第十章 遠く感じる隣の君
エマと親しくなったレオを、ウラジミルが呼び止めます。思わぬ言いがかりに、レオも自分の気持ちが気になり始めました。
「おい、そこの二人」
朝食へ向かおうと宿舎を出たところで、レオとボブは呼び止められた。
振り返ると、見覚えのある五人が立っていた。
ウラジミル・サルカンと、ドラゴンクラブの少年たちだった。
「あ、君は……」
「君じゃない。隣のやつだ」
ボブの言葉を遮り、ウラジミルがレオを指した。
「僕?」
「そうだ。エマに何をした?」
レオは首をかしげた。
「何をしたって?」
「何もしていないのに、あのエマが君と食事をしたり、親しくなったりするはずがないだろう。闇魔法で惑わせでもしたのか?」
レオは、すぐには返事ができなかった。
朝から何を言われているのだろう。
「ああ、夕食のこと?一緒に食べませんかって誘ったら、いいって言ってくれたけど」
「何だって?」
ウラジミルだけでなく、後ろの四人まで驚いた顔をした。
「そんなはずが……。僕が何年もそばにいて、親しくなろうとしても、見向きもしなかったエマが……」
「何年もつきまとってたの?それ、迷惑だったんじゃない?」
ボブが言った。
ウラジミルはボブをにらみ、それからレオへ向き直った。
「とにかく、気に入らない。エマと別れろ」
「別れるって……付き合ってもいないのに、何を?」
「親しくするなと言っているんだ!エマは、君みたいな田舎者に釣り合う相手じゃない!」
レオは呆れて、小さく息を漏らした。
また、話を聞いてもらえそうになかった。
「何か勘違いしていると思うけど、僕とエマは同じ部の仲間だよ。部活が終わったあとに、一緒に食事をするくらいで……今のところは」
「今のところ?」
ウラジミルの声が大きくなった。
「今のところとは、どういう意味だ!やっぱり君もエマを狙っていて、今はその途中ということじゃないか!」
「いや、だから、君が思っているような関係じゃ……」
言いかけて、レオは口を閉じた。
今のところ。
どうして、そんな言葉を付け足したのだろう。
「とにかく、黙って見ていると思うなよ。覚えておけ」
ウラジミルはそう言い残すと、四人を連れて歩いていった。
レオとボブは、その背中をしばらく見送った。
「……朝から元気だね、あの人」
ボブが言った。レオは返事をする気にもなれなかった。
*
「エマさんに片思いしてるのね」
朝食の席でボブから話を聞くと、アリアはそう言った。
「似合わないよね」
ボブがパンをちぎった。
「まあ、似合わないとは思うけど」
「僕の方が似合うよ」
「あなたは絶対に似合わないから、変な夢を見ないで」
アリアは即座に言い返した。
ボブの手が止まった。
「そこまで言わなくても……」
ボブが不満そうに言うと、マックスが首をかしげた。
「そもそも、あんなに愛想のない子の、どこがいいの?」
「きれいだし、魔法もすごいし、この前だって助けてくれただろ」
ボブが言い返すと、アリアは軽く受け流した。
「はいはい」
「好みは人それぞれだからね」
デイビッドが、そう取りなした。
レオは黙って、皿の上の卵を切り分けていた。
ウラジミルは、自分を恋敵だと思っているらしい。
ただ同じ部で活動して、一緒に食事をしているだけなのに。
そこまで考えて、手が止まった。
本当に、それだけだろうか。
エマの名前を入部届で見つけたとき、迷っていた気持ちはすぐに決まった。
一緒に食事をすると言ってくれたときは、嬉しかった。
「レオ、食べないの?」
ボブに声をかけられ、レオは顔を上げた。
「食べるよ」
少し熱くなった顔を見られないように、すぐ皿へ目を戻した。
*
その日の授業は、あまり頭に入ってこなかった。
黒板の文字を書き写していても、朝の言葉がふと浮かんでくる。
今のところは。
自分で言ったことなのに、思い出すたびに落ち着かなくなった。
何度か前のページをめくり直しながら、どうにか授業を終えた。
放課後は、いつものようにバトルアリーナ部へ向かった。
部室では、ルカを中心に、試合の記録を見直していた。
レオも席に着き、説明を聞いた。
けれど、扉が開くたびに、つい顔を向けてしまった。
「今日はエマさん、来ないの?」
しばらくして、ルカが尋ねた。
「……わかりません」
「そっか。じゃあ、先にここの動きを確認しておこう」
ルカが模型の駒を動かした。
レオはそちらへ目を戻した。
エマにも用事くらいあるだろう。
毎回、必ず来ると約束しているわけではない。
そう思っていても、隣の空いた椅子が気になった。
夕食を知らせる鐘が鳴るまで、エマは来なかった。
*
レオは一人で部室を出て、食堂へ向かった。
いつもなら、階段を上がりながら、その日に教わったことを話している。
今日は話す相手がいなかった。
食堂に入り、ボブたちの席を探す。
見慣れた後ろ姿を見つけたところで、レオの足が少し速くなった。
アリアの隣に、エマが座っていた。
二人で何か話している。
それを見たら、さっきまで気になっていたことが、急にどうでもよくなった。
「あ、レオ。こっち」
ボブが隣の椅子を引いてくれた。
レオは礼を言い、鞄を置いた。
「エマ、今日は来なかったね」
「うん。少し調べたいことがあって、図書館にいたの」
エマはいつものように無表情で答えた。
そう思ったが、口元は少し緩んでいるようにも見えた。
アリアと話していたからだろうか。
自分の気のせいかもしれない。
「それでね。今度の週末、絶対に一緒に行こうね。約束よ」
アリアが、先ほどまでの話を続けた。
「うん。家から迎えが来るから、一緒に行こう」
エマが差し出された小指へ、自分の小指を絡めた。
「僕も行っていい?」
ボブがすぐに尋ねた。
「あなたは遠慮して」
「まだ、どこへ行くかも聞いてないのに」
「じゃあ、どうして一緒に行きたいのよ」
ボブは不満そうにパンへ手を伸ばした。
レオは二人のやり取りを聞きながら、エマとアリアを見た。
いつの間に、こんなに親しくなったのだろう。
初めてエマがこの席へ来たときは、みんな少し緊張していたはずだった。
「そういえば、ウラジミル・サルカンとは、どういう関係なの?」
アリアが尋ねた。
レオは思わず顔を上げた。
「関係?」
エマは少し考えた。
「ただの知り合いだけど」
「向こうは、そう思っていないんじゃない?あなたのこと、好きみたいだけど」
エマの手が止まった。
何か言いかけるようにアリアを見たが、結局何も答えず、また料理へ目を戻した。
アリアも、それ以上は聞かなかった。
レオは料理を取りに立ち上がった。
エマが何と答えるのか、なぜあんなに気になったのだろう。
*
週末の朝、正門前には、いつものように迎えの馬車が並んでいた。
王都に家がある学生たちが、荷物を持って門を出ていく。
朝食を終えたレオたちは、正門近くの公園で休んでいた。
今日は、エマも一緒だった。
アリアと並び、二人で話している。
ボブが話へ加わろうとすると、アリアに何か言われて、すぐこちらへ戻ってきた。
「今日も留守番だよ」
「僕たちも、どこか行く?」
マックスが言った。
「そうだねえ」
ボブが考え始めたとき、大きな魔力自動車が正門の前へ入ってきた。
レオはそちらへ目を向けた。
光沢のある車体に、細かな飾りが施されている。窓も大きく、周りの馬車とはずいぶん雰囲気が違った。
扉が開き、きちんとした服装の男性が降りてきた。
「あ、来た」
エマが立ち上がった。
アリアの手を取り、車へ向かう。
「それじゃ、行ってくるね」
「行ってきます」
レオたちは、二人へ手を振った。
男性はエマとアリアに深く頭を下げ、扉を開けた。
アリアが乗り込み、続いてエマが乗る。
男性も乗り込むと、魔力自動車は静かに走り出した。
マックスが、小さく口笛を吹いた。
「ハイペリオン九十六式。最新型の超高級車じゃないか」
「そんなに、いい車なの?」
ボブが尋ねた。
「買おうと思ったら、ちょっとした城一つくらいの値段はするだろうね」
デイビッドが答えた。
「城、一つ?」
ボブが正門へ振り返った。
車はすでに、門から大路へ続く道を走っていた。
「だから、走る城なんて呼ばれてるんだよ」
マックスは、驚くボブを見て笑った。
レオも車を目で追った。
エマが立派な家の子なのだろうとは思っていた。
伯爵の息子であるウラジミルが、彼女に何も言い返せなかったことも知っている。
けれど、城一つ分の車で迎えに来る家など、うまく想像できなかった。
家へ帰れば、どんな部屋で過ごしているのだろう。
いつも、どんな人たちと食事をしているのだろう。
考えかけて、レオはやめた。
エマが部活に来ないと気になる。
食堂にいれば、それだけで嬉しくなる。
今まで、ほかの誰かに対して、こんなふうに思ったことはなかった。
自分は、エマのことが好きなのだろうか。
そう思ったあとに、別の考えが浮かんだ。
好きになっても、いいのだろうか。
『エマは、君みたいな田舎者に釣り合う相手じゃない』
ウラジミルの声が、頭の中によみがえった。
あのときは、勝手なことを言うと思った。
今も、親しくするなと言われる筋合いはないと思う。
それでも、さっきの車を見たあとでは、簡単に笑って聞き流せなかった。
「レオは、どうする?」
マックスに聞かれ、レオは少し遅れて顔を向けた。
「……今日は、図書館で勉強したい」
そう答え、また正門へ目を戻した。
エマたちを乗せた車は、もう見えなかった。
エマを迎えに来た一台の車。レオは、彼女についてまだ知らないことが多いと感じます。




