第二十三章 ヒドラのダンジョン・下編
地下二層で待ち受けていたのは、五つの元素を操る五色ヒドラでした。
地下へ続く階段を下りると、広場のような空間へ出た。
その奥に、ヒドラがいた。
太い胴から五本の首が伸びている。背後には、宝物庫らしい扉が見えた。
「五本か」
父が盾を構え、エステバンも杖を上げた。
「まずは、こちらを向かせよう」
父が先頭に立って距離を詰めると、ヒドラの五つの頭が一斉に持ち上がった。
火球が飛んだ。
その隣から水砲が放たれ、旋風と雷が続く。さらに、岩の塊が床を跳ねて迫ってきた。
「五色ヒドラ!」
父が盾を傾け、岩を受け流した。エステバンの展開したシールドへ、火と水がぶつかる。
「これは厄介だな!」
エステバンが声を張った。
レオも杖を向け、火球を放つ。
その瞬間、ヒドラの全身を五色に輝くシールドが包んだ。
火球はその表面に触れた途端、かき消された。続けて放った水砲も、シールドに阻まれて散る。
ミアの元素の矢も、まとった魔法の力を失い、ヒドラに傷をつけられなかった。
「五色シールドか……」
エステバンが顔をしかめた。
「あらゆる元素魔法を無効化する、特殊なシールドだ。火も水も、風も雷も土も通らない」
「それじゃ、僕たちの魔法は……」
「ここで撃ち続けても、魔力を無駄にするだけだ。いったん下がるぞ!」
一行は攻撃を防ぎながら、階段のある方へ退いた。
ヒドラは追ってこなかった。元の場所へ戻り、五つの頭をこちらへ向けている。
父が盾を下ろし、息を吐いた。
「どうする?」
「元素魔法は通用しない。俺たちの組み合わせでは難しいな」
エステバンはヒドラを見つめたまま言った。
「惜しいが、引き返そう」
レオは手の中の杖を見た。
「……無属性の魔法なら、どうですか?」
「魔力球のことか?」
「はい」
エステバンは首を横に振った。
「通りはするだろう。だが、あれは効率が悪い。元素魔法なら、火や雷そのものの力を借りて、込めた魔力だけで攻撃するより大きな威力を出せる。魔力球は、込めた魔力そのものをぶつけるだけだ」
階段脇の壁に背を預け、続けた。
「あいつを倒せるだけの球を作るには、あいつが持っているのと同じくらいの魔力がいるだろう。俺には無理だし、お前でも厳しいはずだ」
「竜力球なら、どうでしょう?」
エステバンが顔を向けた。
「……何だって?」
レオは鞄を下ろし、竜の杖を取り出した。
「竜力球です。この杖を使えば、威力を高められます」
「使えるのか?」
「はい」
エステバンはレオと杖を交互に見た。
「……竜力球は無属性じゃない。竜属性の魔法だ。だが、確かに、あのシールドにも通用するだろう」
さらに何かを尋ねかけたが、口を閉じた。
それから父へ目を向ける。父も、戸惑った顔でレオを見ていた。
「……聞きたいことが増えたな」
エステバンは杖を持ち直した。
「分かった。やってみよう。どれくらい時間がいる?」
「大きくするなら、少しかかります」
「その間は、俺たちが引き受ける。無理そうなら言え。すぐ引くぞ」
レオはうなずいた。
*
今度は、エステバンが防御に専念した。
父が盾で攻撃を受け、隙を見て剣を振るう。チコも横から近づき、短剣で脚を狙った。
ミアは元素を乗せず、普通の矢を射ている。
大きな傷にはならない。それでも、ヒドラは近くの父やチコを追い払おうと、首を振っていた。
レオは後ろで、竜の杖へ魔力を送り込んだ。
紫色の球が生まれる。
もっと大きくしなければ。
球を保ちながら、魔力を注ぎ続けた。
父の盾へ岩がぶつかった。重い音がして、父が一歩下がる。
その前へ、エステバンのシールドが重なった。
「レオ、どうだ!」
「もう少し!」
額から汗が落ちた。
まだ足りない気がした。
残った魔力を、さらに送り込む。
球は、スイカよりも大きくなっていた。
「離れて!」
父とチコが左右へ退く。
レオはヒドラの胴へ狙いを定め、竜力球を放った。
紫色の球を見た瞬間、ヒドラの目がこちらを向いた。
五つの頭が身を寄せ、全身を包む五色のシールドが、ひときわ強く輝く。
竜力球は、そのシールドを通り抜けた。
輝く膜は消えず、割れもしなかった。
球だけがヒドラの胴へ届き、深く食い込むように命中する。
五本の首が、ばらばらにのけぞった。
全身を包んでいた五色のシールドが消えた。
ヒドラは首を激しく振り、一歩踏み出した。けれど、脚が体を支えきれず、大きな音を立てて床へ倒れた。
「今だ! とどめを刺すぞ!」
父が剣を構えて駆け寄った。チコも、その後に続く。
まだ動いている首へ父が剣を振り下ろし、チコが横から短剣を突き立てた。
ミアも弓を引き、もがく頭の目を狙って次々に矢を放つ。
ヒドラは起き上がろうと脚を動かしたが、父たちは攻撃を緩めなかった。
やがて、最後まで持ち上がっていた首が床へ落ちた。
父は剣を構えたまま、しばらく様子をうかがった。
五つの頭は、もう動かなかった。
エステバンが長く息を吐いた。
「……倒したな」
「やった!」
チコが声を上げた。
レオも笑おうとしたが、膝に力が入らなかった。杖を支えに立っていると、父が戻ってきた。
「大丈夫か?」
「うん。ちょっと、魔力を使いすぎたみたい」
父はレオの肩を支え、ヒドラの方へ歩いた。
チコはすでに、その向こうの宝物庫へ向かっていた。
「罠には気をつけろよ」
「分かってる!」
扉を調べ、鍵を開ける音がした。
中をのぞいたチコが振り返る。
「ミスリルだ!」
エステバンとミアが、すぐに後へ続いた。
レオも父と一緒に中を見た。
収められていた金属が、淡い光を返している。
「これだけあれば、二十ゴールドにはなるぞ」
チコは嬉しそうに、ミスリルの量を確かめていた。
父はレオを壁際へ座らせると、ヒドラのところへ戻った。剣で心臓の辺りを切り開き、中から魔石を取り出す。
五色に光る、大きな石だった。
「今日一番の収穫は、こっちかもしれないな」
エステバンが目を細めた。
「三十ゴールドは堅いだろう」
「……三十ゴールドの奴が、二十ゴールドの宝を守ってたのか?」
チコがミスリルを手にしたまま言った。
「自分の方が高いとは、知らなかったんだろうな」
父が答えると、エステバンが笑った。
チコまで笑い出し、レオもつられて笑った。
これほどの価値がある物を、今まで目にしたことがあっただろうか。
*
宿屋へ戻った頃には、外はすっかり暗くなっていた。
テーブルに料理が並び、大人たちは酒を、レオは飲み物を手に取った。
「無事の帰還と、今日の収穫に」
エステバンが杯を上げ、皆で杯を合わせた。
レオは飲み物を一口飲んでから、料理へ手を伸ばした。朝食から、ずいぶん時間がたった気がする。
「それにしても、五人で五色ヒドラを倒すとはな」
エステバンが、しみじみと言った。
「あいつを相手にするなら、普通は剣や槍で戦える奴を多めに集めて、二十人ほどで挑むんだ。俺たちだけで倒せたのは、奇跡みたいなものだぞ」
「レオの魔法がなければ、引き返すところだったな」
父の言葉に、エステバンもうなずいた。
「まったくだ。……しかし、あれだけ魔法を使えるなら、学園なんてやめて、俺たちのパーティーに入らないか?」
肉を頬張りかけたレオが、顔を上げた。
エステバンは笑いながら続けた。
「お前の腕なら、すぐ金持ちになれるぞ。今日くらい稼げれば、家族も楽に暮らせる」
経費を引いても、父と二人で十ゴールドほど受け取れるという。
母に渡せば、どれほど喜ぶだろう。
レオが考えていると、父が首を横に振った。
「だめだ。今は勉強する時だ」
「実戦だって勉強になるだろう?」
「それとこれとは別だ。冒険者の仕事なら、卒業してからでもできる」
父はレオの皿へ料理を取り分けた。
「まずは、しっかり学んでこい」
「……うん」
「残念だな。頼もしい仲間が増えると思ったんだが」
エステバンは肩をすくめ、杯を口へ運んだ。
それから、少し声を落とした。
「ところで、あの竜力球はどこで覚えた?」
レオの手が止まった。
「……幼竜が使っているところを見たんです。描いていた魔法陣を写して、まねしてみたら」
「幼竜?」
「はい」
エステバンはしばらくレオを見つめていた。
レオは皿へ目を落とした。ファントムは、今どこにいるのだろう。
「……そうか。その話は、明日もう少し詳しく聞かせてくれ。俺も、約束した話をしないとな」
「はい」
「今日は、まず食べよう。よく働いてくれた」
そう言うと、エステバンは料理の皿をレオの方へ寄せた。
隣では父が、ヒドラの前でどれほど踏ん張ったかをミアへ話していた。
「盾を持っていた腕が、まだ重いよ」
「あれだけ受け止めてくれたんだから、当然よ」
「俺も前にいたんだけどな」
チコが口を挟むと、父は笑って、その肩を叩いた。
レオも笑いながら、パンをちぎった。
食事が終わる頃には、また眠くなっていた。
今度は父に運ばれる前に、自分で部屋へ戻った。杖を壁際に立てかけ、ベッドへ横になる。
廊下からは、まだ父たちの笑い声が聞こえていた。
*
翌朝早く、レオと父は、宿屋の食堂でエステバンとテーブルを囲んでいた。
「約束どおり、俺の知っていることを話そう」
エステバンがレオへ向き直る。
「騎士たちのシールドを消し、その後も張り直せなくした魔法。お前の言うとおり、あれはディスペルマジックではないと思う」
レオはノートをテーブルに置き、開いた。
「おそらく、シールドクラッシュだ。展開されているシールドを破壊するだけでなく、その後も術式に干渉し、張り直すのを妨げる」
「シールドクラッシュ……」
聞いたことのない名前だった。レオはノートに書き留めた。
「極めて高度な技術と熟練を必要とする魔法だ。使い手が少なく、術式も広く知られていない。いわゆる秘術だな」
「普通のシールドでは、防げないんですか?」
「ああ。お前が読んだとおり、シールドにはディスペルマジックへの備えがある。だが、シールドクラッシュは、まさにシールドを破壊するためだけに作られた専用の魔法なんだ」
エステバンは、レオのノートへ目を落とした。
「普通は、相手のシールドを破るために、強い魔法を撃ち込まなきゃならない。だが、あの魔法ならシールドそのものを消して、無防備な相手を攻撃できる。どれほど厄介か、実際に見たお前なら分かるだろう」
レオは、森で戦っていた騎士たちを思い出した。
守りが消えた直後、頭上から黒い光が降ってきた。張り直そうとしても、誰もシールドを作れなかった。
「王国中を探しても、使える者は指で数えられるほどだろう。その使い手が黒龍教にいるとなると……思っている以上に、恐ろしい連中かもしれないな」
父が腕を組んだ。
「騎士団だけでは歯が立たなかったのも、無理はないということか」
「ああ。普通の魔法使いを相手にするのとは、わけが違う」
レオはペンを止め、顔を上げた。
「トピアを襲ったシャドウドラゴンも、黒龍教が呼び出したらしいんです」
「その話は、噂で聞いている」
エステバンはうなずいた。
「あれは恐ろしい竜だ。だが、黒龍教が使うものとしては、よく知られている。百年前の事変でも使われたからな。驚いたというより、とうとう来たか、と思ったよ」
「知っていたんですか?」
「昔の事件について、多少は調べたことがある。それよりも、俺が驚いたのは、お前の竜力球だ」
エステバンは椅子の背から体を起こした。
「竜力球も、シールドクラッシュと並ぶ秘術だ。いや、シールドを壊すまでもなく、そのまま通り抜けて相手を攻撃できる。ディスペルマジックで干渉するのも難しい。ある意味では、もっと恐ろしい魔法かもしれないな」
そこで一度言葉を切り、レオを見た。
「お前が使えると知れば、その秘密を手に入れようと近づく者が出てくる。気をつけろよ」
学園のカフェテリアで向かいに座っていた男の顔が浮かんだ。
魔法省の捜査官だと名乗り、幼竜について尋ねてきた男。
レオの魔法を見て、どこで覚えたのかと問い詰めてきた。
「……もう、いたのか?」
黙り込んだレオを見て、エステバンが尋ねた。
「学園で、知らない人に聞かれたことがあります。魔法を、どこで覚えたのかって」
父がレオへ顔を向けた。
「そんなことがあったのか?」
「うん。でも、副校長先生が助けてくれたから」
「そうか……」
父は何か言いかけたが、エステバンが先に口を開いた。
「なら、なおさら用心した方がいい。誰にでも教えていい魔法ではないということだ。まあ、教わったところで、そう簡単に身につけられるものでもないがな」
レオはうなずいた。
エステバンは少し考えてから、紙を一枚引き寄せた。名前と住所を書き込み、レオへ差し出す。
「もっと詳しく知りたければ、この人を訪ねてみろ。この分野では、俺よりずっと詳しい」
紙には、王都の北部の住所と、名前が記されていた。
モルガナ・ロレンス。
「ロレンス……?」
「俺の親父だ」
レオが顔を上げると、エステバンは苦笑した。
「王立魔法学会の会長で、王国でも指折りの魔法使いだ。簡単には会ってもらえないだろうが……」
懐から、小さなバッジを取り出した。
細かな飾りのついた、立派な紋章だった。裏側には、エステバン・ロレンスと名前が刻まれている。
「これを見せれば、取り次いでもらえるはずだ」
レオは両手で受け取った。
「家の紋章だ。会えたら、親父に渡してくれ」
「いいんですか? 大切な物じゃ……」
「ああ。頼む」
エステバンはバッジを見つめ、少し寂しそうに笑った。
「それと……ほかの家族にも、元気にやっていると伝えてくれ」
「そういうことは、自分で伝えたらどうだ」
父が言った。
エステバンは首を横に振った。
「……今は、レオに頼んでおくよ」
父はしばらく彼を見ていたが、それ以上は何も言わなかった。
レオはメモでバッジを包み、鞄の内側へ大切にしまった。
「分かりました。王都へ戻ったら、訪ねてみます」
「よろしくな」
*
帰り支度を終える頃、チコが金貨の入った袋を持ってきた。
「買い取り額から経費を引いて、二人の分け前は十ゴールド。それに、エステバンから二ゴールド追加だ」
父がエステバンを見た。
「いいのか?」
「レオがいなければ、ヒドラの宝は手に入らなかったからな。少しだが、俺からの礼だ」
「……ありがとうございます」
レオが頭を下げると、エステバンは笑って手を振った。
父は金貨を数え、袋の口をしっかり結んで荷物の奥へ収めた。
それから、借りていた剣と盾をエステバンへ返した。レオも小ぶりな杖を差し出す。
父が手を差し出した。
「世話になった」
「こっちこそ、助かった。また頼むぞ」
「次は、最初から何をするのか書いてよこせ」
二人は笑いながら握手を交わした。
レオも、改めて礼を言った。
「魔法のことも、教えてくださってありがとうございました」
「勉強、頑張れよ。気が変わったら、いつでも俺たちのところへ来い」
「まだ誘うか」
父に言われ、エステバンは両手を上げた。
宿の外で馬に荷物を載せると、父がレオを振り返った。
「母さんが待っている。帰ろう」
「うん」
レオは馬に乗る前に、鞄の内側を確かめた。
メモとバッジは、ちゃんと入っている。
二人はまだ人通りの少ない街を抜け、故郷へ続く道を走り始めた。
お読みいただきありがとうございます。思いがけない大仕事を終えたレオ。




