表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
森のカフェしっぽっぽ  作者: 森のカフェしっぽっぽ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

58/68

第58話 泡と本音

 午後の森のカフェしっぽっぽは、やわらかな光と穏やかな静けさに包まれていた。

 コーヒーの香りが漂い、外の喧騒とはまるで別世界のような空気が流れている。


 トラは床で大の字になり、チビはその上をぴょんぴょん跳ねている。

 きなはソファに完全に沈み込み、もはや置物としての完成度を高めていた。

 イチは棚の上から店内を見渡し、ジルはカーテンの陰からそっと様子をうかがっている。

 ロンは入口で丸くなりながら、ゆっくりと尻尾を動かしていた。


 カウンターではサトルが静かにコーヒーを淹れている。

 みどりはカップを並べながら、ぽつりと呟いた。


「今日は静かですね。」


「そうだな。」


「最近忙しかったですし。」


「たまにはいい。」


「ですね。」


 その時、ドアベルが鳴った。


 カラン。


 入ってきたのは、一人の女性だった。

 年齢は三十前後。少し疲れたような顔をしているが、どこか気を張っている様子がある。


 店内を見渡し、少し戸惑いながら席に座った。


「いらっしゃいませ。」


「……こんにちは。」


 小さな声だった。


 チビがすぐに近づき、女性の足元にちょこんと座る。

 トラもゆっくりと寄ってきて、その場でごろんと寝転がった。


「猫、好きですか。」


「……はい。」


「少しだけ。」


「それで十分だ。」


 サトルはコーヒーを一杯差し出す。


「ありがとうございます。」


 女性はカップを両手で持ち、しばらく黙っていた。


 店内には静かな時間が流れる。


 やがて、ぽつりと口を開いた。


「……相談、いいですか。」


「いい。」


「ここ、そういう場所ですよね。」


「そういうこともある。」


 みどりが優しく微笑む。


「よければ、ゆっくり話してください。」


 女性は一度深呼吸をした。


「最近、人と話すのが怖くて……」


「怖い?」


「はい。」


「職場でも、何を言っても裏を考えちゃって……」


「嫌われてるんじゃないかとか……」


「迷惑なんじゃないかとか……」


 チビが女性の膝に乗る。

 女性は少し驚きながらも、そっと撫でた。


「でも、本当は……」


「話したいんです。」


「誰かと。」


 サトルは静かに聞いている。


「何が怖い。」


「本音です。」


「本音?」


「自分の気持ちを言ったら……」


「相手がどう思うか分からなくて……」


「それで距離ができるのが怖いんです。」


 トラがゆっくりと女性の足元で転がる。

 ジルも少しずつ近づいてきた。


 サトルは短く言う。


「考えすぎだ。」


「……やっぱりそうですか。」


「だが普通だ。」


「え?」


「誰でもそうなる。」


「そうなんですか……」


「だが。」


「それを放置すると固まる。」


「固まる?」


「動けなくなる。」


 女性は小さく頷いた。


「もう、なってます。」


 みどりが少し考え、口を開く。


「一つ、試してみますか?」


「試す?」


「ちょっと変わった方法なんですけど。」


「ここ、変わった物多いですし。」


 サトルがカウンターの奥から、小さな瓶を取り出す。


 透明な液体が入っている。


「これは?」


「泡の香り水だ。」


「泡……?」


「石鹸と同じ成分だ。」


「だが少し違う。」


「何がですか?」


「心の緊張を和らげる。」


「……そんなことできるんですか?」


「完全ではない。」


「だが、きっかけにはなる。」


 女性は少し迷ったが、頷いた。


「……やってみます。」


 サトルは布に少量を染み込ませ、女性に渡す。


「深呼吸しろ。」


 女性はゆっくりと香りを吸い込む。


 ふわりと、やさしい石鹸の香りが広がる。


「……あ。」


「どうだ。」


「落ち着きます……」


「そうか。」


「すごい……」


 チビが「にゃ」と鳴く。

 女性は自然に笑った。


「笑えたな。」


「……はい。」


「久しぶりかもしれません。」


「なら上出来だ。」


 サトルは続ける。


「本音は全部言う必要はない。」


「え?」


「少しでいい。」


「少し?」


「一つだけ言え。」


「小さなことでいい。」


「例えば。」


「楽しい、とか。」


「助かりました、とか。」


 女性は考える。


「……それなら、できそうです。」


「それでいい。」


「それを積み重ねろ。」


「はい。」


 ジルがそっと女性の隣に座る。

 女性は優しく撫でた。


「この子も、少しずつですね。」


「そうだ。」


「無理しない。」


「それが一番だ。」


 女性は深く息を吐いた。


「……来てよかったです。」


「また来ればいい。」


「はい。」


 しばらくして、女性は立ち上がる。


「ありがとうございました。」


「少し、やってみます。」


「うまくいかなくてもいい。」


「続けろ。」


「はい。」


 ドアベルが鳴る。


 カラン。


 女性は少しだけ軽くなった表情で店を出ていった。


 みどりがサトルを見る。


「いい感じでしたね。」


「そうだな。」


「やっぱり相談って大事ですね。」


「きっかけだ。」


「それだけで変わる。」


「ですね。」


 トラが「にゃ」と鳴き、チビがまた飛びつく。

 ジルは静かにその様子を見ている。

 きなは動かず、イチは棚の上から見守っていた。

 ロンは入口でゆっくり尻尾を振る。


 サトルはコーヒーを一口飲む。


(今回は“泡”か)


(次は何で繋ぐか)


 小さな猫カフェ。

 だがここでは――

 誰かの心が少しだけ軽くなる。


 そんな時間が、今日も静かに流れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ