第十一章 魔物襲来
図書館から食堂へ向かう途中、校内に警報が響きます。避難先には、アリアの姿がありませんでした。
翌日の午後、レオは昼食を済ませると、図書館へ向かった。
昨日は、夕食の時間まで『ディスペルマジック原論』を読み続けてしまった。まだわからないところが多く、続きが気になっていた。
閲覧席の間を歩いていると、見覚えのある金髪が目に入った。
エマだった。
レオは足を止め、それから近づいた。
「こんにちは」
顔を上げたエマが、小さく笑った。
「こんにちは、レオ」
「夕方に戻ってくるんじゃなかったの?」
「読みたい本があったから、早く帰ってきたの」
エマの前には、今日も複雑な魔法陣が描かれた本が開かれていた。
「召喚魔法?」
「うん」
レオはうなずき、防御魔法の棚へ向かった。
昨日読んだ『ディスペルマジック原論』を取り出し、閲覧席へ戻る。
エマの向かいの席を指すと、彼女は自分の本を少し寄せてくれた。
レオは静かに椅子を引いた。
しばらく、二人とも何も話さなかった。
ページをめくる音と、ノートへ書き込む音だけが続いた。
*
図書館を出たレオとエマは、夕食のために食堂へ向かっていた。
ディスペルマジックの術式について話していると、突然、頭上で甲高い警報が鳴った。
二人は足を止めた。
『魔物研究所で事故が発生しました。マンティコア一体と幼竜一体が脱走し、本校の敷地へ向かったとの連絡が入っています』
レオはエマを見た。
エマも、放送へ耳を傾けていた。
『現在、騎士団へ捜索を要請していますが、到着には時間を要する見込みです。非常に危険な魔物です。学生は直ちに大講堂へ避難してください。集合後、点呼を行います。繰り返します――』
近くにいた学生が悲鳴を上げた。
何人もが走り出し、校舎の角へ姿を消す。
「行こう」
レオが声をかけると、エマはうなずいた。
二人も、大講堂へ向かって走った。
*
大講堂には、すでに多くの学生が集まっていた。
入口で職員が学年ごとの場所を指示し、奥からは名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
レオは一年一組の集まる場所へ向かった。
ボブがいた。その隣に、マックスとデイビッドもいる。
けれど、アリアの姿がなかった。
「アリアは?」
レオが聞くと、ボブは入口の方を見た。
「食堂で、忘れ物をしたって言って。宿舎へ取りに戻ったんだけど……まだ来てないんだ」
「宿舎?」
「うん。すぐ戻るって……」
レオは入口へ顔を向けた。
次々に学生が入ってくる。
その中にも、アリアはいなかった。
宿舎から、ここまでの道を思い浮かべた。
もう避難してくるはずではないだろうか。
レオは、気づくと走り出していた。
「君、どこへ!外へ出てはいけません!」
入口の職員が手を伸ばした。
レオはその脇を抜けた。
後ろからボブの足音が続き、マックスとデイビッドの声も聞こえた。
宿舎へ向かう道に出た、そのときだった。
「きゃあああっ!」
女の子の悲鳴がした。
宿舎の前庭だった。
*
大きな翼を持つ魔物が、庭の上を飛んでいた。
獅子のような胴体に、長い尾。その頭には、女の顔に似たものがついている。
魔物の下には、二人の女子学生が座り込んでいた。
一人は、アリアだった。
「アリア!」
ボブが叫んだ。
魔物の翼が畳まれた。
二人へ向かって、急降下する。
レオは右手を突き出した。
レオは雷を一発、続けてもう二発放った。
すべて命中したが、マンティコアはひるむことなく二人へ迫った。
大きな前脚が伸び、鋭い爪が振り下ろされる。
――間に合わない。
その瞬間、アリアたちを包むように青い膜が現れた。
爪が膜に弾かれ、鋭い音が響いた。
シールドが、二人の全身を包んでいた。
魔物は翼を広げて地面すれすれで止まり、こちらへ顔を向けた。
人に似た顔だった。
けれど、その口元も、目の動きも、人のものとは違っていた。
魔物はレオを見ているようで、その後ろを見ていた。
振り返ると、エマが立っていた。
「エマ……」
「レオ、時間を稼いで」
「えっ。……うん!」
レオは向き直り、雷を放った。
光が魔物の体を走る。
しかし、魔物は身じろぎもしなかった。
「雷はだめ。火球を使って」
エマが言った。
レオはすぐに魔法を変えた。
火球を続けて放つ。
翼に一発、胴体に一発。
魔物が顔をしかめ、甲高い声を上げた。
「こっちだ!」
マックスも火球を飛ばした。
デイビッドが、その隣から加わる。
その間に、ボブが庭の方へ走った。
魔物がそちらへ顔を向けかけたので、レオは頭を狙って火球を放った。
炎が顔の近くではじける。
魔物は首を振り、今度こそレオたちへ向き直った。
翼が大きく動いた。
風が吹きつけ、レオは思わず足を踏ん張った。
魔物が近づいてくる。
火球は当たっている。
痛がってもいる。
それなのに、止まらなかった。
「下がって!」
デイビッドの声に、レオは後ろへ跳んだ。
前脚が、ついさっきまで立っていた場所をかすめた。
マックスが二つの火球を放つ。レオも続けた。
魔物は翼を揺らして少し離れたが、すぐにまた迫ってきた。
「エマ、まだ……?」
レオは後ずさりながら尋ねた。
返事の代わりに、詠唱が聞こえた。
「……地獄の業火を宿す、炎の子よ」
エマの足元に、赤い線が広がっていた。
「我が魔力を供物として、その姿を現せ」
魔物が口を開いた。
レオはその顔へ火球を飛ばした。
今度は前脚で払われた。
エマの前まで、もうほとんど距離がない。
「契約の名において命ずる。今、この地に降り立て!」
足元の召喚陣が、強く輝いた。
熱い空気が、レオの頬をなでた。
次の瞬間、魔物の体が炎に包まれた。
レオたちが放った火球とは、まるで違う炎だった。
翼の先から脚まで、一度に燃え上がる。
魔物が叫んだ。
身をよじり、上へ逃れようと翼を動かす。
けれど、炎は離れなかった。
羽ばたくたびに黒い欠片が舞い、やがて翼が崩れた。
魔物は地面へ落ちた。
伸ばしかけた前脚も、長い尾も、炎の中で形を失っていく。
最後に灰が吹き上がり、その向こうの庭が見えた。
魔物は、もう動かなかった。
*
レオは構えた手を下ろせずにいた。
隣のマックスも、デイビッドも、黙って同じ場所を見ていた。
背後で、火のはぜるような音がした。
振り返ると、エマの前に大きな召喚陣があった。
その中央に、二メートルほどの精霊が立っていた。
全身が燃えている。
人に似た形をしていたが、腕も肩も、揺れる炎でできていた。
精霊は腕を組み、口元を持ち上げていた。
笑っているようだった。
「契約の鎖を解く。帰還せよ」
エマが唱えた。
精霊の輪郭が崩れ、炎が召喚陣へ吸い込まれていく。
最後の火が消えると、陣の光も薄れていった。
エマが大きく息を吐いた。
額から汗が流れていた。
「大丈夫、エマ?」
レオが近づくと、エマは息を整えながら顔を上げた。
「それより……アリアを」
レオは、はっとして庭を振り返った。
ボブが、アリアを抱きしめていた。
アリアも兄の服をつかんでいる。
その隣には、見覚えのない女子学生が立ち、泣いていた。
レオたちは二人へ駆け寄った。
「けがは?」
デイビッドが聞くと、アリアは小さく首を振った。
「大丈夫……。シールドが、出て……」
声が震えていた。
レオはエマを見た。
彼女はまだ息を弾ませながら、アリアたちの様子を確かめていた。
「大講堂へ戻ろう」
マックスが言った。
ボブがアリアを支えて立たせ、デイビッドはもう一人の女子学生へ手を貸した。
レオはエマの隣を歩いた。
走って戻ろうとは、誰も言わなかった。
*
大講堂へ戻ると、入口の職員が駆け寄ってきた。
「君たち、どこへ行っていたんです!」
「アリアが……宿舎の前で、魔物に襲われていて」
ボブが説明しかけると、職員は二人の女子学生を見た。
「こちらへ。まず、けがの確認をします」
別の職員も来て、二人を奥へ連れていった。
レオたちはそこで、何があったのか尋ねられた。
宿舎へ探しに行ったこと。
翼のある魔物が、二人を襲っていたこと。
エマのシールドで攻撃を防ぎ、召喚した精霊で倒したこと。
レオは順番に話したが、魔物が爪を振り下ろした場面になると、言葉がつかえた。
職員は最後まで聞いてから、深く息をついた。
「助けられたのは、よかったです。ただ、避難先から勝手に出てはいけません。誰が外にいるのかわからなければ、捜す側も対応できなくなります」
「……はい」
レオは頭を下げた。
ボブたちも、黙ってうなずいた。
壁際の席へ座ると、レオは自分の手を見た。
指先に、まだ力が入っていた。
開こうとしても、少し震える。
エマは隣で、額の汗を拭いていた。
レオは何か言おうとして、やめた。
今は二人とも、話すより座っていたかった。
*
しばらくすると、外からサイレンが聞こえた。
大講堂の入口で人の出入りが増え、鎧の触れ合う音や、短い指示が交わされ始めた。
アリアともう一人の女子学生も戻ってきた。
大きなけがはないと聞き、ボブはようやく肩の力を抜いた。
隣の子は、アリアの同室の学生だという。
二人で宿舎を出たところを、マンティコアに襲われたらしかった。
やがて、放送が流れた。
『騎士団が到着しました。学生は、騎士の誘導に従って宿舎へ移動してください』
レオたちは列に加わり、大講堂を出た。
道の分かれ目や建物の前に、騎士たちが立っていた。
学生の列を見守りながら、宿舎へ向かう道を示している。
女子宿舎の近くまで来ると、前庭に数人の騎士が集まっていた。
レオは、さっき魔物が落ちた場所を見た。
草が黒く焼け、周囲へ灰が散っていた。
「ほとんど灰になっていますが、焼け残った部位を見る限り、マンティコアで間違いありません」
騎士の一人が、しゃがんだまま話していた。
レオは立ち止まりかけたが、前を歩く学生につられて、また足を動かした。
「じゃあ、またあとで」
女子宿舎の入口で、アリアが言った。
まだ少し声は小さかったが、一人で立てていた。
「うん」
ボブが返した。
アリアと同室の女子学生、それにエマが、入口へ向かった。
「エマ」
レオが呼ぶと、エマは振り返った。
「少し、休んでね」
「うん。レオも」
エマはそう答え、二人のあとに続いた。
レオたち四人も、男子宿舎へ入った。
*
部屋へ戻り、鞄を置いた頃、再び放送が流れた。
『脱走したマンティコアの討伐が確認されたため、警戒警報を注意警報へ切り替えます』
レオは窓の方へ顔を向けた。
『幼竜は、現在も発見されていません。マンティコアと比較して危険性は低いものの、発見した場合は近づかず、直ちに学校職員へ知らせてください』
外では、騎士が二人、建物の裏へ歩いていくところだった。
『食堂は通常どおり利用できます。ただし、カフェテリア、遊戯室などの夜間利用は、注意警報が解除されるまで停止します』
放送が終わってしばらくすると、扉がたたかれた。
開けると、ボブが立っていた。
「……夕食、食べに行こうか」
「うん」
部屋を出て、廊下を歩く。
「幼竜は、まだ見つかってないんだって。どこにいるんだろう」
ボブが言った。
「……さあ」
レオは答え、廊下の窓から外を見た。
庭の暗がりを、騎士の持つ明かりがゆっくり動いていた。
アリアたちを連れ戻したレオたち。マンティコアは倒されましたが、幼竜の捜索はまだ続いています。




