第二十一章 奪われた禁書
レオが目を覚ました先には、久しぶりに会う父の姿がありました。
真っ白なドレスを着た銀髪の女性が、そこに立っていた。
思わず見とれてしまうほど、美しい人だった。女性はレオを見つめ、穏やかに口を開いた。
「選ばれし少年よ。我が子を慈しんでくださったこと、感謝いたします。竜の子と人の子が巡り合ったのも、定めなのでしょう。その出会いは、予言された闇を照らす、一筋の光となりましょう……」
*
レオは、見知らぬ天幕の中で目を覚ました。
「……夢?」
頭が痛い。起き上がろうとすると、背中や腕までずきずきした。
「あ、レオ君が目を覚ましました!」
そばに座っていた若い女性が、椅子から立ち上がって外へ駆けていった。
ここは、どこだろう。
顔を横へ向けると、寝台の脇に自分の鞄が置かれていた。その隣には、杖も立てかけてある。
薄い毛布を握り、倒れる前のことを思い返す。シャドウドラゴンが頭上に迫って、それから白い光が降ってきた。
白龍シリウスが飛び去るところまでは覚えていた。
天幕の外が慌ただしくなり、一人の男が入ってきた。
「レオ!」
「お父さん!」
父のリチャードだった。
寝台のそばに膝をつくと、レオの体をそっと抱き寄せた。見慣れた上着から、革と土のにおいがした。
「無事でよかった」
父の背中に手を回すと、張り詰めていたものが緩んだ。
「半年以上になるか。母さんは元気か?」
「うん。お父さんが帰ってくるの、待ってるよ」
「そうか。お前が夏休みに帰ると聞いてな。俺も顔を見たくて、急いで戻ってきたんだ。ところが、トピアで領主様の召集があって、そのまま騎士団に加わることになった」
父は体を離し、レオの顔をのぞき込んだ。
「学園では、うまくやっているか?」
「うん。友達もたくさんできたよ。それから、今学期の成績、一位だったんだ」
「一位?」
レオがうなずくと、父は嬉しそうに笑った。
「そうか。よく頑張ったな」
大きな手が、髪をくしゃりとなでた。
もっと話したいことがあった。授業のことも、部活動のことも。けれど、その前に天幕の入り口が開いた。
入ってきたのは、領主とクーパーだった。
レオが慌てて起き上がろうとすると、領主が片手を上げた。
「そのままでよい。ようやく目を覚ましたところなのだろう」
「はい……」
「レオ君。君があのシャドウドラゴンに立ち向かうところを見ていた。あの年で、よくぞあれほど勇敢に戦ってくれた」
「でも、倒したのは僕じゃありません。白竜シリウスが……」
「分かっている。だが、君が引きつけてくれなければ、犠牲はもっと増えていただろう。コンサス州を治める者として、礼を言いたい。ありがとう」
領主が頭を下げた。
レオはどうすればよいか分からず、寝台の上で背筋を伸ばし、慌てて頭を下げ返した。
「治療魔法は施してある。しばらくは体がうずくだろうが、次第によくなるそうだ。今は休みなさい」
「ありがとうございます」
領主は父へ目を向け、外へ来るよう手招きした。
「少し行ってくる。無理に起きるなよ」
父たちが出ていくと、天幕は静かになった。
治療魔法による再生のためだろうか。横になっていても、体のあちこちがうずく。
レオは毛布を引き上げた。目を閉じると、すぐに眠気がやってきた。
*
次に目が覚めたときは、天幕の隙間から明るい日差しが差し込んでいた。
ゆっくり体を起こしてみる。まだ少し痛むが、さっきよりは楽だった。
看病してくれていた女性に案内され、レオは領主城へ向かった。
広間には料理や酒が並べられ、騎士たちに交じって、冒険者や聖職者の姿もあった。
「レオ、こっちだ」
騎士たちの間から父が手を振った。隣に座ると、すぐに皿を渡してくれた。
「食べられるか?」
「うん。おなかすいた」
「それなら大丈夫そうだな」
やがて領主が立ち上がり、集まった人々へ礼を述べた。
街を守るために戦った者。負傷者を運んだ者。治療を続けた者。
その働きをねぎらう言葉に、レオも皿を置いて耳を傾けた。
*
食事が終わると、冒険者や聖職者たちは広間を出ていった。
騎士たちは席に残っている。レオも父の隣で待っていた。
領主のそばに立つ家臣が、こちらを見て何かを耳打ちした。
領主は首を横に振った。
「レオ君は残っていて構わぬ」
何の話が始まるのだろう。
レオが座り直すと、領主は広間を見渡した。
「我々がシャドウドラゴンの攻撃を受けていた間に、州立図書館の禁書庫が襲われた。地下深くに保管していた禁書が、何者かに奪われたのだ」
騎士たちが顔を見合わせた。
「知っている者もいるだろうが、王国には魔法省が指定した禁書がある。その半数は王都で保管され、残る半数は、ある事情から各州の図書館に分けて保管されている」
領主はそこで言葉を切った。
「同じ時期に、アロスカ州とマイロカ州でも同様の襲撃があったそうだ」
レオは膝の上で手を握った。
あの男たちの狙いは、初めから禁書だったのだろうか。街が襲われれば、騎士たちはそちらへ向かわざるを得ない。
「親衛騎士団は、一連の事件に黒龍教が関わっていると見ている」
黒龍教。
その名は、レオも本で読んだことがあった。
黒龍ケルタウスを崇拝する、秘密結社のような宗教組織だ。
邪悪な人間たちの時代を終わらせ、世界を救うために、太古の竜の時代へ戻らなければならない。そんな教えを掲げているという。
百年前、旧王都ベロリンで変乱を起こしたのも、この組織だった。そのため、王都を現在のカインハーストへ移さざるを得なくなったのだ。
その後は大きな動きを見せていなかったはずだ。
広間の話し声がやんでいた。
「今回、敵が示した力を軽く見ることはできぬ。陛下は王国全土に非常令を発し、親衛騎士団を各地へ派遣すると決められた」
領主の声だけが響いた。
「残念ながら、州騎士団だけでは対処しきれなかったことも事実だ。援軍を迎え、力を合わせて備えねばならぬ。親衛騎士団が到着した後は、その指揮下に入り、命令に従ってもらいたい」
騎士たちが一斉に立ち上がった。
「承知いたしました!」
隣で敬礼する父を、レオは見上げていた。
*
親衛騎士団が到着すると、臨時に戦列へ加わっていた父は召集を解かれ、冒険者としての身分に戻った。
レオは父と馬を並べ、ウィチアへ帰った。
母は二人の姿を見ると、戸口に立ったまま、しばらく何も言わなかった。
「ただいま」
父が声をかけると、母はようやく歩み寄ってきた。
「……二人そろって、帰ってきたのね」
その晩は、三人で食卓を囲んだ。
父が旅先で食べた、やたらと辛い煮込み料理の話をした。レオはボブの食欲について話し、母は笑いながら、父とレオの皿へ料理を足した。
話しても話しても、まだ話したいことがあった。
ふと、レオは足元を見た。
それから、窓へ目を向けた。
ファントムがいない。
そういえば、トピアの天幕でも姿を見なかった。ずっと眠っていたせいで、気づかなかったのだ。
「どうしたの?」
「ううん。ちょっと外を見てくる」
家の外へ出て、辺りを探した。
屋根の上にも、木の枝にもいない。いつもなら、どこからか飛んでくることもあるのに、その気配さえ感じられなかった。
「ファントム?」
小声で呼んでみたが、返事はなかった。
しばらく待ってから、レオは窓を開けておこうと思った。
帰ってきたときに、入れるように。
*
翌日、レオは父に尋ねた。
「お父さん。魔法に詳しい知り合いって、いる?」
「魔法か?」
父は手入れをしていた道具を置いた。
「聞きたいことがあるのか?」
「うん。森で戦ったとき、相手の魔法でシールドが消えたんだ。その後は、新しく作ろうとしても作れなくて……。」
あのときは、ディスペルマジックだと思った。
けれど、後から考えると、おかしかった。
レオが読んだ本によれば、通常の魔法シールドには、ディスペルマジックによる干渉を防ぐ仕組みも組み込まれている。そのため、ディスペルマジックでシールドそのものを無効化することはできないはずだった。
それだけ覚えれば簡単に消せるのなら、わざわざシールドを学ぶ意味が薄れてしまう。
それなのに、騎士たちのシールドは消えた。しかも、張り直すことさえできなかった。
あの男は、いったい何をしたのだろう。
「俺は魔法がからきしだからなあ。周りも似たような連中が多い。たぶん、お前が一番詳しいぞ」
父は笑ったが、レオが黙っていると、少し考え込んだ。
「……いや、一人いる。エステバンという魔法使いだ。冒険者の仕事で一緒になったことがある」
「すごい人?」
「俺が知っている中では、一番だな」
「今、どこにいるの?」
「クアントロ州だと思うが。郵便局から手紙を出してみるか」
「それなら、僕がハトを呼べるよ」
父が顔を上げた。
「ハトって、手紙を届けるあれか?」
レオはうなずき、召喚したハトを腕に止まらせた。
父はその顔をのぞき込み、羽へ触れかけて手を引っ込めた。
「こんなことまでできるようになったのか」
「宛先と手紙をお願い」
「待ってろ。今書く」
父は紙を取りに立ち上がった。
*
返事は、翌日には届いた。
「もう来たのか。早いな」
父が手紙を開き、レオも隣からのぞき込んだ。
エステバンは、クアントロ州のマントロで、小さなダンジョンを攻略する準備をしているという。
「マントロなら、州境の近くだ。馬で二日ほどだな」
「会いに行ける?」
父は手紙を読み返してから、うなずいた。
「そうだな。まだあそこにいるうちに行ってみるか」
その話を聞いた母は、洗っていた皿を置いた。
「帰ってきて、何日もたっていないのに、もう出かけるの?」
「会って話を聞くだけだ。用が済んだら、すぐ戻るよ」
「あなたの『すぐ』は、あまり当てにならないわ」
父は困ったように笑った。
「今度は本当に、すぐ戻る。レオも一緒なんだから」
母はレオへ目を向けた。
「体は、もう大丈夫なの?」
「うん。痛くないよ」
「無理はしないでね。お父さんが何か言っても、疲れたらちゃんと休むのよ」
「分かった」
出発の日、母は二人分の食べ物を包んでくれた。
レオは荷物を馬に載せる前に、家の周りをもう一度見回した。
ファントムは、まだ戻っていなかった。
「レオ、行けるか?」
「……うん」
父の隣で馬に乗り、レオは母へ手を振った。
「行ってきます」
「二人とも、気をつけて」
村を出ると、父が馬の歩みを少し速めた。
レオも手綱を握り直し、その後に続いた。
途中で馬を休ませながら道を進み、夕方になる頃、小さな村が見えてきた。
村の入り口には、州境を知らせる標識が立っていた。この先は、クアントロ州らしい。
「今日はここで泊まろう。暗くなってから馬を走らせることもない」
父はそう言うと、村の宿屋へ馬を向けた。
二人は馬を預け、食堂で夕食を済ませてから、案内された部屋へ入った。
ベッドは二つあった。レオは鞄を下ろし、杖を壁際に立てかけた。
「疲れたか?」
「少し。ずっと馬に乗ってたから、お尻が痛い」
父は笑いながら、片方のベッドへ腰を下ろした。
「明日も乗るんだ。早めに寝ておけ」
レオは靴を脱いで横になった。足を伸ばすと、思っていたより疲れていることに気づいた。
隣で父が荷物を片づける音を聞きながら、レオは眠りについた。
お読みいただきありがとうございます。次は、父と二人で魔法使いを訪ねます。




