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【リア編】星風の国物語~騎士の呼び笛~  作者: 月森みのり


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第二話 雪の村


 朝、目を覚ますと、部屋は静かだった。

 薪の爆ぜる音が、遠くで小さく聞こえている。

 リアは毛布の中でしばらく瞬きをした。


 リアはゆっくりと身体を起こした。

 まだ重たい身体を引きずるようにして、部屋の中を見回す。


 窓際。

 椅子。

 小さな卓。

 その傍らに置かれた、空になったカップ。


 そこまで目を向けてから、リアは首を傾げた。

 扉が開いた。


「おや、起きたのかい」


 昨日、温かい食事を運んできてくれた村の女だった。

 リアは何も言わず、女の後ろへ視線を向ける。

 廊下には誰もいない。


 女はその視線に気づいて、少しだけ笑った。


「あの方なら、もう出発されたよ」


「……あの、方?」


 かすれた声が出た。

 自分の声を聞いて、リア自身が少し驚く。


「昨日、一緒にいた男の子さ」


「……そう」


 リアが小さく答えると、女は少しだけ目を細めた。

 そして窓辺まで歩いていき、外を覗く。


「今日は昨日より晴れてるよ。雪が眩しいくらいだ」


 リアも窓を見る。

 どこまでも続く雪の向こうに、少年の姿はもうなかった。

 リアはしばらく、その景色を眺めていた。

 



 朝食の時間になると、リアは女に連れられて隣の家へ向かった。

 外へ出た途端、冷たい風が頬を撫でる。


 雪はまだ深く積もっていたが、空には薄い青が覗いている。

 朝の光を受けた雪原が白く輝き、目を細めなければならないほど眩しかった。


「足元に気をつけるんだよ」


 女が先に歩きながら言う。

 踏み固められた道には、大きさの違う足跡がいくつも残っていた。


 家の中へ入ると、暖かな空気が頬を包んだ。

 長い木の卓には、湯気の立つ器が並んでいる。


「座りな」


 促されるまま、リアは椅子に腰を下ろした。

 目の前に置かれたのは、柔らかく煮た野菜と、薄く切ったパン。

 それから、温かなスープだった。

 リアはしばらく器を見つめていた。


「食べていいんだよ」


「……うん」


 リアは匙を持ち、一口ずつ口に運ぶ。

 温かさが、身体の奥へゆっくり染み込んでいく。


「おいしい?」


 女が尋ねる。

 リアは少し考えてから、頷いた。


「……うん」


「そうかい」


 女は満足そうに笑った。


 女はそれ以上、何も聞かない。

 それが、リアにはありがたかった。


 食事を終える頃、家の外から子どもたちの声が聞こえてきた。


 扉が開く。

 冷たい風と一緒に、雪まみれの子どもが二人、駆け込んできた。


「母さん、薪――」


 言葉の途中で、リアと目が合った。


「誰?」


「新しく村に来た子だよ」


 女が答えた。


「名前は?」


 子どもの一人がリアを見る。

 リアは匙を置いた。


「……たぶん、リア」


 答えたリアに、女は少しだけ目を丸くした。

 子供たちは首を傾げて、不思議そうに尋ねる。


「たぶん?」


「……それしか、分からない」


「変なの。どこから来たの?」


 リアは答えられず、黙って俯く。

 子どもは少しだけ考えるように首を傾げた。


「じゃあ、うちに住むの?」


「……しばらくね」


 女が代わりに答える。


「ふうん」


 子どもはそれ以上聞かなかった。

 代わりに、窓の外を指差した。


「ねえ、雪、見に行こうよ」


「今日は外に出しちゃ駄目だよ。まだ身体が治ってないんだから」


 女がすぐに止める。


「でも、雪だるま作るんだよ」


「……じゃあ、昼になったらね」


「約束?」


「ああ、約束」


 子どもは嬉しそうに笑った。

 そして、もう一度リアを見る。


「リアも来るでしょ?」

 

 その誘いに、リアは窓の向こうを見る。

 白い雪が広がっている。

 風が窓を小さく揺らした。

 

「……行く」


 小さな声で答えると、子どもの顔が明るくなる。


「じゃあ、昼になったら一緒に作ろう!」


 そう言って、二人はまた外へ飛び出していった。

 扉が閉まる。

 静かになった家の中で、女が笑った。


「ずいぶん元気になったね」


 リアは自分の手を見る。


 昨日まで、何も掴めなかった手。

 今は、匙を持っている。

 歩くこともできる。

 声も、少しずつ出るようになった。


 女が空になった器を片付け始める。


「食べ終わったら、もう一度休むんだよ」


「……うん」


 リアは素直に頷いた。

 窓の外では、子どもたちが雪の上を走っている。

 その足跡が、白い地面にいくつも重なっていた。

 リアはしばらく、それを眺めていた。




 昼になると、約束通り子どもたちが迎えに来た。


「リア、行こう!」


 扉を開けた途端、冷たい風が吹き込んでくる。

 リアは思わず肩をすくめた。

 女が厚手の外套を肩に掛ける。


「これを着ていきな。まだ無理は禁物だよ」


「……ありがとう」


 外へ出ると、雪は朝よりも眩しかった。

 村の家々の間には、細い雪道が続いている。

 屋根から落ちた雪が軒下に積み上がり、ところどころに小さな雪の山ができていた。


「こっち!」


 子どもたちは雪の上を駆けていく。

 リアはその後ろを歩いた。


「遅いよ!」


 振り返った子どもが笑う。


「……待って」


 リアも歩く速度を少し上げた。

 村の広場では、すでに雪が丸く固められていた。


「ここに置くの!」


「もっと大きく!」


「リアも押して!」


 何をすればいいのかよく分からないまま、リアは雪の塊に手を添えた。

 雪の塊は冷たく、指先がすぐに赤くなる。

 それでも押すと、雪の塊がゆっくり動いた。


「すごい!リア、力あるね!」


 子どもの声が上がる。

 リアは少しだけ目を丸くした。


「……そうかな」


 三人で雪を転がしているうちに、小さな雪だるまができた。

 頭を乗せる。

 木の枝を二本、腕代わりに差す。


「顔は?」


「石!」


「鼻は?」


「これ!」


 子どもたちが競うように石を拾ってくる。

 リアも雪の中にしゃがみ込み、小さな石を探した。

 黒い石を二つ。

 それを雪だるまの顔に並べる。


「目、できた」


「じゃあ鼻!」


 赤くなった指で、細い枝を一本拾う。

 雪だるまの顔に差し込む。


「完成!」


 子どもたちが歓声を上げた。

 リアは出来上がった雪だるまを見上げた。

 丸くて、不格好で。

 けれど、少しだけ笑っているように見えた。


「リアも笑ってる」


 隣から声がした。

 リアは振り向く。


「……笑ってない」


「笑ってるよ」


「笑ってない」


「笑ってる」


 子どもたちが笑う。

 リアは困ったように眉を寄せた。

 けれど、口元はほんの少し緩んでいた。




 遊び終わると、リアは薪を運ぶのを手伝った。

 最初は一本だけだった。


「無理するんじゃないよ」


 女に言われながら、三本目の薪を抱える。


「そんなに持たなくていいって」


「……持てる」


「そうかい。でも転んだら全部台無しだよ」


 リアは少し考えて、二本に減らした。

 薪を運び終えると、今度は雪かきを手伝った。


 雪を掬う。

 運ぶ。

 また掬う。


 単純な作業だった。

 けれど、不思議と嫌ではなかった。

 身体を動かしている間は、頭の中に何も浮かばない。


 夕方になる頃には、腕が重くなっていた。

 家へ戻ると、暖炉の火が赤々と燃えていた。


 リアはその前に座る。

 濡れた手袋を外す。

 指先にじんじんとした痛みがあった。


「今日は働きすぎたね」


 女が温かい飲み物を差し出す。

 リアは両手でカップを包んだ。

 湯気が顔に触れる。


 ふと、昨日のことを思い出した。

 誰かが、こうしてカップを渡してくれた。

 その人の手は温かかった。

 声も覚えている。

 けれど、その姿が、ぼんやりとしか分からなかった。


 リアはカップを両手で包んだまま、暖炉の火を見つめていた。


「家族のことは、思い出せないかい?」


「……うん」


「そうかい」


 女は手に持った自身のカップの中を眺めながら、尋ねる。


「帰りたいと思うかい?」


 リアはしばらく考えた。

 

「……分からない」


 それが、今のリアに言える唯一の答えだった。


「そう。じゃあ、今はここにいればいいね」


 女は何でもないことのように言う。


「雪が溶けるまでは、ここで休んでいきな」


「……雪が溶けたら?」


「そのとき考えればいいさ」


 女は笑った。


「先のことなんて、誰にも分からないんだから」


 リアは黙ってカップに口をつける。

 温かかった。





 それから、毎日のように雪が降った。

 朝になれば屋根に積もり、昼には村人たちが雪を払う。

 夕方にはまた白くなって、リアは暖かな家へ戻る。

 そんな毎日が続いた。


 最初の頃、リアは暖炉のそばからほとんど動かなかった。

 誰かが近づけば身体を固くし、声を掛けられても短く頷くだけだった。

 けれど、一週間も経つ頃には、村の中を一人で歩くようになった。


「リア、薪をこっちへ頼めるかい?」


「うん」


「終わったら、昼飯にしな」


「分かった」


「リア!雪だるま、もう一個作ろう!」


「……昨日も作った」


「今日はもっと大きいやつ!」


「大きいと重い」


「だからいいんじゃない!」


 そんな声が、村のあちこちから聞こえる。

 いつの間にか、リアを呼ぶ声が増えていた。


 リアが薪を抱えて歩いていると、村の老人が声を掛けてきた。


「ずいぶん元気になったな」


 リアは足を止める。


「……そう?」


「ああ。最初は今にも消えてしまいそうだった」


 老人は笑った。


「今じゃ、うちの孫より働く」


「そうなの?」


「そうだ」


 リアは少し考えた。

 そして、薪を抱え直す。


「じゃあ、もっと働く」


「ほどほどにしな」


 老人が笑う。

 リアも、ほんの少しだけ笑った。




 ある夕方、リアは村の外れまで歩いていた。

 雪原の向こうには、白い森が広がっている。


 風が吹く。

 雪が舞う。


 その景色を見た瞬間、リアは足を止めた。

 胸の奥が、かすかにざわついた。


 何かを知っている。

 そんな気がした。

 けれど、思い出そうとすると、頭の中は真っ白になる。


 リアは自分の腕を抱いた。

 寒い。

 それだけは、はっきり分かった。


 しばらく立っていると、背後から声がした。


「リア!」


 振り返る。

 子どもが一人、雪道を走ってくる。


「こんなところにいたの?探したんだよ」


「……ごめん」


「戻ろう。夕飯だって」


 リアは頷いた。

 二人で村へ戻る。

 白い雪の上に、二人分の足跡が並んでいく。


 リアは一度だけ振り返った。

 遠くの雪原は、もう夕暮れの色に染まり始めていた。




 春の気配は、ある朝、突然やってきた。

 屋根から落ちる雪の音が、いつもより多かった。

 ぽたり、ぽたりと軒先から雫が落ちている。


 リアは家の外へ出ると、空を見上げた。

 冬の間ずっと低く垂れ込めていた雲が切れ、淡い青空が覗いていた。


「暖かくなってきたね」


 隣で女が言う。

 リアは頷いた。


「うん」


 吐いた息が、以前ほど白くならない。

 雪の表面には細かな水の筋が走り、日当たりのよい場所では土が顔を出し始めていた。

 村の子どもたちは、雪が溶けるのを待ちきれないように外を駆け回っている。


「リア!」


 遠くから呼ばれた。


「見て!」


 子どもの一人が、雪の間から小さな緑を見つけていた。

 リアはしゃがみ込む。

 土の中から、細い芽が伸びている。


「葉っぱ?まだ小さいね」


「これから大きくなるんだよ」


 子どもは得意そうに言った。

 リアは指先で土に触れた。

 冷たいけれど、冬の雪とは違う冷たさだった。


 その日の午後、村人たちは雪解けに備えて動き始めた。

 屋根の雪を落とす。

 道を掘り出す。

 倉庫の中を片付ける。


 リアもその中に混じった。

 始めの頃のようには、もう誰も止めなかった。


「そこを頼むよ」


「分かった」


 雪を掻き分ける。

 土が見えるまで何度も雪を運ぶ。

 冬の間に積もったものを一つずつ片付けていく。


 身体を動かしているうちに、リアの頬に汗が滲んだ。

 少し前まで、暖炉の前から動けなかった身体だった。

 今では、一日中外で働いても平気になっている。


「リア」


 作業の途中、女に呼ばれた。


「ちょっと来な」


 家へ戻ると、卓の上に一枚の紙が置かれていた。

 リアは紙を見る。


「町から人が来たんだよ」


「町?」


「ああ。春になったら、あんたをベルクハイムの孤児院へ移すことになった」


「……孤児院」


「身寄りがない子どもを預かってくれるところさ。ここよりずっと大きな町だから、読み書きなんかも教えてもらえる」


 リアは紙へ目を落とした。

 

「ここに、いちゃだめ?」


 女が少しだけ目を細めた。


「そんなことは言ってないよ」


「じゃあ……」


「ただ、ここは小さな村だからね。あんたが大きくなるまで、ずっと面倒を見るのは難しい」


 リアは黙っている。


「町なら、もっといろんなことを覚えられる。これから先のことも、自分で選べるようになる」


 その言葉にリアはしばらく考えて、やがて目を伏せた。


「……分かった」


 女は少し寂しそうに笑って、リアの頭を撫でる。


「いい子だ」




 それから数日。

 リアは村で過ごした最後の時間を、いつもと変わらず過ごした。


 朝になれば薪を運ぶ。

 昼には畑の土を起こす。

 夕方には子どもたちと遊ぶ。


 特別なことは何もなかった。

 だからこそ、最後の日になっても、リアは実感が湧かなかった。


 荷物は小さな袋ひとつ。

 服と靴と、村の女が持たせてくれたパン。

 それだけだった。


「元気でね」


 女が、リアの手を握った。

 リアはその手を見つめて、少しだけ握り返した。


「……ありがとう」


 声にした。

 女が目を瞬く。


「何だい、急に」


「ご飯」


 リアは少し考えた。


「薪も、雪かきも」


 それから、村の向こうにいる子どもたちを見る。


「……一緒に遊んでくれたことも」


 女は笑った。


「それなら、こっちこそありがとうだよ」


 リアは首を横に振った。


「違う。私が、ありがとうって言いたい」


 女は何も言わなかった。

 ただ、もう一度リアの手を握った。


「じゃあ、私も、私が言いたいから言うよ。ありがとうね」


「……うん」


 リアは小さく笑った。


 村を出る馬車に乗り込んで、窓から外を見る。

 白い雪は、ところどころ土へ変わっていた。

 雪だるまはもう崩れている。


 馬車がゆっくりと動き出した。

 リアは最後まで、村を見ていた。

 やがて道が曲がり、家々が見えなくなる。

 その向こうには、まだ雪を残した山々があった。


お読みいただき、ありがとうございます。

この話を少しでも気に入っていただけたら、

感想やレビュー、リアクションなどをぜひお願いします!


次回もお楽しみに!!


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