第九話 剣士シリウス
朝の訓練場に、木剣の音が響いていた。
砂を踏みしめる音。
短い掛け声。
打ち合う剣が、乾いた音を重ねていく。
「右!」
ヴィクトルの声が飛ぶ。
リアが身体を沈めた。
頭上を木剣が通り過ぎる。
そのまま一歩踏み込み、相手の懐へ入る。
木剣を横へ払う。
相手が受けたところへ、さらに一歩。
今度は別の騎士が横から打ち込んできた。
リアは剣を立てて受け、その勢いを流す。
「遅い!」
ヴィクトルの声に、リアが振り返る。
背後から迫っていた木剣を、身体を捻ってかわした。
木剣が肩先を掠める。
「今のは?」
「……見えていました」
「なら、なぜ動きが遅れた?」
「……」
リアは構え直した。
「相手を見てから動いたからです」
「そうだ」
ヴィクトルが頷く。
「相手が動く前に、動きを読む。間合いを測れ」
「はい」
汗が頬を伝い、顎先から砂へ落ちる。
周囲では、他の騎士たちも息を切らしている。
「もう一度!」
ヴィクトルの声が響いた。
リアが構え直す。
そのときだった。
訓練場の入口に、人影が現れた。
先に気づいた騎士が、動きを止める。
木剣を下ろし、背筋を伸ばした。
それを見た隣の騎士も振り返る。
やがて、訓練場にいた騎士たちが次々と手を止めた。
騎士たちの視線の先では、二人の男が並んで歩いていた。
一人は騎士団長ローラン・ヴァルクールだった。
そして、その隣を軽い足取りで歩く青年。
短く切り揃えられた銀髪。
日に焼けた肌。
晴れた空を思わせる青い瞳。
腰には王家の紋章が入った剣が下げられている。
第二王子シリウス・ゼフィール。
その身分は元より、武闘大会二連覇中の騎士としても名を馳せている男だった。
リアはその姿を見つめ、木剣をわずかに強く握った。
(……大会で優勝するには、避けて通れない人……)
シリウスは、姿勢を正して並ぶ騎士たちを見渡した。
「そんなに畏まらなくていい。相変わらず真面目だな、この隊は」
彼は少し困ったように笑う。
「訓練中だろ。続けてくれ」
騎士たちが互いに顔を見合わせて様子を見る中、ヴィクトルの声が響く。
「聞いたな。訓練を続けろ」
「はい!」
騎士たちの声が揃う。
木剣を構える音が重なり、訓練場に再び掛け声が響き始める。
リアも木剣を握りなおし、相手へ向き直った。
ヴィクトルはその様子を眺めながら、シリウスへ顔を向けた。
「巡察ですか」
「そんな堅苦しいものじゃない。近くまで来たから寄っただけだ」
「そうでしたか」
ヴィクトルが頷く。
シリウスはしばらく訓練場を眺めていた。
その視線が、ふと止まる。
「……見慣れないやつがいるな」
シリウスが、少し離れたところにいたリアを見る。
ローランが答えた。
「リア・ヴァルケインですね。最近この隊に移った新兵です」
「新兵でこの隊に入れるってことは……強いのか?」
シリウスが興味深そうにリアを見る。
ヴィクトルはリアへ一度目を向け、目を細める。
「筋は悪くありません」
「……ほう?」
木剣を振るうリアを尚も眺めているシリウスに、ヴィクトルは少し考える。
それから、シリウスへ向き直った。
「シリウス様、よろしければ、リアと手合わせいただけませんか」
その言葉に、シリウスは目を瞬いた。
数秒の沈黙の後、シリウスの口元がいたずらっぽく上がる。
「……いいな」
彼は腰に手を当て、軽く肩を回す。
「ちょうど俺も、体を動かしたいと思っていたところだ」
その返答にヴィクトルは頷いて、リアへ視線を向ける。
「リア!」
「はい!」
リアは相手の騎士へ打ち込もうとしたところで剣を止め、すぐさま振り返る。
ヴィクトルの口元には薄っすらとした笑みが浮かんでいた。
「シリウス様が、手合わせしてくださるそうだ」
「……えっ」
思わぬ言葉に、リアは肩を上げる。
シリウスは壁際に置かれた木箱の中から木剣を手に取り、片手で試し振りをしながら中央へ進む。
手首を返すたび、木剣が風を切り、鋭い音を響かせる。
周囲の騎士たちが、自然と道を空けた。
シリウスがリアから少し離れた位置に立つ。
青い目がこちらを向いて、リアは思わず息を呑む。
「……よろしくお願いします」
リアは肩の力を抜き、息を整える。
そして木剣を握り直し、構える。
「こちらこそ」
シリウスも短く頷き、構える。
「始め!」
ヴィクトルの声を合図に、リアが踏み込む。
――次の瞬間。
手から木剣が消えた。
「……え?」
何が起きたのか分からないまま、喉元に木剣の先が止まっていた。
シリウスの剣だった。
訓練場が、しんと静まる。
リアは動けなかった。
目の前で、シリウスが笑っている。
「お前、強いな」
「…………」
「いい動きだった」
リアは目を瞬いた。
(……一瞬で倒した人が、何を言っているんだ……)
リアの困惑をよそに、シリウスは何事もなかったように剣を収めた。
「……今、私は何もできませんでしたが」
リアは喉元に残る木剣の感触を確かめるように、ゆっくりと息を吐いた。
足元には、先ほど弾き飛ばされた木剣が転がっている。
「……何を褒められたのでしょうか」
リアの問いに、シリウスは一瞬、目を丸くした。
それから、口元をわずかに緩める。
面白いものを見るような穏やかな表情だった。
「お前は、考えなしに踏み込んだわけじゃない。そうだな?」
「……はい」
シリウスは、先ほど二人が打ち合った場所へ視線を向けた。
砂の上には、二人の足跡が残っている。
リアが踏み込んだ跡。
そこから、シリウスがわずかに身をずらした跡。
「最初の一撃を受けられたら、すぐに距離を変えるつもりだったな?」
考えを言い当てられて、リアは思わず目を見開く。
「その判断は悪くない」
シリウスが真っ直ぐリアを見る。
「だから、『いい動き』と言ったんだ」
「……」
シリウスは木剣を肩に乗せたまま、少しだけ笑う。
「ただ、俺の方が速かった。それだけだ」
リアは返す言葉が見つからず、何も言えなかった。
「焦る必要はないさ」
風が訓練場を横切った。
砂が細く舞い、二人の足元を撫でていく。
「速く動くことより、考えて動くことの方が、習得には時間がかかる」
シリウスはそう言って、わずかに目を伏せる。
「だから、今はそれでいい。速さは、じきに身につくだろう」
リアは足元へ視線を落とした。
砂の上に転がった木剣が、陽射しを受けて白く浮かんでいる。
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