お花畑と三兄妹
兄とカフェで待ち合わせたコーデリアの前に、ぴょんっと跳ねるように金色が飛び出した。
同行していた侍女が咄嗟に前に出る程度には、結構な勢いだった。
「もしかして、ライシスの奥様ですか?」
完全予約制、全部屋個室の貴族層をターゲットにしたカフェは、機密性の高い情報もやり取りされるため、予約した部屋以外に立ち入るのは厳禁だ。
入り口で落ち合って、兄のエスコートの腕に掴まり、入店のためドアを開けた直後のこと。
なぜか一緒に中に入ろうとするヒロインに、コーデリアたちは足を止めざるを得なかった。
緑の目をきらきら輝かせるのは、数日前に図書館でも見かけたヒロイン。小説の挿絵そのままだ。
だが、ちょっぴり頭がお花畑ではあれど、さすがにここまでマナーの悪いことはしなかった。はず。
もちろん、往来にはそれなりの人の目がある。
カフェの特性上、入り口で立ち話をするのは、周囲にわざわざ入店を知らしめるようで感じが悪い。
「私、ライシスの幼馴染です! 政略結婚したと聞いて、たまたま見かけたのでご挨拶に!」
「……そう。挨拶は受けました。もう結構」
「ええっ! そんな、冷たい!」
「そこまでだ」
低く、地を這うような声で兄が呼びかけると、今気づいたかのようにハッとした彼女は、目をまん丸にした。
「こんな昼間から、もしかして不倫ですか!?」
えーと。ごめん。お馬鹿さんなの?
たとえそう思ったとして、往来のある外で、しかも本人に向かって叫ぶとか。少々ぶっ飛んでいらっしゃる。
兄と顔を合わせ、自分そっくりの互いの顔を確認して、同時に首を横に振った。ため息まで出てくる。
色味も面差しもほぼ完全一致、性別しか違わないほど系統の似た兄と並んで、まさか疑惑が出るとは思いもしなかった。
「……瓜二つなんですけどねえ」
後ろからボソッと侍女が呟く。
やっぱりうちの使用人たち、この兄妹そっくり! って思っていたんだ。ちょっとへこむ。
「リリン、彼女から家名を聞いておいてくれ。あとは任せていいか」
「もちろんでございます、ご嫡男様」
何度か顔を合わせるうち、コーデリアを真似て呼ぶようになった侯爵家の使用人たちに、兄は少し嬉しそうだ。
公爵家の使用人たちは良くも悪くも規律に厳しく、当主から見た立場でしか個々を呼ばない。
奥様、ご子息様、お嬢様、というふうに。
コーデリアは、兄とも名前も口にすることが許されていなかった。
彼女は兄弟を区別するため『ご嫡男』と呼ぶが、侯爵家の使用人たちのそれは愛称のように感じるのだという。
兄も、なかなか愛に飢えた人なのかもしれない。
せめて婚約者との睦まじい仲を願っておこう。
騒ぐ声に背を向けて、兄のエスコートで予約した個室へと入ると、そこには弟がいた。
注文を取りにきた給仕が、思わずといったふうに三人の顔を一通り見回していたのは、まあ多めに見るとして。
「嫡男殿……兄上から依頼されて、あなたの夫の現在を調べたのは私です。元はあなたからの依頼だと聞いていますが」
「はい。卿」
「……それ、やめませんか?」
「その時が来たら」
ちなみに、弟は『卿』である。それ以外の呼び方はしっくりこなかった。
弟は、次期公爵となる兄の補佐として公爵家の諜報部をまとめているから、彼に話がいくのはわかっていた。
弟が信用できるかどうか知らないが、弟が無理なら兄も同じ。その時点で詰みである。
ちょっとした賭けだったが、生真面目らしい二人はきっちり仕事をしてくれたようだ。
諜報部の報告を聞き、一呼吸置いて、それぞれカップに手を伸ばす。
三人揃って注文した紅茶は、他国名産の珍しい茶葉。血とは恐ろしい。
「あの書類は公的なものと認められた。コーデリア」
初めて、いや幼い頃ぶりに名前を呼ばれて、思わず肩が跳ねた。
交流のない兄妹は、名を呼ぶことも会話をすることもなく、ただ存在を知るだけのつながりで。
だから。
こんなふうに協力してくれることも、名前を呼ばれることも、とても想像なんかできなかった。
ゆっくりと視線を向けた先には、瓜二つな兄弟の顔。
どちらも表情に乏しく、理知的な眼差しをしている。
「私の公爵位の継承が決まった。陛下の認可も降りた」
どく、どく。なぜか胸が痛むほど高鳴っている。
「おまえの功績だ、コーデリア。決定打はあの証拠だった。父母は離縁し、父は領地の別荘に、母は生家へ戻る。証拠を公表することはない」
そうだ。あれを公表してしまってはまずい。
コーデリアも望まないが、何より公爵家にとって喜ばしいことじゃない。
「功績を認め、我が公爵家はおまえの後ろ盾として力を奮おう。……コーデリア。何か、欲しいものはないか?」
「え……」
「公爵家はおまえの後ろ盾となるだろう。今後のためにも、私たちがおまえの望みを叶えるのだと、周囲にも知らしめておきたい」
実家の、三大公爵家の後ろ盾を得たということは、コーデリアの決定は以前よりも強い力を持つ。
契約書を作成した時とは、訳が違う。この政略結婚のパワーバランスはさらに傾いた。
「ご嫡男……公爵の、」
ああ。もうどうして。
こんな時にも、両親に命じられた過去が顔を出して、兄を兄と呼べない。
望みを口にすることが、まるで罪のように感じる。
「……あなたは、呪いをかけられたのですね。コーデリア姉様」
不意に、弟が呟く。
驚いて見れば、藍紫の目が痛々しそうに細まる。
「私たちもですが、姉様のそれはより深く根を張っているように思えます。寄る辺として私たちを頼ったのではなく、他に手段がなかったのだと、私たちは理解していますよ」
「コーデリア、私たちはようやく力を手にした。今度こそ、おまえを救える力だ。私たちは、この時を待っていたんだ」
「溺れるような檻は、大層窮屈だったよ。姉様」
あ、そうか。ふと腑に落ちた。
両親の兄たちへの執着と、コーデリアへの無関心は、どちらにとっても檻だった。
兄たちは息を潜めて、刃を研ぎながら動くべき時を見極めていた。
「……そうですね。わたくしも、窮屈でした」
周囲には、型通りの使用人たちだけ。
ひっそりと静まり返る屋敷は、まるで時が止まったようだった。
そうか、そうだった。今のコーデリアには、飛び出す力があるのだった。
コーデリアが研げる刃は、いったいどんなものだろう。




