10.目立つなんてとんでもない
そういえば前世で時間逆行した人の小説を読んだような気がする。
ちょっと変わった物語で、主人公は中年なんだけど心臓発作か何かで死んだらいきなり若い頃の自分に戻るんだよ。
時間軸を遡って自分に憑依するというか。
突然小学生になってしまったんだけど、どうしようもないのでそのまま生きていく事になる。
でも自分だから生活自体は困らない。
家族や周囲の環境には覚えがあるから。
困ったのが学校だった。
だってその主人公は大学院まで出て専門家として第一線で仕事していたんだよ。
それがいきなり小学校に通って初等教科書で勉強しろって。
大学院生やサラリーマンが子供に混じって一日に何時間も勉強させられるって想像を絶する苦痛という気がする。
でも僕、このままいったら露骨にその状況に陥りそうなんだよなあ。
いやもっと酷い。
あと数年したら保育園とか幼稚園とかに通わされるんだろうな。
前世でそういう小説を読んだことがあると思うけど、その主人公はやたらにポジティヴだった。
幼稚園でリーダーシップを発揮したりして。
冗談じゃない。
目立つなんてとんでもない。
でも、このままだと平凡な園児としてみんなで砂遊びやお遊戯したりお昼寝したりすることになるのか。
嫌だなあ。
そんな僕の内心におかまいなく、毎日が平穏に過ぎていく。
もう立ってトコトコ歩けるし、何なら椅子に座って食事も出来るようになった。
おっぱいや哺乳瓶とは随分前にお別れした。
母親のおっぱいって美味しいというほどじゃなかったからいいんだけど。
ていうか、まだ細かい味を認識できるほど味覚が発達していなかったせいか。
ちなみに自分でも驚くくらいおっぱいには興味がなかった。
この身体が女性のものだからかもしれないけど。
でも僕の意識は明確に「男」なんだよね。
これがトランスジェンダーという奴か。
だとするとおっぱいには反応しそうなものだけど。
このおっぱいが母親のものだとかいう以前に性欲というものが完全に失せている。
というよりはまだ発生していないというべきか。
あれも脳の機能の一部だからだろうな。
肉体の成長と共に生えてくるのかもしれない。
前世ではそれなりに性生活はあったし実際にも色々やったんだけど、今のところまったく興味が無い。
これについては当分は大丈夫だろう。
第一次だったか第二次だったかの性徴で始めて性を意識するんじゃなかったっけ。
小学生高学年くらいかな。
女性の方が早いと聞いたことがあるような気がする。
男なんか小学生のうちはガキで。
ということは僕の場合、あと十年くらいは考えなくていいだろう。
性欲って精神より肉体で反応するという話だし。
ていうかその「話」ってどこで聞いたのか。
前世の自分がどんどん消えていっている。
そういうものなのかもしれない。
ひょっとしたら人間ってみんな前世を覚えていて、成長するに従って忘れていくのかも。
いや、僕の前世は少なくともそんなことはなかったけど。
でも既視感が前世の記憶ということはありそうだ。
今の僕は前世の家族はおろか自分の事もほとんど思い出せないんだけど、風景とか出来事とかは結構残っているんだよね。
特に仕事。
未だにコンピュータとかネットワークとかの用語ははっきりと覚えている。
内容は空白だけど、そういう単語とそれがどういう意味なのかは判る。
これもチートと言えばチートだ。
でも前世で読んだ異世界転生物に出てきたみたいに、例えばマヨネーズとかシャンプーみたいな現代文明の成果物をどうやって作ったらいいのか判らないのと一緒で。
パケット交換網の概念は判るけど、それをどうやって作るとかどうするとかはゼロ。
あまり意味がないなあ。
そもそもコンピュータやインターネットがない時点で無用の長物もいいところだ。
いずれにしても知識チートを使ってヒャッハーする気はないので。
僕は今世でも凡人として生きよう。
でも貧乏とかは嫌だし、働きたくない。
サラリーマンは嫌だ。
フリーランスはもっと嫌だし経営者なんか無理。
学者とか芸術家とか、やりたいと思っても能力がないし。
だったらどうするか。




