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森のカフェしっぽっぽ  作者: 森のカフェしっぽっぽ


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第59話 声なき本音

 午後の森のカフェしっぽっぽは、雨の音に包まれていた。

 しとしとと降る雨が窓を叩き、店内の空気はいつもより静かで、少しだけ重たい。


 トラは丸くなって眠り、チビはその背中に顔を埋めている。

 きなはソファに沈み、呼吸すらゆっくりだ。

 イチは棚の上から外を見つめ、ジルはカーテンの陰で小さくなっていた。

 ロンは入口で雨音を聞きながら、静かに尻尾を揺らしている。


 カウンターではサトルが湯気の立つコーヒーを見つめていた。

 みどりは窓の外を見ながら、小さく言う。


「今日は、誰か来そうですね。」


「そうだな。」


「こういう天気の日って……」


「来るやつは来る。」


「ですね。」


 その時、ドアベルが鳴った。


 カラン。


 入ってきたのは、一人の男性だった。

 スーツ姿だが、どこか疲れ切っている。

 髪は少し乱れ、目の下にはうっすらと影があった。


 店内を見渡し、ゆっくりと席に座る。


「いらっしゃいませ。」


「……どうも。」


 声が少し掠れていた。


 チビが迷いなく近づき、男性の足元に座る。

 トラもゆっくりと移動し、その横にごろんと寝転がった。


「猫、好きか。」


「……嫌いじゃないです。」


「それでいい。」


 サトルはコーヒーを一杯差し出す。


「ありがとうございます。」


 男性はカップを手に取るが、すぐには飲まない。

 ただじっと、湯気を見つめていた。


 やがて、ぽつりと口を開く。


「……ここ、相談とかできますか。」


「できる。」


「……そうですか。」


 少し沈黙。


 雨音だけが響く。


「……自分の気持ちが分からないんです。」


「分からない?」


「はい。」


「何を考えてるのか……」


「何をしたいのか……」


「全部、ぼやけてて……」


 ジルが少しだけ近づく。

 男性は気づかず、言葉を続ける。


「仕事も……」


「続けていいのか分からないし……」


「でも辞める勇気もない。」


「人間関係も……」


「嫌じゃないけど、楽しくもない。」


「……空っぽなんです。」


 チビが男性の膝に乗る。

 男性は少し驚きながらも、自然に撫でた。


「空っぽか。」


「はい。」


「何も感じないわけじゃないです。」


「でも……はっきりしない。」


「全部、曖昧で……」


 サトルは静かに聞いていた。


「疲れてるな。」


「……そうかもしれません。」


「休んでるか。」


「休んでも……変わらなくて。」


「だろうな。」


「え?」


「休むだけじゃ戻らない。」


「じゃあ、どうすれば……」


 サトルはカウンターの奥へ行き、小さな箱を持って戻る。


 中には、小さな鈴が入っていた。


「これを使え。」


「鈴……ですか?」


「声なき鈴だ。」


「……?」


「一日一回だけ。」


「自分の“本音”が聞こえる。」


 男性は固まった。


「本音……?」


「自分のか?」


「そうだ。」


「他人じゃない。」


「自分だけだ。」


「……怖いですね。」


「だろうな。」


「でも必要だ。」


 男性はしばらく考える。


 雨音が静かに続く。


「……使います。」


「いい判断だ。」


「ただし。」


「はい。」


「聞いた後、逃げるな。」


「……分かりました。」


 男性は鈴を受け取る。


 小さく、軽い。


 だが、妙に存在感があった。


「ありがとうございます。」


「一週間でいい。」


「その後、来い。」


「はい。」


 男性は深く頭を下げた。


 そして静かに店を出ていく。


 ドアベルが鳴る。


 カラン。


 雨の中へ消えていった。


 みどりがサトルを見る。


「大丈夫ですかね。」


「大丈夫だ。」


「本音って……怖いですよね。」


「だから必要だ。」


「ですね。」


 トラが「にゃ」と鳴く。

 チビはまた棚に登り、ジルは静かに座る。

 きなは動かず、イチは棚の上から見守っていた。

 ロンは入口で雨音を聞いている。


 それから一週間後。


 同じ雨の日。


 ドアベルが鳴った。


 カラン。


 あの男性だった。


 だが、少しだけ表情が違う。


 迷いはあるが、どこか芯がある。


「いらっしゃいませ。」


「……来ました。」


「どうだった。」


「……聞きました。」


「本音。」


 男性はゆっくりと座る。


 チビがまた膝に乗る。


「怖かったです。」


「最初は。」


「何て言ってた。」


「……“もう無理だ”って。」


「仕事も、人間関係も……」


「全部、限界だって。」


 サトルは頷く。


「それで?」


「最初は否定しました。」


「そんなはずないって。」


「でも……毎日聞いてると。」


「同じことしか言わないんです。」


「……なら本音だ。」


「はい。」


「認めました。」


 男性はコーヒーを一口飲む。


「……辞めます。」


「仕事。」


 みどりが目を少し見開く。


「決めたんですね。」


「はい。」


「怖いですけど。」


「でも、やっと自分で決めた気がします。」


 サトルは短く言う。


「それでいい。」


「はい。」


「次は?」


「……まだ決めてません。」


「だが動ける。」


「はい。」


 男性は少し笑った。


「空っぽじゃなくなりました。」


「ちゃんと“嫌だ”って思ってたんですね。」


「それが分かっただけでも……」


「全然違います。」


 ジルがそっと近づく。

 男性は優しく撫でた。


「ありがとう。」


「ここに来てよかったです。」


「また来い。」


「はい。」


 ドアベルが鳴る。


 カラン。


 男性は今度はまっすぐな足取りで店を出ていった。


 みどりが小さく息を吐く。


「変わりましたね。」


「変わったな。」


「本音ってすごいですね。」


「元からあったものだ。」


「気づいただけ。」


「ですね。」


 トラが「にゃ」と鳴き、チビが跳ねる。

 ジルは静かに座り、きなは動かず、イチは棚の上から見守る。

 ロンは入口で尻尾を振る。


 サトルはコーヒーを飲みながら、静かに呟く。


(声は最初からあった)


(聞かなかっただけだ)


 雨はやがて止み、薄く光が差し込む。


 小さな猫カフェ。


 そこでは今日も――

 誰かが、自分の本当の声に出会っていた。

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