弱みを握るつもりは
婚姻した翌週。
コーデリアは、長兄の訪問を受けていた。
初夜の際の契約書を正式に作成したので、見に来てほしいと手紙を送ったのはコーデリア。
しかし、宛先は当主である父だったはずが、なぜか約束の時刻に現れたのはタウンハウスに滞在中の兄だった。
兄とは、そもそも生活拠点が違うので、話したことがほとんどない。
でも、同じ藍紫の髪と目をした兄は、コーデリアが男ならこんな顔だろうな、と思うくらい顔立ちが似ている。
鏡を見ているような妙な心地になりながら、コーデリアは人払いをした。
まあ、言っても嫁いだばかりの侯爵家。
嫁の監視と報告は随時されているはずだが、相手がここまでそっくりな兄なら問題ないと思う。
実際に躊躇いなく下がる使用人たちに、ちょっぴり切なくはなったけども。
それはさておき。
「どうしたことだ。新しい契約書など、何か問題でも?」
表情に乏しいらしい兄は、声の調子も単調だ。おそらく不機嫌ではなく、通常運転なのだろう。
あまり気にしないコーデリアは、まとめた契約書の移しをテーブルに裏返しのまま置く。
「問題はありませんが、少々相談があったのです。ご足労いただき感謝します」
「……ああ」
兄妹と思えないほどの他人行儀な言葉遣いも態度も、幼少の頃から染みついたものだ。
両親は『家族とは義務である』が口癖の気難しさんだ。
政略結婚した夫妻は、後継の兄とそのスペアの弟だけに期待を詰め込んでいる。
他家へと嫁ぐコーデリアは、両親から欠片の視線も受けることはない。
その強い拘りゆえ、兄妹たちは互いの名を呼ぶことも許されなかった。
コーデリアが一人タウンハウスにいるのも、半ば放り出されたような形だ。
今は気楽としか思わないが、以前のコーデリアは律儀に傷つき、日々悲しみに暮れていた。
今のコーデリアは省エネタイプだ。そこまでのバイタリティは、正直ない。
「久しいな」
「婚姻式の時にもご挨拶しましたよ」
「そうか、そうだな……今日私が来たのは、早期の代替わりを検討している旨を、おまえにも伝えておこうと思ったからだ」
なるほど、それは大事件だ。起爆剤は両親。
大人しく領地の別宅に共に引っ込め、と言って素直に従ってくれるとは到底思えない。
慎重に頷いて、コーデリアはキリリと顔を引き締めた。
いい交渉材料ができたものだ。強引な要求より、対等の方がいいに決まっている。
「わたしと取り引きをしませんか」
「取り引き? おまえと私が?」
「生意気な小娘がとお思いでしょうけど、世の中にはやって得はあれど、やらずに得ることはないと言いますでしょう。まずは一度、説明だけでもお聞きになってください。損はさせません」
「どこぞの商人のようだな……いいぞ。話してみろ」
ふう。一つ息を吐き、にこりと微笑む。
裏返した契約書を眺めつつ、素早く頭を回転させた。
仕事モードをオンにする。この勝負、負けるわけにはいかないのだ。
「もしもわたしの作成したこの契約書を、必ず公的書類として認めていただけるなら……というのが条件となりますが。公爵と夫人に頷いていただくための説得材料に、心当たりがございます」
「……根拠は?」
「王都のタウンハウスは、わたしの陣地。みなさまより諸々を熟知しております。たとえば、あなた様の子供の頃の私室、ベッドの床下……とか」
健全な青少年が、時折り滞在するいわば別邸の私室に、何を置いたのか。しかも、ベッドの床下という念の入れよう。
多くは語らないが、きっと婚約者には知られたくないことだろう。
途端に耳まで真っ赤になった兄に、少し苦笑いが漏れた。
いや、意地悪をしたつもりはないんです。信じてもらうために必要だっただけで。
「すみません。ちゃんと、墓場まで持っていきますから」
「い、いや、ごほっ……他意がないことは、うん。理解している」
そわそわとカップを持ち上げる兄が落ち着くまで、さすがのコーデリアも大人しく待った。
大丈夫、追撃はしないからゆっくり飲んでほしい。ああほら、こぼれるから。
見た目は冷静沈着な美丈夫といった風体なのに、小娘の言葉をちゃんと真に受けて動揺するとは、なんだか可愛らしい。
意外と普通の兄なのかなと、コーデリアは構え過ぎていた自分を反省した。
なんとか兄の顔の赤みが治まり、仕切り直しに咳払いを一つ。
「まあ、わたしの陣地はタウンハウス内に限りますから、非常に私的な事柄です。政や社交には関わりのない、身内の秘密ということですね」
「あ、ああ。そうだな。公爵と夫人の秘密とは、その、私の件ほどの……あー、」
「おそらくそれ以上。公爵が夫人に、夫人が公爵に秘している、そしてお二人がわたしたちにも秘していることです」
「……それを知った時、おまえはどう思った?」
まさか気持ちを問われるとは思わず、虚をつかれたコーデリアは素直に記憶を辿った。
「最初に見つけた時は、衝撃的で、信じがたくて、たぶん、悲しかったのだと思います」
考えると、内側に眠っていたコーデリアの感情が顔を出す。
悲しい、苦しい、つらい、いなくなりたい。
声を殺して布団に包まり泣く記憶の中のコーデリアを、抱きしめてあげられたらいいのに。
「少し前に改めて確認したのですが、『やっぱりそういうことなんだ』と、納得した心地になりましたよ」
「……そうか。わかった。あとは、契約書を確認してからで構わないか? 今日の依頼は、公的書類にするための最終確認をということだったな?」
「はい。素人が作ったものですから、確認していただければ」
侯爵家につながりのある者には頼れず、かといって外部に出すにはリスクが高すぎる。
情けないが、実家に頼るしか手がなかった。
軽く頷いた兄に書類を手渡すと、隅々まで読み込んだ彼は、しばらく黙りこくった。
ややあって、上げた顔には怒りが滲んでいる。
「どういうことだ? この政略結婚の意味を、おまえの夫は軽視しているのか?」
「そんなことはありません。ちゃんと義務は果たしていただいています」
なぜか初夜から毎晩。
ちょっとは休ませてくれてもいいんですよ。
「そうだろうか……。本当にわかっていれば、初夜に婚約中のあれこれなどペラペラしゃべらんし、初夜をしないなど言い出さんが」
「はいまあ……でも、もう問題はないので。ただ、今後の保険のようなものです。わたしの立場を守るための」
「わかった。おまえの名誉のためにも、この書類は公的なものとして処理に回そう。原本は?」
「ここに」
「印もしっかりあるな。よくできている。これは預かるが、控えを作成してもいいか? こちらの写しは、おまえの手元に置きなさい」
「はい」
「では……条件のことだが」
「ふふ。はい」
顔を寄せ合って秘密を共有したコーデリアは、現物を確認すると意気込んで帰って行く兄を、ほんの少しの親近感と共に見送った。




