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ヒーローの前妻だそうです  作者: 雨傘 はる


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3/8

弱みを握るつもりは


婚姻した翌週。

コーデリアは、長兄の訪問を受けていた。


初夜の際の契約書を正式に作成したので、見に来てほしいと手紙を送ったのはコーデリア。

しかし、宛先は当主である父だったはずが、なぜか約束の時刻に現れたのはタウンハウスに滞在中の兄だった。


兄とは、そもそも生活拠点が違うので、話したことがほとんどない。

でも、同じ藍紫の髪と目をした兄は、コーデリアが男ならこんな顔だろうな、と思うくらい顔立ちが似ている。


鏡を見ているような妙な心地になりながら、コーデリアは人払いをした。

まあ、言っても嫁いだばかりの侯爵家。

嫁の監視と報告は随時されているはずだが、相手がここまでそっくりな兄なら問題ないと思う。


実際に躊躇いなく下がる使用人たちに、ちょっぴり切なくはなったけども。

それはさておき。


「どうしたことだ。新しい契約書など、何か問題でも?」


表情に乏しいらしい兄は、声の調子も単調だ。おそらく不機嫌ではなく、通常運転なのだろう。

あまり気にしないコーデリアは、まとめた契約書の移しをテーブルに裏返しのまま置く。


「問題はありませんが、少々相談があったのです。ご足労いただき感謝します」


「……ああ」


兄妹と思えないほどの他人行儀な言葉遣いも態度も、幼少の頃から染みついたものだ。


両親は『家族とは義務である』が口癖の気難しさんだ。

政略結婚した夫妻は、後継の兄とそのスペアの弟だけに期待を詰め込んでいる。

他家へと嫁ぐコーデリアは、両親から欠片の視線も受けることはない。


その強い拘りゆえ、兄妹たちは互いの名を呼ぶことも許されなかった。

コーデリアが一人タウンハウスにいるのも、半ば放り出されたような形だ。


今は気楽としか思わないが、以前のコーデリアは律儀に傷つき、日々悲しみに暮れていた。

今のコーデリアは省エネタイプだ。そこまでのバイタリティは、正直ない。


「久しいな」


「婚姻式の時にもご挨拶しましたよ」


「そうか、そうだな……今日私が来たのは、早期の代替わりを検討している旨を、おまえにも伝えておこうと思ったからだ」


なるほど、それは大事件だ。起爆剤は両親。

大人しく領地の別宅に共に引っ込め、と言って素直に従ってくれるとは到底思えない。


慎重に頷いて、コーデリアはキリリと顔を引き締めた。

いい交渉材料ができたものだ。強引な要求より、対等の方がいいに決まっている。


「わたしと取り引きをしませんか」


「取り引き? おまえと私が?」


「生意気な小娘がとお思いでしょうけど、世の中にはやって得はあれど、やらずに得ることはないと言いますでしょう。まずは一度、説明だけでもお聞きになってください。損はさせません」


「どこぞの商人のようだな……いいぞ。話してみろ」


ふう。一つ息を吐き、にこりと微笑む。

裏返した契約書を眺めつつ、素早く頭を回転させた。

仕事モードをオンにする。この勝負、負けるわけにはいかないのだ。


「もしもわたしの作成したこの契約書を、必ず公的書類として認めていただけるなら……というのが条件となりますが。公爵と夫人に頷いていただくための()()()()に、心当たりがございます」


「……根拠は?」


「王都のタウンハウスは、わたしの陣地。みなさまより諸々を熟知しております。たとえば、あなた様の子供の頃の私室、ベッドの床下……とか」


健全な青少年が、時折り滞在するいわば別邸の私室に、何を置いたのか。しかも、ベッドの床下という念の入れよう。

多くは語らないが、きっと婚約者には知られたくないことだろう。


途端に耳まで真っ赤になった兄に、少し苦笑いが漏れた。

いや、意地悪をしたつもりはないんです。信じてもらうために必要だっただけで。


「すみません。ちゃんと、墓場まで持っていきますから」


「い、いや、ごほっ……他意がないことは、うん。理解している」


そわそわとカップを持ち上げる兄が落ち着くまで、さすがのコーデリアも大人しく待った。

大丈夫、追撃はしないからゆっくり飲んでほしい。ああほら、こぼれるから。


見た目は冷静沈着な美丈夫といった風体なのに、小娘の言葉をちゃんと真に受けて動揺するとは、なんだか可愛らしい。

意外と普通の兄なのかなと、コーデリアは構え過ぎていた自分を反省した。


なんとか兄の顔の赤みが治まり、仕切り直しに咳払いを一つ。


「まあ、わたしの陣地はタウンハウス内に限りますから、非常に私的な事柄です。政や社交には関わりのない、身内の秘密ということですね」


「あ、ああ。そうだな。公爵と夫人の秘密とは、その、私の件ほどの……あー、」


「おそらくそれ以上。公爵が夫人に、夫人が公爵に秘している、そしてお二人がわたしたちにも秘していることです」


「……それを知った時、おまえはどう思った?」


まさか気持ちを問われるとは思わず、虚をつかれたコーデリアは素直に記憶を辿った。


「最初に見つけた時は、衝撃的で、信じがたくて、たぶん、悲しかったのだと思います」


考えると、内側に眠っていたコーデリアの感情が顔を出す。

悲しい、苦しい、つらい、いなくなりたい。

声を殺して布団に包まり泣く記憶の中のコーデリアを、抱きしめてあげられたらいいのに。


「少し前に改めて確認したのですが、『やっぱりそういうことなんだ』と、納得した心地になりましたよ」


「……そうか。わかった。あとは、契約書を確認してからで構わないか? 今日の依頼は、公的書類にするための最終確認をということだったな?」


「はい。素人が作ったものですから、確認していただければ」


侯爵家につながりのある者には頼れず、かといって外部に出すにはリスクが高すぎる。

情けないが、実家に頼るしか手がなかった。


軽く頷いた兄に書類を手渡すと、隅々まで読み込んだ彼は、しばらく黙りこくった。

ややあって、上げた顔には怒りが滲んでいる。


「どういうことだ? この政略結婚の意味を、おまえの夫は軽視しているのか?」


「そんなことはありません。ちゃんと義務は果たしていただいています」


なぜか初夜から毎晩。

ちょっとは休ませてくれてもいいんですよ。


「そうだろうか……。本当にわかっていれば、初夜に婚約中のあれこれなどペラペラしゃべらんし、初夜をしないなど言い出さんが」


「はいまあ……でも、もう問題はないので。ただ、今後の保険のようなものです。わたしの立場を守るための」


「わかった。おまえの名誉のためにも、この書類は公的なものとして処理に回そう。原本は?」


「ここに」


「印もしっかりあるな。よくできている。これは預かるが、控えを作成してもいいか? こちらの写しは、おまえの手元に置きなさい」


「はい」


「では……条件のことだが」


「ふふ。はい」


顔を寄せ合って秘密を共有したコーデリアは、現物を確認すると意気込んで帰って行く兄を、ほんの少しの親近感と共に見送った。




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