第五話 再会
王都に配属されてから、半月が過ぎた。
門番に立ったリアは、荷馬車の御者に声を掛ける。
「身分証を」
「はい」
差し出された証明書を確認し、問題がなければ通す。
次の馬車が来れば、また同じことを繰り返す。
王都の騎士になったからといって、すぐに剣を振るう機会が増えるわけではない。
別段、不満には思わなかった。
「……お前、疲れないのか?」
隣で立っていた騎士が、半ば呆れたように言った。
「何がですか?」
「ずっと同じ姿勢だろ」
「普通、そうなのでは?」
「……そうかよ」
騎士は苦笑して、前へ向き直った。
リアは気にせず、門の先へ視線を戻した。
その姿勢は、何時間立っていてもほとんど崩れなかった。
その日の午後、門の向こうから、馬車が近づいてきた。
王家の紋章が見え、周囲の騎士たちが一斉に姿勢を正した。
リアも道を空ける。
黒塗りの馬車が、ゆっくりと目の前を通り過ぎていく。
何気なく、その窓へ目を向けた。
その一瞬、車内の青年と、目が合った。
「……?」
青年が、わずかに眉を上げる。
リアも、その顔を見つめた。
胸の奥で何かが引っかかった。
馬車はそのまま門を抜けていった。
リアは、無意識にその馬車を目で追った。
「どうした?」
隣の騎士が尋ねる。
「……いえ、何でもありません」
リアは表情を変えず、前を向いた。
それから、数日が過ぎた。
その日の勤務を終え、詰所へ戻ろうとしたときだった。
「リア」
呼び止められて振り返る。
そこに立っていたのは、副団長のヴァルター・グレンだった。
三十代半ばの男で、鍛えられた身体を濃紺の騎士服に包み、胸元には副団長を示す銀章が留められていた。
「はい」
「少し来い」
「どちらへ?」
「団長室だ」
それだけ告げると、ヴァルターは先に歩き出した。
リアも後に続く。
廊下をしばらく進んだところで、ヴァルターが不意に口を開いた。
「一つ聞く」
「はい」
「レオニス殿下と、面識があるか?」
思わぬ言葉に、リアは一瞬、足を緩めた。
「……以前、助けていただいた方がいます。ただ、それが殿下だったのかまでは……」
「……そうか」
ヴァルターが足を止める。
「実はな。殿下がお前に会いたいと、こちらへいらしている」
「……私に?」
「ああ」
リアは目を瞬いた。
数日前、門の前を通った馬車の窓から見えた青年の顔が浮かぶ。
「なぜでしょうか?」
「……ご本人に聞いてくれ」
ヴァルターはそれだけ言うと、廊下の突き当たりにある扉へ向かった。
重厚な木製の扉だった。
中央には王都騎士団の紋章が彫られ、真鍮の取っ手が磨き上げられている。
ヴァルターが二度、扉を叩いた。
団長室は、外の喧騒が嘘のように静かだった。
正面には大きな窓があり、午後の陽射しが机の上へ細長く差し込んでいる。
壁際には王都の地図と騎士団の配置図が掛けられ、その下には歴代の団長が使ってきた剣が飾られていた。
部屋の中央には来客用の低いテーブルと革張りのソファ。
その奥に置かれた執務机の前には、騎士団長のローラン・ヴァルクールが立っていた。
四十歳を過ぎた大柄な男で、騎士服の上からでも分かるほど肩幅が広い。
黒髪を短く整え、左頬には古い傷跡が一本走っている。
「入れ」
ローランが短く言う。
リアは室内へ入り、視線をソファへ向けた。
そこには、一人の青年が座っていた。
背が高く、細身の身体を濃紺の上着に包んでいる。
仕立てのよい上着には余計な装飾はなく、胸元には小さな王家の紋章が銀糸で刺繍されていた。
肩口まで伸びた銀髪は、緩く後ろへ流されている。
淡い光を受けた髪が、白銀のように輝いていた。
穏やかな面差しで、背もたれに軽く身体を預けている。
目が合うと、レオニスは一瞬、何かを確かめるようにリアを見つめた。
青い瞳がわずかに見開かれる。
そして次の瞬間、その表情が、ふっと柔らかくなった。
「君が、リア・ヴァルケインか」
「はい」
「そうか」
レオニスは、ソファに腰掛けたままリアを見つめていた。
やがて穏やかに口を開く。
「……俺を覚えているか?」
リアはすぐには答えなかった。
雪に埋もれた景色。
暖炉の赤い火。
湯気の立つスープ。
冷たかった手に重ねられた、温かな手。
――少しずつでいい。
断片的な記憶が、脳裏をよぎる。
リアは目を伏せ、記憶の中を探るように、ゆっくりと言葉を選んだ。
「……正直に言うと、記憶はかなり曖昧です。殿下のお姿を見るまで、気づきませんでした」
「ははっ、そうか」
レオニスは、あっさりと笑った。
肩をわずかに揺らし、ソファの背に身体を預ける。
その表情に、気を悪くした様子はない。
「まあ、無理もない。あのときは君も大変だっただろうしな」
「……はい」
リアは小さく頷いた。
レオニスは一度、視線を落とした。
テーブルの上には、手つかずの茶が置かれている。
細い湯気が、静かな部屋の中へゆっくりと消えていく。
やがてレオニスは顔を上げ、ローランへ視線を向けた。
「ローランに聞いたが、新兵の中では群を抜く腕前らしいな」
「……全体で見れば、まだまだです」
リアは背筋を伸ばしたまま答える。
「戦場で役に立てているわけではありません」
「謙虚だな」
「事実です」
迷いのない返答だった。
レオニスの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
だが、すぐには何も言わなかった。
しばらくリアを見つめたあと、ふっと息を漏らす。
「……うん、いいな」
その言葉に、ローランの眉がわずかに動いた。
何かを察したように、ローランが口を挟む。
「殿下。本人もこう言っていますので、先ほどの話は――」
「いや」
レオニスが穏やかに遮った。
その声に強さはない。
けれど、意思ははっきりしていた。
「やはり、リアだ」
「……?」
リアは二人を交互に見た。
ローランは小さく息を吐き、レオニスはそんな彼を見て、どこか楽しそうに目を細めている。
「……なんの話でしょうか?」
レオニスがリアへ顔を向ける。
そして、まるで当たり前のことを告げるように言った。
「専属の護衛騎士を付けようと思っているんだが、リアがいいな、という話だ」
「…………」
リアの表情が止まった。
数秒遅れて、その目がゆっくりと見開かれる。
「殿下の、護衛騎士……?」
言葉の意味を確かめるように呟く。
それから、もう一度レオニスを見る。
「……えっ、私が?」
ローランが深く息を吐いた。
額に手を当てることこそしなかったものの、その表情には明らかな苦労の色が浮かんでいる。
「殿下。お言葉ですが、リアはまだ新兵です」
「分かっている」
レオニスは落ち着いたまま答えた。
「専属護衛となれば、剣の腕だけでは務まりません」
ローランは一歩も引かず、続ける。
「王族の側に仕える以上、礼儀作法や社交、状況判断、何より経験が必要になります」
「それも分かっている」
レオニスは反論することなく頷いた。
「だから、すぐに任せようと言っているわけじゃない」
ローランが口を閉じる。
レオニスは、今度はリアへ視線を戻した。
「一つ、条件をつけよう」
「条件……ですか?」
「ああ」
レオニスはソファの肘掛けから手を離し、軽く身を起こした。
「夏に武闘大会があるだろう。そこで優勝してみろ」
その言葉に、リアが目を瞬く。
「優、勝……」
「そうだ」
レオニスは頷いた。
「優勝できるだけの実力があるなら、少なくとも剣の腕については誰も文句を言えないだろう」
ローランは腕を組んだ。
彼は視線を床へ落とし、しばらく考える。
やがて、小さく唸った。
「……シリウス様には、ご相談されているのですか?」
レオニスの笑みが止まった。
「してないが……必要か?」
「……必須ではありませんが」
ローランは少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「拗ねてしまわれます」
一瞬、部屋が静かになった。
レオニスが目を丸くする。
そして次の瞬間、肩を揺らして笑った。
「ははっ。そういうところは、あいつもまだ子供だな」
「最近では、殿下よりも聞き分けがいいですよ」
「まさか」
レオニスは笑みを浮かべたまま、即座に否定した。
「わがままの通し方を覚えただけだろう」
「……殿下にも、覚えていただきたいのですが」
ローランの低い声に、レオニスが苦笑する。
「だからこそ、条件をつけると言っている」
「……」
ローランは呆れたように眉を上げたものの、それ以上は反論しなかった。
やがて、組んでいた腕を解く。
「まったく、あなたは……」
小さく呟いてから、ローランはリアへ視線を向けた。
「……分かりました。殿下のお望みが叶うよう、こちらも善処いたします」
「ああ、よろしく頼む」
レオニスは満足そうに頷いた。
その一方で、リアはまだ一人だけ取り残されていた。
専属護衛。
武闘大会。
優勝。
言葉は聞こえている。
意味も分かる。
けれど、それが自分の話だという実感だけが、追いついてこない。
「……あの」
おそるおそる声を上げる。
レオニスが振り返った。
「どうした?」
「本当に、私が……?」
リアの声には、珍しく戸惑いが滲んでいた。
レオニスはそんな彼女をまっすぐに見つめる。
「ああ、そうだ。君がいい」
迷いのない声に、リアは目を瞬いた。
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