⑤
真冬の平日。丘の上のアカデミーでは、今日も子供たちが元気に授業を受けている。
窓の外では粉雪がちらちらと舞い始め、石畳の通りを白く覆い始めていた。
有事の際には避難所としても使われるアカデミーの校舎は、冷たい空気を遮ってくれるものの、冬特有のひんやりとした感覚が足元からじわじわと忍び寄ってくる。
教室の中央に置かれた薪ストーブが、パチパチと小気味よい音を立てながら赤い炎を揺らしていた。その温もりと雪の静けさが混ざり合い、授業中の空気はゆったりと流れていく。
子どもたちは教科書を開きながらも、その視線は時折、窓の外へと向けられる。
アルトは机に肘をつき、頬杖をついたまま、白く染まりゆく街並みをじっと見つめていた。
「今年の初雪は早かったよな…」
小さくつぶやく声は、どこか落ち着かない。
父や兄が所属する騎士団は、冬になると街道や村落の警備が増える。雪の中、鎧をまとい剣を携えて立つ姿を想像すると、胸の奥が熱くなると同時に、少しだけ遠く感じるのだ。
「アルト、また騎士団のこと考えてるだろ?」
隣の席から、幼馴染のカイルが身を乗り出し、からかうように覗き込んできた。
「別に…ただ雪を見てただけだ」
アルトは短く答え、視線を窓から外して机の上のノートに目を落とす。だがそんな仕草でごまかせる相手ではない。
気心の知れた幼馴染は、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべたまま怯まず小声で絡んでくる。
「どうせ将来はお前も騎士になるんだろ? だったら今は字の練習でもしとけよ」
「うっせ。お前だって字、ぐにゃぐにゃじゃないかよ」
アルトは少し頬を膨らませ、カイルを軽く睨む。
「な、雪積もったら雪合戦して勝負しようぜ」
「望むところだ。吠え面かくなよっ」
アルトも負けじと笑い返し、二人の間に小さな火花が散る。
そうしてふたり小声でこそこそ喋っていると――
「——カイル! アルト!」
教壇から先生の鋭い声が飛んできた。
二人はびくっと肩を揺らし、慌てて背筋を伸ばして教科書に視線を戻す。
チョークを持つ先生の眉間には深いしわが寄っていた。
「授業中はおしゃべりしない!」
先生の注意をする厳しい声は、どこか慣れた響きがある。実はこの二人が授業中にこそこそ話すのは、特段珍しいことではないからだ。クラスメイトたちが二人を見てくすくすと笑い、空気が少しだけ和らぐ。
「次に話してたら、二人とも廊下に立ってもらうぞ!」
そう釘を刺すと、先生は黒板に向き直り、授業を再開させた。チョークで黒板に書き込むカツカツという音が、リズミカルに教室内に響く。
カイルはぺろりと舌を出し、おどけたような顔をしてアルトに軽くウインクした。アルトはほんの少し唇を尖らせたまま、窓の外の雪に視線を逃がした。
雪はまるで二人をからかうように、窓の外でひらひらと舞い続けている。
放課後のチャイムが鳴り響くと同時に、教室の空気が一気に緩んだ。椅子を引く音や鞄の留め具を外す音、友達同士の笑い声が重なり合い、冬の午後の静けさを押しのけるように広がっていく。
アルトは机の上の教科書を乱暴に鞄へ押し込み、隣の席を振り向いた。
「あ~~~、やっと終わった~~~」
ツンツンとした黄色いひよこ頭を揺らしながら、カイルは大きく伸びをする。
「よし、帰ろうぜ」
「先生、最後まで睨んでたぞ。お前のせいだな」
「何言ってんだ、お前が話しかけてきたからだろ!」
軽く言い合いをして笑いながら、二人は教室を出て石造りの廊下を並んで歩きだした。
窓の外では昼間よりも雪の粒が大きくなり、地面を少しずつ覆い始めていた。その白さに、二人の足取りは自然と速くなる。
外に出ると、夕暮れの色が街を包み始めていた。
冬は日が暮れるのが早い。空は淡い紫と橙が混ざり合い、吐く息は白く、足元の雪がぎゅっぎゅっと心地よい音を立てる。
冬の寒さは骨身に染みるが、だからといって町は活気を失わない。パン屋の店先からは焼きたての香りが漂い、八百屋では客引きの威勢の良い声が響く。通りを行き交う人々は厚手のマントやコートに身を包み、手には買い物袋や薪の束を抱えていた。
「雪の日の町って、なんだかわくわくして好きだな、オレ。でも、外で働く人は大変だよな」
「門番とかな。兄ちゃんも真冬の巡回はキツイって前言ってたっけな」
「お前んとこのテオ兄ちゃん、こないだ南門の方で見たぞ! 騎士の鎧姿でさ、かっこよかったな~」
「だろ! オレの自慢の兄ちゃんだもん!」
「なあ、南門ってこの時間でも騎士団が見回りしてるのかな」
カイルがふと呟くと、アルトは肩をすくめる。
「さあな。でも行ってみるか? 家まで遠回りになるけど」
「…いいな」
二人は顔を見合わせ、にやりと笑った。
夕暮れの街路を、二人は足跡を並べながら南門へと歩き出す。
南門へ向かう道は中心街よりも人通りが少なく、雪が多く積もっていた。足跡はまばらで、荷馬車の車輪跡が長く続いている。
街灯が灯るにはまだ早い時間のため路地は若干薄暗く、雪の白さだけがぼんやりと浮かび上がっていた。
ふいに、遠くの路地裏から、かすかな金属音と低く唸るような声が混じって聞こえてきた。
咄嗟にその場で足を止め、耳をすます。
「…聞こえたか?」
「…あれ、獣の声じゃないか?」
二人は顔を見合わせ、視線を交わしあう。
胸の奥がざわつき、まわりの空気が急に重く感じられた。アルトの脳裏には、父や兄が剣を構えて立つ姿がよぎる。
「行ってみよう」
その声は小さかったが、確かな決意がこもっていた。
アルトが雪の積もった地面を踏みしめて、音のする方へと駆けだす。カイルは一瞬ためらったが、すぐにその背中を追った。
慎重に路地の角から覗き込むと、そこには数人の人影があった。だが、当然だが和気あいあいとした空気ではない。
灰色の毛並みをした大型犬が二頭、背を低くし、喉の奥で唸りながら旅装束の商人を囲んでいる。その背後には粗末な鎧を着た3人の男たちが立ち、商人を壁際へとじりじりと追い詰めていた。
男たちは商人に何かを要求しているらしく、短く荒い声が雪の静けさを切り裂く。
商人の顔は青ざめ、手は小刻みに震えていた。足元の雪には、逃げようとしたのか乱れた足跡が残っている。
「…騎士団は?」
「見えない。南門の見張りも遠いし、ここからじゃ呼んでも間に合わない」
アルトの胸が激しく脈打つ。
父や兄のように、誰かを守る姿を夢見てきた。今、その瞬間が目の前にある――けれど、現実は甘くない。
自分たちは子供だ。できることには限界がある。剣も短剣も、武器になりそうなものは今何一つ持っていない。あるのは足元に転がる木の棒や、路地の端に積まれた雪の塊くらいだ。
冷たい風が頬を刺し、息が白く揺れる。
獣の黄色い瞳が、ふとこちらに向いたように見えた。
――気づかれたのかも知れない。
背筋にぞくりとした感覚が走る。
「俺たちでやるしかないだろ」
カイルがアルトの顔を覗き込み、真剣なまなざしで言う。
アルトは一瞬ためらったが、すぐに逃げるという選択肢を頭から追い払った。
父や兄の背中を思い出し、唇をきゅっと結ぶ。
「…わかった。やるぞ」
決意を固めた二人の視線が交わり、強く頷き合った。




