第113話:どくろ旗の包囲
北の砦を出てから、しばらくは誰も余計なことを言わなかった。
朝の霧が、道の低いところに白く溜まっている。
草の先には露がつき、歩くたびに靴や革の裾が湿った。
遠くの山影は青黒く、空はまだ完全には明るくなっていない。
砦の門が閉じる音はもう背後に遠ざかっているのに、その重さだけが耳の奥に残っていた。
先頭を行くバルクの背中は大きい。
斧を肩に担ぎ、迷いのない足取りで進んでいる。
その後ろに、男たちの村の者たちが続く。
皆、言葉少なだった。
昨夜は宴で笑っていた男たちも、今はそれぞれの村を思っている。
家。
畑。
家畜。
水場。
倉庫。
鍛冶場。
寝床。
自分の道具。
自分の火。
それらが無事であるかどうかを考えながら歩いているのだと、ソータには分かった。
村には女はいない。
そういう村だった。
若い女たちが住む場所ではない。
女たちは北の砦にいる。
アマゾネスたちの砦が、女たちの生活の中心だった。
年老いた男たちは、多くが北の砦で雑用係として隠居している。
薪を割り、倉庫を整え、道具を直し、砦の暮らしを支える。
そして、そこで年配のアマゾネスと一緒になる者も少なくなかった。
それは珍しいことではないらしい。
互いに気が合えば、そのまま砦で暮らす。
気候が合わなければ、別の土地へ移り住む。
小さな家を構える者もいる。
旅に出る者もいる。
その選択は本人たちの自由だった。
男たちの村と北の砦は、離れているようで繋がっている。
男と女が完全に分かれているわけではない。
若さと役割の置き場所が違うだけだ。
戦う者。
働く者。
老いる者。
寄り添う者。
それぞれの形で、北の地の暮らしを回している。
(だから、村に女はいない。)
(子供もいない。)
(だけど、だから守らなくていいわけじゃない。)
(あそこには、あの人たちの生活がある。)
ソータは《神速積載庫》の感覚を確かめた。
穀物袋。
干し肉。
黒パン。
薬草。
包帯。
縄。
木杭。
水袋。
補修用の釘と板。
火消し用の砂袋。
矢羽根。
革紐。
予備の毛布。
どれも派手ではない。
だが、村が持ちこたえるには必要なものばかりだ。
ソータは自分の足取りを確かめた。
昨夜の疲れは残っている。
それでも体の芯には、不自然なくらい熱が残っていた。
香の余韻なのか。
《馬力増強》の名残なのか。
それとも、オルドアイの部屋で過ごした夜の熱なのか。
もうはっきりとは分からない。
分からないからこそ、頼りすぎないようにしなければならなかった。
(無茶はできる。)
(でも、無茶を当たり前にするな。)
(俺が倒れたら、荷も止まる。)
前方を歩いていたオルドアイが振り返った。
彼女はソータを見ただけで、少し目を細める。
「疲れているか。」
「少し。」
「嘘は下手だな。」
「かなり?」
「そこまではない。」
「だが、昨夜のこともある。」
ソータは一瞬、言葉に詰まった。
周囲には男たちがいる。
アマゾネスたちもいる。
皆が聞こえないふりをしているのが、逆に分かった。
「それは今言う話か?」
「私は気にしない。」
「俺が気にする。」
「なら、小声で言う。」
「言わなくていい。」
オルドアイは少し不満そうにした。
けれど、すぐに表情を引き締める。
「もう少し進んだら、私たちは砦へ戻る。」
「ああ。」
「本当は村まで行きたい。」
「分かってる。」
「だが、砦を空にするわけにはいかん。」
「母上がいるとはいえ、姫である私が勝手に離れ続けるわけにはいかん。」
「分かってる。」
ソータは同じ言葉を繰り返した。
オルドアイが悔しそうにしているのは分かる。
彼女は戦える。
誰よりも前に出られる。
男たちの村へ向かう集団がいるなら、真っ先に斬り込みたいはずだ。
けれど、彼女は砦の姫だ。
自分の感情だけで動けない。
それもまた、背負うということなのだろう。
しばらく進むと、道が二つに分かれた。
右手の細い道は、北の砦へ戻るための山側の迂回路。
左手の広い道は、男たちの村へ続いている。
ここから先は、村まで急げばそう遠くはない。
だが、同時に砦からの目も届きにくくなる。
オルドアイが足を止めた。
同行していたアマゾネスたちも止まる。
男たちの列も自然と止まった。
朝の霧は薄れていた。
空は明るくなり、湿った草の匂いが風に混じっている。
遠くの空には、薄い煙のようなものが見えた。
村の外れの見張り小屋のものかもしれない。
それを見て、バルクの顔が硬くなる。
「ここまでか。」
ソータが言うと、オルドアイは頷いた。
「ああ。」
短い返事だった。
けれど、その声には言いたいことがいくつも詰まっていた。
ソータは彼女の顔を見た。
オルドアイは真正面から見返してくる。
強い目だ。
だが、その奥に昨夜の柔らかさがまだ残っている。
行かせたくない。
一緒に行きたい。
無事に戻ってきてほしい。
それらが、言葉になる前に瞳に出ていた。
「ソータ。」
「うん。」
「くれぐれも、無事に砦に戻れ。」
「戻る。」
「約束だ。」
「約束する。」
「約束は重いな。」
「荷より重い。」
ミレイユの言葉をなぞると、オルドアイは少しだけ笑った。
「なら、落とすな。」
「落とさない。」
そこで、オルドアイは一歩近づいた。
ソータは彼女が何をしたいのか分かった。
キスをしたいのだ。
けれど、彼女は止まった。
周囲に男たちがいる。
アマゾネスたちがいる。
昨夜のことを知っている者も、知らないふりをしている者もいる。
そして、ミレイユのこともある。
自分だけが今、ここで堂々と別れの口づけをしていいのか。
そう考えてしまったのだろう。
オルドアイの手が、左腕の緑の組み紐へ伸びる。
その仕草を見て、ソータは胸の奥が静かに熱くなった。
彼女は変わっている。
最初なら、きっと考えずに奪いに来た。
それが彼女の素直さであり、強さだった。
だが今は違う。
欲しいと思いながら、立ち止まっている。
ミレイユのことを考え、周囲のことを考え、ソータのことを考えている。
そのためらいは、愛しさだった。
ソータは一歩近づいた。
「大丈夫だ。」
小さく言った。
オルドアイの目が揺れる。
「何がだ。」
「今、迷ったこと。」
オルドアイは少しだけ顔を赤くした。
「……分かるのか。」
「分かる。」
「私は分かりやすいか。」
「かなり。」
「そうか。」
オルドアイは少し悔しそうにしながらも、目を逸らさなかった。
ソータは彼女の頬に触れた。
周囲が一瞬静かになる。
バルクが小さく咳払いをした。
アマゾネスの誰かがにやりと笑った気配がした。
男たちの中には、露骨に空を見上げる者もいた。
ソータは気にしなかった。
軽く、オルドアイに口づけた。
短いキスだった。
昨夜の熱を引きずるものではない。
別れの前に、無事を約束するためのキスだった。
触れて、すぐに離れる。
けれど、その短さの中に、十分すぎるほどの意味があった。
オルドアイは目を見開いていた。
次の瞬間、耳まで赤くなる。
「ソータ。」
「戻るから。」
「……ああ。」
オルドアイは頷いた。
顔は真っ赤だ。
けれど、表情は嬉しさで満ちていた。
昨夜のような深い熱ではない。
もっと澄んだ、朝の光のような喜びだった。
その直後、周囲が一斉に騒ぎ出した。
「姫様が照れているぞ!」
「見たか、今の顔!」
「戻ったら砦中に言ってやろう!」
「言った者は走らせる!」
オルドアイが即座に怒鳴った。
だが、声に迫力が足りない。
嬉しさが漏れている。
アマゾネスたちはそれを分かった上で、さらに笑った。
バルクも苦笑している。
「ソータ、お前も大した男になったな。」
「茶化すなよ。」
「茶化してない。」
「半分は感心だ。」
「残り半分は?」
「面白がっている。」
「正直だな。」
バルクは肩を揺らして笑った。
オルドアイは最後にもう一度、ソータを見た。
「無事に戻れ。」
「分かった。」
「ミレイユにも、戻れ。」
「ああ。」
「そして、私にも戻れ。」
「戻る。」
その言葉を聞いて、オルドアイは満足そうに笑った。
「よし。」
彼女は踵を返した。
アマゾネスたちを引き連れて、山側の道へ戻っていく。
その背中はすぐに戦士のものへ戻っていた。
けれど、歩きながら何度も緑の組み紐に触れているのが見えた。
ソータはそれを見送った。
少し遠ざかったところで、アマゾネスの一人が何かを言ったらしい。
オルドアイが鋭く振り返る。
その直後、笑い声が上がった。
砦へ戻っていく女たちの列は、どこか明るかった。
バルクがソータの肩を叩いた。
「行くぞ。」
「ああ。」
「今のを見せられた以上、無事に帰らんとな。」
「本当に茶化してるだろ。」
「半分だけだ。」
ソータは苦笑した。
そして、男たちの村へ向かう道へ足を踏み出した。
◆◇◆
そこから先の道は、速かった。
バルクたちは焦りを隠さなかった。
走りすぎれば到着前に消耗する。
だが、遅すぎれば村が危ない。
その間を取るように、男たちは速足で進んだ。
ソータも列の中で歩調を合わせる。
《馬力増強》の余韻は少しずつ薄れている。
けれど、まだ体は軽い。
昨夜の疲れを思えば不自然なくらいだった。
ただ、息は少しずつ重くなってきている。
体力が尽きているのではなく、胸の奥にある緊張が息を狭くしているのだと分かった。
道の先に煙が見えた。
最初は細い線だった。
近づくにつれ、それがいくつかに分かれていることが分かる。
村そのものが燃えているわけではない。
外れの見張り小屋。
畑の端。
柵の外側にある乾いた草地。
そうした場所から煙が上がっている。
バルクの顔が険しくなる。
「先に仕掛けてきたか。」
「村は?」
「まだ見えん。」
男たちはさらに足を速めた。
やがて、木々の切れ間から男たちの村が見えた。
丸太の柵に囲まれた、がっしりした村だった。
家々は低く、屋根は厚く、冬の風に耐える造りになっている。
中央には広場があり、鍛冶場の煙突が見える。
その周囲には倉庫や井戸がある。
女の姿はない。
子供の声もない。
年寄りの男の姿も見当たらない。
この村に残っているのは、働ける男たちと、村を動かすための手だけだった。
村の入口には、メバドスたちがいた。
村長のメバドスは、柵の内側で待っていた。
白髪交じりの髭を撫でながら、険しい顔で外を見ている。
その周囲には、村に残っていた男たちが武器を手に立っていた。
バルクが叫ぶ。
「メバドス!」
メバドスが振り返った。
「戻ったか!」
「状況は!」
「悪い!」
「だが、まだ持っている!」
門が開かれる。
ソータたちは一気に中へ入った。
村の中は騒然としていた。
広場には予備の武器が並べられている。
井戸の周りには水桶が置かれている。
家畜小屋の扉は補強され、倉庫の前には見張りが立っている。
男たちはそれぞれの持ち場へ走り、短く言葉を交わしている。
それでも、混乱しきってはいない。
メバドスの指示が効いているのだろう。
この村は戦うための村ではない。
だが、荒れ地で生きてきた男たちの村だった。
危機に対する備えはある。
メバドスはソータを見るなり、近づいてきた。
「運び屋。」
「来たか。」
「物資を出します。」
「どこへ?」
ソータはすぐに聞いた。
挨拶より先に、配置だった。
メバドスは一瞬だけ目を細めた。
それから、広場を指差す。
「食料は一か所に置くな。」
「中央倉庫、鍛冶場裏、南側の小屋の三つに分ける。」
「水袋は井戸の横だけでなく、東西の通りにも置け。」
「薬と包帯は広場の奥。」
「怪我人はそこへ運ぶ。」
「縄と木杭は柵の弱い場所へ回す。」
「分かった。」
ソータは《神速積載庫》を開いた。
空間が歪む。
周囲の村人たちが一瞬驚いたが、すぐにそれどころではないと動き始めた。
穀物袋が出る。
干し肉の樽が出る。
黒パンの箱が出る。
水袋が束で出る。
薬草束。
包帯。
縄。
木杭。
釘。
板材。
砂袋。
ソータは一気に出さない。
出す場所を分ける。
通路を塞がないようにする。
人の流れを見ながら、必要な量だけ置く。
荷を出すこと自体は簡単だ。
だが、出した荷が邪魔になれば、村の命取りになる。
(ここに全部出したら駄目だ。)
(人が動けなくなる。)
(火が出た時に逃げ道を塞ぐ。)
(必要な場所へ、必要な分だけ。)
メバドスが驚いたようにソータを見た。
「言わずに分けるか。」
「倉庫でミレイユに鍛えられました。」
「よい女だな。」
「はい。」
即答してから、ソータは少しだけ頬が熱くなった。
メバドスは何かを察したように短く笑ったが、すぐに表情を戻した。
「敵は隣国方面から来ている。」
「だが、妙だ。」
「妙?」
「旗が違う。」
「いや、違うというより、雑だ。」
「遠目には隣国の旗かと思った。」
「だが近づくと、どれも揃っておらん。」
ソータは手を止めずに聞く。
「正規兵じゃない?」
「少なくとも、わしにはそうは見えん。」
「だが数は多い。」
「かなりな。」
その時、村の見張り台から声が上がった。
「来たぞ!」
全員の動きが止まりかける。
次の瞬間、メバドスが怒鳴った。
「止まるな!」
「持ち場へ行け!」
男たちが一斉に動き出す。
ソータは水袋の束を東の通りへ出し、続けて砂袋を柵の近くへ配置した。
バルクは斧を握り直し、門の近くへ向かう。
ソータも見張り台の方へ視線を向けた。
村の外、少し離れた草地の向こうに、黒い影が動いている。
最初は一つの塊に見えた。
だが、やがてそれが人の群れだと分かる。
松明。
槍。
粗末な盾。
馬。
荷車。
そして、旗。
風に揺れる黒ずんだ布。
そこに描かれていたのは、隣国の紋章ではなかった。
白いどくろ。
雑に描かれた、歪んだどくろの印だった。
「どくろ……?」
ソータが呟く。
メバドスの顔が険しくなる。
「盗賊か。」
「いや、ただの盗賊にしては多すぎる。」
どくろ旗は一つではなかった。
二つ。
三つ。
五つ。
十。
村の外側に、次々と現れる。
北東だけではない。
東。
南東。
南側の林の影。
少し離れた丘の上。
集団は、ゆっくりと村を囲み始めていた。
バルクが歯を食いしばる。
「数が多いな。」
「多いどころではない。」
メバドスが低く言う。
「これは村を脅す数ではない。」
「潰す数だ。」
ソータは胸の奥が冷えるのを感じた。
自分は荷を運んだ。
補給も出した。
村は備えた。
だが、目の前に現れた数は、その備えを上から押し潰すような量だった。
(これが、隣国の集団だと思われていたものか。)
(でも、旗はどくろ。)
(じゃあ、盗賊?)
(こんな数の盗賊が、どうして隣国方面から来るんだ。)
疑問は尽きない。
だが、考える時間はなかった。
どくろ旗の群れの中から、太鼓のような音が鳴った。
どん。
どん。
どん。
低く、腹に響く音。
それを合図に、前列の者たちが動き出した。
「来るぞ!」
見張りが叫ぶ。
バルクが斧を構えた。
「門を固めろ!」
メバドスが指示を飛ばす。
「東柵に二十!」
「南側へ十!」
「火矢に備えろ!」
「水袋を各所へ回せ!」
ソータは即座に動いた。
東の柵へ矢羽根と革紐を出す。
弓を持つ男たちがそれを受け取る。
南側へ砂袋を出す。
火矢に備え、水桶の近くへ水袋を積む。
広場の奥へ薬草と包帯を追加する。
担架代わりに使える板と毛布をまとめる。
村の外から、最初の矢が飛んできた。
柵に刺さる。
屋根に当たる。
土に落ちる。
その中の一本が、火をつけた布を巻いていた。
「火矢!」
叫びが上がる。
ソータは走った。
火が屋根の端に移る前に、水袋を出す。
村の男がそれを掴み、屋根へ投げかける。
別の男が濡れ布を叩きつける。
煙が上がり、火が消える。
ほっとする暇はない。
別の場所で柵が揺れる。
盗賊たちが丸太を抱えて突っ込んできた。
バルクが怒号を上げ、門の前へ立つ。
斧が振るわれる。
先頭の盗賊が吹き飛ぶ。
だが、その後ろからまた来る。
さらに後ろからも来る。
数が多い。
ただ、それだけで脅威になる。
ソータは門へ木杭を出した。
「バルク!」
「足元!」
「助かる!」
バルクは木杭を蹴り飛ばすように配置し、盗賊たちの足を止める。
そこへ村の男たちが石を投げ、矢を放つ。
盗賊たちは一度退いた。
だが、すぐに別の場所で叫びが上がる。
「南側!」
ソータは走る。
南側の柵では、盗賊たちが縄をかけて柵を引き倒そうとしていた。
村の男たちが斧で縄を切る。
その間に、ソータは補修用の板材と釘を出す。
「ここに!」
「板を当てろ!」
村人が板を掴み、柵の内側へ押し当てる。
別の男が釘を打つ。
応急処置だ。
長くは持たない。
それでも、今この瞬間を稼げればいい。
物流は、時に時間を運ぶ。
ソータはそう思った。
(壊れたものを完全に直すんじゃない。)
(十分持たせる。)
(次の一手まで、時間を作る。)
戦いは続いた。
◆◇◆
昼を過ぎても、どくろ旗の集団は引かなかった。
むしろ、交代しながら攻めてきた。
正面に来る。
退く。
南側を突く。
退く。
東の柵へ火矢を放つ。
村人がそちらへ寄ったところで、北側の家畜小屋を狙う。
統率がないようで、いやらしい狙い方をしてくる。
ただの酔った野盗の群れではない。
誰かが後ろで見ている。
どこを突けば村が困るのかを知っている者がいる。
メバドスもそれに気づいていた。
「奴ら、食料と水を狙っておる!」
「家ではなく倉庫を見ているぞ!」
ソータは中央倉庫へ向かった。
扉の前に干し肉の樽を積んでおく予定だったが、すぐにやめた。
敵に火をかけられた場合、外に食料があると燃えやすい。
倉庫に近すぎても危ない。
ソータは一部を引っ込め、別の小屋へ移した。
《神速積載庫》は出すだけではない。
回収もできる。
この能力がなければ、物資の分散はもっと難しかった。
だが、使うたびに判断が必要になる。
今、何をしまうのか。
何を出すのか。
どこへ置くのか。
誰に渡すのか。
間違えれば、現場が詰まる。
ソータは汗を拭う暇もなく走った。
負傷者が出る。
担ぐ。
広場奥へ運ぶ。
薬を出す。
包帯を出す。
すぐに別の場所へ走る。
水袋が尽きかける。
追加する。
空袋を回収する。
井戸から水を汲む者へ渡す。
矢が足りない。
矢羽根と革紐を出す。
折れた矢を集める者に渡す。
再利用できるものを仕分ける。
村の男たちは強かった。
バルクは正面を支え続けている。
大きな斧を振るい、敵の勢いを何度も押し返す。
メバドスは村の中央で指示を飛ばし、どこが薄いかを見ている。
他の男たちも、それぞれの持ち場で粘っていた。
それでも、どくろ旗の数は減らない。
倒しても倒しても、後ろから別の者が出てくる。
村の外に広がる影は、まるで地面から湧いているようだった。
午後になる頃には、村のあちこちに傷が増えていた。
柵の一部は傾き、屋根には焦げ跡が残る。
井戸のそばには泥が広がり、広場には負傷者が横たわっている。
食料は守れている。
水場もまだ使える。
村の中心は保っている。
だが、確実に削られている。
ソータの息も荒くなっていた。
額から汗が落ちる。
喉が渇く。
足が重い。
それでも、体の奥にはまだ力がある。
《馬力増強》の残り火が、疲労を無理やり押し返しているようだった。
(便利だ。)
(でも、怖い。)
(疲れてるのに動ける。)
(動けるから、止まるタイミングが分からなくなる。)
ソータは水を一口飲んだ。
そして、すぐに次の叫びへ向かう。
夕方が近づくにつれ、空の色が変わり始めた。
西の空が赤くなる。
村の柵の影が長く伸びる。
松明の火が、昼の光の中で薄かったものから、少しずつ存在感を増していく。
戦いが終わる気配はない。
どくろ旗の集団は、暗くなるのを待っているようにも見えた。
夜になれば、火が怖い。
見えない場所から近づかれる。
負傷者の手当ても難しくなる。
村の男たちの疲労も限界に近づく。
メバドスがソータのところへ来た。
顔には煤がつき、袖は破れていた。
それでも目はまだ冷静だった。
「運び屋。」
「物資はどれほど残っている。」
「まだあります。」
「でも、水袋と包帯の消耗が早い。」
「砂袋ももう半分以下です。」
「矢羽根は残ってるけど、矢柄が足りない。」
「そうか。」
メバドスは短く頷いた。
「夜まで持たせれば、向こうも疲れると思ったが。」
「引きませんね。」
「引かんな。」
「普通の盗賊なら、ここまで粘らん。」
「損が大きすぎる。」
「じゃあ、目的は略奪だけじゃない?」
「その可能性が高い。」
メバドスは村の外を睨んだ。
どくろ旗が夕風に揺れている。
「奴らは、この村を壊すこと自体に意味があるのかもしれん。」
ソータの背筋が冷える。
奪うためではない。
壊すため。
あるいは、壊したという事実をどこかへ見せるため。
隣国方面から来た集団。
最初は隣国の旗に見えたもの。
今はどくろ旗を掲げている者たち。
その裏に何があるのかは、まだ分からない。
だが、今ここで村が落ちれば、北の均衡は大きく崩れる。
その時、東側の柵から大きな音がした。
丸太が打ちつけられる音。
続いて、木の裂ける音。
「東柵が割れる!」
誰かが叫んだ。
ソータは走り出した。
足が重い。
息が痛い。
それでも走る。
(まだだ。)
(まだ持たせる。)
(荷はある。)
(俺もまだ動ける。)
東の柵へ着くと、板が大きく裂けていた。
外側から盗賊たちが押し寄せている。
隙間から槍の穂先が突き込まれ、村の男たちが必死に押し返している。
バルクが正面から駆けつける。
「ソータ!」
「板を出す!」
ソータは補修用の厚板を出した。
続けて木杭。
縄。
釘。
槌。
村の男たちが飛びつく。
板を押し当てる。
縄で縛る。
釘を打つ。
その間も外から槍が突き出され、柵が揺れる。
ソータは思わず柵の隙間から外を見た。
盗賊たちの顔が見える。
疲れている。
苛立っている。
だが、怯えてはいない。
後ろから怒号が飛ぶ。
命令している者がいる。
その背後で、どくろ旗が揺れている。
夕暮れの赤い光を受けて、白いどくろが血の色に染まって見えた。
ソータは歯を食いしばった。
(何なんだ、こいつら。)
(ただの盗賊じゃない。)
(でも、軍でもない。)
(村を囲んで、削って、夜まで持ち込むつもりか。)
板が固定される。
東柵は、かろうじて持ち直した。
だが、安心する間もなく、今度は南側から火の手が上がった。
「南!」
「火だ!」
ソータは振り返る。
空はもう赤く暗くなり始めている。
戦いは、朝から続いていた。
もうすぐ夜が来る。
村の男たちは疲れ、物資は減り、どくろ旗はまだ村を囲んでいる。
ソータは息を吸った。
肺が痛い。
それでも走り出した。
(運ぶ。)
(まだ運ぶ。)
(でも、このままじゃまずい。)
(夜になったら、もっとまずい。)
夕暮れの村に、再び火の粉が舞った。
どくろ旗の軍勢は、まだ引かない。
そして、ソータはまだ知らなかった。
この包囲を終わらせるために現れるものが、救いの姿をした、もっと大きな夜の脅威であることを。




