第三十章 二人の思い
ローゼンデール家を訪ねた翌朝、レオの苦しい一日が始まります。
泣いていると、誰かが袖の端を引いた。
レオが顔を上げると、ファントムがいた。
小さな前脚で、何かを差し出している。
「やる」
イモリだった。ファントムにつかまれたまま、短い足を動かしている。
レオはイモリを見て、それからファントムへ目を向けた。
「……どこに行ってたんだよ」
手を伸ばし、小さな体を抱き寄せる。
ファントムは嫌がらず、レオの腕の中に収まった。
*
レオは目を覚ました。
腕の中には、丸めた毛布しかなかった。
夢だった。
しばらく、そのまま横になっていた。
つらいとき、ファントムはそばにいてくれた。事情も知らずに変なものを持ってきたり、遊ぼうと服を引いたりした。それに気を取られているうちに、少し楽になることもあった。
困ったときには、助けてもくれた。
今、どこにいるのだろう。
ちゃんと食べているだろうか。けがなどしていないだろうか。
会いたかった。
レオは毛布を離し、ゆっくりと体を起こした。
着替えを済ませて宿舎を出ると、入口のそばにエマが立っていた。
その顔を見た途端、昨日、居間で言われたことがよみがえった。
「レオ……」
「エマ」
二人は、しばらく何も言えずに立っていた。
エマはレオの目元を見て、何か言いかけた。一度うつむき、それから顔を上げる。
「私、父を説得してみるから。ちゃんと話して、分かってもらうから……」
レオは答えられなかった。
そう言ってくれるのは嬉しかった。エマが自分を選んでくれていることも分かる。
けれど、話せば変わることなのだろうか。
どれほど勉強しても、魔法が使えるようになっても、生まれた家は変わらない。
エマと一緒にいたいと思うばかりで、その先のことは何も考えていなかった。
自分は、エマの隣にいてよい相手なのだろうか。
一緒にいることで、エマを困らせてしまうのではないだろうか。
何か言わなければと思いながら、レオは目を伏せた。
*
翌日も、その次の日も、エマは宿舎の入口で待っていた。
けれど、レオは何も言わず、その前を通り過ぎてしまった。
部室にも行かなくなった。
夕食はいつもの学生食堂を避け、職員食堂で一人で食べるようになった。
エマに会うのが怖かった。
何かを言われるからではない。顔を見れば、やはり一緒にいたいと思ってしまう。それなのに、エマの父親の言葉も忘れられなかった。
何も伝えずに避けるのは、よくない。
エマを傷つけているかもしれない。
分かっていても、会って何を話せばいいのか、レオには分からなかった。
*
数日後、騎士団から呼び出しを受けた。
レオは生徒会長のダイアナとともに、学園近くにある騎士団の事務所へ向かった。
案内された部屋では、一人の騎士が書類を広げて待っていた。
「忙しいところ、来てくれてありがとう。先日、王立魔法学園で起きた事件の捜査を担当している」
二人が名乗って挨拶をすると、騎士は向かいの椅子を勧めた。
腰を下ろしたところで、説明が始まった。
「数日前、王立剣術学園の倉庫で、リアム・オルソンという生徒の遺体が発見された」
「リアム・オルソン……。私たちの学園で事件を起こした生徒ですよね? どうして、剣術学園の倉庫に……?」
ダイアナが尋ねた。
騎士は一枚の書類を手元へ引き寄せた。
「魔法学園で死亡した襲撃者の遺体も調べた。その結果、あの者は、闇魔法でリアム・オルソンの姿に擬態した別人だと分かった」
「擬態、ですか?」
「ああ。本人を捕らえ、闇魔法で姿を写し取った後、殺害したのではないかと考えている。ただし、詳しい経緯はまだ調査中だ」
レオは膝の上で手を重ねた。
「では、襲撃者は何者だったのでしょうか?」
ダイアナの問いに、騎士は少し間を置いた。
「断定できる証拠はまだない。だが、いくつかの状況から、黒龍教徒である可能性が高いと見ている」
黒龍教。
レオは顔を上げた。
「連中が社会を混乱させるために、要人の暗殺などを企てることは考えられる。だが、今回は学園へ潜り込み、生徒を襲った。何を狙っていたのか、そこが分からない」
騎士は書類へ目を落とした。
「生徒になりすましてまで入り込んだのだ。目的もなく、あれほど危険な行動に出たとは思えない。我々が、まだつかめていないだけだろう」
レオは、リアムの姿をした男が剣を向けてきた瞬間を思い返した。
ほかの生徒たちに止められても、男はレオへ向かってきた。
考えても、答えは出なかった。
「今日来てもらったのは、調査で分かったことを伝え、今後も十分に注意してもらうためだ」
騎士は二人を見た。
「知ってのとおり、王国各地で黒龍教が関与すると見られる事件が起きている。非常令が出ている今、騎士団も各地への対応に追われていてね。学園内の警備にまで、十分な人員を回すのは難しい」
「では、学園の自警団で警戒を強める必要がある、ということですね」
「ああ。負担をかけるが、協力してほしい。ただし、不審な者を見つけても、生徒だけで無理に対処しようとはしないでくれ。教職員を通じて、すぐに知らせてもらいたい」
「承知しました。学園へ戻り次第、伝えます」
ダイアナが答え、レオもうなずいた。
*
説明を聞き終え、二人は騎士団の事務所を出た。
学園へ戻る道を歩きながら、レオは黒龍教のことを考えていた。
故郷の森を汚染し、シャドウドラゴンを呼び出して、トピアを襲った集団。
今度は、その者たちが学園にまで入り込んできた可能性があるという。
剣魔交流戦は、生徒同士が腕を競い合う行事だった。
そこへ他人になりすまして参加し、何をしようとしていたのだろう。
レオは隣を歩くダイアナへ目を向けた。
ダイアナも考え込んでいるようで、口を開かなかった。
学園の門が見えてきても、レオの疑問は晴れなかった。
*
宿舎へ戻ると、またエマのことが頭に浮かんだ。
このまま、いつまで避け続けるつもりなのだろう。
会いに来てくれているのに、話もせずに通り過ぎる。そんな自分が、ひどく卑怯に思えた。
けれど、どうすればいいのか分からなかった。
誰かに聞きたかった。
これから何をすればいいのか、教えてくれる人はいないだろうか。
父と母の顔が浮かんだが、すぐに首を横に振った。
家柄が釣り合わないと言われたことを、二人に話したくなかった。何も悪くない両親を、悲しませるだけのような気がした。
先生たちにも相談しづらかった。授業とは関係のない、こんな話をしてよいのだろうか。
考えているうちに、一人の顔が浮かんだ。
エステバン。
父親の望む道を離れ、冒険者として暮らしている人だった。
家の期待に縛られず、自分の好きなように生きているエステバンなら、何か教えてくれるかもしれない。
レオは机に向かい、便箋を取り出した。
短い挨拶の後に、エマとのことをつづった。
好きだと伝え合ったこと。家へ招かれ、父親に交際を認められないと言われたこと。
エマは父を説得すると言ってくれたのに、自分は会うのがつらくなって、避けてしまっていることも書いた。
書き終えると、思っていたより長い手紙になっていた。
レオは一度読み返し、封筒へ入れて送った。
*
返事が届いたのは、数日後だった。
レオは封を開き、便箋を広げた。
『 レオ、元気にしているか。エステバンだ。
お前が恋に悩むようになったとはな。少し大人に近づいたということだろう。まずは、おめでとうと言っておこうか。
好きな相手がいるのに、家柄を理由に一緒にいられないかもしれない。そんなことで悩むのは、つらいだろうな。
ただ、俺はこれでも名のある家の生まれで、同じ理由で交際を反対されたことはない。だから、お前の気持ちはよく分かる、なんてことは言わない。
それでも、お前より少し長く生きている先輩として、一つだけ言わせてくれ。
自分の気持ちには、正直でいろ。
周りにどんな障害があっても、好きな相手をそう簡単に諦めるな。
諦めた方が楽になることもあるだろう。だが、そのときは楽になっても、後になって、どうしてあのとき何もしなかったのかと、長く悔やむことになるかもしれない。
二人が本当に好き合っているなら、越えられる壁もある。俺は、そう信じたい。
頑張れよ。
それより、もうすぐ冬休みだろう?
休みに入ったら、また俺たちのパーティーに加わって、ダンジョンへ行かないか。
返事を待ってるぞ。
エステバン』
最後まで読み、レオは少し笑った。
こんな返事にまで、ダンジョンへの誘いが書いてある。
けれど、最初から読み返しているうちに、文字がにじんだ。
レオは目元をぬぐった。
家柄の問題を解決する方法は、どこにも書かれていなかった。
エマの父をどう説得すればよいのかも、分からないままだった。
それでも、何度も同じ箇所へ目が戻った。
自分の気持ちには、正直でいろ。
レオは、その一文を指でなぞった。
エマに会いたかった。
一緒に話して、食事をして、笑っていたかった。
その気持ちは、何も変わっていない。
エマは何度も会いに来てくれた。父親を説得すると言ってくれた。それなのに、自分は返事もせず、逃げてばかりいた。
明日は、ちゃんとエマの顔を見よう。
何を話すか、まだ決まっていなくても。
*
翌朝も、エマは宿舎の近くに立っていた。
一人ではなかった。
隣でウラジミルが何かを熱心に話している。けれど、エマは相づちも打たず、宿舎の入口を見ていた。
外へ出てきたレオに気づき、エマが顔を上げた。
「レオ……」
ウラジミルもこちらを向き、不満そうにレオをにらんだ。
レオは足を速めた。
エマが何か言おうと、口を開きかける。
その前に、レオはエマの前まで行き、腕を伸ばした。
抱きしめると、エマの体がわずかにこわばった。
「……ごめん」
顔を見られないまま、レオは言った。
「ずっと避けていて。会いに来てくれていたのに……」
エマは何も言わなかった。
けれど、少しして、レオの服をつかむ指に力が入った。
レオも腕を緩めず、そのままエマを抱きしめていた。
お読みいただき、ありがとうございます。問題は残ったままですが、レオはようやくエマに向き合います。




