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勇者じゃなくて運送屋ですが、王国の命綱です  作者: naomikoryo


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第103話:盾の男は、北の女に胃袋ごと捕まった

 バルクとガルナの馴れ初めを語るなら、まず最初に言っておかなければならないことがある。


 それは、バルク自身がその出会いを運命だと思っている一方で、周囲の者たちの多くは、最初から「時間の問題だった」と思っていたということだ。


 なにしろ、バルクは分かりやすい男だった。


 大きな体。

 大きな盾。

 大きな声。

 大きな食欲。

 そして、大きな情。


 好きなものは好き。

 うまいものはうまい。

 守ると決めたら守る。

 腹が減れば顔に出る。

 嬉しければ声に出る。

 悲しければ黙ってしまう。


 そんな男が、北の森の奥で、強く、美しく、飯を山ほど食わせてくれる女と出会った。


 落ちないはずがなかった。


◆◇◆


 あれは、ソータたちが最初にアマゾネスの砦へたどり着いた時のことだった。


 霧の森を抜けた一行は、警戒と疲労の中で砦へ入った。

 男であるソータたちに向けられる視線は鋭く、珍しい獲物を見るような好奇心と、侵入者へ向ける警戒が混ざっていた。


 その中で、バルクはいつも通りだった。


 腹が減っていた。


 もちろん、本人なりに緊張はしていた。

 大盾を背負い、ガルドの後ろで周囲を見ていたし、いざとなればソータの前に立つつもりでいた。

 だが、緊張していても腹は減る。

 彼にとって、それは別の問題だった。


 砦の中央で最初のやり取りが行われ、オルドアイがソータへ興味を示し、ヤンガルドアイが重い条件を突きつける中、バルクは真面目な顔で立っていた。


 だが、腹の音だけは誤魔化せなかった。


 ぐう、と。


 重く、正直で、砦の緊張した空気に似つかわしくない音が響いた。


 その場にいた数人のアマゾネスが目を向けた。

 レオンは肩を震わせた。

 ガルドは眉間に皺を寄せた。

 ソータは、こういう時に限って申し訳なさそうな顔をした。


 バルクは真顔で言った。


「すまん。腹が減った。」


 その場の空気が、ほんの少しだけ崩れた。


 その時、砦の女たちの中から一人が前へ出た。


 背は高い。

 肩幅は広く、腕にはしなやかな筋肉がついている。

 肌は褐色で、髪は黒く、動きには無駄がない。

 腰には短い刃物。

 背には簡素な弓。

 目は鋭いが、口元には少しだけ面白がるような笑みがあった。


 それが、ガルナだった。


「腹が鳴るほど減っているのか。」


 彼女は言った。


 バルクは堂々と頷いた。


「ああ。」


「恥ずかしくないのか。」


「腹が減るのは恥ではない。」


 ガルナは一瞬、目を丸くした。


 そして笑った。


 大きな声ではない。

 だが、腹の底から出るような、気持ちのよい笑いだった。


「その通りだ。」


 バルクはその笑顔を見た。


 その瞬間、彼の中で何かが小さく動いた。


(この女、よく笑う。)


 それが最初の印象だった。


 美しいとか、強そうだとか、そういうことより先に、笑い方が気持ちいいと思った。


 ガルナはバルクの体を見上げ、次に彼の盾を見た。


「食う量も多そうだ。」


「多い。」


「肉は食えるか。」


「食える。」


「根菜は。」


「食える。」


「苦い薬草は。」


「うまければ食える。」


「うまくなければ?」


「必要なら食う。」


 ガルナはまた笑った。


「よし。来い。」


「どこへだ。」


「飯だ。」


 その一言で、バルクの目がわずかに輝いた。


 ガルドがすぐに低い声で言った。


「勝手に離れるな。」


 バルクははっとした。


「そうだった。」


 ガルナはガルドを見た。


「連れていってよいか。」


 ガルドはソータを見た。

 ソータは状況が状況だけに困った顔をした。

 オルドアイは面白そうに見ている。

 ヤンガルドアイは腕を組んでいる。


 結局、砦側の監視付きで、バルクは食事場へ連れていかれることになった。


 その時のバルクは、まだ恋をしたとは思っていなかった。


 ただ、飯をくれる強い女についていっただけだった。


 だが、あとからレオンは言った。


「あれ、最初から捕まってたっすよ。」


 ガルドも短く言った。


「胃袋から入られたな。」


 バルクは当然のように反論した。


「違う。俺が自分の足で行った。」


 しかし、その反論はあまり意味をなさなかった。


◆◇◆


 砦の食事場で、ガルナはバルクの前に肉と根菜を置いた。


 皿は大きい。

 だが、バルクの体を見て、ガルナはすぐに足りないと判断した。


「これだけでは足りんな。」


「いや、十分だ。」


 バルクは一応そう言った。


 礼儀として。


 ガルナは鼻で笑った。


「嘘をつくな。顔が足りないと言っている。」


「顔に出ていたか。」


「かなり。」


 その言い方は、後にソータがミレイユから何度も言われる言葉とよく似ていた。


 ガルナは追加で肉を持ってきた。

 焼いた肉。

 煮込んだ肉。

 骨付きの肉。

 砦の香草で匂いを整えた野性味の強い肉。


 バルクは一口食べた。


 目を見開いた。


「うまい。」


 ガルナは腕を組んだ。


「そうか。」


「これは何の肉だ。」


「森猪。」


「脂が強いが、薬草の苦みで重くない。」


 ガルナの眉が動いた。


「分かるのか。」


「食えば分かる。」


「ただ食うだけの男ではないのか。」


「食うなら、うまさを分かって食いたい。」


 ガルナは少しだけ感心した顔をした。


 バルクは次々に食べた。

 ただがつがつ食べるのではない。

 よく噛み、うまいと言い、これは焼き方がいい、これは塩が合う、これは酒が欲しい、と真面目に感想を言う。


 そのたびに、ガルナの表情が少しずつ変わった。


 最初は面白がり。

 次は興味。

 そして、少しだけ嬉しさ。


 砦で料理を作る女たちにとって、よく食べる男は珍しくない。

 フルムーンの時には男たちも来る。

 食欲のある者は多い。


 だが、バルクの食べ方は違った。


 力をつけるために食う。

 感謝して食う。

 うまいものをうまいと正面から言う。


 それは、作る側の心をくすぐった。


「お前。」


 ガルナが言った。


「名は。」


「バルクだ。」


「バルク。」


「お前は。」


「ガルナ。」


「ガルナか。」


 バルクはその名を一度口の中で転がすように言った。


「覚えた。」


 ガルナは少しだけ目を細めた。


「忘れるなよ。」


「忘れん。」


 その時、バルクは本当にただ名前を覚えただけのつもりだった。


 だが、ガルナにとっては少し違った。


 彼女の名を、あれほどまっすぐ、何の飾りもなく、うまい飯の感想と同じくらい真剣に覚えた男は、少し珍しかった。


◆◇◆


 それから数日の間、バルクとガルナは何度も顔を合わせた。


 最初は食事場だった。


 ガルナが肉を出す。

 バルクが食う。

 うまいと言う。

 ガルナが少し得意そうにする。


 次は水場だった。


 バルクが大きな水桶を一人で二つ運んでいるのを見て、ガルナが目を丸くした。


「お前、それを二つ持つのか。」


「持てる。」


「重いぞ。」


「そうだな。」


「そうだな、ではない。」


「必要だろう。」


 バルクは水桶を運び終え、額の汗を拭った。


 ガルナはしばらく彼を見ていた。


「力だけではないな。」


「何がだ。」


「頼まれていないのに運んだ。」


「困っているように見えた。」


「砦の女が困って見えたか。」


「水桶は重い。」


「私たちが持てぬと思ったか。」


「持てるだろう。」


「なら、なぜ運んだ。」


 バルクは少し考えた。


「俺が持った方が早いと思った。」


 ガルナは黙った。


 それは、見下しではなかった。

 男だから女を助けてやる、という顔でもなかった。

 ただ、自分ができることをしたという顔だった。


 その単純さに、ガルナはまた少し笑った。


「礼を言う。」


「どういたしまして。」


「飯を増やしてやる。」


「助かる。」


 このやり取りを見ていたレオンは、後にソータへ言った。


「完全に餌付けっす。」


 ソータは少し困った顔をした。


「餌付けって言うと怒られない?」


「怒られるっす。でも事実っす。」


 ガルドは短く言った。


「互いに餌付けしている。」


「どういう意味っすか?」


「バルクは働いて信頼を与え、ガルナは飯を与える。」


「なるほどっす。」


 バルク本人だけが、まだその構造を理解していなかった。


◆◇◆


 決定的だったのは、砦の裏手で起きた小さな騒ぎだった。


 ある日の夕方、若いアマゾネスの一人が、補修用の丸太を運んでいる途中で足を滑らせた。

 丸太は太く、落ちれば下にいた者を巻き込む。


 周囲が声を上げた。


 バルクは反射的に動いた。


 盾を前に出す。

 丸太をまともに受けるのではなく、斜めに当てて流す。

 足を踏ん張り、体を沈め、衝撃を逃がす。


 丸太は盾にぶつかり、横へ転がった。

 土が飛び、鈍い音が響いた。


 バルクの腕は痺れた。

 だが、大きな怪我人は出なかった。


 若いアマゾネスは青ざめていた。

 ガルナが真っ先に駆け寄った。


「怪我は。」


「ない。」


 若い女は震えながら答えた。


 ガルナは次にバルクを見た。


「お前は。」


「少し痺れた。」


「見せろ。」


「大丈夫だ。」


「見せろ。」


 その声は低かった。


 バルクは素直に盾を下ろした。


 ガルナは彼の腕を取り、肘から手首まで確かめた。

 触れ方は手慣れていた。

 戦士の怪我を見る手だった。


 バルクはその手を見ていた。


 強い手。

 硬い皮膚。

 それでも、触れ方は丁寧。


「骨は大丈夫だ。」


「そうか。」


「痣になる。」


「よくある。」


「よくあるで済ませるな。」


 ガルナは眉を寄せた。


「痛みを隠す男は面倒だ。」


「隠していない。」


「少し痺れた、は隠している。」


「そうなのか。」


「そうだ。」


 バルクは真面目に頷いた。


「次からは、かなり痺れたと言う。」


「違う。」


 ガルナは思わず笑った。

 怒っていたはずなのに、笑ってしまった。


 バルクも笑った。


 その時、ガルナは思った。


(この男は、盾そのものだ。)


 ただ硬いだけではない。

 ぶつかるものを受け止め、少しずらし、後ろの者を守る。

 そのために自分の腕が痺れても、まず後ろを見る。


 砦には強い女が多い。

 強さを誇る者も、守る者も多い。

 だが、バルクの強さは、砦の女たちとは少し違った。


 前に立つ強さ。

 後ろを気にする強さ。

 受ける強さ。


 ガルナはその日、バルクを見る目を変えた。


 そしてバルクは、その日、ガルナに塗られた薬草の匂いをしばらく忘れられなかった。


◆◇◆


 その後、ソータたちが砦を離れることになり、誰か一人が残らなければならない状況になった時、バルクは手を上げた。


 理由はいくつもあった。


 ソータを帰すため。

 ガルドやレオンを行かせるため。

 自分なら盾役として生き延びられると思ったため。

 砦の女たちとも、ある程度話せるようになっていたため。


 だが、正直に言えば、その中にはガルナの存在もあった。


 バルクはその時、恋だとはまだはっきり言えなかった。

 ただ、ガルナの飯をもう少し食いたいと思った。

 ガルナの笑う顔をもう少し見たいと思った。

 ガルナに腕を掴まれて「痛みを隠すな」と言われるのが、なぜか嫌ではなかった。


 それだけだった。


 それだけで、十分すぎた。


 ソータたちが去る時、ガルナはバルクの隣に立っていた。


「残るのか。」


「ああ。」


「怖くないか。」


「少し怖い。」


「正直だな。」


「嘘をつく理由がない。」


 ガルナはバルクを見上げた。


「飯は出す。」


「助かる。」


「働け。」


「働く。」


「怪我を隠すな。」


「分かった。」


「本当に?」


「かなり痺れたら、かなり痺れたと言う。」


「だから違う。」


 ガルナは笑った。


 バルクも笑った。


 その笑いを見て、レオンは遠くで呟いた。


「あれ、もう置いていって大丈夫なやつっすね。」


 ガルドは短く答えた。


「大丈夫だが、油断はするな。」


 ソータは寂しそうに笑った。


「バルクさん、元気で。」


 バルクは胸を叩いた。


「任せろ。」


 そして、ソータたちが森へ消えた後、バルクはふと無言になった。


 仲間が去る。

 自分は残る。


 胸の中に、ぽっかり穴が開いたような気がした。


 その時、ガルナが隣から言った。


「腹は。」


 バルクは彼女を見た。


「減った。」


「なら来い。」


「飯か。」


「飯だ。」


 バルクは頷いた。


 その単純なやり取りに、穴の縁が少しだけ埋まった。


◆◇◆


 それからのバルクは、砦と男たちの村の間で不思議な立場になった。


 最初は砦に残った外の男。

 次に、ガルナのそばによくいる大男。

 そして、よく食い、よく働く盾持ち。


 砦の女たちは、最初こそ珍しがっていたが、やがて彼を便利に使い始めた。


「バルク、この箱を運べ。」


「分かった。」


「バルク、丸太を押さえろ。」


「分かった。」


「バルク、飯だ。」


「行く。」


 とにかく素直に働く。

 力がある。

 文句を言わない。

 ただし、飯の量は多い。


 ガルナはそんなバルクを、どこか誇らしげに見ていた。


 やがてフルムーンが近づき、バルクは男たちの村へ移ることになった。

 村の決まりや動きを知るためでもあり、砦と男たちの村の間に立つなら、村の男たちとも馴染む必要があったためだ。


 そこで、彼は大角猪を受け止めた。


 狩りの場に連れていかれた時、村の男たちはバルクを試す目で見ていた。


 外から来た大男。

 砦の女に気に入られているらしい男。

 大盾を持っているが、本当に使えるのか分からない男。


 そんな視線だった。


 大角猪が現れた時、若い男の一人が足を滑らせた。

 獣は一直線に突っ込んでくる。

 角は太く、低く、まともに受ければ体が裂ける。


 バルクは迷わなかった。


 盾を構え、角の正面に立った。


 衝撃は凄まじかった。

 足元の土がえぐれ、肩に激痛が走る。

 だが、彼は倒れなかった。

 盾を斜めに使い、獣の頭をわずかにそらし、足を止めた。


 そこへ村の男たちが槍を入れた。


 大角猪は仕留められた。


 その瞬間、村の男たちの視線が変わった。


 外の男ではなくなった。

 役に立つ男になった。

 そして、背中を預けられる男になった。


 メバドスは後で言った。


「あの盾は使える。」


 それは彼にとって、最大級の褒め言葉だった。


 バルクはその肉を食べながら言った。


「ガルナにも食わせたい。」


 その日から、村の男たちはバルクをからかうようになった。


「またガルナか。」


「朝から何度目だ。」


「肉を見てもガルナ、空を見てもガルナ、盾を磨いてもガルナか。」


 バルクは反論した。


「盾を磨く時は盾のことを考えている!」


「その後にガルナのことを考えるだろう。」


「少しはな!」


「認めたぞ!」


 笑い声が上がる。


 バルクは照れた。

 だが、否定はしなかった。


 ガルナに会いたい。

 それはもう、隠す気もなかった。


◆◇◆


 そして、今回のフルムーン。


 男たちの村から砦へ戻ってきた時、バルクは完全に落ち着きを失っていた。


 門が見える前から、彼は何度も前を見た。

 ガルドに歩幅を注意され、レオンにからかわれ、ダンに呆れられ、オルムに「歩け」と言われた。


 それでも、止められなかった。


 ガルナがいる。

 砦にいる。

 待っている。


 その事実だけで、足が勝手に速くなる。


 砦の門が開き、女たちが迎えに出てきた時、バルクの視線は真っ先にガルナを探した。


 ソータたちとの再会も嬉しい。

 それは本当だ。

 ガルドに会えて安心した。

 レオンの顔を見て懐かしかった。

 ソータが無事で、荷を運び、ちゃんと戻ってきたことも嬉しかった。


 だが、その全部の向こうに、ガルナがいた。


 腕を組んで立っていた。

 平静を装っていた。

 だが、目はバルクだけを見ていた。


 バルクは固まった。


「ガルナ。」


 声が低くなった。


 ガルナは少し顎を上げた。


「遅い。」


「すまん。」


「怪我は。」


「ない。」


 横からガルドが言った。


「少しある。」


「ガルド!」


 バルクは叫んだ。


 ガルナの目が細くなる。


「怪我があるのか。」


「少しだ。」


「見せろ。」


「ここでか。」


「見せろ。」


 その命令に、バルクは抵抗できなかった。


 いや、抵抗する気がなかった。


 ガルナは彼の腕を取り、広場の端へ連れていった。

 周囲から冷やかしの声が飛ぶ。


「おお、戻ったぞ!」


「ガルナ、逃がすな!」


「逃げん!」


 バルクが叫ぶ。


 ガルナが振り返って睨むと、周囲の女たちは笑いながら手を振った。


 バルクは座らされた。


 ガルナは彼の腕を見た。

 肩を見た。

 狩りの時の擦り傷、森を歩いた時の小さな切り傷、盾を使った時に残った青痣。


 ひとつひとつ確かめる。


「これは。」


「枝だ。」


「これは。」


「盾を構えた時に。」


「これは。」


「分からん。」


「分からん傷を作るな。」


「すまん。」


 バルクは大人しくしている。

 大きな体をして、完全にガルナに従っている。


 レオンはそれを見て腹を抱えた。


「バルクさん、完全に飼い慣らされてるっす。」


 ガルドは腕を組んで言った。


「扱い方を心得ているな。」


 ソータは苦笑した。


「でも、幸せそうです。」


「そうだな。」


 ガルドの声は少しだけ柔らかかった。


 ガルナは薬草を塗りながら言う。


「痛いか。」


「痛くない。」


「嘘をつくな。」


「少し痛い。」


「最初からそう言え。」


「すまん。」


「大角猪を受けたと聞いた。」


「受けた。」


「馬鹿か。」


「必要だった。」


「なら、馬鹿ではない。」


 バルクの顔が明るくなる。


「そうか。」


「でも、次はもっと足を沈めろ。」


「見ていないのに分かるのか。」


「お前の肩の痣を見れば分かる。」


 バルクは感心したように頷いた。


「やはりガルナはすごいな。」


 ガルナの手が止まった。


「急に褒めるな。」


「思ったから言った。」


「……そうか。」


 ガルナの耳が少し赤くなった。


 バルクはそれを見て、嬉しそうに笑った。


 その笑顔を見て、ガルナは彼の頬を軽くつまんだ。


「にやけるな。」


「にやけていたか。」


「かなり。」


「そうか。」


 バルクはさらに嬉しそうになった。


「反省していないな。」


「している。」


「顔がしていない。」


 また周囲が笑った。


◆◇◆


 フルムーンの宴が始まると、バルクとガルナはほとんど離れなかった。


 バルクはガルナの隣に座る。

 ガルナが肉を皿に取る。

 バルクが食べる。

 うまいと言う。

 ガルナが少し得意そうにする。


 以前と同じ流れ。

 けれど、今は明らかに距離が違う。


 ガルナはバルクの食べる速さを見て、自然に次の肉を用意する。

 バルクは彼女が酒を飲みすぎないように、水を差し出す。

 ガルナはそれを見て「お前が言うな」と言いながらも受け取る。


 周囲の女たちがからかう。


「ガルナ、夫婦のようだな!」


 ガルナは肉の串を持ったまま睨む。


「黙れ。」


 しかし、否定はしない。


 バルクは顔を真っ赤にしながらも、少し嬉しそうだった。


 レオンがそこへ近づいてきた。


「バルクさん、完全に席が決まってるっすね。」


「何か問題があるか。」


「ないっす。幸せそうで何よりっす。」


「そうか。」


「ガルナさん、バルクさんをよろしくっす。」


 ガルナはレオンを見た。


「お前は軽いな。」


「よく言われるっす。」


「だが、目は仲間を見る目だ。」


 レオンは一瞬、言葉に詰まった。


 ガルナは続ける。


「心配するな。こいつは粗末には扱わん。」


 バルクが目を見開いた。


「ガルナ。」


「何だ。」


「嬉しい。」


「声が大きい。」


「すまん。」


 レオンは少し笑った。


「安心したっす。」


 ガルドも後から来た。


 バルクは姿勢を正す。


「ガルド。」


「浮かれているな。」


「ああ。」


「隠さないのか。」


「隠せん。」


「だろうな。」


 ガルドはガルナを見る。


「こいつは丈夫だが、無茶をする。」


「知っている。」


「痛みを隠す。」


「知っている。」


「食いすぎる。」


「知っている。」


「ならいい。」


 ガルナは少しだけ口元を緩めた。


「お前たちは、こいつをよく見ていたのだな。」


 ガルドは短く答えた。


「仲間だからな。」


 バルクの表情が少し変わった。


 その言葉は、彼の胸に深く入った。


 ガルナもそれに気づいた。


 彼女はバルクの手に自分の手を重ねた。

 人前であることを気にしないようで、少しだけ気にしている手つきだった。


 バルクはその手を見て、静かに握り返した。


 ガルドはそれを見て、ほんのわずかに頷いた。


「正式な話は後で聞く。」


「ああ。」


「逃げるな。」


「逃げん。」


 バルクは力強く答えた。


 ガルナも頷いた。


「私も聞く。」


「そうしてくれ。」


 ガルドはそれだけ言って離れた。


 レオンが小声で言った。


「ガルドさん、あれでかなり認めてるっすよ。」


 バルクは頷いた。


「分かる。」


「分かるんすね。」


「長い付き合いだからな。」


 バルクはガルドの背中を見た。


「ありがたい。」


 その声は、宴の中では少し静かだった。


◆◇◆


 夜が深まると、バルクとガルナは広場の端へ移った。


 そこは焚き火の熱が少しだけ柔らかく届く場所だった。

 他の者たちの声は聞こえるが、二人で話すには十分な距離がある。


 ガルナは杯を置き、バルクを見た。


「村はどうだった。」


「良いところだ。」


「男たちは?」


「よくからかう。」


「それは気に入られている。」


「そうなのか。」


「そうだ。」


 バルクは少し照れたように頭をかいた。


「大角猪の肉はうまかった。」


「聞いた。」


「お前に食わせたかった。」


「それも聞いた。」


「誰から。」


「全員から。」


 バルクは顔を赤くした。


「そんなに言っていたか。」


「毎日言っていたそうだな。」


「毎日では。」


 言いかけて、彼は正直に言った。


「毎日だったかもしれん。」


 ガルナは少しだけ笑った。


「馬鹿だな。」


「そうか。」


「だが、嫌ではない。」


 バルクは息を止めた。


「本当か。」


「嘘をつく理由がない。」


 それは、以前バルクが言った言葉だった。


 バルクは胸の奥が熱くなるのを感じた。


「ガルナ。」


「何だ。」


「会いたかった。」


 ガルナは顔を背けた。


「知っている。」


「俺は、お前に会いたかった。」


「二度言うな。」


「言いたかった。」


「……そうか。」


 ガルナの耳が赤い。


 バルクはそれを見て、また嬉しくなった。


 だが、今度はにやけないように堪えた。

 堪えたつもりだった。


 ガルナが言った。


「顔。」


「出ていたか。」


「かなり。」


「すまん。」


「謝るな。」


 ガルナは少しだけ近づいた。


「私も、待っていた。」


 バルクの顔から笑いが消えた。


 真剣な顔になる。


「そうか。」


「ああ。」


「嬉しい。」


「分かる。」


「分かるのか。」


「顔に出ている。」


 バルクは笑った。


 ガルナも笑った。


 それから、少しだけ静かになった。


 バルクは彼女の手を取った。

 ゆっくり。

 逃げられるように。


 ガルナは逃げなかった。


「ガルナ。」


「何だ。」


「俺は、まだ決めきれていないことがある。」


「知っている。」


「グランデリアのこと。仲間のこと。契約のこと。」


「ああ。」


「だが、俺の気持ちは決まっている。」


 ガルナは彼を見る。


 バルクは言った。


「お前のそばにいたい。」


 ガルナはしばらく黙った。


 焚き火の音が遠くに聞こえる。

 満月の光が二人の横顔を照らしていた。


「簡単ではないぞ。」


「分かっている。」


「砦と村の間に立つことになる。」


「ああ。」


「面倒もある。」


「あるだろうな。」


「私は優しくない。」


「知っている。」


「飯は出す。」


「助かる。」


「働け。」


「働く。」


「怪我を隠すな。」


「隠さない。」


「本当に?」


「かなり痺れたら、かなり痺れたと言う。」


「だから違う。」


 ガルナは呆れて笑った。


 その笑顔を見て、バルクはたまらなくなった。


「キスしていいか。」


 彼は聞いた。


 ガルナの目が少し大きくなる。


 周囲はまだ賑やかだ。

 誰かに見られるかもしれない。

 いや、たぶん見られている。


 ガルナは少しだけ視線を横へ向けた。

 そこには、見ていないふりをしている女たちが何人もいた。


「見られている。」


「嫌か。」


「嫌ではないが、腹が立つ。」


「どうする。」


 ガルナはバルクの胸ぐらを掴んだ。


「一度だけだ。」


「分かった。」


 次の瞬間、ガルナがバルクへ口づけた。


 短い。

 だが、強い。

 逃げ場のないキスだった。


 周囲から歓声が上がった。


「おお!」


「ガルナがいった!」


「バルク、倒れるな!」


 バルクは倒れなかった。

 だが、完全に固まっていた。


 ガルナは顔を赤くしながら言う。


「何だ、その顔は。」


「幸せだ。」


「声が大きい!」


「すまん!」


 また笑いが広がる。


 ガルナは恥ずかしさをごまかすように、バルクの胸を軽く叩いた。

 バルクはその手も大事そうに受け止めた。


◆◇◆


 その後、バルクとガルナのいちゃつきぶりは、砦中の話題になった。


 本人たちはそれほど派手なことをしているつもりはない。


 ただ、隣に座る。

 ガルナが肉を渡す。

 バルクがうまいと言う。

 バルクがガルナの杯に水を足す。

 ガルナが文句を言いながら飲む。

 バルクが少し離れると、ガルナの目が追う。

 ガルナが他の女と話していると、バルクが嬉しそうに見ている。


 それだけだ。


 だが、その「それだけ」が、あまりにも分かりやすかった。


 レオンはソータに小声で言った。


「あれ、もう隠す気ゼロっすね。」


「隠す必要あるのかな。」


「ないっすけど、見てるこっちが照れるっす。」


 ソータは笑った。


「でも、よかった。」


「っすね。」


 ガルドは少し離れた場所で二人を見ていた。

 表情はいつも通りだが、目は柔らかい。


 エルザが横に立った。


「安心しましたか。」


「まだだ。」


「正式な話が残っていますからね。」


「ああ。」


「でも、悪くはなさそうです。」


「そうだな。」


 ガルドは短く答えた。


 カレンは肉を食べながら言った。


「強い者同士は分かりやすい。」


 レオンが振り返る。


「カレンさん、何か分かるんすか。」


「飯を渡す。怪我を見る。手を離さない。十分だ。」


「観察が的確っす。」


「護衛だからな。」


「護衛関係あるっすか。」


「ある。」


 カレンはそれだけ言って、また肉を食べた。


 ミレイユも、バルクとガルナを見ていた。


 彼女は商会代表として、バルクの今後を考えなければならない。

 契約。

 所属。

 報酬。

 グランデリアへの報告。

 北の砦との関係。


 だが、その前に、一人の女として思うことがあった。


(幸せそうね。)


 バルクは、本当に幸せそうだ。

 ガルナも、文句を言いながら幸せそうだ。


 それを見ていると、胸が少し温かくなる。


 オルドアイが隣へ来た。


「どう見る。」


「強い絆になりそうね。」


「そうだな。」


「でも、手続きは必要よ。」


「商人だな。」


「ええ。」


 ミレイユは微笑んだ。


「幸せなら、それを壊さない形を作らないと。」


 オルドアイは少し考えた。


「形か。」


「ええ。」


「お前は、そういうものを作る女だな。」


「あなたは、壊れそうなものを力で守る女ね。」


 オルドアイは笑った。


「なら、二人でやればよい。」


 ミレイユは少しだけ驚いた。


 それから、頷いた。


「そうね。」


 その会話を聞いていたソータは、胸の奥が少し温かくなった。


 バルクとガルナの話をしているはずなのに、なぜか自分たちのことにも重なる。


 形を作る。

 守る。

 壊さない。


 どれも、必要なことだった。


◆◇◆


 宴の終わり近く、バルクとガルナは再び広場の端にいた。


 今度は、誰もからかわなかった。

 いや、からかいたそうな者はいたが、ガルナの目が鋭く光ったので皆やめた。


 バルクはガルナの隣に座り、満月を見上げていた。


「綺麗だな。」


 バルクが言う。


「月か。」


「ああ。」


「珍しいのか。」


「いや。」


「ならなぜ言った。」


「お前と見ているからだ。」


 ガルナは黙った。


 そして、ゆっくり横を向いた。


「お前は、そういうことを真顔で言うのだな。」


「駄目か。」


「駄目ではない。」


「ならよかった。」


 バルクは安心したように笑った。


 ガルナは少しだけ肩を寄せた。


 ほんの少し。

 だが、バルクには十分すぎるほどだった。


「バルク。」


「何だ。」


「明日、正式に話すのだろう。」


「ああ。」


「残るか、戻るか。」


「そうだ。」


「怖いか。」


 バルクは少し考えた。


「怖い。」


「そうか。」


「仲間に、自分の選ぶ道を言うのは怖い。」


「……。」


「ガルドにも、ソータにも、レオンにも、エルザにも、ミレイユにも。」


「……。」


「でも、言う。」


 ガルナは頷いた。


「私も隣にいる。」


 バルクは彼女を見た。


「本当か。」


「当然だ。」


「嬉しい。」


「知っている。」


「顔か。」


「顔だ。」


 バルクは笑った。


 ガルナも小さく笑った。


 その笑顔は、最初に食事場で見た笑顔とは違っていた。

 もっと近く、もっと柔らかく、もっと深い。


 バルクは思った。


(俺は、この笑顔のそばにいたい。)


 難しいことはたくさんある。

 商会の契約。

 仲間への義理。

 北の村と砦の関係。

 隣国の不穏。

 自分に何ができるのか。


 それでも、根っこは単純だった。


 ガルナのそばにいたい。

 この人の飯を食いたい。

 この人が怒る顔も、笑う顔も、心配する顔も見ていたい。

 この人が守る砦を、自分も守りたい。


 バルクはそっとガルナの手を握った。


 ガルナは逃げなかった。


 満月の光が、二人の手に落ちる。


 遠くで宴の最後の歌が聞こえた。

 低く、ゆっくりと、地面に染み込むような歌だった。


 バルクとガルナは、その歌を聞きながら、しばらく何も言わずに座っていた。


 言葉はもう、あまり必要なかった。


 少なくとも今夜だけは。


◆◇◆


 翌朝、ソータがその二人を見た時、バルクはガルナに朝飯をよそわれていた。


 山盛りだった。


 バルクは幸せそうに食べている。

 ガルナは腕を組んで見ている。


「足りるか。」


「足りる。」


「嘘をつくな。」


「少し足りない。」


「最初からそう言え。」


「すまん。」


 ガルナは当然のように追加をよそった。


 ソータはそれを見て、思わず笑った。


 レオンが隣で言う。


「もう完全に夫婦っす。」


 ガルドが低く言った。


「まだ正式ではない。」


「ガルドさん、真面目っすね。」


「必要だ。」


 ソータは頷いた。


「うん。ちゃんと話そう。」


 正式な話はこれからだ。

 バルクがどこに残るのか。

 契約をどうするのか。

 グランデリアへどう伝えるのか。

 砦と男たちの村の間で、彼がどんな役目を持つのか。


 決めることは多い。


 だが、ソータはもう不安だけではなかった。


 バルクは迷っていない。

 怖がってはいる。

 でも、逃げる顔ではない。


 ガルナもまた、彼の隣に立つ顔をしている。


 それなら、あとは形を作るだけだ。


 ミレイユがきっとそう言うだろう。

 オルドアイは、それを守ると言うだろう。

 ガルドは逃げるなと言うだろう。

 レオンは泣き笑いでからかうだろう。

 エルザは静かに祝うだろう。

 カレンは肉を食べながら「良い」と言うだろう。


 ソータは、バルクとガルナを見た。


 馴れ初めは、腹の音から始まった。

 飯で近づき、盾で認められ、怪我を見られ、名を呼び合い、満月の夜に手を握った。


 不器用で、まっすぐで、少し笑える。

 けれど、確かな二人だった。


 バルクが朝飯を口いっぱいに頬張りながら、ガルナを見て言った。


「うまい。」


 ガルナはそっぽを向いた。


「知っている。」


 その耳が赤い。


 バルクは嬉しそうに笑った。


 ソータも笑った。


 北の砦にまた一つ、新しい結び目が生まれていた。

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