

 背中。

 人型の何かが、ずるりと地中から這い出してくる。


 グールだった。


 一体ではない。

 二体でもない。

 十。

 二十。

 数えきれないほどのグールが、土の中から這い出してくる。

 彼らは声にならない呻きを漏らしながら、盗賊たちへ向かった。


 盗賊たちの混乱は一瞬で恐慌に変わった。


「何だこいつら!」


「離れろ!」


「足を掴むな!」


 グールたちは走らない。

 だが、止まらない。

 倒されても起き上がる。

 腕を斬られても進む。

 盗賊の足にしがみつき、腰に掴みかかり、腕を絡める。


 そして、捕まえた者を土へ引きずり込んだ。


 悲鳴が上がる。


 地面が柔らかい泥のように開き、盗賊の体を飲み込む。

 抵抗する手が見える。

 足がばたつく。

 次の瞬間、土が閉じる。

 そして別の場所から、新しいグールが這い出してくる。


 ソータは息を忘れた。


 助かっている。

 確かに村は助かっている。

 だが、目の前の光景は救いというにはあまりにも異様だった。


 盗賊たちの数が、次々と減っていく。

 どくろ旗の下にいた群れが、悲鳴を上げながら崩れていく。

 包囲していた側が、今度は土の中から現れたものに包囲されている。


 バルクがソータの隣で呟いた。


「何だ、これは。」


 ソータは答えられなかった。


 女は楽しそうに見ている。


 美しい顔に、邪気のない笑みを浮かべたまま。

 まるで、庭に群がった虫を追い払っているだけのように。


 その時、どくろ旗の奥で、派手な外套の男が逃げ出した。


 片目に傷のある男。

 盗賊たちに命令していた指揮役。

 おそらく、この集団の首領。


 男は馬へ飛び乗ろうとしていた。


 女がそれを見た。


「あ。」


 次の瞬間、彼女の姿が消えた。


 羽が一度、強く空気を叩く。

 紫の残光が残る。

 次に彼女は、逃げようとした男の前にいた。


 速すぎた。


 首領らしき男は悲鳴を上げる暇もない。


 彼女は軽く足を上げた。


 蹴った。


 それだけだった。


 男の体が地面へ叩きつけられる。

 音が響いた。

 男はうつ伏せに倒れ、動けなくなる。


 女はその背中を足先で軽く押さえた。


「逃げちゃだめ。」


 声は明るい。


 だが、逆らえる余地はなかった。


 その周囲に、グールが集まる。


 一体。

 二体。

 十体。

 二十体。

 彼らは首領の上へ覆いかぶさり、土を掻き、引きずり、押し込んでいく。

 男の叫び声がくぐもる。

 やがて聞こえなくなる。

 土が盛り上がり、沈む。


 それで終わりだった。


 あっという間だった。


 朝から続いた戦い。

 村を削り続けた包囲。

 ソータを狙った矢の雨。

 《車体爆裂突進》でさえ一角しか崩せなかった軍勢。


 それが、女の号令ひとつで潰えた。


 どくろ旗は倒れた。


 盗賊たちの声も、ほとんど消えていた。

 逃げようとした者も、土から這い出したグールに捕まっていく。

 残った者たちは武器を捨て、震えながら地面に伏せていた。

 だが、グールは容赦なく近づいていく。


 村の周囲に、静けさが戻った。


 静けさというより、誰も声を出せない沈黙だった。


◆◇◆


 バルクがソータの元へ駆け寄ってきた。


 彼の顔には、安堵と警戒と恐怖が混じっていた。

 斧はまだ握っている。

 だが、どこへ向ければいいのか分からないようだった。


「ソータ。」


「……ああ。」


「彼女は誰なんだ?」


 ソータは答えようとした。


 けれど、言葉が出なかった。


 名前すら知らない。

 城に来いと言われただけ。

 少し前から興味があったと言われただけ。

 あいつらを全滅させたら、私の城に来てくれるかと、楽しそうに尋ねられただけ。


 それなのに、自分は頼んだ。


 助けてくれと。


 村は救われた。

 だが、自分は何かとんでもないものに手を伸ばしてしまった。


 ソータが呆然としていると、空から羽ばたきの音がした。


 紫の羽が夜風を切る。


 女が戻ってきた。


 月明かりを背負い、ふわりとソータの前へ降り立つ。

 足音はほとんどしなかった。

 彼女は相変わらず楽しそうに笑っている。


「さぁ、行きましょう!」


 あまりにも自然に言った。


 まるで、散歩へ誘うような声だった。


 ソータは我に返った。


「と、とりあえず一旦戻って、落ち着いたら行くから……。」


 言いながら、自分でも苦しいと思った。


 村はまだ後始末が必要だ。

 負傷者がいる。

 物資の再配置がいる。

 砦への報告がいる。

 ミレイユへの報告もある。

 オルドアイにも戻ると約束した。

 この場を放り出して、すぐにどこかの城へ行くわけにはいかない。


 だが、女の表情が変わった。


 笑顔のまま、目だけが少し冷える。


「それじゃあ、約束が違う。」


 ソータの喉が詰まった。


「違わない。」

「俺は行くと言った。」

「でも、今すぐとは。」


「私は聞いたわ。」

「あいつらを全滅させたら、私の城に来てくれるって。」

「あなたは助けてくれと言った。」

「私は助けた。」

「だから、次はあなたの番。」


 彼女は子供のように首を傾げた。


「違う?」


 違うと言いたかった。


 けれど、彼女の理屈の中では違わないのだろう。

 人間の事情。

 村の後始末。

 砦への報告。

 ミレイユやオルドアイとの約束。

 それらは彼女にとって、契約の外側にあるものなのだ。


 バルクが一歩前へ出た。


「待て。」

「ソータはまだ行けん。」

「村の始末が。」


 女がバルクを見た。


 その瞬間、バルクの動きが止まった。


 睨まれたわけではない。

 殺気を向けられたわけでもない。

 ただ、見られただけだった。

 だが、その視線には圧があった。

 夜そのものが、バルクの肩を押さえつけたような圧。


「あなたは強そうね。」


 女は言った。


「でも、今はあなたと話していないの。」


 バルクが歯を食いしばる。


 ソータは慌てて言った。


「やめろ。」

「バルクに手を出すな。」


 女の顔がぱっと明るくなる。


「そういうところも面白い。」


「面白いとかじゃなくて。」


「うん。」

「でも、行くわ。」


 次の瞬間、女は大きな羽を広げた。


 紫の光が広がる。

 周囲の男たちが思わず後ずさる。

 ソータが一歩下がろうとした時には、もう遅かった。


 彼女はソータの背後へ回っていた。


 細い腕が、背中からソータを抱き上げる。

 その腕は驚くほど強かった。

 見た目は華奢なのに、まるで鉄の輪のように逃がさない。


「待て!」


 ソータが叫ぶ。


「待たない。」


 女は耳元で楽しそうに言った。


「だって、約束だもの。」


 羽が大きく羽ばたいた。


 地面が遠ざかった。


 男たちの村が下へ沈んでいく。

 バルクが叫ぶ。

 メバドスが何か命じる。

 村の男たちが空を見上げる。

 だが、誰も届かない。


 ソータは暴れようとしたが、すぐにやめた。


 落ちる。


 この高さで暴れれば、自分が落ちる。

 女の腕は離れないだろうが、無理に抵抗してどうなるか分からない。

 それに、体はもう限界だった。

 《車体爆裂突進》の消耗。

 朝からの戦い。

 矢の雨。

 緊張。

 全てが一気に押し寄せてくる。


「下ろせ!」


「嫌。」


「村がまだ!」


「もう大丈夫。」

「あの野蛮な人たちは片づけたもの。」


「そういう問題じゃない!」


「そういう問題よ。」

「あなたは私と約束した。」

「私は約束を守った。」

「だから、あなたも守る。」


 彼女の声は弾んでいた。


 怒っているようで、楽しそうでもある。

 自分の大切な玩具を手に入れた子供のようだった。

 その無邪気さが、ひどく恐ろしい。


 ソータは下を見た。


 村の外には、倒れたどくろ旗が見える。

 土があちこちで盛り上がり、グールたちの姿は少しずつ地中へ戻っていく。

 村の男たちは呆然と立ち尽くしている。

 バルクだけが、ソータを追うように数歩走っていた。

 だが、空を飛ぶ相手に届くはずがない。


 そして、砦の方角。


 そこにはオルドアイがいる。

 きっと、戻ると約束した自分を待っている。

 グランデリアにはミレイユがいる。

 にっこり笑って送り出し、帰ってきたら報告しろと言った女がいる。


(まずい。)

(これは、まずい。)

(戻るって言った。)

(ミレイユにも。)

(オルドアイにも。)

(俺は帰ると約束した。)


 ソータは歯を食いしばった。


「君の名前は。」


 声が震えた。


 女は少し驚いたように瞬きをした。

 それから、嬉しそうに笑った。


「ルシア。」


「ルシア。」


「そう。」

「夜の城のルシア。」


 彼女はソータを抱えたまま、さらに高く飛ぶ。


 夜風が頬を打つ。

 月が近い。

 下の村が小さくなっていく。

 どくろ旗の戦場も、煙も、火も、すべてが遠ざかっていく。


「ようこそ、ソータ。」


 ルシアは耳元で囁いた。


「今度はあなたが、私の城へ運ばれる番よ。」


 ソータは目を閉じた。


 自分は運び屋だ。

 荷を運ぶ者だ。

 人をつなぐために走ってきた。

 誰かの明日を届けるために、道を選んできた。


 なのに今、自分自身が運ばれている。


 紫の羽に抱かれ、夜の向こうへ。


(逃げない。)

(でも、このまま奪われたままにもならない。)

(必ず戻る。)

(約束を、俺の手でつなぎ直す。)


 ソータは空の冷たさの中で、そう決めた。


 ルシアの羽が月明かりを裂く。


 遠く、右奥の闇に、黒い城の影が見え始めていた。

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