第八章 王都の休日
初めての週末。図書館で過ごすつもりだったレオは、友人たちと王都へ出かけます。
入学して、初めての週末がやってきた。
朝食を終えたレオたちは、正門近くでのんびり過ごしていた。
門の前には、入学式の日に見たような乗り物が並んでいる。立派な馬車に乗り込む者もいれば、迎えに来た家族と話している者もいた。
「僕たちみたいに遠くから来た学生と違って、王都の子は家へ帰るんだ。明日の夕方くらいには戻ってくるけどね」
マックスが、門を出ていく馬車を見ながら言った。
「僕たち王都へ遊びに行くんだけど、レオも来る?」
ボブに誘われ、レオは少し迷った。
「僕は……図書館で本でも読もうかな」
「その、ちょっと聞きにくいんだけど」
アリアが声を落とした。
「もし、お金のことを気にしてるなら、私たちも少しは出せるし。一緒に行かない?」
レオはすぐに返事ができなかった。
それも理由の一つだったからだ。
食事も部屋も学校が用意してくれるので、生活には困らない。けれど、自由に使えるお金はほとんどなかった。
「いや、本当に大丈夫。この何日か授業を受けて、知らないことが多いなって思ったから。少し、勉強しておきたくて」
「えっ。レオにもわからないことがあったの?僕は、そんなになかったけど」
「あなたは、何がわからないかもわかってないだけでしょう」
アリアに言い返され、ボブは不満そうに口を曲げた。
「でも、王都を見て回るのも勉強になると思うよ」
マックスの隣にいたデイビッドが言った。
「本で読むのと、実際に見るのは違うしね」
「そうだな。じゃあ今日は、あまりお金のかからないところを回ろう」
マックスが手を打った。
「王都には、国王陛下が造られた無料の施設もたくさんあるんだ。王都営馬車は一日乗車券を買えば安いし、昼食だって、普通の食堂なら大した額じゃない」
「でも……」
「馬車代は、この貧しい魔法商人の息子が、少ない小遣いから出そう」
マックスは大げさに胸へ手を当て、それからデイビッドを見た。
「昼食は、カリオナを代表する貿易商のご子息にお願いする。どうだい?」
「貧しい魔法商人、ねえ……」
デイビッドは呆れた顔をした。
「よく言うよ。まあ、五人分の昼食くらいなら出せるけど」
「ほら、決まった。レオも行こうよ」
ボブがレオの腕をつかんだ。
「せっかく王都まで来たんだよ。休みの日まで図書館にいなくてもいいじゃないか」
レオは四人の顔を見た。
知らない場所へ行ってみたい気持ちはあった。図書館は、明日でも行ける。
「……うん。行くよ。ありがとう」
「よし。それじゃ、出発だ」
*
五人は正門から続く道を歩き、大路の向こう側へ渡った。
馬の絵が描かれた標識のそばで待っていると、六頭の大きな馬に引かれた馬車がやってきた。
二階建ての、大きな馬車だった。
外壁には『王都循環』と書かれている。
マックスが御者から五人分の一日乗車券を買い、みんなへ配った。
「今日はこれで、何度でも乗れるよ」
レオは券を受け取り、礼を言って乗り込んだ。
馬車が走り出すと、窓の正面に王城が見えた。
学校から見たときより、ずっと大きい。近づくにつれ、高い塔の窓や、城壁の飾りまで見分けられるようになった。
大路の両側には、広い庭を持つ屋敷が並んでいた。
門の前に衛兵が立っている屋敷もある。庭の噴水を眺めているうちに次の屋敷が現れ、レオは窓から目を離せなかった。
三十分ほど走ったところで、マックスが立ち上がった。
「次で降りるよ」
停まった馬車から降りると、マックスが振り返った。
「乗車券、なくさないようにね」
レオは肩に掛けた革鞄を開き、券が入っていることを確かめた。
そこから少し歩くと、大きな噴水と、きれいに手入れされた庭が見えてきた。
庭の向こうには、太い柱が並ぶ立派な建物があった。
「ここが王立画廊。王立の施設は、僕たちなら無料で入れるところが多いんだ。説明会で聞いたよね?」
「うん。そういえば……」
初日に仮宿舎で聞いた説明を、レオは思い出した。
学校の周りや、近づいてはいけない研究所のことは覚えていたが、画廊の話まではよく覚えていなかった。
「王国でも指折りの絵を無料で見られるんだから、使わないともったいないわよね」
アリアも建物を見上げていた。
入口でマックスが学校名を告げると、係の衛兵が手を差し出した。
「学生証をお願いします」
「学生証?」
レオが鞄へ伸ばしかけた手を止めると、デイビッドが教えてくれた。
「入学式でもらった石板だよ。あれが学生証にもなるんだ」
レオは鞄から石板を取り出した。
魔力を注ぐと、表面に文字が浮かび上がる。
『学生証
学校名:王立魔法学園
所属:一年一組
氏名:レオ・ライオンハート
割当宿舎:特別室第一号』
「あ、本当だ」
以前は入学許可証と書かれていたはずだった。
いつの間に変わったのだろうと思いながら衛兵へ見せると、すぐに通してもらえた。
ボブとアリアも、後ろから続いた。
*
最初の部屋には、風景画が並んでいた。
順路と書かれた案内に従い、五人はゆっくり歩いた。
見慣れたコンサス州の平原を描いた絵があった。畑の間を細い道が延び、遠くには小さな家々が見える。
その隣は砂漠だった。
さらに進むと、険しい山々を描いた大きな絵があった。
雪の積もった峰を眺めていたレオは、ふと目を細めた。
山の上を飛ぶドラゴンの翼が、動いたように見えた。
「……この絵、動いてない?」
「魔法の絵の具で描いた魔法画だからね」
デイビッドが、当たり前のように答えた。
レオは、もう一歩近づいた。
ドラゴンが山を回り込み、こちらへ首を向ける。
口が開いた。
赤い炎が、目の前いっぱいに広がった。
「うわっ!」
レオは慌てて後ずさった。
背後で、マックスが声を上げて笑った。
「はははっ!初めて魔法画を見る子って、だいたいそうなるんだよ」
「大丈夫。ただの絵だから」
デイビッドに言われ、レオは恐る恐る見直した。
熱くもなければ、何も燃えていない。
ドラゴンは何事もなかったように、山々の上を飛んでいた。
「びっくりした……」
「わかっていても、近くで見ると驚くよね」
デイビッドはそう言ってくれたが、マックスはまだ笑っていた。
少し離れたところでは、ボブとアリアが別の絵に見入っていた。
暗い空の下、白い波が荒れ狂っている。
大きく傾いた船が波の谷へ沈み、次の瞬間には舳先を持ち上げていた。甲板を水が流れ、帆が激しく揺れる。
見ているだけで、船に乗っているような落ち着かない気分になった。
「『嵐の夜のブラックレイク』だ。王国でも有名な傑作だよ」
マックスが、今度は真面目な顔で言った。
「湖なのに、こんな波が立つんだね」
「大きな湖だからね。荒れた日は、海みたいになるらしいよ」
アリアがマックスを見た。
「絵にも詳しいのね」
「カリオナの商人の家では、小さい頃から美術品のことも勉強するんだ」
答えたのはデイビッドだった。
「大切な商品の一つだから。絵の価値がわからないと、困ることもあるしね」
「二人とも、もう商人の勉強をしてるんだ」
レオが言うと、マックスは肩をすくめた。
「僕は、値段を覚えるより見る方が好きだけどね」
*
風景画の次は、魔物を描いた部屋だった。
壁にはさまざまな魔物の絵が掛けられていたが、ひときわ人が集まっている場所があった。
部屋の中央に、大きな黒いドラゴンの絵があった。
山頂の巣に、体を丸めて眠っている。黒い鱗の一枚一枚が、照明を受けて鈍く光って見えた。
レオが前に立つと、ドラゴンが目を開いた。
ゆっくり首を持ち上げ、翼を広げる。
そのまま飛び立ち、こちらへ向かって炎を吐いた。
レオの肩が、また跳ねた。
「魔法画、魔法画」
デイビッドが、レオの背中を軽くたたいた。
「わかってるけど……」
横を見ると、ボブもアリアも目を丸くしていた。
「これも傑作だよ。五大ドラゴンの一体、黒龍ケルタウス」
マックスが絵の下にある説明を指した。
「姿を直接見た者は、生きて帰れないとまで言われているんだ」
「じゃあ、どうやって描いたの?想像?」
アリアが尋ねた。
「大魔法画家のミケラントゥスが、ヴィジョン魔法で遠くから見て描いたそうだよ。ところが、このドラゴンは、その魔法に気づいたらしい」
絵の中のケルタウスは、こちらをにらみつけたまま羽ばたいていた。
「それで、画家を襲おうと飛んでくるところまで描かれたんだって。本人は驚いて、何日も地下室に隠れていたらしいよ」
「それでも絵は描いたんだ」
「そこは画家だからじゃない?」
マックスの返事に、アリアは感心したような、呆れたような顔をした。
レオはもう一度、絵を見上げた。
近づきすぎないよう、今度は少し離れて眺めた。
*
次の部屋へ入った途端、ボブの顔が明るくなった。
「精霊の絵だ!」
きょろきょろと周りを見渡し、何かを見つけたらしい。
一枚の絵の前へ駆け寄ると、両手を組んで見上げた。
「大精霊アフロシアか」
後ろからついてきたマックスが言った。
「あ、これが……」
レオは、トピアで双子がしていた会話を思い出した。
絵の中には、緑の光をまとった美しい精霊がいた。
木の葉を重ねた衣を揺らしながら、森の中をふわふわと飛んでいる。ときどきこちらを向き、優しく笑いかけた。
ボブは、すっかり見とれていた。
レオも少し照れくさくなり、隣の絵へ目を移した。
そちらでは、弓を持ったケンタウロスが平原を駆けていた。
たくましい腕を振り上げ、こちらを向いて豪快に笑う。さっきの精霊とは、ずいぶん雰囲気が違った。
「ほら、次へ行くわよ」
アリアがボブの腕を引いた。
「もう少しだけ」
「さっきから、そればっかりじゃない」
ボブは未練がましく振り返りながら、妹に引かれていった。
*
人物画や静物画の部屋を通り、五人は奥の展示室へ入った。
「ここ、僕が一番好きなところなんだ」
マックスが嬉しそうに言った。
入口には『異世界画』と書かれていた。
「前の生の記憶を持つ画家が描いたものや、別の世界から次元を漂って流れ着いたものがあるんだって」
「別の世界から、絵が?」
レオは入口の説明を読み直した。
「そう言われてる。ただ、父さんは、ほとんどが作り話で、想像して描いただけだろうって言ってるけどね」
「そうなんだ」
「お客さんに売るときには、本物の異世界を描いた作品です、って説明してるけど」
「それ、言っていいの?」
アリアが聞くと、マックスは少し笑った。
「父さんには内緒にして」
レオは、近くの絵へ目を向けた。
四角い箱を積み重ねたような建物が、隙間もないほど並んでいた。
どれも、王都の屋敷よりはるかに高い。
その下の道を、魔力自動車に似た乗り物が、列を作って走っている。
隣の絵には、大きな翼を持つ、細長い乗り物が描かれていた。
鳥のようだが、羽ばたいてはいない。胴体には小さな窓がいくつも並び、その内側に人が座っているように見えた。
「これも、空を飛ぶ乗り物なのかな」
「そうじゃない?窓があるし」
ボブも顔を近づけた。
さらに奥には、細長い塔のような物が、底から炎を噴き出して空へ昇る絵があった。
レオは目で追ったが、それはどこまでも上がっていった。
もう一枚には、人の形をした大きなゴーレムのようなものが描かれていた。
左手に盾、右手には光る剣を持ち、空を飛びながら戦っている。
「これ、強そうだね」
ボブが身を乗り出した。
レオもうなずいた。
どの絵にも、見たことのないものばかりが描かれていた。
本当にこんな世界があるのだろうか。
もし全部が想像だとしても、何を考えたら、こんなものを思いつけるのだろう。
レオはしばらく、その絵の前から動けなかった。
*
画廊を出た五人は、再び王都営馬車へ乗り込んだ。
三十分ほど揺られ、次に降りたのは大きなドーム屋根の建物の前だった。
「ここが王立音楽堂」
マックスに続いて入口へ向かい、学生証を見せた。
「次のご入場まで、待合室でお待ちください」
係の人に案内され、五人はしばらく待った。
やがて扉が開き、ほかの客たちと一緒に中へ入った。
舞台は中央にあり、それを取り囲むように客席が並んでいた。舞台の真ん中だけが、一段低くなっている。
席に着くと、レオは周りを見回した。
楽器らしいものが、どこにもなかった。
ほどなくして、舞台へ案内役が上がった。
「本日はご来場ありがとうございます。それでは、魔法演奏の名手、シュマイト氏をお迎えください」
案内役が下がると、低くなっていた床がゆっくり持ち上がった。
その上に、一人の男性が立っていた。
シュマイトは客席の四方へ挨拶をし、少し間を置いてから両腕を広げた。
指先が、白く光った。
光は黄色になり、青くなり、赤くなった。やがて幾つもの色が混ざり合い、それと同時に音楽が聞こえ始めた。
レオは思わず、周りを見た。
近くにも、舞台の後ろにも、楽器を持つ人はいなかった。
シュマイトが腕を振ると、弾むような音が続いた。指を軽く動かすと、その上に細かな音が重なる。
音楽に合わせて踊っているように見えたが、逆なのかもしれない。
彼が動くことで、音楽が生まれているのだ。
曲は少しずつ速くなった。
明るい音が客席の周りを行き交い、レオもいつの間にか頭で拍子を取っていた。
シュマイトが大きく一歩踏み出すと、低い音が足元から響いた。
胸の辺りまで震えるようで、レオはつい笑ってしまった。
やがて動きがゆっくりになり、音が一つずつ減っていった。
最後の響きが消える。
シュマイトの両手からも、光が消えていた。
誰も、まだ拍手をしなかった。
しばらくして、彼の指先に淡い光が戻った。
今度は、静かな旋律だった。
先ほどまでの軽快な曲とは違い、一つの音が長く、ゆっくり続いた。レオは背もたれに体を預け、耳を澄ませた。
目を閉じている客もいた。
隣のアリアも、じっと舞台を見ている。
柔らかかった音楽は、いつの間にか厚みを増していた。
シュマイトの腕の動きが大きくなる。いくつもの旋律が重なり、速さを増しながら、一つの曲になって進んでいった。
レオは息をつくのも忘れて見ていた。
最後に、シュマイトが両腕を高く上げた。
強い音が音楽堂を満たし、彼の全身から花火のような光が広がった。
音が止まった。
一瞬遅れて、客席が大きな拍手に包まれた。
立ち上がる人につられ、レオも席を立った。シュマイトは息を弾ませながら、何度も頭を下げていた。
*
「すごい演奏だったわね。噂には聞いていたけど、あれほどだとは思わなかった」
音楽堂を出てからも、アリアは興奮した様子だった。
「うん。耳だけじゃなくて、体でも聞いてるみたいだった」
レオは、胸の辺りへ手を当てた。
まだ少し、低い音が残っているような気がした。
「そんなに?僕は最初の速い曲がよかったけど」
ボブが言った。
「最後まで、ああいう曲ならよかったのに」
「静かなところもよかったでしょう」
「眠くならなかった?」
「あなたと一緒にしないで」
二人のやり取りを聞きながら、レオはもう一度、振り返り、音楽堂を見た。
魔法で、あんなこともできる。
教室で習う魔法や、魔法決闘とは、まるで違っていた。
「さて。そろそろ食事にしようか」
デイビッドの一言で、ボブの顔がぱっと明るくなった。
「賛成!」
「その返事だけは早いね」
マックスが笑った。
*
近くの食堂で昼食を取ったあと、五人はカインハスト記念公園へ向かった。
王都で一番大きな公園だという。
広い芝生と木立の間を道が通り、家族連れや散歩をする人たちが、ゆっくり歩いていた。
その向こうに、白い動物の姿が見えた。
「ユニコーンだ」
レオは足を止めた。
額から長い角が伸びている。何頭かが草を食べ、一頭は木陰で休んでいた。
人が近くを通っても、顔を上げようとしない。
「ここのユニコーンは、人にはあまり興味がないんだ」
マックスが言った。
「でも、あれには興味がある」
少し先で、アリアが小さな袋を持っていた。
売店で買ったユニコーン用の餌だった。
袋を開けた途端、それまで知らん顔をしていた一頭が、こちらへ歩いてきた。
「ずいぶん正直だね」
デイビッドが言った。
アリアは手のひらに餌を載せ、ユニコーンの前へ差し出した。
柔らかな鼻先が近づき、餌がなくなった。
「レオも触ってみたら?」
「いいの?」
「食べてる間なら、大丈夫みたい」
レオはそっと首へ手を伸ばした。
思っていたより、ずっと柔らかかった。
毛並みに沿ってなでると、ユニコーンは一度だけ耳を動かした。レオのことより、アリアの持つ袋が気になるらしい。
「ふかふかだ……」
ボブも隣から手を伸ばした。
餌がなくなるまで、ユニコーンはおとなしく触らせてくれた。
最後の一口を食べ終えると、もう用はないというように、芝生の方へ戻っていった。
「あ、行っちゃった」
「本当に、餌だけだったね」
空になった袋を見て、アリアが笑った。
そのあとは木陰で休み、行き交う人やユニコーンを眺めて過ごした。
*
帰りの馬車では、ボブが窓に頭を寄せて眠っていた。
アリアが、曲がるたびにずり落ちそうになる兄の肩を引き戻している。
学校前で馬車を降りると、寝起きのボブが大きく伸びをした。
「もう着いたの?」
「ほとんど寝てたじゃない」
アリアが呆れたように言った。
マックスはレオの隣へ来ると、顔をのぞき込んだ。
「どうだった?」
「うん。本当に楽しかった」
レオはうなずいた。
「誘ってくれて、ありがとう。馬車代も」
「どういたしまして」
「昼食は僕なんだけど」
デイビッドが言うと、レオは慌ててそちらへ向き直った。
「うん。デイビッドも、ありがとう」
五人はそろって正門をくぐった。
動く絵に、魔法の演奏に、ユニコーン。レオにとって、初めてのものがたくさんある一日になりました。




