第二十九章 家柄の壁
アリアに声をかけられたレオは、エマと二人で話すことにします。
剣魔交流会から数日後、シャーロットから手紙が届いた。
レオは差出人の名前を確かめ、封を開いた。
『 レオ・ライオンハート様
シャーロット・アルマニです。
先日の剣魔交流会では、ありがとうございました。
あなたの勇敢な姿を見て、お付き合いしたいと思うようになりました。
そこで、まずは一般的な手順に従い、デートにお誘いしたく、お手紙を書きました。
お受けいただけるのでしたら、お返事をいただけると嬉しいです。
シャーロット・アルマニ』
交流会の後に言われたことは、覚えている。けれど、まさか本当に、こんな手紙が来るとは思わなかった。
どう返せばいいのだろう。
*
夕食の席で、レオはシャーロットから届いた手紙について話した。
話を聞き終えると、アリアは困ったような顔でレオを見て、それからエマへ目を向けた。
「あんな可愛い子から誘われたのに、断る理由なんてあるか? 絶対、行った方がいいって」
ボブが言うと、アリアが鋭い目を向けた。
「僕も、行ってみればいいと思うよ。女の子の方から誘ってくれたんだし、断るのも失礼じゃないかな」
マックスの言葉に、デイビッドもうなずいた。
そのとき、椅子を引く音がした。
エマが立ち上がっていた。
「エマ?」
レオが声をかける間もなく、エマは食堂を駆け出していった。
みんなが黙り込んだ。
アリアはレオを見て、食堂の出口へ顎を向けた。追いかけて、と言っているようだった。
レオは慌てて席を立った。
食堂を出ると、女子宿舎へ向かうエマの姿が見えた。
「エマ、待って!」
駆け寄って声をかける。
「どうしたの? 何かあった?」
首を横に振ったエマは、臨時宿舎の方を指さした。
そのまま先に歩き始めたので、レオも後を追った。
入学前に使っていた臨時宿舎は、今は誰も泊まっていない。建物の裏へ回ると、人の姿もなく、遠くから生徒たちの声が聞こえるだけだった。
ほかの人には聞かれたくない話なのだろうか。
エマが立ち止まり、レオもその前で足を止めた。
しばらく、どちらも口を開かなかった。
「……このところ、何かあった? いつもと違うから、気になっていたんだけど」
エマはうつむいていた。
返事を待っていると、その頬を涙が伝った。
「エマ?」
エマは両手で顔を覆った。指の隙間から、涙がこぼれる。
「どうしたの? 何があったの?」
レオは慌ててハンカチを取り出した。
頬の涙をぬぐおうとすると、エマがそのハンカチを受け取った。目元へ押し当て、何度か息を整えている。
レオが次の言葉を探していると、不意にエマが近づいてきた。
胸元に額が触れ、背中へ腕が回される。
「好き……」
レオは動けなくなった。
「好きなの。レオ君のことが、ずっと……初めて見たときから、好きだったの」
初めて見たとき。
入学式で、こちらをじっと見ていたエマの顔が浮かんだ。
あのときは、にらまれていると思っていた。
「僕も……」
声がうまく出ず、レオは一度、息を吸った。
「僕も、エマが好きだよ。でも、エマも僕を好きでいてくれるなんて、思わなかったから……」
エマの腕に力がこもった。
「……うそ」
「うそじゃないよ」
「私のことが好きなら、どうして、ほかの女の子とデートしたいの?」
「いや、まだ行くと決めたわけじゃないよ。」
エマが少し体を離した。
涙の残る目で、レオをまっすぐに見つめる。
「それなら、その子には、ちゃんと伝えてほしい」
「……うん」
「私と、正式に付き合ってほしいの」
「正式に……付き合う?」
レオが聞き返すと、エマはうなずいた。
「約束して」
付き合うというのは、何をすることなのだろう。
まだ、よく分からない。
けれど、エマと一緒にいたいという気持ちなら、はっきりしていた。
「僕、何をどうすればいいのか、まだよく分からないけど……。うん。エマと付き合いたい」
エマはようやく、少し笑った。
その顔を見ていると、レオもたまらなく嬉しくなった。ためらいながら腕を伸ばし、今度は自分からエマを抱きしめる。
エマも、レオの背中へ腕を回した。
何を話せばいいのかは、もう考えなかった。
しばらく、このままでいたかった。
*
「レオ。父に、一度会ってもらえないかな」
翌日、エマが言った。
「エマのお父さんに?」
「うん」
家へ招かれるということだろうか。
少し緊張したが、エマがこちらを見て返事を待っている。
「……エマがそうしてほしいなら。会うよ」
「ありがとう」
エマはほっとしたように笑った。
*
週末の朝、レオは学園の前で、エマの家の魔力自動車に乗った。
向かいの席にエマが座る。車が動き出すと、レオは膝の上で両手を重ねた。
母に仕立ててもらった服は、出かける前に何度も確かめてきた。それでも、襟が曲がっていないか気になった。
「緊張してる?」
「少し……。何を話せばいいのかな」
「いつもどおりでいいのよ」
そう言われても、簡単には落ち着かなかった。
車は王城へ向かい、その周囲を回る道へ入った。城を通り過ぎると、北の塔へ続く大通りを進んでいく。
やがて、窓の外には大きな屋敷が目立つようになった。
立派な門や、手入れの行き届いた庭が次々に過ぎていく。その中でも、ひときわ高い塀に囲まれた門の前で、車が止まった。
少し待つと、門が左右へゆっくり開いた。
車が中へ入る。
道の両側には、高い木々が並んでいた。庭というより、森の中を走っているようだった。
しばらく進むと木立が途切れ、色とりどりの花が植えられた花壇が現れた。その奥に、大きな屋敷が見える。
レオは窓へ顔を寄せた。
門を入ってから、まだこれほど先があったのか。
屋敷の前で車が止まり、二人は降りた。
エマが入口へ近づくと、扉が青白く光り、静かに開いた。
中では、きちんとした服を着た男性と、メイド服の女性が待っていた。
「お帰りなさいませ、エマ様」
男性が頭を下げ、続いてレオへ向き直った。
「レオ・ライオンハート様ですね。初めてお目にかかります。旦那様と奥様が、お待ちです」
「よろしくお願いします」
レオも慌てて頭を下げた。
男性の案内で廊下を進む。
屋敷の中央にある、飾りの施された大きな扉が開かれた。
広い居間だった。
中央のテーブルを囲むようにソファが置かれ、そこに男女が座っていた。二人とも、エマとレオを見ると立ち上がった。
レオはエマの隣で足を止めた。
「初めまして。レオ・ライオンハートです」
「よく来てくれた。エマの父、クリストファー・ローゼンデールだ」
差し出された手を、レオは握った。
「こんにちは、レオさん。学園祭ではお会いしましたね。エマの母の、アンネ・ローゼンデールです」
「はい。その節は、ありがとうございました」
アンネは穏やかに笑った。
「どうぞ、座って」
両親が腰を下ろし、レオとエマも向かいのソファへ座った。
間もなく、先ほどの女性が飲み物と菓子、切り分けた果物を運んできた。
*
初めは、学園での暮らしについて尋ねられた。
授業はどうか。宿舎で不便はないか。部活動では、どんな練習をしているのか。
レオが答えに詰まると、エマが隣から言葉を添えてくれた。
「剣魔交流戦の話は聞いているよ。不幸な事件もあったが、よく対処したそうだね。学園初の優勝にも、大きく貢献したと聞いている」
「僕だけではありません。先輩たちや、エマに守ってもらえたからです」
「エマも、君のことをずいぶん褒めていたよ」
アンネが言うと、エマは少し照れたように目を伏せた。
レオも笑った。
来る前に心配していたほど、怖い人たちではないのかもしれない。
そう思い始めた頃、クリストファーがカップを置いた。
「レオ君。ここからは、少し真面目な話をしたい。いいかな」
「……はい」
声の調子が変わった。
レオは背筋を伸ばした。
「エマは、君たちの学園に通う、普通の女の子とは少し違う。特別な子なのだよ」
「はい。僕も、そう思います」
クリストファーはうなずいた。
「王国でも指折りの家に生まれ、何一つ不自由なく育ってきた。幼い頃から優れた家庭教師をつけ、勉学も魔法も学ばせている。エマは、私たちの期待によく応えてくれた」
エマは黙って父を見ていた。
「親の私が言うのも何だが、容姿にも恵まれている。自慢の娘だ」
「はい」
レオはうなずいた。
それは、自分もよく知っている。
エマは魔法に詳しく、成績もよい。何より、レオにとって大切な女の子だった。
「だからこそ、私は、この子にふさわしい相手と付き合い、やがては結婚してほしいと願っている」
レオは膝の上の手を動かした。
クリストファーは、そのまま続けた。
「もちろん、君が優秀なのは知っている。王立魔法学園に首席で入学し、卒業後は親衛魔法騎士団へ進むと聞いた。将来のある青年だと思っているよ」
「ありがとうございます」
「だが……」
その一言で、レオは顔を上げた。
「どれほど優秀でも、家柄まで変わるわけではない。失礼ながら、ライオンハート家の名は、これまで耳にしたことがない」
レオの指が、膝の上で止まった。
「将来、このローゼンデール家を継ぐエマが、君と交際することを、私は認められない」
「お父様!」
隣で、エマが立ち上がった。
「エマ。座りなさい」
「こんなことを言うために、レオを呼んだの?」
先ほどまでとは違う、強い声だった。
レオはエマを見上げた。
「最後まで話を聞きなさい。お前のために――」
「レオは……レオは、私にとって、誰よりも特別な人なの! そんなレオと別れて、家柄がいいというだけで、ウラジミルみたいなろくでもない子と無理やり付き合えっていうの?」
エマの声が震えた。
目から涙がこぼれ、エマは顔を背けた。
「エマ」
アンネが呼びかけたが、エマは振り返らなかった。
そのまま居間を駆け出していく。
扉が閉まると、部屋の中は静かになった。
レオは立ち上がりかけたが、どうすればよいのか分からず、ソファへ座り直した。
追いかけていいのだろうか。
それさえ、今は聞かなければならない気がした。
「……レオさん」
アンネが口を開いた。
「私も、あなたが特別な才能を持った、立派な方だということは分かっています」
レオは返事をしなかった。
「ただ、歴史のある家には、その家なりの事情があるのです。誰とお付き合いするかも、身分の低い貴族や、庶民の方々のように、自由には決められません。どうか、分かってください」
レオはうつむき、顔へ手を当てた。
どこを見ていればよいのか、分からなかった。
エマが好きだと言ってくれた。
自分も、エマが好きだと伝えた。
それだけで、よいのだと思っていた。
クリストファーが話を継いだ。
「あと二年で、エマは十五歳になる。成人の儀を済ませれば、慣例に従って、ふさわしい家の子息と婚約を結ぶことになる」
レオは黙って聞いていた。
「すでに、多くの名門から縁談が寄せられているのだ。今、君がエマと親しくすることは、この子のためにならない」
「……分かりました」
声がかすれた。
レオは手を下ろし、立ち上がった。
「僕が、身の程をわきまえていなかったんですね」
クリストファーが何か言おうとした。
けれど、レオはもう、顔を見ることができなかった。
「失礼します」
頭を下げ、扉へ向かった。
「待ちなさい、レオ君」
後ろから声がした。
聞こえていたが、足は止まらなかった。
*
廊下へ出ると、そのまま屋敷の入口へ向かった。
誰かに声をかけられた気がしたが、答えられなかった。
外へ出る。
車で通ってきた道を、レオは走った。
花壇を過ぎ、木立の中へ入る。
行きは窓から眺めているだけだった道が、ひどく長かった。
息が苦しくなっても、立ち止まりたくなかった。
やがて門が見えた。
そばにいた警備の男が、駆けてきたレオを見て顔を上げる。
「お帰りですか?」
「はい……。開けてください」
門が開くのを待ち、レオは外へ出た。
南へ向かって歩き始めたが、もう走る力は残っていなかった。
息を整えながら、足元を見て歩く。
何を考えても、先ほどの言葉に戻ってしまった。
エマのためにならない。
自分がそばにいることが、エマの邪魔になる。
レオは唇を結び、歩き続けた。
しばらくすると、横へ魔力自動車が近づいてきた。
レオの少し先で止まり、扉が開く。
屋敷で迎えてくれた男性が、急いで降りてきた。
「レオ様。どうぞ、お乗りください」
レオは足を止めた。
「学園まで歩いてお帰りになるのは、無理がございます。お送りいたします」
「……ありがとうございます」
今度は、断る気力もなかった。
車へ乗り、座席に腰を下ろす。
レオは窓の外を見たまま、学園へ着くまで何も話さなかった。
*
宿舎へ戻り、自分の部屋の扉を閉めた。
数歩進んだところで、涙がこぼれた。
手でぬぐっても、次々に落ちてくる。
レオはベッドへ腰を下ろし、両手で顔を覆った。
父と母の顔が浮かんだ。
領地もなく、お金にも困っていた。それでも、レオが学べるようにと、できる限りのことをしてくれた。
四年間、首席を取り続けろと言われたなら、そのために勉強する。
エマを守るためにドラゴンと戦えと言われたなら、怖くても、立ち向かおうと思える。
けれど、生まれた家だけは、どれほど努力しても変えられなかった。
父と母の子であることを、恥ずかしいと思いたくもなかった。
枕へ顔を押しつけても、涙は止まらなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。二人の気持ちだけでは済まない、家柄の問題に直面しました。




