⑦
危機一髪で少年二人を救出したエリシアだが、しかし彼女が路地に現れたのは、偶然だが偶然ではない。
時間は少しさかのぼる。
アルトとカイルに助けられた商人は、人通りの多い道を目指して必死に走っていた。そこで、ちょうどギルド依頼の仕事を終えたエリシアと鉢合わせたのだ。
年若くとも冒険者の装備を身に着けた少女に、逃げてきた商人は息を切らしながら助けを求めた。
直後、商人が飛び出してきた路地から、彼を追って粗野で乱暴そうな男が現れる。何事か口汚く罵り叫びながら、こちらへ向かってくるその姿を見て、エリシアは何かを察した。
微笑みながら首を軽く傾げ、商人に問いかける。
「とりあえず、ぶっ飛ばしちゃっていい?」
商人がうなずくよりも早く、少女はその場から飛び出した。
そして瞬殺。
エリシアの活躍を目を丸くして見ていた商人だったが、すぐに我に返り、状況の説明をし始めた。
その説明を聞いたエリシアは顔色を変え、即座に判断を下した。
「南門の在駐兵に報告して、人を送ってください。私は現場に向かいます!」
「わ、分かった!」
商人が南門に駆け出して行くのを横目に、彼女は雪を踏みしめながら全速力で路地へと走った。
今、その判断が功を奏している。
エリシアは短剣を軽く振って刃についた埃を払うと、静かに鞘に納めた。
「とりあえずケガはないんだよね?」
二人に話しかけるその声は、戦いの直後とは思えないほどひどく穏やかで明るい。その優しさが、かえって胸に刺さる。
アルトは唇をかみ、悔しそうにうつむいた。――また助けられてしまった。
「…俺だって、戦えると思ったのに」
少年の強く握られた拳を見てエリシアが小さく笑い、少しかがんでアルトの目線に合わせた。
「戦えるようになるよ。でも今日は、助けられる側でいいの」
その言葉は優しいが、どこか諭す響きがある。
胸の奥に湧き上がる感情。それは悔しさか憧れか、アルト自身でもわからない。ただ目の前の少女が己よりずっと大人で、そしてずっとずっと強い存在だということだけは、はっきりしていた。
「…おい、足音がする!」
カイルが顔を上げ、路地の入口を指さす。
遠くから複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。
「大丈夫、味方だよ」
エリシアは二人を背にかばうように立ち、路地の出口を見据える。
やがてその言葉通り、南門の駐屯兵たちが姿を現した。先程逃がした商人が先導して案内してくれている。
到着した兵士たちは倒れている男たちを素早く縄で縛り上げていく。短い号令が冬の冷たい空気を震わせて響き渡った。
「あぁああ、君たち無事だったんだね、よかった!」
安堵の声を上げながら先程の商人が少年たちに駆け寄ってきた。すでに半泣き状態だ。
「ごめんねごめんね、危険な目に遭わせて本当にごめんね」
「いえ、あの時は商人さんを逃がすのが目的だったので…」
「うん、無事に逃げてくれてよかったです」
「もうほんっとにありがとう…!」
子供である自分たちに全身で感謝を伝えてくれている。
そのまっすぐな思いが伝わり、アルトとカイルは一瞬視線を合わせ、照れ臭そうに笑った。
「君たちがこの騒動の当事者だね」
話をしていると、兵士の一人が近づいて声をかけてきた。
「事情は詰所で聞こう。君たちを保護するよ」
兵士の落ち着いた声に、アルトとカイルはようやく緊張を解く。
張りつめていた肩の力が抜け、冷え切った指先に、じんわりと温もりが戻ってくるようだった。
こうして、ならず者の男たちは捕縛、アルトとカイルは無事保護されたのだった。
南門の衛兵詰所は、外の冷気を遮る厚い木の扉と、壁際に置かれた薪ストーブの柔らかな暖かさに包まれていた。
コートを脱いだアルトとカイルは、二人そろっておとなしく長椅子に腰掛けている。頬はまだ赤く、指先にはようやく血の巡りが戻ってきたようだ。
エリシアと商人――名前はセリオ・ヴァンデルというらしい――は二人を挟んで両脇に立ち、騎士の質問に答えていた。
「つまり、ヴァンデル商人が奴らに絡まれていたところを、この二人が助けた…」
南門の門衛騎士が、手帳にペンを走らせながら確認する。彼の後ろの方には、守衛長らしき壮年の騎士が腕を組み、静かに様子を見守っていた。
「だが逆に捕まってしまい、そこへ君が駆けつけたと」
「はい。ヴァンデルさんから話を聞いて、すぐに現場へ向かいました。その際、南門の駐屯兵にも知らせるよう商人さんにお願いしてあります」
エリシアの声は落ち着き、言葉に無駄がない。騎士は短く頷き、次いで商人セリオへと視線を向けた。
「そもそも何で絡まれたんだ?」
「宿へ近道しようとしたんですよ。裏通りの路地を突き抜ければ大通りまですぐなんで」
「ふむ」
「で、何やら声が聞こえたんでちょっと覗いてみたら…」
その時のことを思い出してぶるりと小さく震える。
「たまたまあいつらの一人と目が合って、野郎、聞きやがったなって…」
「何を話してたか聞いたのか?」
「何話してたかなんてほとんど聞こえてないですよ!」
「ほとんど? ってことはちょっとは聞いちゃったってこと?」
騎士とセリオの会話にエリシアがひょいと割り込む。興味を引かれたらしい。
「聞いたんじゃない、聞こえたんだ。えっと、騎士団の巡回ルートがどうとか…」
「巡回ルート?」
後ろに控えていた守衛長の眉がピクリと動く。
「なんか悪だくみ考えてたっぽいねぇ」
エリシアが顎に手を当てて考察するポーズをとった。
話を聞いている騎士は、手元の手帳に聴取内容を黙々と書き込んでいく。後ろにいた守衛長が椅子から立ち上がり、近寄ってきた。キリのいいところまで書き終えたらしいメモ帳を覗き込み、何かを思案する。
「…この辺は捕まえたあの三人に尋問すればいいか」
ぼそりと守衛長がそう呟く。
そうして、今度はアルトとカイルに視線を向けた。
「君たちも危ない真似をしたな。相手は素手でも危険な連中だ」
アルトは唇を引き結び、視線を落とす。
「…わかってます。でも、放っておけなかったんです」
隣でカイルも小さくうなずき、拳を膝の上で握りしめていた。
守衛長はため息をつきながらも、口元にわずかな笑みを浮かべる。
「勇気は立派だが、次は必ず大人を呼びなさい。命あっての正義だ」
そうして事情聴取という名の聞き取りが終わると、四人には温かいハーブティーがふるまわれた。
湯気が立ち上り、冷え切った指先にじんわりと熱が伝わってくる。
「ああ、あと君」
「え、オレ? 何ですか?」
アルトがカップを両手で包み込み、ハーブティーにじんわりほっこりして気を緩めていたら、不意に声をかけられた。きょとんとして返事をする。
「君、フェルナード隊長の息子さんだろう。連絡しといたから」
「えっ!」
「もうすぐ迎えが来ると思うから、もう少しここで待っていなさい」
守衛長の低く落ち着いた声が、(アルトにとって)まるで死刑宣告のように響いた。
…父さんに、連絡したって…?
アルトの父、ブラン・フェルナードはグレイスフィールド支部の小規模部隊を率いる隊長の役職を持つ現役騎士だ。普段は温厚で優しい父だが、モラルや同義に反したこと・危ないことに首を突っ込んで心配をかけてしまった時などは、烈火のごとく怒るのだ。
脳裏に浮かぶのは、雷鳴を背にしょって腕を組み、低い声で「アルト」と呼ぶ父の姿の幻影。その後ろには角の生えた母の姿もちらりと垣間見えた気がする。
「ま、まあまあ。怒られるのはおれも一緒だし!」
隣に座るカイルが励ますように肩をたたくが、アルトにとっては何の気休めにもならない。
「どう考えてもおまえよりオレの方がこっぴどく叱られるだろ…!」
アルトが恨めし気に言うと、カイルは「そりゃそうだろな」とあっさり認めてしまった。
外からは、南門をくぐる馬車の車輪の音や、旅人や冒険者の誰何、来町目的を尋ねる門兵の声が聞こえてくる。時間はそう遅くはないが、季節がら日が暮れるのが早いため、来訪者はそう多くはなくとも時々資料や報告書等を取りに門兵が入ってくるのだ。
そのたびにアルトの心臓は無駄に跳ね上がる。
その様子を見て、カイルが「心臓も鍛えとけよ」と小声で茶化した。
夕陽はもう半分沈み、詰め所の中は夜の色に染まり始めていた。
そしてアルトは思う――父が来るまでに、この胃のキリキリは何回限界を迎えるんだろうか、と。
そんなアルトの様子を見て、当然の疑問をエリシアは口にした。
「…キミのお父さんって、そんなに怖いの?」
「こ、怖くなんか……!」とアルトが否定しようとした瞬間、カイルが間髪入れずに答えた。
「怒るとめっちゃ怖いです!」
「おいい!」
アルトは肘でカイルを突くが、それを見ていたエリシアは肩を揺らしてケタケタと笑い、つられてセリオも口元を緩めた。




