第五章 初授業
授業が始まりました。自然魔法には慣れているレオですが、初めて学ぶ魔法には苦戦することもあるようです。
入学式の翌朝、学級の編成表が掲示された。
二百人の新入生は、五十人ずつ四つの学級に分けられていた。出身地も書かれた名簿を見ると、どの学級も王都出身者と地方出身者が半分ずつになっているようだった。
コンサス州とカリオナ州の出身者は、全員一組だった。
「また一緒だね」
レオが言うと、ボブは名簿を指でたどりながらうなずいた。
「アリアもいるし、マックスとデイビッドもいる」
「知ってる顔がいるのは、助かるわね」
アリアが時間割に目を移した。
「最初は、中級自然魔法概論だって」
五人はそろって、最初の授業が行われる講義室へ向かった。
*
「自然魔法を担当する、マリー・フォレスネです」
教壇に立ったのは、つばの広い魔女の帽子をかぶり、ローブをまとった中年の女性だった。
「この授業は、まったく新しい魔法を覚えるためのものではありません。皆さんが初級学校で学んだ初級自然魔法を磨き、職業魔法使いとして使える水準まで高めることを目指します」
マリーは片手を上げた。
その上に、小さな水の塊が浮かぶ。
「水を生み出す。火をつける。風を起こす。ここまでは、皆さんも習いましたね」
水の塊が消え、今度は小さな炎が灯った。
「では、その水に圧力をかけ、勢いよく放ったら?炎をひと塊にして飛ばしたら?気圧の差を調整し、上昇気流を生み出したら?」
炎が消えると、教卓に置かれた紙の端が、風でふわりと持ち上がった。
「水砲は消火活動に、火球は戦闘に、上昇気流は飛行魔法に応用できます。基本は同じでも、使い方によって、できることは大きく変わるのです」
レオは机に置いたノートを開いた。
「まずは、水に圧力をかけ、水砲を放つ方法から学びましょう」
マリーは再び水を生み出し、両手の間に浮かべた。
水を魔力で包み、周囲から均等に圧力をかける。それを保ったまま、放ちたい方向の一点だけ圧力を解けば、水はそこから勢いよく噴き出す。
言葉にすれば短いが、マリーは手順を細かく分けて説明した。
水の量を一定にすること。
形を整える力と、押さえ込む力を混同しないこと。
放つ瞬間も、ほかの部分を支える魔力は緩めないこと。
レオは説明を聞きながら、何度もノートへ書き込んだ。
独学で身につけたことと重なる部分もあった。けれど、何となくできていたことにも、きちんと理由がある。
なぜ形が崩れるのか。なぜ余計な魔力を使ってしまうのか。
マリーの説明を聞いていると、これまで練習中に感じていた疑問まで整理されていくようだった。
授業の終わりを告げる鐘が鳴った。
「初めは、思うようにいかないでしょう。でも、慣れれば皆さんにも使える魔法です。皆さんは、この王立魔法学園に合格した、王国でも有数の秀才なのですから」
マリーは水を消し、教卓に手を置いた。
「二時限目は実習です。休憩のあと、魔法実習場へ移動してください」
*
「水砲と火球は、ちゃんと使えるようになりたかったんだ」
実習場へ向かう途中、マックスが言った。
「決闘でも使えるし、覚えて損はないからね」
「マックスは戦闘魔法が好きなんだね。将来は戦闘魔法使いになるの?」
「いや。実用魔法をひと通り身につけて、魔法商人になるつもりだよ」
「え?」
思っていなかった答えに、レオは聞き返した。
隣を歩いていたデイビッドが補足する。
「こいつ、戦うのは好きだけど、家が魔法商人だから」
「ああ、家の仕事を継ぐんだ」
「商人だって、戦闘魔法くらい使えた方がいいだろ」
マックスは笑った。
「せっかく運んだ商品を、盗賊に全部持っていかれたら困るからね」
*
魔法実習場は、広い円形の施設だった。
床一面に青い魔法陣が描かれ、その前方には、大きな白い石碑が並んでいる。石碑の上部には、丸い的があった。
学生たちは五人ずつ、十列に分かれた。
「魔法は理論が大切です。ただし、理論を知っているだけで、実際に使えなければ役に立ちません」
マリーは学生たちの前を歩きながら言った。
「先ほど学んだ手順に従って、水砲を放つ練習をします。では、最初の列から前へ」
五人が進み出た。
「まず、水を生み出し、両手の間に浮かべてください」
学生たちの手の間に、水の塊が現れた。
そのうちの一つが、すぐに床へ落ちた。
「あっ」
「慌てなくていいですよ。もう一度作って、今度はその場所に保つことに集中してください」
声をかけられた学生は、唇を結んでやり直した。今度は何とか浮かんでいる。
「では、周囲から圧力をかけます。上下左右、どこか一方だけが強くならないように。水の塊を、球に近づけていきましょう」
水が細長く伸びた。
別の学生の水は、一部が飛び出し、しぶきになって散った。
「初めからできないのは、当たり前です。説明を聞いただけで全員できるなら、私の出番がなくなってしまいますからね」
マリーは一人ずつ手元を確かめ、魔力をかける場所や強さを直していった。
それでも、すぐにきれいな球を作れる学生は少なかった。
やがて、五列目の順番になった。
レオはボブたちと前へ出た。
「それでは、水を作ってください」
レオは両手の間に、一リットルほどの水を浮かべた。
「……そちらは、ずいぶん多いですね。お風呂にでも入るつもりですか?」
顔を向けると、マリーがボブの手元を見ていた。
ボブの前には、ほかの学生の五倍ほどの水が浮いていた。
「今回は、そんなに必要ありません。量が多いと、その分だけ制御も難しくなります。少し減らしましょう」
「あの……作った水って、どうやって減らせばいいんですか?」
「では、一度下ろしてから、作り直してください。一リットルほどで十分です」
「はい」
ボブは作り出した水を床に落とし、もう一度やり直した。
こぼれた水は、すぐに床へ吸い込まれていった。
レオはその手元を見た。
さっきよりは少ない。
ただ、自分の水と比べると、まだかなり多かった。
「……少し多いですが、ひとまず進めましょう。周囲から圧力をかけて、丸く整えてください」
レオは水を魔力で包んだ。
まず形を保ち、そこから少しずつ力を加えていく。
どこか一か所だけを強く押さないように気をつけると、揺れていた水が、なめらかな球になった。
「レオ君。いいですね。その形です」
マリーがうなずいた。
「ボブ君は……やはり量が多いようですね」
ボブの水は上下につぶれ、横に長く伸びていた。
「マックス君とデイビッド君は、力のかけ方をもう少し均等にしましょう。アリアさんは、なかなかいいですよ」
アリアの水は、多少ゆがみながらも球に近い形を保っていた。
一方、マックスとデイビッドの水は、あちこちが尖っていた。レオには、大きな金平糖のように見えた。
「では、三人が形を整えている間に、アリアさん。前方の一点だけ、圧力を解いてみてください」
「はい」
次の瞬間、水が四方へ弾けた。
「きゃっ!」
制服の前が、すっかり濡れてしまった。
アリアは両手を浮かせたまま、自分の服を見下ろした。
「おやおや。一点だけを開けるつもりが、ほかのところまで緩んでしまいましたね。少し待っていてください」
マリーが両手を上げた。
左手が赤く、右手が緑に光る。
温かな風がアリアを包み、濡れた髪と服を乾かしていった。
「ありがとうございます……」
「次は、もう少し弱い圧力で試しましょう。では、レオ君」
「はい」
レオは水の球へ意識を戻した。
圧力は、そのまま保つ。
前方の石碑に描かれた的を見て、そちらに向いた部分へ、小指より少し細い穴を開けるつもりで力を緩めた。
細い水流が、勢いよく飛び出した。
水はまっすぐに進み、的の中央を打った。
途端に、石碑が黄色と青色に点滅した。
『十点、十点、十点――』
甲高い音が実習場に響いた。
レオは驚いて手を下ろした。
マリーが石碑へ軽く手を振ると、光も音も止まった。
「……まだ、的に当てるところまでは言っていなかったのですが」
「す、すみません」
「いえ。謝らなくていいんですよ」
マリーはレオの手元と石碑を見比べた。
「レオ君は、水砲を習ったことがありますか?」
「いいえ。今日、初めて教わりました。説明していただいたとおりに、やってみたんですけど……」
「そうですか」
マリーは少し黙ったあと、隣へ視線を移した。
「では、あなたはもう十分です。お友達を少し手伝ってもらえますか」
ボブは大きな水の塊を前に、真剣な顔をしていた。
マックスとデイビッドも、まだ水の形と格闘している。
レオはまず、ボブの横へ移動した。
「ボブ、下から押す力が少し強いのかも」
「下?」
「うん。そのまま、少しだけ弱めてみて」
ボブの水が揺れた。
横長だった形が、今度は縦に伸びる。
「あれ?」
「……今度は、弱めすぎたかな」
二人で手元を見つめていると、隣からアリアの声がした。
「レオ。あとで、私にも教えて」
「うん」
最後の列まで指導が終わったところで、鐘が鳴った。
「繰り返しますが、今日一度でできないのは、自然なことです」
マリーは学生たちを見渡した。
「今日お話しした要領を忘れず、毎日少しずつ練習してください。まずは水の形を安定させるところから。それでは、本日の実習を終わります」
*
午後の授業は、召喚魔法基礎だった。
「召喚魔法は初級学校では扱いませんので、皆さんの多くには、なじみがないと思います。早くから専門の教育を受けていた方を除けば、ですが」
召喚魔法担当のマチルダ教授は、教壇から学生たちを見渡した。
「午前中に担当した学級にも、すでに召喚魔法を使える学生がいました。ただし、ごく少数の学生に合わせて授業を進めるわけにはいきません。この授業では、全員が初めて学ぶものとして、基礎から説明します」
「誰だろう?」
ボブが小声で言った。
「さあ……」
レオが答えると、マックスが少し顔を寄せてきた。
「昼に聞いたけど、あの次席の子だってさ。エマとかいう、愛想のない子」
「入学式で証書をもらってた子?きれいな子だったね」
「顔はね。でも、ずっとつんとしてるじゃないか」
「あんたには言われたくないと思うわ」
アリアが横から言った。
マックスが口を閉じる。
ボブが吹き出し、つられてレオも笑ってしまった。
「そちら。授業に集中してください」
マチルダが、こちらを見ていた。
「すみません」
レオとボブは慌てて前を向き、座り直した。
「召喚魔法は、ほかの魔法とは異なる手順を必要とします」
マチルダは黒板に大きな円を描いた。
「多くの魔法は、魔力を操作したり、呪文を唱えたりすることで発動できます。しかし、召喚魔法には、精密な魔法陣、そこへ注ぐ魔力、そして魔法陣に対応した詠唱が必要です」
大きな円の内側に、小さな円が加わる。
「必要な魔力は、召喚するものによって変わります。強力なものを呼び出すほど、魔法陣は大きく、精密になり、詠唱も長く複雑になります。当然、魔力の消費量も増えます」
レオは黒板に描かれていく図形を書き写した。
「皆さんにはまず、魔法陣の原理と、それに対応する呪文を学んでもらいます。今学期の目標は、伝書鳩を召喚することです」
伝書鳩、とレオはノートの隅に書いた。
「召喚魔法陣の基本は円です。外側の大きな円と、その内側に配置する小さな円によって、何を召喚するのかを定めます。さらに、それらを結ぶ円や図形で、召喚するものの性質を細かく指定します」
最初は、ただの複雑な模様に見えた。
だが、説明を聞くにつれて、円の位置にも、線のつながりにも意味があることがわかってきた。
わかってはきたが、一度聞いただけでは覚えきれない。
黒板を見て、ノートへ写す。
説明を聞き、さっき写した図に注釈を書き足す。
その間にも、次の話が始まってしまう。
召喚魔法使いは、魔法使いの中でも特別な存在だといわれていた。
膨大な知識に加え、強力な召喚には、生まれ持った魔力量も必要になる。魔法を学ぶ者にとって、憧れの職業の一つだった。
レオも、その名前は知っていた。
ただ、実際に何を学ぶのかは、ほとんど知らなかった。
基礎の授業で、これほど難しいとは思わなかった。
これを理解して、もう召喚までできるなんて。
ふと、入学式で見た金髪の少女を思い出した。
まっすぐこちらを見ていた、あの目。
きれいな顔だったな、と考えたところで、レオは自分の頬が少し熱くなったことに気づいた。
小さく首を振り、黒板へ目を戻す。
ノートには、書きかけの円が残っていた。
*
初日の授業がすべて終わった。
夕食までは、三時間ほどある。
「遊戯室に行かない?」
マックスが誘った。
「今日は図書館に行こうと思って」
「さっきまで授業だったのに、まだ勉強するの?」
「召喚魔法で、わからないところがあったから」
「真面目だねえ。じゃあ、僕たちは遊んでくるよ」
マックスとデイビッドは、遊戯室へ向かった。
「僕たちはカフェテリアに行くけど、レオも来ない?」
ボブに聞かれたが、レオは首を振った。
「ありがとう。でも、今日はやめておく」
「そっか。じゃあ、夕食で」
「本に夢中になって、食べ忘れないでよ」
アリアに言われ、レオは笑ってうなずいた。
中央図書館へ向かいながら、授業の内容を思い返した。
自然魔法なら、説明を聞いて頭の中で組み立てられた。
けれど召喚魔法は、知らない言葉も、初めて見る図形も多かった。このまま次の授業を受けて、ついていけるだろうか。
少しだけ、焦っていた。
*
「どのような本をお探しですか?」
図書館で司書に声をかけられ、レオは足を止めた。
「召喚魔法の基礎について、わかりやすく書かれた本はありますか?」
「ええ。こちらへどうぞ」
案内された書架には、召喚魔法の本がぎっしり並んでいた。
『召喚魔法概論』
『召喚魔法の定石』
『召喚魔法陣――その原理と構成について』
『召喚魔法の基礎の基礎』
さらに下の段へ目を移す。
『猿でもわかる召喚魔法』
『この一冊であなたも召喚魔法使い』
『大精霊召喚術』
レオは一冊ずつ手に取り、初めの数ページを確かめた。
同じ基礎の本でも、説明の仕方はずいぶん違う。最初から知らない言葉ばかり並んでいるものもあれば、図を使って丁寧に説明しているものもあった。
読んでいた本を戻し、隣の本へ手を伸ばしかけたとき、誰かの肩にぶつかった。
「あっ、すみません」
「いえ、こちらこそ……」
振り向いたレオは、その先を言えなくなった。
黒いドレスを着た、金髪の少女が立っていた。
エマだった。
腕には大判の本を抱えている。
エマは軽く会釈すると、近くの閲覧席へ向かった。こちらに何か言う様子もなく、椅子に座って本を開く。
レオは、ついその本を見てしまった。
文字はほとんどない。
見開きいっぱいに、円や線、さまざまな図形が重なっている。おそらく召喚魔法陣なのだろうが、授業で見たものより、はるかに複雑だった。
エマがページに手を置いたところで、レオは書架へ向き直った。
自分は、まず基礎からだ。
『召喚魔法の基礎の基礎』を抜き取り、エマの席からテーブルを一つ隔てた場所へ座った。
題名のとおり、本はごく初歩的な説明から始まっていた。
魔法陣の外側の円には、何の役割があるのか。
内側に描く図形は、どうしてその位置に置くのか。
授業で聞いた内容が、さらに細かく、順序立てて書かれている。
「ああ、そういうことか……」
レオは小さくつぶやき、ノートを取り出した。
ただ写しただけだった図を見ながら、説明を書き加えていく。
一つわかると、その次も読みたくなった。
ページをめくり、わからなくなれば少し戻る。授業のノートと見比べているうちに、時間のことは忘れていた。
鐘の音で、レオは顔を上げた。
夕食の時間だった。
気づけば、周りの席もほとんど空いている。
レオは読んでいた箇所を覚えておき、本を閉じた。ノートを片づけ、書架へ本を戻す。
そこで、ふとエマの席を見た。
まだ座っていた。
少し前かがみになり、大きな本の上へ視線を落としている。
司書がそばへ歩み寄った。
「閉館の時間です。お借りになるのでしたら、手続きをお願いします」
「いえ、大丈夫です。また明日、来ます」
エマが本を持って立ち上がった。
その拍子に、レオと目が合った。
レオは慌てて顔をそらした。
何となく、見ていたことを知られるのが気まずかった。
ノートを抱え直すと、そのまま図書館の出口へ向かった。
放課後も図書館で勉強するレオとエマ。二人とも、本を読んでいると時間を忘れてしまうようです。




