第二十四章 エステバンの家族
王都へ戻ったレオは、エステバンに紹介された人物を訪ねます。
家へ戻ると、リチャードは腰に下げていた袋を外し、母に渡した。
「ほら、これ」
受け取った母は、ずしりと重い袋を両手で持ち直した。口を開き、中をのぞいたまま動かなくなる。
「……これ、全部、金貨?」
「ああ」
母は袋をテーブルに置くと、もう一度中を確かめた。
「ここ何年かで受け取ったお金を全部合わせても、こんなにはならないわよ」
「そうだろう。だからな、前から考えていたんだが……新しい馬を一頭買わないか?」
母が顔を上げた。
「今の馬で十分でしょう」
「いや、もう少し足の速い馬なら、トピアまで行くのも楽になるしな」
「十分です」
リチャードは、言いかけた口を閉じた。
母は袋の口をしっかり結ぶと、今度はレオを見た。
「それより、レオの服を買わないとね」
「僕の?」
「王都へ送り出すとき、あんな古い服しか持たせてあげられなかったでしょう。ずっと気になっていたの」
レオは自分の袖を見下ろした。洗ってはあるものの、肘のあたりは薄くなり、袖口には母が繕った跡がある。
「まだ着られるよ。それより、母さんが買いなよ。いつも同じ服ばかり着てるじゃないか」
「母さんは、ここで暮らしているんだからいいの。王都では、服装で軽く見られることもあるでしょう?」
「でも……」
「せめて、きちんとした服を一着くらい持っていきなさい」
母がそう言うと、隣からリチャードが口を挟んだ。
「だったら、全員買えばいいじゃないか」
母はじろりと夫を見た。
「あなた、馬が駄目だったからって」
「服の話だろう?俺のだって、ずいぶん古いぞ」
「母さんも一緒に買うなら、僕も買ってもらうよ」
レオが言うと、母は困ったように眉を寄せた。
「それとね、家も直したいの」
壁際の床板は、踏むたびに大きくきしむ。扉も少し傾いていて、閉めるには持ち上げるように引かなければならなかった。
「ずっと後回しにしてきたでしょう。今なら、大工さんにも頼めると思うの」
「そうだな。明日から始めるか」
リチャードは、今度はすぐにうなずいた。
「屋根も見てもらおう。雨が降ってからじゃ面倒だ」
*
翌日、一家は郡役所近くの商店街へ向かった。
仕立屋に入ると、母は早速レオに布を当て、色を見比べ始めた。
「こっちの方がいいかしら。でも、少し暗いわね」
「母さん、そんなに何着もいらないよ」
「見ているだけよ。ほら、ちゃんと立って」
レオの採寸が終わっても、母は自分の服を選ぼうとしなかった。父と二人で勧めると、ようやく布を手に取った。
リチャードは動きやすさばかり気にしていたが、母に襟元を指摘されると、しぶしぶ別の型を選んだ。
結局、三人とも派手な飾りのない、仕立てのよい服を頼むことになった。
*
新学期まで、あと五日となった朝。
レオは荷物をまとめ、家の戸口に立っていた。
新しい服は、母が丁寧に畳んで鞄へ入れてくれた。忘れ物がないかも、すでに二度確かめている。
「着替えは入れたわね? それから……」
「大丈夫だよ。さっき一緒に見たでしょう」
「そうだったわね」
隣にいた父が、レオの肩へ手を置いた。
「しっかり学んでこい。お前には魔法の才能があるんだ。とことん極めるつもりで頑張れよ」
「うん。頑張るよ」
母は笑ったが、目の縁が赤くなっていた。
レオは一度鞄を置き、母に抱きついた。
「行ってきます」
*
学園へ戻ったレオは、宿舎の部屋に荷物を下ろした。すると急に眠くなり、ベッドへ横になると、そのまま眠ってしまった。
翌朝、レオは中央校舎の職員食堂へ向かった。夏季休暇中のため、学生食堂は閉まっている。
朝食を取り、母から渡された小遣いで代金を払った。
部屋へ戻ってメモと紋章のバッジを確かめると、学園を出た。
通りを渡り、王都の北部へ向かう乗合馬車に乗る。
降りてからは、メモに書かれた住所を何度も見直した。やがて、塀に囲まれた大きな屋敷の前へたどり着いた。
門の脇には、警備の男が立っていた。
「あの、こちらはロレンス家のお屋敷ですか?」
男はレオの服装を上から下まで眺め、顔をしかめた。
「帰れ。お前のような身なりの者が来るところじゃない」
「モルガナ・ロレンス様に、お会いしたいんですが」
「その格好でか? ロレンス様がお前などに会うわけがないだろう」
「でも、紹介していただいて……」
「聞こえなかったのか。さっさと帰れ」
レオは鞄を開き、バッジを取り出した。
「これを見せれば、取り次いでもらえると聞いたんです」
男はバッジを見るなり、レオの手から取り上げた。
「おい。これをどこで手に入れた?」
「エステバンさんから預かりました」
「嘘をつけ。お前があの方と知り合いのはずがない。どこから盗んだ!」
男に腕をつかまれ、レオはよろめいた。
「盗んでいません。本当に、ご本人から……」
「騎士団を呼ぶぞ。そこで説明するんだな」
「何を騒いでいるの?」
門の内側から声がした。
レオが顔を向けると、ソフィアがこちらへ歩いてきていた。
「……レオ?」
ソフィアは足を速めた。
「その手を放しなさい!」
警備の男が、慌ててレオの腕を放した。
「お嬢様のお知り合いでしたか。ですが、この者が紋章を……」
「学園の同級生です。何があったの?」
レオが事情を説明すると、ソフィアは男の手にあるバッジを見た。
「それを返して」
男は急いでバッジを差し出した。
「申し訳ございません。知らなかったものですから……」
「知らなかったからって、話も聞かずに泥棒扱いするなんてひどいわ。お父様にも、このことはお話ししますから」
ソフィアはレオへ向き直った。
「ごめんなさい。中へどうぞ」
*
通された応接間には、立派な椅子やテーブルが置かれていた。
レオが勧められた席へ座ると、使用人が茶と菓子を運んできた。
ソフィアは向かいに座り、改めて尋ねた。
「兄に会ったの?」
「エステバンさんが、お兄さんだったんだね」
「ええ。しばらく帰ってきていないの」
レオは父とマントロを訪れたことや、エステバンたちとダンジョンへ入ったことを話した。
「兄は……元気だった?」
「うん。家族にも、元気にやっていると伝えてほしいって」
「そう……」
ソフィアは茶のカップへ目を落とした。
「自分で帰ってきて、言えばいいのに」
レオは返す言葉が見つからず、黙っていた。
しばらくして、ソフィアが顔を上げた。
「父は外出中なの。もう少し待っていてもらえる?」
「もちろん」
そこへ、ソフィアの母が入ってきた。
「あら、あなたがレオ君?」
レオは立ち上がり、頭を下げた。
「レオ・ライオンハートです。お邪魔しています」
「ソフィアを助けてくれた、首席入学のレオ君ね。娘から聞いています。本当にありがとう」
「いえ、僕は……」
「学園祭のときに、きちんとお礼を言うべきだったわね。そのときは、まだ知らなくて。失礼しました」
ソフィアが母の隣で、小さく頭を下げた。
「私が母に話していなかったの。あのときは、生徒会の手伝いで忙しくて……ごめんなさい」
「ううん、気にしないで」
レオは慌てて首を横に振った。
*
三人で学園の話をしていると、廊下から人の声が聞こえてきた。
ほどなくして、モルガナ・ロレンスが応接間へ入ってきた。
レオは席を立った。
「初めまして。レオ・ライオンハートです」
「おお、君がレオ君か。王立魔法学園で初めて特別奨学金を受けたという?」
「はい」
「一度、会ってみたかったんだ。まあ、座りなさい」
モルガナは向かいへ腰を下ろすと、すぐに魔法の話を始めた。
「学園では、もう合成魔法を習ったかな?」
「はい。火と風を組み合わせる授業がありました」
「では、同じ量の魔力を使っても、組み合わせ方で威力が変わるのはなぜだと思う?」
レオが答えると、モルガナはさらに問いを重ねた。
授業で習ったこともあれば、本で読んだこともあった。レオは考えながら、一つずつ答えていく。
モルガナは次第に身を乗り出した。
「なるほど。そこまで考えているのか」
レオが説明を終えると、満足そうにうなずいた。
「君、卒業したら魔法大学へ進んでみないか? 魔法を学問として研究するのも面白いぞ。私も指導教授を務めている」
「ありがとうございます。でも、奨学金の条件で、卒業後は親衛魔法騎士団に五年間勤めることになっています」
「そうだったか……。それは残念だな」
モルガナは椅子へ深く座り直した。
レオは鞄から、先ほど返してもらったバッジを取り出した。
「あの、今日はエステバンさんに紹介されて来たんです。これを、お父様に渡してほしいと頼まれて」
モルガナの表情が変わった。
「……あいつに会ったのか」
「はい。マントロで、父と一緒に」
「まだ冒険者を続けているんだろう」
「はい」
モルガナはレオからバッジを受け取った。
「魔法学の秀才と呼ばれ、魔法大学にまで進んだ男が、冒険者などになって時間を浪費している。自分の才能を生かそうともしない、負け犬だ」
「お父様」
ソフィアが口を挟んだが、モルガナは構わず続けた。
「あいつの話はしなくていい。ソフィア、これは捨てておきなさい」
差し出されたバッジを、ソフィアは黙って受け取った。
レオは膝の上で手を重ねた。
家族に渡してほしいと言ったときの、エステバンの顔を思い出した。
「だが、あいつの紹介があろうとなかろうと、君には会いたかったんだ。学園の教授たちの間でも、天才が入ってきたと評判でね」
レオは少しためらってから、口を開いた。
「あの、魔法について、お聞きしたいことがあるんです」
「何かな?」
「シールドクラッシュについてです」
モルガナの目が、レオへ戻った。
「……どこで、その名前を聞いた?」
レオは故郷の森で見た戦いを話した。
騎士たちのシールドが消え、その後は新しく展開することもできなかったこと。そして、エステバンからシールドクラッシュではないかと教わったことを。
「黒龍教の魔法使いが、それを使ったというのか?」
「はい。そうだと思います」
モルガナはしばらく黙り込んだ。
「それは、陛下へ報告すべき話だな」
レオは思わず背筋を伸ばした。
「今の魔法戦は、シールドで相手の攻撃を防げることを前提に組み立てられている。騎士の配置も、攻撃の仕方もそうだ」
モルガナはテーブルの上で指を組んだ。
「これまでは使い手が極めて少なかったため、広く対策を取るまでには至らなかった。だが、敵がそれを使ってくるとなれば、話は別だ。魔法戦の戦術そのものを見直さなければならない」
森で騎士たちの陣形が崩れたときも、そうだった。
守りが消えた途端、それまで防いでいた魔物たちに押し込まれた。
「シールドで防ぐことは、できないんですか?」
「多くの魔法使いが試してきた。ディスペルマジックへの備えと同じように、シールドクラッシュへの対策も組み込めないかとね。だが、容易ではない」
モルガナはソフィアへ顔を向けた。
「紙と筆記具を持ってきてくれ」
ソフィアが道具を運んでくると、モルガナは、続けた。
「少し、レオ君と二人にしてもらえるかな」
母とソフィアが部屋を出ると、モルガナは紙を広げた。
*
ペンが紙の上を走り、複雑な魔法陣が描かれていく。
レオは向かいから、その手元を見つめていた。
「これは秘術だ。本来、誰にでも見せていいものではない」
モルガナは線を引きながら言った。
「だが、君ほどの才能があるなら、何か気づくかもしれない。一緒に研究してもらえればと思ってね」
「僕が、ですか?」
「ああ。天才というものは、ほかの者が見落としたことに気づくものだ」
レオは返事に困り、魔法陣へ視線を戻した。
自分が天才だと思ったことはないし、何ができるかも分からない。
ただ、描かれていく図形には、どこか見覚えがあった。複雑な線を目で追ううちに、幼竜に教わった竜力球の魔法陣を思い出した。
細かな術式はまるで違う。それでも、全体の組み立て方はよく似ていた。
「これが、シールドクラッシュの魔法陣だ」
ペンを置いたモルガナが言った。
「シールドを作ってみてくれるかな」
レオは椅子から立ち、テーブルから少し離れた場所にシールドを展開した。
モルガナが魔法陣へ魔力を注ぐ。
シールドの表面に亀裂が走り、崩れるように消えた。
レオはもう一度、魔力を込めた。
新しいシールドが生まれた。
「……作れますね」
「うむ」
「西の森では、その後も作れなかったんです。騎士の方たちが何度試しても」
モルガナはシールドを見つめた。
「同じ魔法でも、術式か、使い方に違いがあるのかもしれないな」
「あの、僕もやってみていいですか?」
「もちろんだ。今度は私がシールドを作ろう」
モルガナがシールドを展開すると、レオは紙の魔法陣をしばらく見つめた。それから手を上げ、空中にシールドクラッシュの魔法陣を描いた。
そこへ魔力を注ぐと、輝く膜に亀裂が走り、消えた。
「一度見ただけで……こんな複雑な陣を覚えたのか」
モルガナは驚きながら、もう一度シールドを作ろうとした。
何も現れなかった。
「……おや?」
改めて魔力を込めても、結果は同じだった。
レオは魔力を流し続けたまま、モルガナを見た。
「森で見たのも、こうでした」
モルガナは紙と、空中の魔法陣を見比べた。
「今、何をした?」
「この魔法陣は、魔力が循環する形になっています。だから、一度魔力を注いで終わりではなく、術式の順序に沿って流し続ければ、効果も続くんじゃないかと思ったんです」
レオは空いている手で、紙の上の線を指した。
「森では、シールドが壊れた後も、新しく作れませんでした。その間も術式が働いていたと考えれば、この構造と合う気がして……試してみました」
モルガナは感心したようにうなずいた。
「なるほど。破壊したところで魔法を終わらせず、そのまま働かせ続けるわけか」
「はい」
「こんなに複雑な陣を一度見ただけで覚え、使い方まで見抜くとはな。しかも、それを思いどおりに扱えるとは……」
「いえ、覚えたというより、術式の理屈をたどって描いただけです。そんな、大したことでは……」
モルガナはレオを見つめた。
「君は、紛れもない天才だな」
お読みいただき、ありがとうございます。




