第六話 守るための剣
翌朝。
リアは、三番隊の訓練場へ向かっていた。
王城の東側に設けられた訓練場は、朝の光に照らされていた。
石造りの壁に囲まれた広い敷地には、ところどころ白い線が引かれている。
隊列を組むための目印だった。
門をくぐる前から、剣を打ち合わせる音が聞こえていた。
甲高い金属音。
靴底が砂を踏む音。
それに混じって、短い指示が飛び交っている。
「右、詰めろ!」
「後ろを空けるな!」
リアは足を止め、訓練場の中を見渡した。
一対一で激しく剣を交える者もいるが、多くは複数人で動いていた。
四人が横一列に並び、ゆっくりと前へ進む。
先頭の騎士が踏み込めば、その背後にいた騎士がすぐに位置を変える。
一人が半歩下がる。
別の一人が、その空いた場所へ入る。
誰かが勝手に前へ出ることもなければ、隊列から大きく離れる者もいない。
派手な動きはないが、それでも、四人が一つの生き物のように動いていた。
リアがその様子を眺めていると、近くにいた騎士がこちらを振り返った。
「……誰だ?」
汗を拭っていた手を止め、怪訝そうにリアを見る。
リアは背筋を伸ばした。
「本日から三番隊で訓練するよう命じられました。リア・ヴァルケインです」
「新兵?」
「はい」
騎士が目を瞬かせる。
その声に気づいた周囲の騎士たちも、次々とこちらへ視線を向けた。
「この隊に新兵?」
「珍しいな」
「しかも、女子じゃないか」
「いや……あれ、殿下の推薦だろ」
最後の一言に、空気がわずかに変わった。
何人かの視線が、リアの顔から腰の剣へ移る。
値踏みするような目だった。
リアは何も言わなかった。
視線を逸らすこともない。
ただ、背筋を伸ばしたまま立っていた。
やがて、訓練場の奥から足音が近づいてきた。
砂を踏む一定の足音に、周囲の騎士たちが、自然と口を閉じる。
一人の男が歩いてくる。
鍛えられた体つき。
短く整えられた髪。
装飾のない訓練用の服。
腰には一本の剣。
表情に目立った険しさはないが、視線だけが鋭かった。
男は騎士たちの間を抜けると、リアの前で足を止めた。
「リア・ヴァルケインだな」
「はい」
「三番隊隊長、ヴィクトル・アーレンだ」
「よろしくお願いします」
リアは頭を下げる。
ヴィクトルは返事をしなかった。
代わりに、リアの足元へ視線を落とす。
次に腰の剣。
そして、再び顔を見る。
「剣は使えるな?」
「はい」
「なら、抜け」
リアは一瞬だけ目を瞬かせた。
だが、すぐに腰の剣へ手を伸ばす。
鞘から刃を抜くと、朝の光を受け、白い刃が細く輝いた。
周囲から、かすかにざわめきが起こる。
「隊長、いきなりですか?」
「時間が惜しい」
ヴィクトルは短く答え、剣を抜く。
鞘から刃が滑り出る音が、静かに響いた。
リアは剣を構える。
足を開き、重心を落とす。
昨日までの訓練で叩き込まれた構えだった。
ヴィクトルはその姿を見て、ほんのわずかに眉を動かした。
「レオニス殿下から話は聞いている」
リアの指が、柄を握る。
「専属護衛になりたいそうだな」
「はい」
ヴィクトルは剣先をゆっくりとリアへ向けた。
「だが、ここでは推薦も身分も関係ない」
一歩。
砂が、靴底の下で小さく鳴る。
「自分の力で示せ」
リアは剣を握り直した。
「……はい」
ヴィクトルの目が細くなる。
「来い」
その一言と同時に、リアは地面を蹴った。
砂が跳ねる。
リアは一気に間合いを詰め、右斜め上から剣を振り下ろした。
ヴィクトルは動かなかった。
刃が届く、その寸前に身体をわずかに横へずらす。
剣先が、彼の肩の脇を空しく通り過ぎた。
リアはすぐに刃を返した。
横薙ぎ。
今度はヴィクトルが一歩だけ後ろへ下がる。
剣先が外套の裾を掠めた。
「……」
リアは追った。
踏み込み、さらに一歩。
ヴィクトルの剣が上がった。
甲高い音が響く。
刃と刃がぶつかり、リアの腕に衝撃が走った。
押し返される。
リアは足を止めず、身体を捻って剣を振り抜いた。
だが――
そこに、ヴィクトルはいなかった。
「――!」
背後から風を切る音がした。
リアが振り返る。
目の前に、剣先があった。
首元、あと一寸という距離で、止まっている。
リアは息を止めた。
ヴィクトルは剣を構えたまま、静かにリアを見ていた。
「遅い」
そう言って、ヴィクトルが剣を下ろす。
リアも構えを解いて、呼吸を整える。
「もう一度」
「はい」
リアは再び構えた。
今度は、すぐには踏み込まなかった。
ヴィクトルの足元を見る。
肩の動き。
握った剣。
わずかな変化を探りながら、一歩ずつ間合いを詰める。
「来ないのか?」
ヴィクトルが言った。
リアの眉がわずかに動く。
次の瞬間、ヴィクトルが踏み込んだ。
「――っ!」
リアは反射的に剣を上げ、受ける。
(……重いっ……)
一撃目。
二撃目。
三撃目。
ヴィクトルの剣が次々と打ち込まれる。
リアは後退した。
足元の砂が削れる。
それでも剣は離さない。
ヴィクトルの刃を受け流し、横へ逃れる。
その瞬間だった。
ヴィクトルの肩がわずかに動いた。
リアは反射的に前へ出て、攻める。
だが、ヴィクトルはリアの剣を受けなかった。
刃を滑らせ、力を逃がされる。
リアの身体が前へ流れた。
「――!」
リアの足が止まらない。
そのまま、ヴィクトルの横を通り過ぎる。
振り返ったときには、もう剣先が背中に突きつけられていた。
「踏み込みすぎだ」
「……はい」
「敵を追うときも同じか?」
リアは答えられなかった。
ヴィクトルが剣を下ろす。
「もう一度」
リアは構え直した。
額に汗が浮かんでいる。
息も少し乱れていた。
それでも、目だけは逸らさない。
「……はい」
周囲で見ていた騎士たちから、小さく声が漏れた。
「まだやるのか」
「隊長相手だぞ」
リアには聞こえていない。
ヴィクトルだけを見ていた。
「今度はお前から来るな。私が攻める」
ヴィクトルが剣を構える。
「お前は、下がれ」
リアは眉を寄せた。
「それだけですか?」
「それだけだ」
ヴィクトルが一歩踏み込む。
リアは反射的に後ろへ下がった。
ヴィクトルがさらに踏み込む。
リアも下がる。
また一歩。
リアは剣を構えたまま、後退した。
だが――
「下がりすぎだ」
ヴィクトルの声が飛ぶ。
「……!」
リアの足が止まる。
「私から離れることだけを考えるな」
ヴィクトルの剣が迫る。
リアは横へ逃れた。
ヴィクトルが向きを変える。
再び踏み込む。
リアは半歩だけ下がった。
今度は、深く下がらない。
剣と剣の間に、一定の距離が残る。
ヴィクトルの目がわずかに細くなった。
「そうだ」
リアは息を整えながら、剣を構えていた。
「その距離を覚えろ」
ヴィクトルは剣を下ろした。
「三番隊で最初に覚えるのは、敵を倒す方法じゃない」
リアが顔を上げる。
「離れすぎず、近づきすぎない」
ヴィクトルはリアの足元を見る。
「守るべき場所から、勝手に離れないことだ」
リアは黙って聞いていた。
「明日から、これを徹底する」
ヴィクトルが剣を鞘へ収める。
「それができなければ、どれだけ強くても護衛には向かない」
リアは肩で息をしながら、自分の剣を見下ろした。
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