第四話 剣との出会い
その日も、騎士たちの訓練が終わるまで見ていた。
散り散りに解散していく騎士を見て、リアも踵を返す。
「おい」
不意に、柵の向こうから声がした。
振り返ると、訓練を終えた騎士の一人がこちらを見ていた。
「そこの子」
「……私?」
「ああ」
騎士は木剣を一本持っていた。
「毎日見ているだろう」
リアは頷いた。
「剣が好きなのか?」
「分からない。でも……見ていたい」
その答えに、騎士が笑った。
「そうか」
騎士は木剣を柵の向こうから差し出した。
「持ってみるか?」
リアは目を見開いた。
「いいの?」
「壊すなよ」
「……分かった」
木剣を受け取る。
思っていたより重かった。
けれど、不思議と手に馴染む。
「構えてみろ」
言われるまま、今まで見ていた通りにリアは剣を構えた。
右足を少し引き、身体を低くする。
剣先を前へ向ける。
その動きに、騎士の表情が変わった。
「……誰に教わった?」
「教わってない」
「本当に?」
「うん」
騎士はしばらくリアを見ていた。
「変な構えだな」
そう言いながらも、その声には笑いが混じっていた。
「でも、悪くない」
リアは剣を見下ろした。
この重さは嫌いではない。
むしろ、胸の奥が落ち着くようだった。
「一度、振ってみろ」
リアは頷いて、剣を振る。
空気が鳴った。
騎士が目を細める。
「身体の使い方を、覚えているのかもしれないな」
「覚えて……?」
「見たものを、頭より先に、身体が覚える。ときどき、そういう奴もいる」
リアはその言葉を聞いて、自分の腕を見る。
(……自分の身体……記憶より先に、覚えたもの……)
リアは騎士の言葉を反芻するように、目を閉じ、また開く。
そして木剣を返す。
「ありがとうございました」
「ああ、また見に来ればいい」
「うん、また」
リアは訓練場を離れた。
その日の夜。
食堂で針仕事をしていると、糸がまた絡まった。
「……」
リアは黙って糸を見つめた。
「また?」
向かいの少女が笑う。
「うん」
リアは糸をほどこうとした。
けれど、うまくいかない。
そのうち、ますます絡まってしまった。
「もういい」
リアは針を置いた。
「え?」
「私、これ向いてない」
「前から知ってたじゃん」
「うん」
リアは立ち上がった。
「でも、他に向いてるものがある」
少女が目を瞬く。
「何?」
「剣」
言葉にすると、不思議なくらいしっくりきた。
リアは自分の手を見た。
「騎士になりたい」
少女はしばらく黙っていた。
それから、驚いたように笑う。
「騎士って、男の人ばっかりだよ?」
「そうなの?」
「そうだよ」
「でも、なりたい」
少女は肩をすくめた。
「リアらしいね」
リアは少しだけ笑った。
翌朝。
リアは朝食を終えると、マルタのところへ向かった。
食堂の隅で、マルタは今日の仕事を割り振っていた。
「リアは午前中、倉庫の整理を――」
「マルタ」
「ん?」
リアはその前で立ち止まった。
「話がある」
マルタは手にしていた帳簿を閉じた。
「どうしたの?」
「私、騎士になりたい」
マルタの手が止まった。
「……騎士?」
「うん」
「急にどうしたんだい」
「急じゃない」
リアは首を横に振る。
「ずっと考えてた」
訓練場の前で立ち止まったこと。
木剣を握ったこと。
振ったときの感覚。
それらを一つずつ思い返す。
「剣なら、できる」
マルタは少し考えた。
「手仕事より?」
「うん」
「それは……まあ、そうね」
マルタは苦笑した。
「あなたが糸を持つと、どうしてあんなに絡まるのかしらね」
リアは黙った。
マルタはしばらくリアを見つめ、それから頷いた。
「本気なんだね」
「うん」
「分かった。騎士団の知り合いに聞いてみよう」
それから二日後。
孤児院に現れたのは、以前、木剣を貸してくれた騎士だった。
食堂に入ってきた男は、リアの姿を見つけると足を止めた。
「やっぱり、君か」
彼は口元を緩め、目を細める。
リアも男を見上げた。
「騎士になりたいんだってな」
「うん」
男は腕を組み、少し首を傾けた。
「なんで、なりたい?」
リアはすぐには答えなかった。
視線を落とし、自分の手を見る。
木剣を握ったときの感触を思い出す。
「向いてるから」
淡々とした答えに、男は一瞬黙った。
それから、肩を揺らして笑う。
「まあ、向き不向きは大事だな」
リアは素直に頷いた。
男はその様子を眺め、少しだけ目を細める。
「お前、剣を振るのは悪くなかった。少し訓練してみるか?」
「うん」
迷いのない返事だった。
「ただし、剣だけじゃないぞ」
男が人差し指を立てる。
「走るし、勉強もする」
「分かってる」
「続けられるか?」
試すような目が向けられる。
リアは一度だけ頷いた。
「やる」
男は満足そうに口元を上げた。
「よし。明日から訓練場へ来い」
「分かった」
「まずは走るところからだ」
「……走る?」
リアが初めて少しだけ顔を曇らせる。
男は吹き出した。
「ああ。騎士は体力がいるからな」
リアは考えるように黙り込み、それから小さく頷いた。
「それなら、できる」
「そうか」
男は笑った。
「じゃあ、明日からだ」
それから、リアは訓練を続けた。
剣だけではない。
読み書き。
王国の歴史。
騎士団の規則。
覚えることは多かった。
けれど、一つずつ覚えていった。
孤児院での手仕事は、相変わらず苦手だった。
糸を持てば絡まり、針を持てば指を刺す。
「リア、また?」
「……うん」
隣の少女が呆れたように笑う。
「騎士になるんでしょ?」
「そのつもり」
「じゃあ、もういいんじゃない?」
「……そうする」
そんなやり取りも、いつしか日常になっていた。
そして、ある春の日。
訓練場の門前で、リアは一枚の書類を受け取った。
「今日から、お前は騎士団の訓練生だ」
男が言った。
リアは書類へ目を落とす。
そこには、名前が記されていた。
――リア・ヴァルケイン。
リアは、その文字を指先でなぞった。
「……ヴァルケイン?」
「ああ、その名前な」
男は少しだけ笑った。
「開拓村の人から聞いた。お前を拾って世話をしていた女性の姓だそうだな」
リアは頷いた。
「……あの人と、同じ名前」
「ああ」
男は頷いた。
「大事にしろ」
リアは書類を胸元へ引き寄せた。
自分がどこから来たのかは、まだ分からない。
けれど、この名前なら知っている。
雪の村で温かな食事をもらったこと。
薪を運んだこと。
雪だるまを作ったこと。
別れ際に握られた、温かな手。
そのすべてが、この名前の中にあるように思えた。
「……ありがとう」
「礼を言うのはまだ早い」
男が笑った。
「これからが本番だ」
リアは顔を上げた。
「うん」
小さく頷く。
そして、訓練場の中へ歩き出した。
その背中を、春の風が追い越していった。
それから、さらに数年が過ぎた。
リアは、正式に騎士団へ入隊していた。
朝は剣を振る。
昼は巡回に出る。
夕方には装備を手入れする。
訓練生の頃と比べれば、任される仕事も増えていた。
それでも、毎日のように身体を動かしていることに変わりはなかった。
「リア、こっちを頼む」
「分かった」
雪の積もった街路を歩く。
荷物を運ぶ商人を手伝い、揉め事があれば間に入る。
冬のベルクハイムでは、雪かきも騎士の仕事の一つだった。
リアは黙々と雪を掻いた。
雪を掬い、運び、道を開ける。
昔と同じだった。
違うのは、今ではそれを騎士の制服を着てやっていることくらいだ。
「昔より、ずいぶん大きくなったねえ」
市場の店主に声を掛けられる。
「そう?」
「そうだよ。最初に見たときは、もっと小さかった」
リアは少しだけ笑った。
「覚えてない」
店主も笑う。
「まあ、今の方が似合ってるよ」
リアは礼を言って、その場を離れた。
ベルクハイムで暮らして、長い時間が経っていた。
ある冬の日。
リアは騎士団の詰所へ呼び出された。
「リア・ヴァルケイン」
「はい」
上官が書類を手にしている。
「王都から辞令が届いている」
リアは姿勢を正した。
「所属変更だ」
「所属変更?」
「新兵は経験を積むため、定期的に所属が変わるんだ」
「そうですか……それで、私はどこへ?」
「王都だ」
リアは一瞬、黙った。
「王都……」
「ああ」
上官が書類を差し出す。
「詳しい話は向こうで聞け。出発は三日後だ」
リアは書類を受け取った。
「ベルクハイムを離れることになるが、問題ないか?」
リアは窓の外を見る。
白い雪が降っている。
「……はい」
リアは頷いた。
「問題ありません」
出発の日。
少ない荷物を持って孤児院を出ようとしたところで、マルタに呼び止められた。
「リア。ちょっと待ちなさい」
振り返る。
マルタの手には、小さく畳まれた布があった。
「これを持っていって」
「何?」
「開けてみて」
リアが布を広げる。
中から出てきたのは、白い布で仕立てられた衣服だった。
薄手で柔らかく、触れた指先がわずかに冷たい。
「これ、雪蚕の……」
「アンダーウェアだよ。みんなで作ったんだ」
マルタが笑う。
「あなたも、少しだけ手伝ったでしょう?」
リアは布を見つめた。
細かな縫い目が並んでいる。
「まだ早いけど、じきに暑くなるからね」
マルタが言った。
「王都はここよりずっと暖かい。あなたは寒さには強いけど、暑いのは苦手でしょう」
「……うん」
リアは素直に頷いた。
ベルクハイムの冬は平気だった。
雪の中を走るのも苦にならない。
けれど、夏になると途端に動きが鈍くなる。
少し走っただけで汗をかき、日差しが強い日は外仕事を嫌がった。
「倒れないようにね」
「分かった」
「水もちゃんと飲むんだよ」
「うん」
「暑いときは、無理して訓練しないこと」
「……それは」
リアが少し黙る。
マルタが眉を上げた。
「約束」
「……分かった」
「よし」
マルタが笑う。
リアは服を丁寧に畳み直した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
少し離れたところでは、孤児院の子どもたちがこちらを見ていた。
「リア、王都ってどんなところ?」
「知らない」
「大きい?」
「たぶん」
「お城があるんでしょ?」
「あるらしいね」
「王様もいる?」
「いるんじゃない?王様の家なんでしょ?」
子どもたちが一斉に笑った。
「リア、全然知らないじゃん!」
「……行ったことないから」
リアも少し笑った。
やがて、馬車の用意が整った。
リアは荷物を持ち、玄関へ向かう。
「じゃあ」
振り返る。
「行ってきます」
マルタが頷いた。
「行っておいで」
子どもたちも手を振っている。
「元気でね!」
「頑張って!」
リアは一人ずつに頷いた。
そして馬車へ乗り込むと、胸元の荷物を抱え直す。
馬車が動き出した。
窓から外を見る。
手を振る人々が、少しずつ遠ざかっていく。
リアも最後まで手を振った。
やがて、ベルクハイムの街並みが遠ざかる。
目を閉じると、暗闇の中に、白い雪が浮かぶ。
それを払うように重ねられた、誰かの手。
温かな湯気。
聞き覚えのある声が、脳裏に浮かぶ。
――少しずつでいい。
「……少しずつ」
そう言った人が誰だったのか、リアは知らなかった。
けれどその声と、たくさんの温もりを覚えている。
それだけで十分だった。
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次回もお楽しみに!!




